聖女と女騎士

「お前ら、もう付き合っちまえよ!」


 ばんっ、と霧谷が机を叩き出した。

 一旦、教室が静まり返ったけれど。

 声の主が霧谷だとわかるや、みんな何事もなかったかのように、友人との雑談に戻っている。


「急にどうした?」

「いや、いま読んでたラブコメの主人公がさあ」


 霧谷が机の上に漫画雑誌を開き、指差した。


「お隣に住む美少女ヒロインから毎日三食ご飯作ってもらったり、一緒に買い物出かけたり、同じ屋根の下で寝泊まりしているくせに、いつまで経っても付き合おうとしねえんだよこいつら!」

「そ、そうか」


 曖昧に頷いた。

 最初はこいつの奇行にいちいち驚かされていたが、今ではすっかり慣れたものだ。


 しかしラブコメ、かぁ。

 言われてみたら俺と冬葵もそれに近い状況なんだよな。

 やはり俺たちの関係もはたから見れば、そう思われるのだろうか。

 毎日手料理とか振る舞ってくれているし、家事全般やってもらってるし、同じ部屋で寝ているし。


 でも向こうは俺のことを異性として好きじゃないって言ってたから……万が一にもそういう甘い展開にはならないだろう。

 いくらひとつ屋根の下にいるとはいえ、あんな可愛い女の子と、俺が釣り合うはずがないのだ。


 そんなことはさておき。

 冬葵の看病のおかげで俺は風邪を治すことが出来た。

 土日をずっと寝て過ごすはめになったけれど……それでも翌週からは無事、登校することが出来た。

 家事全般や家賃のことといい、冬葵には借りが出来てばかりだ。頭が上がらない。

 

 その彼女はというと、教室の真ん中あたりで姫川や他の女子たちと楽しく雑談に興じている。

 学校が始まっても俺たちの関係は変わらない。

 見ず知らずの他人同士だ。

 あんなに家の中では色々と話していたというのに、なんだか奇妙な感覚だ。


 そんな考えに耽っている俺の横で、霧谷は腹の虫がおさまらないらしく、漫画の展開にぶつくさと文句を言っている。


「はぁ~~~っ、キレそ~~~! ちょっとSNSでいちゃついてるパカップルにレスバしてくる!」

「そんなことしたら駄目だろ」


 相手がどんな人間であれ、嫌がらせをしていい理由にはならない。

 こいつも本当にそのラブコメにキレているわけではないのだろう。

 尊いという感情が肥大化して膨らんでいくあまり、持て余した感情のはけ口を求めているだけなのだ。

 ……多分。


 霧谷がスマホを取り出し、文字を打ち込んでいると、


「おいっ、霧谷! 学校に何を持ち込んでいる!」


 雷鳴のような怒声が轟いた。

 威圧的な声に、しんと教室が静まり返る。


 そこにはモデルのようにすらっとした体形の女子生徒が、偉そうに腕を組み、こちらを値踏みするような眼光で仁王立ちしていた。

 きりりとした切れ長の、鋭い瞳。

 腰の高さまで伸びた黒いストレート。

 全体的に気の強そうな印象だ。

 腕には『風紀委員』と書かれた腕章がある。


「げっ……やばっ! 女騎士・・・じゃん」


 霧谷が青ざめた顔で、素早くスマホと漫画雑誌を机の中に隠す。

 あれは鬼の風紀委員長としてその名を知られている二年生の先輩だ。

 たしか名前は岸園きしぞの奈津乃なつのだったっけ。


 誰が広めたのか定かではないが、気の強そうな見た目と、岸園という名前から騎士という文字を取って、女騎士なんてあだ名が定着している。

 そのせいか男子たちの間では、ここぞという勝負に負けて最終的に屈しそうだとか、お尻の穴が弱そうだとか、そんなことを裏で言われていたりもする。


「貴様! いま机の中に隠したものを出せ!」


 まさに女騎士そのものといった意思の強そうな表情を怒りで歪め、霧谷の元へと歩み寄ってくる。

 その様子を遠巻きから見守るクラスメイトたちは「やばっ」とか「あぶねー」と小声で囁きながら、スマホや雑誌やゲーム機をそっと鞄に隠している。


「ちょっ……待ってください岸先輩。これはほんの出来心なんすよ!」

「黙れ、もう何度目だと思ってるんだ!」


 学年が違うにもかかわらず、霧谷は岸園先輩に目をつけられている。

 登校初日から漫画を持ち込んだのを岸園先輩に見つかって以来、要注意生徒として目をつけられているのだ。


「次からしないように気をつけますんで……ほら、俺と岸先輩の仲に免じて、許してくれませんかね」


 そう言って両手を合わせて懇願してみせるが、


「それなら言葉だけでなく、行動で実践してみせろ!」


 ぴしゃり、と女騎士は甘えを切り捨てる。

 これは没収だ! と有無を言わさず霧谷のスマホと漫画雑誌は取り上げていく。


「まったく……学業に相応しくないものを学校に持ち込むなとしつこく言い聞かせているはずなんだがな」


 嘆かわしい、と岸園先輩は呆れのため息をつく。

 それから教室中を厳しい眼光でじろじろと睨みつけながら、叫ぶ。


「霧谷だけじゃないぞ! これからこのクラスの持ち物検査を行う! 全員、鞄を机の上に置いて中身を見せろ!」


 これには、教室中がざわついた。

 てめぇのせいだふざけんな、と言わんばかりの無言の非難が、霧谷へと集中していく。

 霧谷は涼しい顔で「いや、俺のせいじゃねぇし」と言わんばかりに肩をすくめている。

 さすがSNSで何度も炎上をくぐり抜けてきたプロなだけある。

 メンタルが鋼だ。もっとちゃんと反省しろ。


「静かにしろこのゴキブリ共! かさかさかさかさと地べたを這いまわっている暇があったら、いいから早く鞄を机の上に置け!」


 岸園先輩の鋭い声に、クラスメイトたちは黙り込み、渋々と鞄の中身を机の上に出していく。

 岸園先輩は怪しいものは塵一つ見逃さん、と言わんばかりの眼差しで全てをくまなく検分していく。

 あちらこちらでクラスメイト達の阿鼻叫喚の叫びがこだましている。


「おい、姫川。これは何だ?」

「何って……化粧道具ですけど」

「化粧、だと?」

「はい、だってー、やっぱいつでも綺麗でいたいじゃないですか。岸先輩も女の子なんだし、ウチの気持ちわかってくれますよねー?」

「黙れ! 色恋沙汰にうつつを抜かすやつがあるかー! これは没収だ!」

「えええ!? ひどーっ!?」

「ひどくない! 次だ、次! 次の奴、鞄を見せろ!」

「……はい」


 冬葵が立ち上がる。

 彼女はちょっと緊張した面持ちで、おずおずと鞄を開いて中身を見せた。


「って、なんだ。春咲じゃないか」


 岸園先輩はなぜだか、ちょっと嬉しそうに眉尻を下げている。

 何かを伺うように、冬葵の顔を見つめていたけれど――


「お前は何の問題もないから大丈夫だな。ほら、次!」


 すぐに次の生徒を促した。


「えええっ!? ちょっ、なんか冬葵だけなんか適当じゃありませんでしたか? ずるーい! 差別だ差別だー!」

「うるさい! 次だ、次!」


 姫川が抗議の声を上げる。

 無理もない。

 たしかに冬葵のときだけ、鞄の中身すらまともに見ていなかったような気がした。

 彼女の普段の素行を見て、優良生徒として認識しているから特に問題もないと判断したのだろうか?

 だとしても、いくらなんでも差別が過ぎるというか、あまりにも態度が露骨過ぎないか?


「――次の奴、来い!」


 そうして俺の番が巡ってきた。

 もちろん鞄の中身は、教科書とノートや筆記具しか持ってきていない。

 スマホが入ってはいるが、連絡用として持ち込みを許可されているため鞄の中に入れているだけなら怒られたりはしない。

 そんなふうに、特に何のお咎めもなく、俺の持ち物検査は滞りなく終わるかと思えたが――


「お前……っ!」


 なぜか岸園先輩がものすごい剣幕で俺を睨んでいる。

 驚きに頬を歪め、信じられないものを見たかのような目だ。

 まるで親の仇を見るような、そんな憎しみのこもった眼光。


 え? どうしたの……俺、何かやっちゃいましたか?

 もしかして間違えてマンガを鞄にでも混入していたのだろうか?

 美人なだけあって、すごく迫力だ。

 霧谷はきつめの美女に睨まれると、興奮するだなんて喜んでいたけれど、その気持ちは俺に分かりそうにない。

 怖い、ただひたすらに怖い。


 緊張に身体をこわばらせる俺の前で、岸園先輩は口を開いた。


「お前……この匂いは――」

「え?」


 ぽかん、と間抜け面をさらす。


「いや、何でもない。忘れてくれ。……次だ、次!」


 岸園先輩は今のは失言だった、と言わんばかりに目を逸らし、俺の後ろに並ぶ生徒へと歩いていった。


 何だったんだろう、今のは。

 におい? 何か、臭かったのか?

 あれ? 俺、昨日ちゃんと風呂に入ったはずだよな。

 それとも風呂に入ってようとなかろうと俺の体臭はきついのだろうか。

 どうしよう、自信がなくなってきたんだけど。


 青ざめる俺をよそに、


「ふーん。どれどれ?」


 霧谷が鼻を近づけて、俺の頭を嗅ぎだした。


「うん、たしかに臭うな」

「そう、なのか?」


 がっくりと肩を落とす俺に、霧谷はなぜか笑っている。


「ああ。なんかめっちゃいい匂いするな」

「いい……匂い?」

「なんかその、女の子みたいな……」

「お、女の子……?」


 俺は……女の子だった?

 いや、待て待て。そんなはずがない。

 とうとう霧谷は頭だけでなく、鼻もおかしくなったのだろうか。


 そこまで考えたとき、脳裏に電流が駆け巡る。

 昨日、いつも使っていたシャンプーが切れてしまった。

 さすがに頭を洗わないわけにもいかず、冬葵のシャンプーを借りたのだ。


 ――つまり今の俺は、冬葵と同じ匂いというわけで。


「じ、実家からシャンプーが送られてきてな! おかんが買ってきたやつが女性用だったんだ!」

「お、おう? そうなのか?」


 必死に言い訳をする俺を見て、霧谷が引き気味に苦笑している。

 ……危ない危ない。

 これからは使用するシャンプーにも気を配らなければ。


 その日は。

 必要以上に、他人との接触に気を遣うことになったのは……言うまでもない。

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