第27話:幾度目かの感覚

 夢を見ていた。

 僕はどんどん離れていく誰かの名前を喉が枯れるまで呼んでいた。

 僕は必死で手を伸ばす。

 どんどん離れていくあいつに向かって。

 僕は何度も手を伸ばしたが、必ずと言って誰かがその手を邪魔した。


 手を伸ばしている相手、邪魔をしてきた人間、どちらの名前、いや顔さえも思い出せないけれど、この手は伸ばし続けなければならない。

 それが僕を信じて送り出してくれたあいつとの約束なのだから。




 朧げに小鳥の鳴く声がする。

 遠くから聞こえてくるその声は意識が明らかになっていくにつれ、はっきりと聞こえてくるようになる。

 体を起こしグググッと伸びをした。


「……え?」


 一滴の涙が頬を伝う。

 欠伸をしたときに零れたのだろうか。

 いや、何だか分からないけど何かとても悲しい事があった気がする。

 ふと昨日あった出来事を思い出してみた。


 昨日は普通に学校に行って普通に食事をして、日付が変わる前に就寝したはずだ。

 なにも朝から涙する程衝撃的な事件は無かったはず。


「じゃ、いいか」


 海翔は考えても分からない事はあまり深くは考えないようにしているのだ。

 時間の無駄だからだ。


 制服に着替え、リビングへ降りるとテレビでは朝のニュース番組が放送されていた。

 海翔の家はいつも同じニュース番組が流れている。


「本日未明、バラバラ遺体が発見されました。バラバラ死体が発見されるのは本日で七件目であり、警察は同一犯による犯行と断定。市民の皆様には戸締りなどど徹底して欲しいと注意を喚起しています」


 アナウンサーが今日も連続猟奇殺人事件を報じている。

 でも何だか聞いたことがある様な気がする……。


「ねぇ、母さん。この人昨日も同じこと言ってなかった?」


 片づけをしている母親に聞いてみる。


「いつも起こってるんだから、内容も同じようなものになるんじゃないの」


 忙しいのに朝から何を言ってるの。

 そんな母親の声が聞こえてきそうな声音。

 内容が同じというより、全く同じセリフを聞いた気がする。

 さっきの涙といい心に若干のモヤモヤを感じつつ、海翔は家を出た。





 心地よい秋の日差しを浴びながら、学校に向かう。

 家から学校までは徒歩で約二十分。

 眠気覚ましの運動には丁度いい距離感かもしれない。

 そして詩織にとってはこの二十分は準備時間でもある。


 今日は中川君と何を話そうかな。緊張せず話せるかな。

 そんな事を考えながら詩織は路地を歩くのである。

 

 考え事をしていると、あっという間に立派な校門が目に入ってくる。

 校門を通ると、少し離れた所に海翔とその友人である慎吾が並んで歩いていた。


「よし。行くわよ詩織」


 自然に話しかけられるかな。

 少しの期待と不安を胸に、詩織は駆けだした。




 本日の授業を終えると、すぐに詩織は帰宅の途についた。

 連続殺人が今日も起こってしまったのだ。

 これ以上被害者を増やさない為にも、調査のペースを速めなければならない。


 学祭までは後三日。

 準備はあまり進んでいないそうだが、今はこちらの方が重要な案件だろう。

 今日こそは犯人とその天使を突き止めてやる。

 そう固く決意して、詩織は教室を出た。


「あ、中川君にさよなら言うの忘れてた」


 詩織がその事実に気づいたのは家に着いてからだった。

 その後詩織は後悔から頭を悩ませるのだが、それはまた別の話。



「ただいま」

「お帰りなさい、詩織」


 ドアを開けると、ソウがエプロンを着けて立っていた。

 今タイミングよくここに立っていた、という訳では無さそうな感じ。


「……ずっとそこに立ってたの?」

「いえいえ、詩織の魔力を感じたのでお出迎えをと思いまして」


 それは結構な心構えで。

 恥ずかしいのでこれからは勘弁して欲しいが。


「あ、詩織。お弁当を出してください。洗いますので」


 この数日で、ソウはうちの家事を完璧にこなせるようになっていた。

 居候させて頂くのですから当然の事です。とは本人談だ。


「うん、ありがとう」


 ソウに弁当箱を渡して、自室へ向かう。

 鞄を置いてリビングへ戻ってくると弁当箱を洗ったソウが、母親に料理を教えてもらっていた。

 洗濯、掃除を極めた彼が次に狙うは炊事らしい。


 始めは騎士道がどうとか言って、お堅い人物かと思っていたが、最近は率先して家事をするなど世話焼きというか……オカン? 

 我が家の騎士は数日で我が家の二人目のオカンになりました。




 日はグングン傾き、夕食の時間となった。

 この季節となると気温は暑くても、日が傾く速度は目に見えて早くなっている。

 母親とソウが作った夕食を手早く食べ、二人は町へ調査に出かけた。

 二人はまず犯行現場へ向かう事にした。


 毎日起こっている事件だからか、警察も気を張っているのだろう。

 犯行現場は今朝の事件ではあるが未だ警察がブルーシートを張っており、規制線の前は野次馬やテレビ局の人間でごった返していた。


「ソウ、魔力の痕跡感じる?」


 隣のソウに聞いた。

 周りの人間に聞かれるとイタイ人だと思われるので出来るだけ小さい声で。


「ええ、過去六日間と同じ魔力ですね。今回も手は下していないようですが」


 テレビでは単独犯だとか複数犯だとかあるコメンテーターは模倣犯だとか散々言われているが、詩織たちは七日間の犯行全てが同一犯で単独犯であると確信していた。

 最もその根拠が魔力だなんて言った日にはまた精神病院を紹介されそうなので勿論言わないが。


「ねぇ、ソウ。事件を未然に防ぐ事って出来ないの?」


 関係ないと言われれば関係はないのだが、自分の暮らしている町でこうも殺人事件が起こっていては良い気持ちはしない。


「残念ですが難しいです。地道に足を使うしか方法はないでしょうね」


 ソウも良心に痛む所があるのか残念そうな顔をしている。

 その後はテレビ局があの美青年は一体!? と取材を申し込んできたので一目散に逃げて来た。


「はぁはぁ。久しぶりに全力疾走したわ……」


 どこまで行ってもカメラが追いかけてくるとはあそこまで恐怖だったのか。

 有名人の気持ちが少し分かった気がする。気づけば学校の近くまで来ていてしまった。


「疲れたし、今日はもう帰りましょうか」


 十分程全力疾走したのだ。

 もうヘトヘトである。

 詩織が家へ向かって歩き始めると、ソウが突然詩織の肩を掴んだ。


「な、なに?」


 これまでソウが詩織に乱暴を働く事は無かったので少し驚いた。

 いや、乱暴って程ではなかったけれども。


「シッ、静かにしてください。強い魔力を感じます」


 強い魔力? まさか天使が近くにいるとでも言うのだろうか。


「詩織、今学校とやらには人間はいますか?」

「いえ、いても警備員が一人か二人いるだけだと思う」


 時計を見ると現在時刻は八時を回ったところ。

 生徒が残っているなんて事はまずないだろう。


「なるほど。あの建物から強い魔力を感じます。もしかしたら天使かもしれない」


 もしかして連続殺人犯と行動している天使だろうか。

 それなら大きな手掛かりだ。

 このチャンスを逃す手立てはないだろう。


「うん? いや天使……じゃないかもしれない。感じた事のない魔力です」


 天使じゃない魔力……ならばこの前見た化け物だろうか。

 いや、ソウの様子を見る限りそうでもない気がする。


「ま、どっちにせよ放っておく訳にはいかないわ。確認しにいきましょう」


 詩織が先陣をきって学校へ歩いていく。


「あ、ちょっと待って下さい、詩織。あなたはここで待っていて下さい」


 ソウが前を行く詩織の腕を掴む。


「警備員に見つかったらどうするの? それに……」


 それにと含みを持たせた詩織にソウはキョトンとしている。


「何かあってもソウが守ってくれるんでしょ? よろしくね騎士様」


 詩織が茶目っ気たっぷりな笑顔で言った。


「ええ、勿論です。騎士道にかけてあなたをお守りしましょう、レディ」


 ソウは片膝をついて、詩織の手をとった。


「レディはやめてって言ったでしょ? ソウ」

「失礼しました、詩織。では参りましょうか」


 今度はソウが先陣をきって校舎へ向かった。



「む。近づけば近づくほど妙ですね……」


 ソウが頭を悩ませながら廊下を歩く。

 目標へは着々と近づいているようだが、疑問はより深まっていくばかりのようだ。

 普段は余裕たっぷりの表情をしているためこんなに難しい顔をしているソウは珍しい。


「あ、あそこです」


 ソウが指したのは一つだけ未だ光が点いている教室だった。


「え、あれ私の教室じゃない」


 その教室とは詩織の所属するクラスの教室だった。


「ちょっと待ってソウ」


 今にも乗り込もうとしていたソウの腕を慌てて掴む。

 ソウはなぜ止めるのか分からないといった怪訝そうな表情をしている。


「もしかしたら学祭の準備をしている生徒かもしれないわ」

「今生徒は皆帰っているってあなたが行ったじゃないですか」


 ソウは少し不満そうだ。


「ええ、言ったわ。だけど心当たりがあるの、今も残っているかもしれない生徒に」


 心当たりがある。

 と言われたらソウも従うしかないと思ったのか、不満げに「では何かあったらすぐに大声を上げてください」と言って詩織に道を譲った。


「いや、まさか……ね」


 詩織には心当たりがあった。

 普通なら絶対に有り得ないが、今の状況なら可能性は高い。

 彼はそういう人だから。こっそりと教室の中を覗き込む。


「やっぱり……」


 教室にいたのは天使でもなく、化け物でもなく、海翔だった。

 彼はお人好しなのだ。それも病的な程の。


 もし彼が誰かに準備を頼まれたとしたら……。

 彼はきっと残り三日間でなんとか準備を終わらせられるようにどうにかするだろう。

 自分の事は全く顧みずに……。


 海翔は本日の成果を丁寧しまっていく。

 その様子からは遠目でも疲れが見て取れる。

 彼を見ていると、胸に針を刺されたような痛みを感じる。


 ずっと見ている訳にもいかないだろう。

 ソウに大丈夫だから離れていてとジェスチャーを送ってから、窓から教室をのぞき込む。


 出来るだけ自然に、自然に。

 私は今ここに来たばかり。

 自分にそう言い聞かせてから海翔に話しかける。


「あれ、中川君? もうこんな時間なのに何で?」


(ばっちり。私はやればできる子なんだから)


 予想通り、海翔は詩織の突然の登場に戸惑っている様子だ。

 まぁ当然だろう。

 普通は存在しないはずの人物がここに二人。驚くのも無理はない。


「ああ、遠藤さん。僕は学祭の準備だよ。遠藤さんこそ何でこんな時間に? もうとっくに下校時刻は過ぎてると思うけど」


 何でここにいるか?

 話しかけるのに一杯一杯で全く理由を考えていなかった。

 マズい。


(なんだ理由を考えてこなかったの、私は馬鹿なの!? 普通はなぜここにいるのか理由を聞くでしょ!? 考えるのよ、詩織。今の時間に学校にいてもおかしくない理由を……)


「わ、私!? ええと.....そう! 忘れ物、忘れ物をしちゃったの!」


 とっさに思いついた言い訳を言ってみる。

 声は裏返ってるし、視線は行ったり来たりだし、誰が見ても嘘をついていると分かる。


「そっか。まぁいいや。僕はまだ片づけがあるから。遠藤さんはもう帰った方がいいよ。見つかったら先生に怒られちゃうし」


 よし通った。どうやら信じてくれたらしい。

 海翔はこちらに目もくれずそこらに散らばっている道具や材料を片付け始める。


(うん? もしかして信じたんじゃなくて早く片づけを始めたかっただけ? もしそうだったらちょっと悲しいな……。いや、ここでへこたれては駄目よ、詩織。さっきが駄目なら次の手を打つまでよ!)


「それなら手伝うよ。二人の方が早く終わるでしょ?」


 海翔の片づけを手伝う。

 海翔だって早く帰りたいだろう。

 そこをくすぐってみた。我ながら悪魔的発想だ。


「いいの? 帰るの遅くなっちゃうよ?」


 中々強情だ。それなら……。


「ええ。だから二人でやるんでしょ? さ、警備員さんが来る前に早く終わらせちゃおうよ」


 海翔は合理的な事には弱いはず。知らないけど。


「分かった。じゃあ早く片づけちゃおうか」


 よし、作戦通り。

 ここまで片づけを楽しいと思ったのは初めてだ。

 あっという間に物は片付いていく。

 普段ソウにもっと部屋を片付けなさいと言われているとは思えない程のスピードで片づけを終わらせた。


「よし、片付いたね。ありがとう、遠藤さん」


 遂に終わってしまった。

 もっと片づけをしていたいという自分でも意味が分からない欲求に思わず苦笑をこぼしてしまう。


「いえいえ、どういたしまして。それよりあの人形たち、みんな中川君が作ったの?」


 よく出来ていたのでロッカーの上に並べてみた人形たちを見て言った。


「まぁね。子供の頃から手先は器用な方なんだ」


 凄い。詩織には絶対できない仕事だ。

 人形一体一体全てがよく作りこまれていた。

 学祭が終わったら捨ててしまうのが勿体ないくらいに。


「へぇ、すごいね」

「さ、そろそろ帰ろうか。警備員さんに見つかると面倒だしね」


 二人並んで教室を出る。

 教室を出る際、反対側に待たせていたソウにこっそりとこっちから行くとジェスチャーを送っておいた。

 ソウはグーサインを送ってきたのできっと伝わっているだろう。


「ねぇ、中川君。もしかしてずっと一人で作業してたの?」


 状況から見て恐らくそうなのだが一応聞いてみる。


「うん、まぁね」

「なんで? 放っておく事もできたのに」


 詩織が聞くと、海翔は少しだけ考えてから言った。


「なんで、って言われても頼まれたからとしか」

「頼まれた? 誰に?」


「もし僕が誰か言ったら、遠藤さんはその人に文句を言いに行ってしまうだろう? だから言えない」


 まぁ想像は付くのだが。

 恐らく斎藤辺りだろう。

 だが、海翔が追及するなと言うならば詩織はそれ以上追及はできない。


「じゃあなんで断らなかったの? こんな事誰もやってないのに僕に押し付けるな! って」


 海翔はう~んと少し考えてから遠くを見ながら言った。


「僕、小さい頃から人に頼まれると断れないんだよね。性分って奴かな」


 性分。たったそれだけの理由でここまで出来るだろうか。

 どう考えても海翔のやっている事はおかしい。

 でも……。その優しい所に詩織は惹かれたのだ。


「じゃあ、明日からは私にも手伝わせて! 準備」


 ならば詩織のやるべき事は、海翔をサポートする事だろう。

 海翔はぬらりくらりと断ろうとしたが、詩織は必殺技、手伝う事を頼むという訳のわからない事をして、無理やり約束してきた。


 本当に残念な事なのだが、詩織と海翔は変える方向が逆方向だ。泣く泣く校門の前で別れる。

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