第一章その1

 第一章、窮屈で憂鬱な新生活


 桜も散って四月に入り、翔は結局熊本市内にある私立細川学院高校を選択して入学式を迎えた。

翔は体育館で他の生徒と同じく、合格発表の時とは違う意味で緊張した面持ちになり、ズラリと規則正しく並べられたパイプ椅子に座っていた。

 細高の制服は白のシングル型ブレザータイプで女子生徒はリボン、男子生徒はネクタイで今年度の一年生は赤色、二年生は青色、三年生は紺色のチェック柄で識別する。

 しかも女子の間ではなかなか可愛らしいデザインと評判で、スカートやズボンは普通の黒だがこれが遠くからでも視認しやすい。

 校則は厳しいと言っても真面目に課題や宿題こなして成績を維持すれば問題ない、家に帰って宿題や課題をこなし、学業に支障がない限りゲームをやっても文句言われない。

 そう考えながら七〇歳過ぎてそうだが気丈で頑固で厳しそうな女性の理事長先生と、対照的に薄ら禿頭で、人生に若干お疲れ気味な猫背の五〇歳過ぎくらいの校長先生のお話しを適当に聞き流す。

 次は確か、新入生代表挨拶だった。

『続きまして新入生挨拶、新入生代表、神代彩かみしろあや

「はい!」

 若干張り詰めてるが凛とした声だった、背筋をピンと立てて壇上に上がった神代彩は男子生徒だけじゃなく女子生徒たちの視線も集まる。

「なぁ……あの子って確かうちのクラスじゃない?」

「マジで? かなり美人と言うか可愛いというかとにかく綺麗だよな」

 前の席にいる男子生徒がヒソヒソ話をする、確かにうちのクラスにいた。

 背中まで長く、ワタリガラスの翼のように黒く艶やかな髪に雪のように白い肌。潤んだ形のいい桃色の唇、人形のように整った顔立ちは少女の可愛らしさと大人の女性の美しさを程よく調和させたかのようで、少女から女性への成長途中にしか見られない顔立ちだ。

 優しさと芯の強さを秘めた眼差しはまさに大和撫子、絶滅種と言っていいほどだ。

 園田先輩とは違ったベクトルの和風美少女だった。

 新入生代表に選ばれるくらいだからさぞ成績は良かったに違いない、漠然と考えながら入学式を終えて翔は普通科一年四組の教室に入る。

「やあ真島、ここで一緒のクラスになれるなんて少し安心したよ」

「少なくとも……一人で寂しく昼飯を食うことはなさそうだ、柴谷君もどこかの公立に落ちたのか?」

「いや、僕は最初からここを専願入試で受けたよ」

「……随分変わってるな柴谷君は」

「褒めてると解釈するよ、これも何かの縁だ……太一でいいよ翔」

「わかった太一……よろしく頼む」

 翔は中学の知人である柴谷太一しばたにたいちを改めて変わり者だと思う。

 翔より低い背丈で少し垂れ目がちの柔和なイケメンアイドルみたいな甘いマスクで、常に笑みを絶やさず温和で気さくな性格だ。中学時代同じクラスにはならなかったが、成績優秀スポーツ万能の完璧優等生、独特の感性の持ち主で男女問わず人気があった。

「ところで僕のどの辺りが変わってるって?」

「校則が厳しいって噂の細高に専願で受験するところがさ」

「ふっふっふっふっ……理由は時機に話すよ、それより一緒に初対面の挨拶に回ろう」

「あっ、ああ……太一と一緒なら」

 翔は肯いて席を立つ、こいつの社交的な性格は正直羨ましいと感じる。初対面の人間にも臆することなく気さくに話しかけ、次々と男女問わず手短な挨拶を交わす。

 そして神代彩ともう一人の女子生徒と挨拶を交わす。やはり近くで見ると派手さこそないが、とても綺麗で可愛い。長い黒髪が目を引くが、食生活にかなり気を遣ってるのかそれとも運動部にいたのか、白く長い脚はほっそりと引き締まってパワーとスタミナが秘められてるようにも感じる。

「初めまして尾ノ上中学から来た柴谷太一です、こちらは同じ中学の真島翔君」

「どうも初めまして、真島翔です」

 翔は何度目かの初対面の挨拶を無難にして、神代彩はにこやかな笑みで一礼する。

「こちらこそ初めまして武蔵塚中学から来ました神代彩です」

「同じく武蔵塚中学の長谷川萌葱はせがわもえぎです」

 長谷川萌葱は彩より背は低いが三つ編み、お下げ、黒縁眼鏡の地味な三拍子を揃えた古風な感じだ。見た目こそ昭和の田舎の学校にいるような感じだが、顔立ちもいいしブレザーからでもわかるくらい胸もかなり大きい。

 なんとか神代彩にお近づきになりたいと思うが、手短に挨拶を済ませると太一は一人で腕を組んでいる女子生徒に声をかける。

「やあ中沢、ここでまた会うとは奇遇だね」

 中沢舞なかざわまいはショートカットの黒髪に、女子生徒にしては高くて細い身長のモデル体型、細長い足に大人びた顔立ち、鋭い切れ長の目と優雅な雰囲気からまるでタンチョウヅルのような女の子だ。

「あんたこそ専願入試で受けたと聞いた時はよっぽどの物好きか、それとも救いようのない大馬鹿者だと確信したわ。そのアホ面を見てもわかるくらいよ」

 舞は中学では無愛想で口の悪いことで有名だった、大抵のことは流すが気心の知れた相手――特に太一には暴言を吐きまくる。

「あなた――真島君だったわね、このアホでマヌケな男の友達をするのはとても大変だから……覚悟しててね」

 翔は何か反論しようとしたした瞬間、タイミング悪く先生が入ってくる。四〇代前半くらいで栗色の長い髪を纏めた気の強そうな女の先生だ、教室の片隅まで見逃さない鋭い眼差しで見回す。

「さああなたたち、席に着きなさい」

 決して大きくないが凄みのある声が妙に響き、さっきまで賑やかだった教室は静まり返ってみんなそそくさと出席番号順の席に座る、賑やかで打ち解けようとした教室が再び緊張して、更に冷え切った空気になる。

「いい? あなたたち、私は初日から甘やかすようなことはしないから、よく聞くように」

 よりによって厳しい先生になったか、前の中学にもいたな。自分にも他人にも厳しいストイックな先生、まるで初対面から高圧的に接するアメリカ海兵隊の教官だと思いながら、翔はチョークを取る先生の動きを目で追う。

 先生は緑色の黒板にパソコンで打ったかのような無機質な字で書く。

「この一年四組を担任をする高森明子たかもりあきこです。担当は現代文で部活顧問は剣道部をしている、あなたたちの学校生活をより良いものにするため、一切甘やかすつもりはないから、覚悟しておきなさい」

 その眼差しは一切妥協を許さないと同時に、これから三年間たっぷり可愛がってやるという不敵な微笑みだった。

 それから出席を取り、高森先生は最後にこんなことを言っていた。

「先生たちはあなたたちのことを常に見ているわ。だからあなたたちも常に、社会や学校から見られているという自覚を持ちなさい」

 それで高校生活最初の一日が終わった、いつも見られてるかと思いながら席を立つと太一が誘ってくる。

「それじゃあ翔、せっかくだから一緒に帰ろうか」

「ああ、腹も減った」

「腹も減ったけど、せっかくだから玄関まで少し遠回りしよう」

 太一は空腹にも関わらず遠回りしようと提案、マゾヒストなのかそれとも僕が空腹であることを楽しんでるサディストなのか? 幸い遠回りは一階の教室を出て一度玄関口から離れた階段を登って商業科の教室がある二階を通り、そして一階に降りる。

 すぐに終わって靴を履き替えると翔は訊いた。

「それで太一、何がしたかったんだ?」

「教室の壁や階段の踊り場、教室の出入口向かいの壁……そしてここの玄関口にもあるな」

「何がだ?」

「ポスターだよ“校則を守ってより良い学校生活”とか“先生たちはいつでもどこでも見ている”とかあちこち頻繁に貼られてなかった?」

「確かに……太一の言う通りだ」

 翔は遠回りする間そういう大袈裟なポスターを頻繁に見かけ、正直気味が悪いと思ったのが率直な感想だ。

「例えばの話しだけど、もし……そのポスターには小型の監視カメラや盗聴器が仕掛けられてるとしたら?」

 太一の言葉がなんとなく神経を撫で回すような感じで、翔は思わずゾッとして嫌な寒気を感じた。

「……そんなことあり得るのか?」

「あり得るよ。旧東ドイツやチャウシェスク政権下のルーマニア、旧ソ連に……オセアニア」

「確かに旧東ドイツのシュタージ、チャウシェスク政権時代のルーマニア、旧ソ連のKGBが国民を監視していただが、オセアニアは? 南太平洋のどこの国だ?」

「ああ……ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』のオセアニアさ……ぜひ一読することをお勧めするよ」

 太一はそう言うが翔には小説を読むという習慣がない、ジョージ・オーウェル? 誰かが読んでたような気がする。いい機会だから読んでみるかと思ったが、うちの学校と何か関係あるのか?

「それと何が?」

「ふふふふ読めばわかるさ、それに……まだ始まったばかりだ。五月辺りまで様子を見よう」

 読めばわかる、探してみるかと翔は駐輪場に着く。自転車の鍵を外して家に帰ると、その頃には忘れて入学祝に買ってもらったGBASPで遊んだ。


 それから二週間程度が経過した火曜日、昼休みになると翔は太一と弁当を食べるのが習慣になっていた時だった。

「さて昼飯にしよう……みんなもそろそろ気付き始めてる頃だな」

「ああ、なんかこの学校ちょっと変な気がする」

 翔は太一の言う通りだと肯いた。

 人伝いに聞いた情報で学年は不明だが、誰かさんがバイトの許可を退けられたにも関わらずバイトして厳罰を食らったり、学区外で週末私服でデートしてたら補導員に捕まって厳しい指導を受けたとか、一応細高は進学校だがここまで厳しくしなくていいような気がする。

 もっとも携帯電話はマナーモードにすればいいし、漫画や菓子類の持込は黙認され、染髪はNGだが髪型は比較的自由だから、やはり一部誇張されてたことはわかった。

 やって良いことと悪いことが、極端化されてるのかもしれない。

 

※二〇〇三年当時、自称進学校やブラック校則という言葉はなかったと思うが、今思えば細高はまさにそうだった。


 すると二人の男子生徒が翔と太一の席にやってくる。

「なぁ、今日はオイラたちも一緒に食べていいかい?」

 一人は加藤一成かとうかずなりでガッシリした体型の男子だ。柔道部やレスリング部からスカウトされたという噂だ、曰く趣味はアニメ・マンガ・ゲームで所謂オタクという人種でIT技術部にいる、太い眉に丸い目の愛嬌のある奴だ。

「ああ、君たちはいろんなグループと食べてるから、いずれ回ってくると思ってたよ」

 太一はにこやかに肯くと、もう一人の男子生徒も嬉しそうな表情になる。

「それなら話しが早い! ちょっと失礼するぜ!」

 佐久間直人さくまなおとはそう言って近くの席から机と椅子を拝借する。

 彼はこの二週間見てきた限り、童顔で気さくな面倒見のいいクラスのムードメーカーで、人脈は非常に広いのか知人・友人も多い。悪戯小僧がそのまま大きくなったような男子で、女好きなのか積極的に女子にも話しかけてる。

 この二人は入学してから昼休みになると、いろんなグループと昼食を食べて遊んでる。三日前は野球部の三人、一昨日はサッカー部の四人、昨日はヤンキーグループの二人と物怖じせずに声をかけて食べている。

 直人は弁当を机の上に置いて小声で言う。、

「なぁなぁ、このクラスってさ可愛い子多くないか?」

「えっ……まあ、うんそうかなと思う」

 翔は曖昧に答えると太一は営業スマイルで誤魔化すかのように微笑む。

「どうしてそう言えるんだい?」

「まず綾瀬玲子あやせれいこだけど、ここより東京の渋谷や原宿の方が似合いそうじゃないか?」

 直人の言う通りだ。綾瀬玲子は薄めの化粧(校則的に大丈夫か?)にウェーブのかかった紺色の髪、グラマーで物怖じせずズバズバ言う男勝りな感じの女子で、渋谷か原宿にいるようなギャルっぽい感じだ。ミニスカートから伸びる健脚が眩しいが、三人の取り巻きとともに入学早々高森先生に目をつけられてる。

「オイラは隣で喋ってる小坂愛美おさかまなみもよさそうな気がするぜ」

 一成の言う通り、ショートカットで眼鏡をかけてる幼げな顔立ちと無邪気な言動で、多数の男が寄ってくるほどの美貌を持っている。もっぱら眼鏡を外した方が美人じゃないかという話しだ、因みに部活は吹奏楽部をしていてフルートだという。

 翔は試しに当たり障りのないように言う。

「そういえば入学式の時にも、ざわついてたな」

「神代彩か、既に何人もの男子や先輩たちも目をつけてるから競争率は高い……だが同時にガードも固いぜ、昨日IT技術部の先輩から聞いたんだが二年でサッカー部のレギュラーやってる先輩が粘り強くアタックしたが先輩の方が折れた。相当なメンタルだぜ」

 一成の言う通り、お淑やかだったり控えめだったりする女性は芯が強いという話しも聞いたことがある、すると直人は周囲を見回して小声で言う。

「ああ、その神代彩……何気に隠れ巨乳だぜ」

「なんでわかるんだい? 透視能力でも備えてるのかい?」

 太一は冗談を交えて言い、翔は若干引きながらも耳を傾ける。

「体育の授業の合間に女子の動きを観察したんだ。激しく動いた時の衣服の張り具合とか擦り具合とかでなんとなくわかるんだ」

 観察能力の無駄遣いだ! と翔はツッコミを入れるが、同時に浮かんだ疑問を口にする。

「この学校確か男女交際禁止って言ってなかった? 高森先生も釘を刺してたぜ」

「素直に守る奴なんているか? 確かに湯婆婆ゆばーばの言う通りだが守ってたら何のための高校生活だ?」

 直人は早速、担任の先生を一昨年の大ヒットアニメ映画に出てくる強欲な魔女の名前で呼んでる、バレても知らんぞ。

「そうそう、恋のない青春なんて夏休みのない八月と同じだ!」

「部活してる奴や社会人に謝れ、例えが酷すぎだ。お前将来働かない気か?」

 直人は苦笑しながら言う、翔も一成の言うことはわかるが、例え方がマズかったと思いながら水筒のウーロン茶を飲む。

 太一が読んでる毎週月曜日に発売される週間少年誌(漫画雑誌も黙認されてるようだ)で連載されてる人気のラブコメ漫画のようにとまではいかなくても、恋したいという気持ちは諦めたつもりでも、諦めたくないという自分がいることに自己嫌悪する。

 いつまで先輩の淡い恋心を引きずるつもりだ、お前は? 自分に言い聞かせながら目を伏せる、すると食べ終わった直人は席を立つ。

「さて俺は食後の運動とするか、柴谷と真島は行く?」

「いや、僕はまだ読んでないところがあるんだ」

 太一は鞄の中から週間少年誌の最新号を取り出す、翔はポケットから携帯電話を取り出してマナーモードにしたうえで五時間目の授業が始まる五分前の時間にセットする。

「僕は昼寝するよ、これだけでだいぶ違う」

 翔は携帯をポケットに戻して、机に突っ伏して居眠りの体勢に入る。

「オイラはちょっと外の自販機でコーヒーブレイクするわ」

 一成は席から立つと直人の茶化す声が遠ざかっていく。

「おいおい一成、お前どうせミルクと砂糖がたっぷり入った奴だろ? お子様~!」

「うるせぇな、ブラックは味が濃いんだよ!」

 一成の声も教室の外から聞え、周囲の話し声やグラウンドで遊び回る生徒の賑やかな声が、心地良い子守歌のように眠気を誘った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る