夢の五つの断章

下村アンダーソン

夢の五つの断章

     *


 たとえば、こんな夢を見る。

 千の奴隷を使役して作らせた城の、あたかも腕のように伸びた尖塔の窓辺から、君は沙漠の景色を臨んでいる。鮮血よりも赤い、歪んだ鏡で映し返したかのような太陽が、空を焼け爛れさせている。どうかお戻りください、女王の間にいらっしゃれば安全ですから、と側近の占い師たる私が呼びかけるのだが、君は決して振り返らない。滅びを見届けるのが自身の定めなのだと君は語るが、本当は君が、街のどこかにいるはずの女に焦がれて、部下たち総出で探しにやらせていることを、私は知っている。数えきれないほど君の窮地を救ってきたこの私より、なんの取柄もない貧民街の女に入れあげて、これほどの危機に際してさえ助言を聞き入れないというのは、いかなる仕打ちなのか。

 お戻りください、女王の間でお眠りください、滅びに抗いうるのは貴女さましかいないのです、と叫びながら、私は君の腕を引こうとする。君は頑として同じ場所に留まる。その瞳に宿した意思の輝きに触れるなり、私の胸の内は、ぱっと熾火が爆ぜるような激情に支配される。

 私は無我夢中で君に駆け寄る。その白い首筋を目掛けて腕を伸ばす。


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 たとえば、こんな夢を見る。

 ブリキで作られた橋を渡っていくうち、発条の切れた君の車はぱたりと動きを止める。慌てた様子で飛び降りてきた君は、あちこちを覗き込んだり弄り回したりするのだが、屋根の天辺に付いている螺旋にだけはなぜか意識を向けない。

 そうこうするうちに銃を携えた兵隊たちがやってきて、立ち往生した君を詰問しはじめる。名前は。どこから来たのか。目的は。いつまで滞在するつもりか。

 兵隊の高圧的な態度に君は気圧される。彼らの言葉は、君の耳には異国の言葉としか聞こえない。ただ自分が咎められていることだけは理解して、必死の弁明を試みる。その君の言葉もむろん、兵隊の耳には意味を結ばない。

 君が恋人を探しに来たことを、私だけが理解する。それは赤いドレスと靴の似合う、鼻筋の通った、金色の髪をした女で、君は彼女との数々の思い出を胸に携えている。発条が切れたときはいつも、その女が螺旋を撒いていたのだろうと私は想像する。

 女が君の車に同乗し、その横顔を飽きることなく眺め、ともに美しい景色の中を旅してきたのだと思うと、私の胸は乱れる。女がいつまでも見つからなければいいのにと思う。

 まったくの職務上の意識から、兵隊のひとりである私は君に手を伸べる。君の言葉を上官に伝えよう、と申し出んとしたとき、君は怒りに満ちた目で私を見据え、頬を張る。私の頭部は甲高い音を立てて無様に回転する。

 誰かその娘を撃て、と上官が叫ぶ。私は銃を構える。


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 たとえば、こんな夢を見る。

 高名な魔術師たる君は、鎖で雁字搦めにされたまま水槽に沈んでみせたのち、瞬時に脱出するという技を得意としている。鎖にはむろん仕掛けがあって、一定の手順を踏めば外れるようになっているのだが、観客の目にはそう見えない。小道具を頑丈で、決して切れることのないものとして認識させるのも、魔術師の力には違いない。

 君は夜毎、客席から女を選び出しては自身の即席の助手として起用する。水槽の奇術に際して君の手足を縛る女は事前の仕込みだが、そのひとつ前にやって見せるごく簡単な手品では、たまたま居合わせたまったくの素人が舞台に上がる。なるほど本当に素人を使うらしい、と観客に思い込ませるためだ。

 指名の権限のいっさいは君にある。二度目に呼ばれるのは必ず、観客を装った本当の助手の私だが、一度目に呼ばれるのが誰かは分からない。

 君が年若い女を選び出し、舞台へと導くのを、私は毎夜目にする。君は私の眼前で、私以外の女とともに芸を披露し、拍手を浴びる。それでも本当に信頼されているのは私に違いないから、私は不満を胸に仕舞い込んでおける。

 ところがその夜、君が選んだ女の耳元に唇を寄せるのを、私は目撃する。私とて奇術師の端くれだから、君の言葉を読み取るのは造作ない。女は頬を染め、秘密めかした仕種で頷いてみせる。私は役割の終焉を悟る。明日の夜からはあの女が私に成り代わるのだと理解する。

 水槽が運ばれてきて、女は舞台を下りる。君は私を呼びつける。華やかな照明を浴びて笑ってみせながらも、私は胸苦しさを覚えている。これが最後の舞台。君の裏切りゆえの。

 君の体が水槽へと沈む。鎖を縛り上げたときの感触を、私は思い出せない。


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 たとえば、こんな夢を見る。

 川の向こうに街があるのだと君は言う。どこ、と問いながら目を凝らすが、ただ色濃い靄が立ち込めているばかりで、さやかには視認できない。それでもあるのだから行こう、と君は叫んで、あっという間に靴を脱ぎ落して両手に携える。君の白い足首が水面を乱すのを、私は引き留める間もなく見つめている。ややあって、私も同様に水へと入り込む。

 私たちは川を渡る。歩くことができるのだから、きっと浅いのだろうとは思うが、足裏に川底の感触が伝わってくることは決してない。ただ水の冷たさだけがある。

 どこからか踏切の、かん、かん、かん、という警報機の音が響いてくる。川の真ん中に踏切があるわけはなく、自分たちはなにか大きな間違いをしているのではないかと不安になる。私は君の背中に向けて、踏切の音がするよ、と言う。

 かつてはここに踏切があったんだよ、と君は振り返りもせずに解説する。水がね、その記憶を留めているんだよ。

 ならば私たちが歩いているのは線路の上なのかと問えば、それは分からないと君は答える。ただし道があるのは間違いない、そうでなければ渡っていけないでしょう、と付け加える。私はいちおうその説を受け入れて、唇を引き結んで君の背を見つめる。

 私が黙りこくると、昔はよく友達と一緒に歩いたのだと、君はひどく懐かしそうに語りだす。並んで夜空を映し返した水面を見下ろしながら、互いの未来を話し合ったのだ、と。

 だから会いに行くのが楽しみで仕方がないよ、と君ははしゃぐ。相変わらず振り返ることのない、跳ねるように進んでいく君の後ろ頭を眺めながら、踏切も、川の向こうの街も、君の愛しい友人も、すべてが水の記憶に過ぎないのではないかと、私は思い立つ。

 一緒に引き返そうよ、と私は呼びかける。君は初めて立ち止まり、かぶりを振る。

 悲しみが胸に満ちる。私は君に歩み寄り、その体を思い切り突き飛ばす。


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 たとえば、こんな夢を見る。

 私は自室のベッドに横たわって、窓を打つ雨音に耳を傾けている。まだ熱を残したままの体に、薄い毛布の感触が伝う。

 君は私の隣にいて、眠ったふりをしている。私たちは大学生で、たまたま研究室の配属が同じになった縁で言葉を交わすようになった。同性で、出身も近く、なにかと話が合った。ともに過ごす時間が増えるうち、私は君に特別な視線を向けるようになった。

 控えめに交際を申し込んだものの、君がはっきりと返答することはなかった。関係が断絶しなかったのは幸いだが、私は自身を深く恥じて、しばらくは君と顔を合わせるだけで苦しみを覚えるほどだった。

 それでも君は態度を変えなかった。いままで通りに笑い、愚痴を洩らし、泣いてみせた。平然と私の部屋に上がり込んで酒を飲んだり、無防備な姿で寝入ることさえあった。

 私の気持ちを知っているのか、と遂にして問い詰めた。君はなにも言わず、ただ私の頬に唇を押し当てて、それからは私にいっさいを委ねた。始まりから終わりまで、私たちは一度も言葉を交わさなかった。

 本当は、とこちらに背中を向けたまま君が言う。ほかに好きな人、いるんだよね。

 あらゆる激情が濁流のように押し寄せる。君の首筋の、冷えた感触。

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