誰も知らない聖女の素顔

「ライトノベル、好きなの……?」


 俺の問いかけに、冬葵とあの手がこわばる。

 背中越しに、かすかに息を呑む音を聞いた気がした。


 俺たちの間に、沈黙が降りた。

 それは冬葵が俺の言葉を無視しているとかではなく、どう返答すればいいのか迷い、答えあぐねているような間だ。


 何をそんなに迷うことがあるのだろうか?

 もしかして彼女にとって、触れてほしくない話題だったのか?

 だとすると、俺は話題を間違えたのかもしれない。


 咄嗟に謝罪を口にしかけた、そのとき。

 冬葵は消え入るようなか細い声で、言う。


「……………………はい。その、らいとのべるは好きです」

「おっ、そうなんだ!」


 同好の士を見つけた嬉しさのあまり、俺は思わず起き上がった。

 そっか。やっぱりそうかもと思っていたけど、冬葵も好きなのか。


「いやー、俺も好きなんだよね。この前冬葵さんが読んでたのって、冒涜ぼうとくのファントムエッジでしょ?」

「沢野さんもあの作品をご存知なのですか!?!?!?」


 その名前を出した途端、がばっと冬葵が身を乗り出した。

 な、なんだ? 急に声のトーンが上がったぞ。

 しかもすごい早口だし、表情がめちゃくちゃ生き生きとしているような……。


「あ、ああ。知ってるよ」


 あまりの気迫に少し気圧されながらも、俺は頷いた。

 冒涜のファントムエッジとは、剣と魔法の世界を舞台にした異世界ファンタジーである。

 最愛のルナ姫を守るために、魔剣使いカイトが忠義を尽くす、波乱万丈な冒険譚である。


「沢野さん、原作どこまで読みました?」

「最新巻はまだだけど、それ以外なら原作は全部読んでる」

「おおっ、ほんとですか! それなら最新巻が手元にあるので貸してあげますね!」


 そう言って冬葵は鞄からしおりの挟まれたファントムエッジの最新巻を取り出し、ぐいぐいと俺の手に押し付けてきた。


「え、いいの? まだ読んでる途中だったら終わってからでもいいんだよ」

「問題ありません。なぜならもう四週してますから!」


 冬葵はえっへんと、果実のような胸を張る。

 でかい……じゃなくて。

 すげぇ、まだ発売されて間もないのにそんなに読み込んでるだなんて。

 この子、出来る……!


「沢野さんはどのシーンが一番お好きですか?」

「そうだなぁ。特に印象に残ってるのは、やっぱ一巻冒頭のカイトの闇落ちするところかな」


 魔族との戦争で、魔将との一騎打ちに敗れ、あえなく命を落としたカイトだったが。

 そこに現れた悪魔メフィストフェレスの取引きに応じることで、闇の力を手に生まれ変わるのだ。


「わかります。そこ、とってもいいですよね。

 高潔な聖騎士だった彼が、冥府魔道に身を堕とすことに葛藤を覚えるところは、読んでいるこちらも彼の苦しみが伝わってきて辛かったです。

 でもそういうしんどいところがたまらなく好きなんですよねぇ。

 それでも姫の忠義のために、現世に戻る決意を固めるところなんてたまりません」


「それな! そのあとの王城陥落の場面も熱かったよなー!」


「はいっ! 燃え盛る王都! 圧倒的な戦力差に押しつぶされていく王国の精兵たち! 魔族に蹂躙されていく王国の民! まさに絶体絶命! 神に救いを求める叫びが上がったそのとき! 姿を現したのは魔剣士として転生したカイト! この流れが本当に大好きすぎて! しかもそのあとの戦闘描写がたまらないんですよねー!」


 冬葵はきらきらと目を輝かせる。

 胸の前でぐっと両こぶしを握り締めて、高らかに歌うように叫ぶ。


「『それは一振りの剣だった。否、ただの剣ではない。血のように赤く塗れた刀身は、禍々しい輝きを放っている。鞘から抜き放たれた刃は、魔将の鋼の肉体をものともせず、心の臓を真っすぐに貫いた』なんてもう最高すぎます」


 すごい、地の文を暗唱できるのか?

 俺も冬葵に張り合うように声を上げる。


「わかる。でも俺は『カイトは魔剣を振り抜いた。その刹那。剣の切っ先から放たれた衝撃波だけで、数万を超えようかという魔の軍勢は、瞬きの間に斬り裂かれ、屍の山となった』っていうところが最高にたぎるかな」


「そこもいいですよねぇ。しかもカイトの戦いっぷりをみて「あんなの人間の戦いじゃねぇ……」と聖騎士や王国の民が恐れおののく中、ルナ姫だけが、彼の帰還を心から喜ぶシーンが美しくて美しくて……」


「それなー。あれでルナ姫がメインヒロインとして確立された感あるよなぁ」


 うんうん、と互いに頷き合う。


「しかし、冬葵さんすごいなぁ。文章まで覚えてるだなんて」

「そういう沢野さんだってすごいじゃないですか」

「いや、俺はそこしか覚えてないからなぁ。冬葵さんはすごいよ」


 そこだけでも霧谷にはキモがられていたのに、冬葵さんは俺の遥か上を凌駕している。


「えへへ、あの作品はページが擦り切れてボロボロになってしまうまで読み込みましたから」


 冬葵は花咲くような満面の笑みを浮かべた。

 出来るとは思っていたが……この子、よもやここまでの逸材だったとは。


「何度読み返しても、一度目では気づかなかった新たな発見があったり、その奥深さの虜になりました」

「わかる。飽きが来ないんだよな。つい時間を忘れて読みふけってしまうというか。ネットでは中二乙だとか、主人公がイキりすぎとか、展開が古臭いとか叩かれてるけど……そういうところが俺は好きなんだよな」

「いんたーねっとでは……そのように言われているのですか?」


 好きなものに対するネガティブな意見に、冬葵が傷ついたように目じりを下げる。


「ああ。でも他人になんと言われてようが関係ない。冬葵さんも好きなんでしょ?」

「はい……」

「そう、俺たちが好きな話だってだけで充分なんだ。だから胸を張って堂々としてればいいのさ」

「確かに……その通りですね」


 俺の言葉に感心したのか、冬葵はしきりに何度もうなずいている。


「いやあ、しかし意外だったな。まさか冬葵さんもラノベ読んでいただなんて」

「そうですか?」

「ああ。なんかそういうものに興味を抱いているイメージがなかった」


 彼女はオタク側というよりも、いろんな観光名所に出かけて、美味しそうなスイーツを撮影してるようなキラキラ系女子だと思っていた。


「でも学校では隠していますし、そう思われても仕方ないですね」

「何か理由があるのか?」

「その……中学の頃、友人に引かれてしまったことがありまして。それ以来、こっそりとたしなんでおります」

「ああ……なるほどなぁ」


 冬葵が趣味を俺から隠そうとしていた理由が分かった。

 そりゃあそんなことがあれば逃げたくもなるよな。

 相手を選ぶ話題なのは間違いないし、同じオタク同士でも知らない作品の話題を出されても盛り上がれないし。


「でも、こうしてわたしも沢野さんとファントムエッジで盛り上がれるとは思いませんでしたから、この趣味を手放さなくてよかったです」

「ああ、俺もだ」


 まさかあの学園の聖女と、共通の趣味があるだなんて夢にも思わなかった。

 誰も知らない彼女の側面を、俺だけが見れたような気がして、嬉しい。


「沢野さんは他に好きな作品などはありますか?」

「そうだなぁ……俺が中学生の頃はじめて読んだラノベ『お隣のアイドルの地下室に寝泊まりするのは間違いだろうか?』なんかもすごいハマったな」

「ああ、懐かしいですね。わたしも大好きでした。すごいドタバタコメディなのに、ときどき心温まるお話を入れてきて、何度も泣いてしまいました」

「そうなんだよなぁ。笑えるところは笑えるし、泣かせてくるところはしっかりと泣かせて来るし……今思うと、あれコメディとシリアスの両立がうますぎだよなぁ」


 なんとなしに壁掛け時計を見ると、時計の針は深夜の0時を指し示していた。

 ……楽しいときほど時間が経つのは早いものだ。


「もう遅いですし、また明日ゆっくりと話しましょう」

「ああ、そうだな」

「では、お風呂に入ってきます。病人なんですから、早く寝てくださいね」

「ああ、もちろん」

「夜更かししてファントムエッジの最新巻を読むのもダメですよ」

「はいはい」

「それと……覗いたりしないでくださいね」

「しないしない」


 冗談めかしたような冬葵の言葉に、笑みが漏れる。

 そこに以前のような、遠慮がちの空気はない。

 硬く張り詰めていた空気が、少しづつ弛緩していくような気がした。


 きっと楽しいことばかりではなく、辛いこともあるだろうけれど。

 ……俺たちはこれからも上手くやっていけるかもしれない。

 そんなふうに思えた。

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