第24話 滝落とし⑦

 愛野さんに沢山嫌な思いをさせられてきたであろう細田さんが、俺にそう頼んでいる。

 そっか。昨日俺がちょっと教室を離れた隙に飾り付け作っておいてくれたの、愛野さんだったんだ。喧嘩別れしてお互い不干渉だったはずなのに。

 身体の奥から、ある感情が湧き上がってくる。

 今まで感じたことがないくらい強く。


『怒り』だ。胸どころか、全身が焦げそうなほど強い怒りが駆け巡る。

 次々に頭に浮かんでくる。これまで愛野さんと歩んできた試行錯誤の日々。

 鳴神たちが俺に吐いてきた言葉。藤堂さんたちが愛野さんに吐いてきた言葉。

 言いたいことがないまぜになって、声が出ない。今すぐにでも叩きつけてやりたいのに。

 クラスの誰にも認知されていないこの状況で、意味もなく口をパクパク開閉させているだけ。

 この期に及んでビビって身体が動かないとかどうしようもないな俺は。弱い。弱すぎる。

 強い自分をイメージしろ。自分らしくないことをずっとやってきたじゃないか。

 最近万能感を得られた瞬間のことを不意に思い出す。

 理屈で考えてたらいつまでも動けない。本能に身をゆだねる。今大事なことは、何が何でも動くことだ!


「さぁて、それじゃあ待ちに待った撮影会~!」


 間さんが手を叩く。


「えっ!? ほんとに撮るの!? それはちょっと」


 鳴神、藤堂さんグループの面々がスマホを取り出し、レンズを愛野さんに向けた。


「写真撮らせてくれたらグループに戻してあげるからさ」

「でもさっき、着たら戻してくれるって」

「その『着たら』に撮影も含まれんの! さぁ何かポーズとって!」


 愛野さんは視線を揺らしながらスカートの端を握りしめている。

 そんな様子を横目でうかがいながら、俺は真っ直ぐ六道の元へ走る。


「あ? んだ浅野何か用か。会に参加しろとかはお断りだぜ」

「貸せ」

「は?」

「ギターとアンプ貸せ! 鳴らす!」


 唖然とする六道からギターを奪い取る。

 アンプから伸びる電源プラグを教室後方にあるコンセントに差し、ギターとアンプをシールドでつなぐ。

 ツマミは全てマックスまで上げる。全部だ。

 アンプを足で鳴神たちの方向に向け、深呼吸。

 一瞬、正気に戻りかけたが強引に本能に従う。

 目標を見据える。愛野さんはとうとう俯いて小刻みに震え始めた。


「愛野、全然動かないじゃん。もうこのまま撮るしかなくね?」

「マジ白けるわ~」 


 ピックが無い。六道が握ってる。

 ピックなんていらねぇ! 自分の爪で! 

 声が出ないなら!

 叫べ! 臆病な俺の代わりに!

 腕を大きく掲げ、整然と並んだ弦に向かって、力の限り人差し指と親指の爪を叩きつける。

 アンプから放たれた爆音が教室を震わせた。


 次の瞬間、沈黙が下りる。僅かに聞こえるのはアンプから漏れる電子音のみ。

 ようやく息を吸うことができた。これで言いたいことを言うことができる。

 周りからの奇異の視線なんて関係無い。俺は、俺が大事だと思うものに従う!


「もうその辺にしてやれよ、藤堂さん、間さん、鳴神、森。愛野さんをグループに戻す気無いって言ってたよな。じゃあそれ、イジメと一緒だ。愛野さんの失言は確かに悪い。責められて当然だろうけど、それでも許してもらおうと色々やってきたじゃないか。許す許さないは個人の勝手だから部外者の俺が何言ったって意味ないけどさ。でも、グループに戻すっていう条件をエサにそういう服着させて写真まで撮るのはやり過ぎだと思う。今ってイジメ動画撮って拡散されて危ない時代だから気を付けたほうがいいと思うよ」


 一言一言ハッキリと。確実に相手に届くよう、低く大きな声で。

 当人たちの問題だから俺が言えるのはここまでだ。

 本当はもっともっと言いたいことがある。

 結果オーライなら許してやれよとか、藤堂さんはこの問題に関係ないだろとか、やり方が汚いだとか。

 間さんや森が愛野さんの失言によって深く傷つき、その傷がまだ癒えてないという可能性もある。

 でも俺は今、愛野さん側に立っている。だから愛野さんを庇う。

 未だ誰も言葉を発しない。ただ、皆一様に口をあんぐり開けていた。森なんてスマホを落としたのに拾おうともせず不思議そうに俺を眺めていた。

 皆には別人に見えてるんだろうな。けっこう。今更外聞を気にしたところで遅い。

 次に愛野さんを見据える。

 怒りの感情は鳴神たちだけに抱いたわけじゃない。


「愛野さんさ。もうやめようよ。本当にこんな人たちのグループに戻りたいの? そこまでして戻る価値があるの? ここ数週間、ずっとずっと辛そうだったじゃないか。目を逸らすなよ。自分の心から目を逸らすなよ! 見てよ愛野さん今の俺を! これが自分の心と向き合った結果だよ! やったよ俺は! ようやく認めることができた! 次は愛野さんの番だ! 自分の胸に手を当てて良く考えてみろバカ!」


 上手く言語化できないまま、本能のままに吐き出した。

 全力疾走した後のように急に呼吸が荒くなる。汗が噴き出す。

 弦をミュートしていなかったためハウリングが起こっており、音がどんどん増幅して耳を塞ぎたくなるほど大きな、キィンキィンという音が教室を満たす。

 六道がアンプのボリュームをゼロにした。急に無音になったため、沈黙が耳に痛い。

 俺に一点集中していた視線が、今度は愛野さんに向く。

 愛野さんは俺が話し出したときから俺を燃えるような瞳で見つめてきていた。他の皆とは違う、真剣な眼差しで。

 愛野さんは俺から視線を外し、スカートを握っていた手をゆるく解き、一歩下がって鳴神・藤堂さんグループに向き直る。


「最後にもう一回謝るね。ハザマっち、いや、間さん、森くん、それに巻き込んじゃった鳴神くん。以前、軽率な発言しちゃって本当にごめんなさい。あれは完全にあたしが悪かった。もう許して欲しい、なんて言わない。あんたたちはあたしを受け入れるつもりなんて無いって分かったし、もう、やめるわ。金輪際関わらないようにする。今まで世話になったわね」


 淡々とそう宣言する。愛野さんは感情任せの俺と違い、いたって冷静かつ簡潔だった。

 これでいいんでしょ、と言わんばかりに俺を振り返る。

 きっと、もっと言いたいことはあったはずだ。でも、後腐れなく離れるために抑えた。中々できることじゃない。 

 視線を受けて、微かに首を縦に振る。やっぱり俺と愛野さんは似た者同士だったんだな。辿り着いた答えが同じだった。

 俺は握っていたギターを六道に返して、再び鳴神達の方を向く。


「俺も、もう鳴神たちに関わるのやめるよ。どうも俺たち、合わなかったみたいだ。今までありがとう」


 ダムが決壊したかのように、今まで溜め込んできた色んなものが溢れ出してきている。

 何で気にかけてくれないんだ、何でこっちがあげるばかりで返してくれないんだ。俺がウザいならいっそのこと切り捨ててくれた方が楽だったのに。いや、俺もダメな部分があった。自分の理想を勝手に押し付けてた。勝手に期待して勝手に失望しただけ。『合わなかった』って言葉がすっぽり当てはまる。

 愛野さんに指摘されたように、本当は辛かったんだ。無理をしていたんだ。

 前に進むために変わろうと頑張ってきた。でもそもそも行き先が違ったんだ。

 今日から新しい行き先を探さなきゃいけないな。

 またしても愛野さんと目が合う。さっきの俺と同じく、小さく頷いた。

 案外、すぐ見つかりそうな気がした。

 それで、この空気どうしよう。段々熱が冷めてきて状況が見えるようになってきた。

 そんな俺の困り顔を見てか、元々そうするつもりだったのか、愛野さんが大きな溜息を吐いてから口火を切った。


「はい、これで話は終わり。誕生日会再開、と言いたいところだけと、あたしは帰るわ。ってかこの中にも本当は帰りたい人結構いるんじゃない? 本人の意思を無視して強制参加なんてバカらしい。祝いたい人だけでいいのよ。あたしに便乗して帰りたい人は帰りなさい。それじゃ。あ、この服、ちゃんと洗って返すからご心配なく」


 迷い無い足取りでドアへ向かっていく愛野さん。その表情はどこか清々しい。

 教室最後方のドア付近にいた俺の横をすり抜ける際、軽く肩に触れ、周囲に聞こえないぐらい小さな声で、こう囁いた。


「バカって言った方がバカよバーカ。……ありがと」


 横を向くともうそこに愛野さんの姿は無かった。

 愛野さんが出て行った後、ようやくそこら中でポツポツと会話がはじまる。


『確かにあれはちょっとやり過ぎだよね』

『ぶっちゃけ誕生日とかどうでもいいしあたしらもいこっか』


 クラスの半数くらいが愛野さんに続いて教室を出て行く。逆に残りの半数は、なんだあいつら頭おかしいんじゃねーの気ぃ取り直してぶち上ってこうぜ~! と元の雰囲気に戻そうとしている。

 俺も教室を出よう。

 出て行ったクラスメートたちに混ざって廊下を歩く。

 外は相変わらず雨。

 雨降って地固まる。そんな言葉がふと頭に浮かんだ。

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