第一章その4

 何度も探したが見つからない。

 これで三度目だと翔は海外作家の棚を中心に探す。彩には手間をかけて申し訳ないと思いながら根気良く探していると、彩の嬉しそうな声が本棚の向こう側から響く。

「あった! あったよ真島君!」

 決して大きくなかったが、翔はすぐに早歩きで行くと、彩は自分のことのように嬉しさに満ちた笑みで古びたハードカバーの本を両手で持っていた。

「神代さん……いったいどこにあったんだ?」

「その他、の所よ。どうして海外作家の所に置かなかったのかしら? でもよかった見つかって。はい、どうぞ」

「あ、ありがとう」

 翔はまるでプレゼントを受け取るような嬉しさと恥かしさが入り混じった声でかなり古い本を受け取る。翔は早速、この本を借りる手続きをする。

「遅くなっちゃったね、あたしももう帰るね」

「神代さん……今日はありがとう、僕ももう――」

 帰るよと言おうとしたが、彩は開いた窓から涼しい春風が吹き付けてフワリと長い髪がなびく、それはワタリガラスが翼を広げたかのように綺麗だった。

 翔は勇気を出してモジモジしながら固まった口調になる。

「あの、家は確か……武蔵塚だったよね?」

「うん、新水前寺駅で電車に乗るから」

「お、お礼じゃないけど……途中までだけど、一緒に帰らない?」

 本当は一緒に帰ろうって言いたいのに、ハッキリ言えない自分が情けない。これじゃ中学の時と同じだ、園田先輩が卒業する時に思いを伝えられずに、ただ見送るしかなかったことを。

「うん、一緒にお喋りしながら帰ろうか」

 それでも彩は肯いてくれた。翔は頬を赤らめながら肯いて俯いた。それから翔は入学してからの高校生活のことを話しながら、昇降口に出ると急いで自転車を取りに行く、汗だくになって息切れしながら押して走ってくる翔に無邪気に笑う。

「うふふふふふふもう、そんなに慌てなくていいのよ。遅刻するわけじゃないから」

「あっ、ああ……」

 女の子を待たせるわけにはいかないから、内心付け加えながら肯くと校門へと歩くが翔は何を話せばいいかわからない。どんな話題がいい? 衝動的に誘ってしまったがどんなことを話せばいい? ええい迷うな! 無難な話しからすればいい!

「なぁ……神代さんはどうしてここの学校に? 滑り止め? それとも推薦とか?」

「滑り止めね、肥後高受けたんだけど落ちちゃった……親が受けなさいって言われて受けたんだけど試験難しかったわね」

「実は……僕もなんだ!」

 思わぬ共通点が見つかって翔は思わず声を上げる、いかん……思わず翔は俯く。

「そうだったんだ、やっぱり壁は大きかったわね……細高の噂は聞いてたけど、やっぱり入る学校間違えちゃったかな?」

「ああ、一部誇張されて意外とアバウトだということもわかったけど」

 翔は引き攣らせた笑みで言うと、彩は右手人差し指を立ててテントウムシが止まりそうな指先を柔らかくて弾力のありそうな唇に着けて言う。

「うん、でも男女交際禁止っていうけど、どこまでかしら? こうやって二人で一緒に帰るくらいなら他にも沢山いるから大丈夫そうだと思うけど……でも、それはそれで面白そうじゃない?」

 彩は右手を下ろして見つめながら言うと、翔は率直に訊いた。

「どんなところ?」

「先生や大人たちの目を盗んで逢引とかするの、ドキドキして楽しそうで、なんだか青春小説みたいで面白そうじゃない?」

「確かに禁じられた恋の話は古今東西よくある話しだ、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』もそうだ、あれは悲しい結末になってしまったが」

「そうね、現実はもっと厳しいと言う人もいるけど……あたしはハッピーエンドにしたいわ。あたしの人生と言う物語は……絶対に面白くしたいって」

「これも……読んでいた本の影響?」

「うん、あたし影響されやすいタイプだと思うの……青春小説みたいなことがしたいって、でも現実は中々思うようには行かないのよね」

 彩は肩を落として遠くを見るような眼差しで言うと、翔も同感だと思いながら肯く。

「ああ、休日も外出時に制服着用じゃ白けて部屋に篭りたくなるな……神代さんは読書で過ごせるかもしれないが」

「それだけじゃないわ。お父さんが映画通でよく下通しもとおりの映画館へ一緒に行ってるの、真島君は休みの日はどう過ごしてるの?」

 彩に訊かれて翔は「う~ん」と悩んで言う。

「趣味らしい趣味とは言えないけど、自転車で走り回ることかな? 一度だけだが空港まで自転車で走ったことがあるし江津湖えづこを回るコースもある。雨の日はテレビゲームをしているくらいかな?」

「テレビゲームねぇ……弟の卓也たくやったら朝から晩までゲームしてるのよ」

「どんなの?」

「う~んそうねぇ……なんか銃でゾンビとか怖い怪獣みたいなのと戦うゲームとか、戦争もののゲームとかなんか血生臭いものばかりなのよ……でもね、なんか映画みたいな話で見てる方も面白いのよ」

「バイオハザードかな? 去年映画になった」

 もしかしてと思いながら訊くと、彩は瞬時に大袈裟な反応した。

「そうなのそれそれ! お父さんと卓也と三人で見に行ったけど怖かったわ! あのレーザートラップが!」

「あの即死トラップか……ゲーム版にはない奴だな、今度の最新作に出てくるかも」

 翔は苦笑しながら言う。実を言うとプレステ時代からの第一作をプレイしてる筋金入りのファンで、そうやって話してるうちに新水前寺駅に到着した。

「それじゃあ真島君、送ってくれてありがとう……また明日ね」

「ああ……それじゃあ気をつけてな」

 翔は名残惜しいと思いながらも定期券を提示し、階段に上がろうとする彩を見送るがまだ言いたいことがあり、翔は大声で叫んだ。

「神代さん!」

 彩はキョトンとした顔で振り向くと、熊本駅方面行きの電車が入ってくるがそれに負けない声で翔は大声で叫んだ。

「今日はありがとう! 楽しかった! 探してる本があったら、また一緒に探してくれるかな!?」

 彩は目を丸くしたが、声が届いたのか次の瞬間には愛らしい笑顔になった。

「うん! 今日借りた本の感想聞かせてね、あたしも読むから!」

「ああ! また明日!」

「それじゃあ、またね!」

 彩は手を振るとホームへと登っていき、姿が見えなくなると翔は自転車に跨って家路へと急いだ。帰ってから宿題終わらせて早速『1984年』を読もう。


 翌日、学校に来るなり直人に声をかけられる。

「おはよう真島、昨日の放課後はお楽しみだったみたいだね」

「なんのことだ佐久間君?」

「昨日神代と一緒に帰ったみたいじゃないか」

「誰から聞いたんだ? それとも見てたのか?」

「隣のクラスの友達が見てたぜ、メールで送ってきた」

 直人は携帯電話を開いて証拠のメールを見せる、確かに彩を見送った時に周りに細高の生徒も何人かいたが、まさか直人の友達がいたとは。

「さすがに盗撮とかしてないよな?」

 翔は恐る恐る訊くと直人は苦笑して「ないない」と首を横に振る、最近携帯電話の写真付きメールで盗撮する馬鹿がいるから油断できないと思いながら翔は訊いた。

「それで? 噂はどれくらい広がってる?」

「まあ多分もう学校中に広まってるね」

 直人が上目遣いになって言うと、翔はそれで頭を抱えたくなった。すると普段喋らないはずの西本が馴れ馴れしく絡んできた。

「よぉ真島、聞いたぜ! やるなぁ!」

「からかわないでくれ、ただ探すのを手伝ってくれたんだ」

「どんな奴を探してたんだ?」

「ジョージ・オーウェルの『1984年』という小説、架空の独裁者が支配する国の話しだ」

「一九八四年って一九年前じゃないか?」

「執筆されたのが一九四八年なんだよ、当時の未来予想図を悪い意味で描いた奴だ」

「なるほど、よく読めるな真島は……俺さぁ活字ばかりじゃ頭が痛くなるんだよな俺って」

 西本はたまったもんじゃないと首を横に振ると、始業のチャイムが鳴って席に着く。

 午前中休み時間は太一と昨日のことを話し、昼休みにはもうすぐやってくる新入生を対象とした阿蘇の研修宿泊のことを話しながら弁当を食べる。

「一緒の班になれるといいな翔」

「ああ、どうせなら慣れた者同士がいいな」

「班は違っても同じ部屋だといいんだけどね……携帯もお預けで外部との連絡は禁止だとさ、携帯依存症の人にはいい機会かもね」

 太一はそう言うが外部との連絡手段は絶たれることに、翔は嫌な予感がした。少年自然の家にいる間はともかく、オリエンテーリング中に何かあったらどうするんだ? もっとも携帯電話は圏外の可能性もあるが。

「そうだ太一、この前話してたジョージ・オーウェルの小説だが昨日図書室から借りた」

「おおっ『1984年』か?」

「ああ、まだ序盤の序盤……二分間憎悪のところだが」

 それでも太一はイヌワシのような瞳を輝かせながら嬉しそうに言った。

「読み終わったら是非感想を聞かせてくれ! この学校はおかしいことにも気付くはずだぞ!」

「ああ、遅くとも研修宿泊までには読み終わらせる」

「感想楽しみにしてるぜ翔!」

 太一は期待を込めて言ってる、こんなに感情を露にするのは随分と珍しい。よっぽど嬉しかったんだろう。研修宿泊、一緒になれるといいなと翔は思う。


 午後の授業のロングホームルームは今度の研修宿泊の班決めだった。

「それじゃあこれから班を決める、班分けと班長は……私の独断と偏見で選ばせてもらうわ、異議や抗議は一切受け付けない! 普段の仲の良い者同士ではためにならないし、何より気が緩むのは目に見えてからよ」

 高森先生は妥協のない眼差しで教室にいる生徒全員を睨み回す。うわぁマジかよと翔は祈るような気持ちで黒板に注目する、他の生徒も同じだろう。

 翔の班は第三班でメンバーは次の通り。


・高畑雄二

・真島翔

・佐久間直人

上野宗一うえのそういち


 班長が高畑で副班長が翔だった。直人がいるのはありがたいが、高畑はあんまり喋ったことないし上野は人を見下したような言い方をするから敬遠していた。

 いっそ風邪引いたことにして休もうかな? そう思ったくらいだった。


「何よあの先生! 勝手に好き放題決めて! 何様のつもり!?」「この組み合わせ、一緒になる奴には悪いが納得いかねぇぜ」「研修宿泊ダルーイ! ってか行きたくねぇ!!」「サボったらサボったで後が怖いからな湯婆婆だし」「ってか携帯もお預けってあり得なくない!?」


 帰りのホームルームが終わった放課後、クラスメイトたちは不満タラタラだった。それは翔も言いたかったが言っても変わらないし、太一と愚痴を言い合いながら下校した。

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