第4章:仮面

第25話:出会いの前日

 君と始めて話をしたのは高校のレクリエーションだったかな。

 きっとその時の私は事故のショックから立ち直れず酷い顔をしていたと思う。

 君はおとなしそうな感じだったけど、話してみるととても明るい人だった。


 でもあなたの見せるその笑顔はいつも何処か寂しそうで……そして目が離せなかった。

 その何処か寂しそうな笑顔が私に似ている様な気がして、勝手に親近感を覚えた。


 今思えば、その時からだったかもしれない。

 君の事が好きになったのは。




「詩織! 朝ですよ、起きてください。学校に遅刻しますよ」


(ううん。私はまだ眠たいの……。誰だか知らないけどまだ起こさないで……)


 声から逃れる様に布団を頭まで被り、寝返りをうつ。


「はぁ。全く仕方ありませんね。せえの!」


 男の声と共に布団が引っぺがされる。

 瞬間体に冷気が猛烈に襲ってくる。


「寒っ! もう誰? 私を起こすのは……」


 眠い目をこすって私を起こした犯人を確認する。

 するとベッドの側には見た事のない青年が、やれやれとでも言いたげな表情で立っていた。

 シャツの上からエプロンを着ているその青年はとても美青年だった。


「ホントに誰!?」


 慌ててベッドから飛びのき青年と距離を取り、戦闘態勢を取る。

 知らない男が自分を起こしていたのだ、当然だろう。


「はぁ。忘れたのですか? ソウですよ、ソ・ウ。昨晩あなたと契約した」


 寝ぼけていた頭が冴えてくるにつれ徐々に記憶が蘇ってくる。

 そう言えば昨日、路地を歩いていたら倒れているソウを見つけたのだ。


 詳しい情報は分からないが、どうやら願いを叶えてくれるらしい。

 そう簡単な話ではないらしいが。


「ああ、ソウね。思い出したわ」

「それはよかった。ところで詩織、時間は大丈夫なんですか?」


 ソウに言われて時計を見る。

 時計の針は八時を指している。


「キャ――! もうこんな時間!? 何でもっと早く起こしてくれなかったの!?」


 詩織が慌てて朝の準備をしながら文句を言うと、ソウは呆れ顔で言った。


「……起こしましたよ。一時間前から」


 絶対嘘だ。

 一時間前から起こされていたら絶対に起きている。

 もう一度時計を見ると、目覚ましはしっかり七時で止まっていた。


「あぁ、もう! 何で朝からこんな慌てないといけないのよ!」

「早く起きないからですよ」


 ソウがド正論を言う。

 だが今正論は意味がない。

 今やるべき事は急いで準備を終える事だ。


「……いつまでいるの? 着替えたいんだけど」

「お構いなく」


 ソウは眩しい笑顔で答える。

 その爽やかな笑顔は朝日の様に眩しい。


「お構いない訳ないでしょ!」


 ソウをぽかぽか殴る。


「やれやれ、仕方ないですね。失礼します」


 ソウは優雅にお辞儀をしながらドアを閉め、出て行った。


「ったく……。ってホントに時間無いんだけど!」


 急いで着替えを済ませリビングを通過し、玄関に向かう。


「詩織、朝食は食べないのですか?」


 ソウが玄関まで追ってくる。


「時間無いからね。それじゃ!」


 手早く靴を履き、ドアを開ける。


「では詩織これを!」

「え?」


 ソウが軽く投げて来た何かを何とかキャッチする。


「ゼリー状の飲料です。朝からエネルギーチャージだそうですよ」


 ソウがグッとグーサインを出してくる。

 してやったりとでも言いたげなそんな顔をしている。


「……ありがとう。行ってきます」


 朝の爽やかな風を全身に感じながら全力で通学路を走る。

 パウチに詰められたゼリー飲料を飲みながら。


「普通は食パンじゃないの? これ」

 若干チョイスに疑問は感じたが、実際エネルギーはばっちりチャージされたので良しとしよう。

 ちなみに曲がり角で運命の人とはぶつかるなんてお約束イベントは発生しなかった。




 HR五分前になんとか教室に到着する。


「はぁ、はぁ。何とか間に合った」


 膝から崩れ落ちる様に自分の席につく。


「随分ギリギリのご登場だな、遠藤」


 突然左側から声をかけられる。

 目をやると身長の高い、青年が話しかけてきていた。


「今日はちょっと寝坊しちゃってね。おはよう、加藤君」


 彼は加藤慎吾君。

 サッカー部のエースだが朝が弱いらしく、よく遅刻ギリギリで学校に来る。

 そんな彼よりも遅かったとは、若干屈辱だ。


「寝坊なんて珍しいね」


 慎吾の後ろからひょこっともう一人青年が出てくる。

 彼は中川海翔。詩織の思い人である。


「ま、まぁね。そんな日もあるよ。うんうん」


 突然の海翔の登場に心臓がドキンと跳ね上がる。

 これは決して全力疾走からではない。


 軽く朝の挨拶を済ませると、チャイムが鳴る。

 本当にギリギリみたいだった。


(はぁ朝から疲れた。明日からは早く起きよう……)


 詩織は毎朝の日課をこなすように、そう決意した。




 恋は盲目と言うがそれは本当かもしれない。

 最近は特に時間が過ぎるのが早い。

 あっという間に一日が終わり、帰りのHRの時間となる。



「えぇ……と。来週は学祭があるので皆さん。いろいろ忙しいかと思いますが協力し合って準備、進めていきましょう」


 教師の言葉で始めて学祭がある事を思い出した。


「学祭……か」


(中川君と一緒に回れたりしないかな。誘ってみようかな。いや、無理無理!)


「あれ?」


 気づくと教室は空っぽになっていた。

 考え事をしている内にHRは終わり、みんな帰ってしまった様だ。


「……帰ろ」


 海翔も帰っていて、しょんぼりと帰路につく。

 教室はあんなに静かだったのにグラウンドや部活棟は遠くからでも聞こえてくる程賑やかだった。



「ただいま」


 今朝は蹴破ろうかという勢いで飛びだしたドアをゆっくり開ける。

 靴を脱いでいると、リビングから賑やかな声が聞こえて来た。

 随分盛り上がっているようだ。


「ただいま。お母さん……って何やってんのソウ」


 リビングに入るとソウと母親が楽しそうに話していた。


「あら詩織、おかえりなさい。ソウ君ったらお上手なのよ?」


 おほほと笑う母親。

 そんな何処かのマダムの様な笑い方聞いたことがないのだが。

 違和感がありすぎて気持ちが悪い。


「いえいえ、お母様。私は思ったことがすぐ口に出てしまう質でして」

「あら、もうやだぁ」


 家に帰ると昨日会ったばかりの男が母親を口説いていた。

 これは娘にとって衝撃的な光景でない訳がない。


「おや、どうしたのです詩織。私の事をそんな怖い目で見て。折角の可愛い顔が台無しですよ」

「いや、人の母親を口説かれてたら誰だって引くわよ」


 ソウは「とんでもない」と言って口説いていた事を否定する。


「これも騎士の心得です。美人は放っておくな、というね」


 渾身の爽やかスマイルを向けてくる。

 詩織はドン引きだったが、母親にはクリーンヒットだったらしく、「もう、いやああん」と言って、悶えていた。


(はぁ。全くこの居候は何をやってるんだか)


 ボロボロの状態で倒れていたソウを助けて早一日。

 ひとまず居候という形に落ち着かせたが、いくらなんでも落ち着きすぎだろう。


「あら、もうこんな時間。お夕飯の支度しなきゃ」


 母親がゆっくりと席を立つ。

 それに合わせてソウも席を立ち言った。


「お母様、是非この不肖私にもお手伝いさせて下さい」

「あら、いいの? じゃあお願いしちゃおうかしら」


 心底嬉しそうな母親の表情。

 あれだけヨイショされたらもう母親はソウにメロメロだろう。


「ええ、刃物には多少心得がありますので」


 ソウは手馴れた様子でエプロンを着け、キッチンに立つ。

 実際ソウの包丁捌きは見事なものだった。

 瞬く間に量産されていくカット野菜の山は、遠藤家に数日分のサラダを供給した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る