第二章その1

 第二章、研修宿泊で起きた出来事


 数日後の四月二八日、月曜日の放課後になると翔は借りた『1984年』を読み終えて返却するために図書室に行く、太一には悪いが先に帰るようにと言おうとしたのだが、察しがいいのかこんなことを言ってた。

「今日は返却日だったね、またゆっくり探して読むといいよ」

 そう言って直人と帰ってしまったのだ。

 翔は一度深呼吸して彩と目を合わせ、見つめながら「読み終わったから返してくる」とハードカバー本を見せて合図をすると、微笑んで肯いてくれた。

 期待を寄せながら図書室の扉を開け、カウンターに行って『1984年』を返却すると次は何を読もうかと思う以上に、神代彩が来るのを期待してる。

 そういえば前にチラッと見た程度だがH・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』があった、あれは確か史上初の宇宙人が地球を侵略する話しらしい。

 そうしてるうちに彩が図書室に入ってきた。

「真島君、今度は何を探してるの?」

「H・G・ウェルズの宇宙戦争……あっ、あった」

「よかった……今日はすぐに見つかって」

 今回はあっさり見つけてしまってちょっとガッカリしたがまあいい。今度は僕が探してあげる番だと思いながら『宇宙戦争』を取って言った。

「神代さん、探してる本とかある? 今度は僕が探すよ」

「あっ……今読んでる本があるから大丈夫よ」

「そ、そうか……一週間にどれくらい読んでるの?」

「えーと……だいたい三~四冊くらいかな?」

 彩は上目遣いになって言うが翔は読むの速っ! と感心する。太一が薦めてくれた『1984年』をだらだらと読んでいたが第三部で主人公のウィンストン・スミスが、恋人のジュリアと思想警察に捕まったところから一気に読破してしまった。

「神代さんはどんなの読むの?」

「う~んあたしは読む幅は広いし、正直お勧めできるほど深く読んでないから……一つ言える事は興味を持った本からどんどん読んでいくことね」

「そうか、それなら……感想話すよ。だから……また一緒に――」

 翔は最後の一言が出てこない、言葉に出そうとすると息が詰まってしまいそうだ。彩は翔の言葉を先読みしたのか、微笑んで肯いた。

「うん、一緒に帰ろうか」

「ああ、また……この前みたいに」

 翔は言葉にして伝えたいことを言えない自分の歯痒さを感じながら肯いた。昇降口で靴を履き替えると、一緒に自転車を取りに行きながら『1984年』の感想を話す。

「――それでまだ太一には感想を言ってないが、言った通りだった部分もあれば大袈裟だった部分もあったよ」

「例えばどんなところ?」

「神代さん、校内にあるポスターだけど中学の頃に比べて多いと思わない?」

「えっ? ああそういえばなんか多いわね……校則守って良い学校生活、とか先生たちは見ているとか、なんというか扇動的と言うのかな? 押し付けがましいって感じがする」

「太一は言ってたよ、実はこのポスターに監視カメラと盗聴器が仕込まれていたら? って、実際に旧東ドイツやチャウシェスク政権時代のルーマニアもそうだったらしい……考え過ぎならいいが」

「考え過ぎだと思うよ、まだ入学したばかりだからなんとも言えないけど」

 彩の言う通り考え過ぎだと笑って済ませればいいが、翔は自転車を押しながら横断歩道を渡る。ふと明後日はいよいよ宿泊研修だと思いながら翔は話題を変える。

「そういえば明後日の宿泊研修、なんか乗る気がしないな」

「そうね、まだ一ヶ月も経ってないのにみんなとお泊りって……なんだかドキドキするわよね、修学旅行とは違うけど」

 彩は苦笑しながら言う。確か入学案内のパンフレットを見た時、修学旅行の行き先は春の長野スキー場と東京見物で中学の頃は沖縄だった。

「神代さんはどこに行きたい? 僕は広島や大阪、北海道とかだけど」

「あたしも国内がいいわ。沖縄とか京都とか、大阪に東京……あの事件のおかげで今海外は怖いから」

 彩の「あの事件」という言葉から急に重くなる。一年半くらい前の九月一一日、まだ翔が中学二年生だった頃、悪い意味で二一世紀の幕開けを飾るのに相応しい事件が起きた。

「アメリカ同時多発テロか、なんだか二一世紀って……思ってたのとは全然違うな」

 事件の首謀者であるウサーマ・ビン・ラーディンは二〇世紀の方向性を決定付けたサラエボ事件の実行犯、ガヴリロ・プリンツィプの二一世紀版とも言える。

「そうね。現実は厳しいからある意味変わらないのは当然かもね」

 彩の言う通りだ。翔は小学生の頃、図書室で昭和の頃に発行された未来予想の本を夢中になって読んだことを思い出しながら言葉にする。

「二一世紀の幕開け、街には人間に混じって人型ロボットが仕事して、車はデロリアン号みたいに空を飛んで超高層ビルが立ち並び、仮想現実VRで旅行したりゲームしたり、気軽とまではいかないけど国際線旅客機に乗る感覚で宇宙に行く……さすがに自分が生きてる間に日帰りでアルファ・ケンタウリ星までは無理だろうけどね」

「うふふふふふ真島君いくら近いと言っても光の速さで行っても四年以上かかるわ、でも……そんな遠くまで速く行けたらいいわね」

 彩は愛らしく笑いながら言うと、翔はもう一つこの前、四月一〇日に報じられた残念なニュースが頭から離れなかった。

「それ以前に夢の超音速旅客機コンコルドが今年の一〇月に退役……乗りたかったなぁコンコルド」

「それ、小学三年生の頃乗ったことあるわ! 世界一周旅行する時にロンドンからニューヨークに行く時に!」

 マジかよ! 夢で終わりゆく超音速旅客機コンコルドに!

「世界一周旅行!? いいな二一世紀になった誰もが自家用機を持てるって、本で読んだことあるけど……自分専用の飛行機が欲しいな」

「ふふふふふふふ……男の子って車やバイク、電車とか好きっていうけど真島君は飛行機が好きなんだね。どんなのが好きなの?」

「好きな飛行機を上げるなら戦闘機ならF-15、旅客機ならボーイング747-400かな? あの四発エンジンで二階建ての怪獣みたいに大きくて長い飛行機! わかる……かな?」

 翔は思わず瞳を輝かせて饒舌になり、思わず危うく長話するところだったと背中から汗が噴き出る、彩は微笑みながら肯いた。

「うん、乗っちゃった。弟が飛行機のゲームをやってるからわかるわ! 二階席に座ったことも」

「羨ましい! 二階席に座って空の旅がしたいな!」

 翔はもう彼女が羨ましくて羨ましくてしょうがない、感想をたっぷり聞きたいところだがもう新水前寺駅に着いてしまい。思わずテンションが下がる、名残惜しいがここでまた今度だ。

「たっぷり話しを聞きたかったけど……気をつけて」

「うん、研修宿泊頑張ろうね」

 彩は無邪気でぽわぽわとした笑顔で肯くと、手を振りながら駅のホームへと上がって丁度肥後大津方面の電車が入って来た。翔はその電車が発車して水前寺駅方面に行くのを見届けると、ほっこりした気持ちで自転車に跨って家路を急いだ。



 今年の宿泊研修はゴールデンウィークの合間にある水・木・金曜日の三日間、阿蘇の研修宿泊が始まって翔はバスに乗りながらやっぱり細高というのは正直変だと思う。

 先生の話しで耳にするのは「先生や大人たちはみんなを見てる」というのを異口同音に話してることや“先生たちはいつも見ている”という校内ポスターは『1984年』のロンドン中に貼られてるポスターそのものだ。


 Big brother is watching you.(ビッグ・ブラザーがあなたを見ている)


 ビッグ・ブラザーとはオセアニアの独裁者だ。

翔は研修宿泊に向かうバスに乗ると太一と隣の席になる。

「それで? 感想はどうだった」

「ああ、さすがにオセアニアそのままとまでは行かないが……学校中に貼られてるポスターが実はテレスクリーン(※1984年に登場するカメラと盗聴器付きテレビ型監視装置)かもしれないと思うと寒気がする」

「気に入ってくれたようだね、まあこれからどんなことが待ってるか楽しみだよ」

兄弟同盟ブラザーフッドでも作ろうというのかい?」

「まあまあ、もう少し様子を見よう」

 太一の微笑みはこれからやってくる苦難さえも楽しみにしてるようだが、同時に気味が悪い。まさかこいつは党内局のオブライエンか、下町の古道具屋の主人であるミスター・チャリントンじゃないかと思うくらいだった。

 翔は口元をへの字にしてると、太一は翔の心情を察したのか精悍な笑みに変わる。

「そう怖い顔するな翔、少なくとも僕は君にとってのエマニュエル・ゴールドスタインでいるつもりさ」


※エマニュエル・ゴールドスタイン――ビッグ・ブラザーのかつての同志で今は裏切り者、兄弟同盟を率いて反政府活動をしてるという謎の多い人物。


「それなら……いいが」

 翔は窓の外を眺めると今朝まで天気のよかった空は一転して分厚い灰色の雲に覆われていた。

こりゃいつ雨が降ってもおかしくない、阿蘇カルデラの入り口である立野に入ると濃霧に覆われて視界が悪い。

 しかも小雨が降り始めてる、確か今日のお昼は野外炊事でカレーを作るんだっけ? 中止になってくれないかな? 翔はうんざりして到着まで寝ることにしたが、結局眠れず阿蘇山の麓にある少年自然の家に到着し、その頃には晴れていた。

 入所式を終えると部屋は第一班である西本、太一、一成、それから野球部の本橋孝明もとはしたかあきたちと一緒の一五人用部屋で、しかもかなり狭かった。

「うわ狭いなここ、刑務所かよ」

 西本はベッドの部屋に挟まれた畳部屋でうんざりした表情で言うと直人も苦笑する。

「これじゃプライバシーもクソもないな、なぁ一成」

「ああ、こんな所で三日間過ごすなんてあり得ねぇよ……帰ってゲームがしたい」

 一成は魂が抜けたかのような虚ろな目をしている、確かに窮屈で憂鬱で退屈な三日間になりそうだと思う、すると直人がみんなに訊く。

「みんな、退屈しのぎに何か持ってきたか? 俺トランプ持ってきたぜ」

 直人は鞄からアメリカの実業家をあしらったトランプのケースを取り出すとみんな「おおーっ!」と唸る。

「僕はなんとなくこれを持ってきたけど、どうかな?」

 太一も鞄から使い捨てカメラを取り出すとみんな一段高く「おおーっ!」と唸る、すると一成も不敵な笑みを浮かべる。

「ふふふふふ……そんなんだろうと思ってな、オイラも持ってきちゃった!」

 一成が取り出したのはこの前発売されたばかりのGBASPと黒いGBAに予備電池四本、通信ケーブル付き! しかもソフトはロックマンEXE三部作とかポケモン・ルビー&サファイアも持ってきていた。

 これには一番みんな「おおーっ!!」と更に一段と高く驚いていた。

「おおーっ! マジかよ! ロックマンEXE3まだやってねぇんだ!」

 特に本橋が嬉しそうに反応するが翔はこんなに持ってきて大丈夫なのか? まあ僕も図書室から借りてきた本を一冊持って来たと翔はさりげなく『宇宙戦争』を鞄から出す館内放送を告げるチャイムが流れた。


『お知らせします。ただいまから部屋ごとに携帯電話の預かりと、持ち物検査とを行いますので生徒の皆さんはそれぞれの部屋で待機して下さい』


 持ち物検査かよと翔はどうせ取られるならと、携帯電話にダイヤルロックをかけて電源をOFFにするが持ってきた一成は大慌てで隠す。

「ヤバイヤバイヤバイ!! 隠せ隠せ!! ベッドの下だ!!」

「そこはエロ本の隠し場所の定番だ!! 見つかっちまう!!」

 直人も慌てた口調でトランプを隠すがほどなくして体育で野球部顧問の山本やまもと先生が程なくして入ってきた。

「はーいお前らそのままそのまま、荷物やポケットの中身を全部出して。これとこれとこれは帰るときまで没収ね、これは……学校の物だからいいか」

 山本先生は布袋に使い捨てカメラ、トランプ、GBAを回収すると携帯電話も全て持っていかれた、残ったのは翔が持ってきた文庫本だった。

「なんでゲームとかトランプは駄目なのに小説はいいんだぁああああっ!!」

 一成は両膝を床に着き、上半身と顎を反らしながら腕を天に掲げるという某ベトナム戦争映画のポーズをした。太一はご愁傷様ですと言いたげな表情で苦笑する。

「あーあ持って行かれちまった、まあ退屈しのぎの手段なんていくらでもあるけどね」

「他の部屋の連中は何を持ってきたんだろうな」

 上野は苦笑しながら言う、面白い物とかブッ飛んだ物とか持ってきた奴いるのか? と思いながら早速ベッドの場所を決め合い、翔は二段ベッドの上で太一はその下だった。

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