第17話 卯の花腐し⑩

 翌日。火曜日。今日も相変わらず雨。ニュースによると梅雨明け予想は七月中盤あたりらしい。夏休み前まで雨の日が続きそうだ。

 パッとしない天気とは裏腹に、俺の心は晴れ渡っている。今日も教室に入るのが楽しみだ。

 思わず鼻唄が漏れる。人は愉快なとき、なんで鼻唄を唄うんだろうな。

 教室が近づいて来たところでスキップしてしまった。

 そんな頭お花畑状態だったから、人とぶつかりそうになる。


「うわっと、ごめん! って六道」


 しまった。つい名前を呼んでしまった。

 今日も今日とて以前の愛野さんとは別種の刺々しい雰囲気をまとっている。

 六道はなぜかしばらく俺をにらみつけてきた。ぶつかりそうになったのがそんなに気に食わなかったのか。まさかこれからボコられるとか。

 内心冷や冷やしていたところで、六道が口を開く。


「エルガーデン。超新星」

「……じゃあ俺はこれで」


 無表情のまま乗り切った。

 心の冷や汗は止まりそうにない。

 浮かれ過ぎた罰が下ったんだ。まだ目的を達成したわけじゃない。面白キャラは面白くあり続けることが求められる。偶然一発放てただけ。

 テンションが高くなりすぎないように意識しながら、教室内に。



 昨日に引き続き今日も鳴神たちとダーツ談義に花を咲かせる。

 そんなとき、俺の耳が気になるものをキャッチした。

 藤堂さんと愛野さんがおしゃべりしながら教室に入ってきたのだ。

 鳴神たちとの会話の合間合間にそちらへ意識を向ける。 

 部活のことについて話してるっぽい。間さんがまだ朝練から帰ってきてないから教室内で話してるんだ。

 二人で話しながら藤堂さんの席へ。 

 愛野さんはテンションが上がっていたのか、ドサッと放り出すようにスクールバッグを置く。


 その拍子にバッグについていたキーホルダーが外れて教室後方へ飛んでいく。

 すぐに動きかけた身体を一旦静止させる。

 教室内で俺と愛野さんは一切接触しない。そういう決まりだ。

 でも、落とし物を拾うくらいなら? それくらいなら許してもらえるかな。

 これがグレーゾーンってやつだ。どうしよう。

 迷っている俺の前を過ぎていく影。おさげ髪がぷらぷら揺れている。


「あの、これ、落とした、よ?」


 クラスで最も気が弱く地味で愛野さんを怖がっているはずの細田さんが大事そうにキーホルダーを両手で包んで愛野さんに渡す。


「んえ? ああ、さっきの勢いで飛んでちゃったのか。あんがと」


 片手でひょいっと受け取り、もう片方の手をお礼を言うように掲げる。

 細田さんは何か言いたげに口をもごもごさせていたが、諦めて自分の席に戻っていった。

 愛野さん、いつも細田さんにキツく当たってた気がするけど、今回はそんなことなかったな。細田さんもまさか拾って直接渡しに行くとは思わなかった。愛野さんのこと嫌っててもおかしくないだろうに。


「愛野、そのキーホルダーどこのやつ? 実は前々からいいなーって思っててさ」


 落としたキーホルダーから藤堂さんと愛野さんの話題が広がる。雑談できる仲まで戻ったんだな。間さんがいない時間だけだけど。


「あー。あれよあれ、露天とかで売ってるノーブランドのやつ」

「へー。じゃあ買えないね」


 愛野さんがいつも付けている猫型ビーズキーホルダーだ。可愛いくて綺麗で欲しくなる気持ちは分かる。

 俺が出る幕は無かったな。今後も俺と愛野さんが教室で絡むような事態が発生しないよう祈るばかりだ。



 それから二週間が経った。

 金曜日。明確に環境が変わったことを自覚した。俺も愛野さんも。

 まず愛野さん。

 藤堂さんグループと一緒にお昼ご飯を食べている。

 そう。間さんもそこにいる。

 放課後教室にギリギリまで残って駄弁っているとき、隙を見てグラウンドを眺めたが、いつも忙しそうに動き回っていた。

 明日またあのカフェで愛野さんと会う。そこで仲直りの経緯を聞こう。

 そして俺はと言えば。


「誰が勘違いブサイクマンやねん! 世界が羨むイケメンだわ!」

「きっつー!」

「鏡見ろや!」


 鳴神と森を爆笑させていた。吉良も小さく笑い声を零している。

 完全に面白キャラ、イジられキャラの座に就いた。あの一発ネタを派生させて。誘い受け型やノリツッコみ型等々。最近は自虐型など、型は増え続けている。一日数回ネタ振りされるのなんてザラだ。

 きっと明日が最後の会合となるだろう。 


 

「ここであんたと会うのも今日が最後ね。あんたも分かってるだろうけど」 


 土曜日。愛野さんもやっぱり今日が最後になると思っていたようだ。

 今日はいつかの日と同じ肩出しのガーリーな装い。髪は学校いるときと同じく茶髪ストレート。 


「だな。俺は、ダーツ作戦を成功させた後、一発ネタを思いついて、それがウケて、面白枠で鳴神グループに食い込むことができた。でもネタを使う場面以外ではテンション高くなり過ぎないようにしてるし、ダーツの話とか自分で話題作りもできるようになった。愛野さんのアドバイスのおかげだ」

「あんたのあのイケメンネタね、鳴神たち以外にも周りで聞いてた人たちも笑ってたわよ。やったじゃん」

「それは気付かなかった。ちょっと嬉しいかも」

「あたしは各部活から重宝されるようになったわ。働き者だし、他人をよく見てるがゆえのサポートができる、って。ふかみんと藤堂はいいとして、昨日くらいにようやくハザマっちに藤堂グループにいることを許可してもらえたんだ~」

「どうやって?」

「まあぶっちゃけ先輩のおかげだよね」

「ああ。あの部長さん」

「そそ。約束通りあたしが頑張ったからハザマっちに掛け合ってくれたんだよね。あたしがハザマっちについての記録を特に詳細にとってて、その記録、データのおかげで伸び悩んでたハザマっちのタイムがちょっとだけ伸びたみたい」

「間さん、悩んでたらしいからね。タイム遅いくせに皆の盛り上げ役でいいのかって」


 その気持ち、今なら分かる気がする。その集団内での実力が低いと騒げない、みたいな。クラス内カーストも似たようなものかもしれない。ムードメーカーを張る人間は決まって一軍の人間で、クラス内でよく響く声は上位カーストのグループで、声が小さく目立たないように振る舞ってるのはこれまた決まってカースト下位。六道みたいなのは例外。

 そんなある種カースト下位の状態でめげずにムードメーカー役を張り続けるなんて間さんはすごいな。クラス内ではカースト上位にいるから心の均整がとれていたのかも、なんて邪推してしまう自分が少し嫌になる。


「まだタイム伸びる兆し、余地があるらしくて燃えてるっぽい。ま、まあ、あれね、これも、あんたに言われた他人に興味を持つこと、他人に思いやりの気持ちを持って接すること、って助言のおかげなのかもね。一応感謝しとくわ。一応」


 愛野さんは髪に指を絡めてくるくる回しながら、視線を横にずらしてもごもごそう言った。

 これが愛野さんなりの精一杯の感謝の伝え方なんだろうなということはもう分かっている。だから思わず笑ってしまいそうになるのを必死でこらえる。


「何あんた変な顔して。何あたしの発言に思うところでもあったの何なの!?」


 怒涛のなになに攻撃。感情がすぐ顔に出がちだから気を付けてたんだけど甘かったようだ。 


「別に。さて、そろそろお昼にしようか。最後の晩餐だ」

「晩じゃなくてまだ昼だから昼餐じゃない?」

「ちゅうさん、中学三年生か」


 そんなくだらないやりとりでさえ笑い合えるくらいには、俺と愛野さんは希望に満ちていた。

 これで最後。そう思うと一抹の寂しさが胸に去来する。これで良かったんだ。考えうる理想の終わり方だ。

 あの雨の日。最悪な日の出会いに端を発したこの関係は、こうしてグランドフィナーレを迎えた。

 と、綺麗に締めたいところだったけど。


「じゃあ祝勝会ということでカラオケ行くわよ今すぐ!」

「今すぐ!?」


 と愛野さんの強引な誘いによりカフェからカラオケに直行。フリータイムで数時間付き合わされた。

 愛野さんも俺も流行りの曲は大体知っていたので合いの手入れたりデュエットしたり、正直、かなり楽しかった。目的を達成した喜びも相まって俺も愛野さんも異常なテンションだった。歌い終わってハイタッチしたり頭振ったりギター弾くフリしたり。きっと『今』だけの特別な時間。

 はっちゃけ過ぎてへろへろになってカラオケボックスを出る。 


「帰りましょ」

「うん。疲れた」

「でも楽しかったっしょ?」


 こういう時の愛野さんの笑顔は本当に眩しい。愛野さんの持つ、俺とは比べ物にならないくらい大きなエネルギーが全て正の方向を向いたとき、目を背けたくなるほど、でも逸らせないほど魅力的な……。


「めっちゃ楽しかった」

「素直でよろしい!」


 久しぶりに心から笑った気がする。自然と感謝の言葉がこぼれてしまった。

 気恥ずかしいのにどこか心地良い。変な気分だ。

 変な気分のまま突き抜けよう。


「これからも素直をモットーに頑張ります!」

「その意気よ! 全力でぶつかっていきなさい!」

「おう!」


 もう自分でも何を言っているのかよく分からなかったけど、とにかく愉快だった。

 これが鳴神とかがよく使ってる『エモい』って感情なのだろうか。だったらいいな。 

 俺と愛野さんが外に出たタイミングで雨が降ってくる。

 折り畳み傘を展開して横並びに歩く。

「梅雨の時期の雨のこと、卯の花腐しって言うんですって。小説の中にしれっと出てきて印象に残ってるのよね」


「へぇ。愛野さん小説読むんだ。俺も読むよ」

「何読むの?」

「ラノベ」

「何それ」


 それから熱くラノベとは何たるかを語ったら普通に引かれた。変な気分のまま突っ走るのはほどほどにしておこうと心に決めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る