第33話・ナパースカの休日

 ランチュウは宙に浮いていた。

「うっわ~結構ムズいなあ」

 背中のオプションから翼を生やし、最近導入した仮想アナログフットコントローラーで制御しているのだが、航空力学の基礎どころかフライトシューティングゲームすらプレイした経験のないランチュウにとって、難易度が極めて高い。

 推進力をどうやって得ているのか理解不能、どんなゲームを参考にすればいいのかもわからない状態である。

「イージーモードかチュートリアルが欲しいとこだねえ」

 魔王の超防御を封じているので、墜落したら確実に即死判定が下るに違いない。

「ダメだこりゃ。設定から見直さねーと……予定変更、超空間勝手口を使おう」

 空中でバランスを崩さないように減速し、翼なのかオプションの効果なのかも不明な浮遊能力でゆっくりと着地する。

 即座に走り出し、超魔王邸へと引き返す。

「ただいまー」

「あらまあ早かったねえ」

 何となく察していたのか、台所で食器を洗っていたナーナは振り向きもしない。

「行ってきま~す」

 超魔王邸に戻って勝手口を開け直すランチュウ。

「いまはメンテ中だし、使ってもいいよね」

 ドアを開けると、そこはナパースカの領主邸裏口である。

 プレイヤーはいないはずなので目撃される心配はない。

「おややん? ありゃNPC……ちょいと見覚えのある顔だねえ」

 領主邸の庭、その中心にある噴水の前で、10歳前後の美少年がボンヤリしているのを発見した。

 立派なスーツに大きな蝶ネクタイを締めているが半袖半ズボンである。

 そしてランチュウが太ももなまめかしい美少年の顔を忘れる訳がない。

「領主の次男坊で、確か名前はトリボーノだっけ?」

 疑問形になってはいるが確信していた。

「でも何で坊やが? お屋敷から出ない設定じゃなかったっけ?」

 領主邸の奥にある子供部屋で四六時中遊んでいるはずだ。

 ……24時間営業で。

「臨時メンテナンスのせいか」

 NPCがプレイヤーたちの見ていないところで何をやっているのかなど、いままでランチュウは考えもしなかった。

 だが今回のメンテナンスで、シナリオの呪縛から逃れた人間がいたとしても不思議ではない。

「やっほ~! 初めましてじゃなかったよねえ?」

 反応を見たいと思い、とりあえず声をかけてみた。

「うひゃっ⁉ こ、こんにちは……ランチュウさん」

 明らかに怪しい人なのに挨拶されてしまった。

「こんちゃ~トリボーノ坊ちゃん! ……何でアタシの名前知ってんのさ?」

「テキストの隣に表示されてます」

 ランチュウはボイスとテキストを同時入力しているため、戦闘中でもない限り、相手には常に声と文字が一緒に届くのだ。

 ただしNPC扱いのトリボーノもセリフが文字化されているので、お互い様である。

「あと何度も会った事がありますから」

「そりゃまあ、お屋敷には数限りなく足を運んでるからねえ……」

「それにランチュウさんは超魔王と聞いてます」

 トリボーノにはまるで警戒している様子がない。

 木陰に年老いた執事が隠れているのも見えたが、安心した顔でこちらの様子を窺っている。

「超魔王って何だか知ってて言ってんのかい?」

「魔獣の味方と聞いてます……確かに危ないかもしれませんね」

 言葉通りなら超魔王は人類の敵である。

「そうそう。それにアタシゃ美少年が大っ好物なんだ」

「眺めるのが好き、なんでしょう? いままで何度も屋敷に来ては僕の顔を何時間も眺めて、ホクホク顔で帰って行ったじゃありませんか」

 ランチュウは超魔王になる前からトリボーノのご尊顔を拝しにナパースカの領主邸へと通う常連客なのであった。

 NPCにも自我があるなら、頻繁に表れる暇人の顔を覚えていない訳がない。

「抱きつくでもなくイタズラするでもなく、ただ顔を見たいだけだけって言ってましたよね?」

「うっわーゲームだからって好き勝手するもんじゃねーな……抱きついた奴いるんかい?」

 いたら殺すとランチュウの目が語る。

「いませんよ。プレイヤーは僕の体に触れないように設定されているようですから。魔獣は街に入れませんし、いたって安全な生活を送っていました」

「…………?」

 トリボーノのセリフに違和感を覚えた。

 話を魔獣から逸らさず、まるでこれからランチュウが言うであろうセリフを待っているかのような――

「坊ちゃんにとって魔獣は敵じゃないのかい?」

 ここは一歩踏み込むところだと思った。

「世が世なら僕も魔獣人になっていました……よくぞおいでくださいました超魔王様。僕たちNPC一同はランチュウ様を歓迎いたします」

 待ってましたとばかりに貴族式の作法で挨拶し直すトリボーノ。

 シッポが残っていたら猛烈にフリフリしていたに違いない。

「やっぱりか……」

 ついに見つけた。

 いや、もう見つかったというべきか。

 普段お決まりのセリフではなく、自由に出歩き普通に喋っていた時点から、ランチュウはトリボーノが、ただのNPCではないと疑っていた。

 ヘスペリデスの侵食により変貌し、いまは臨時メンテナンスでシナリオの呪縛から逃れている、ランチュウが超魔王になって以来、ずっと探し求めていた異世界の現地民ではないかと。

「もしかして、ここのNPCってみんな獣人だったのかい?」

「そこから先は私がお話しいたしましょう」

 難しい話になると察した執事が会話に割って入った。

「そりゃ有難い。よろしく頼むよ」

「喜んで」

 執事は一礼し、ナパースカの状況を詳しく説明してくれた。

「お察しの通りとは存じますが……あの領主邸は、かつて端末樹に付属する樹王の別邸だったものです」

 領主のマスカッチ伯爵は元・樹王の使用人で、妻は別邸の管理人。

 オルテナス一家のように家族で住んでいたらしい。

 執事はたまたま別邸に来ていた市長で、ゲームの侵食で人間型NPCと化し、執事に配役されていたようだ。

 街の住民たちも同様で、ヘスペリデスに取り込まれた瞬間、住民たちは決まったセリフしか喋れなくなったのだと。

 ただしそれはプレイヤーたちの前だけで、進入禁止エリアの住居内では普段通りに行動できたようである。

 カバゲームスの内部抗争が始まるまでの話だが、週に1度は定期メンテナンスでシナリオから解放されていた。

だが街からの脱出は許されていない。

 どうせ出たところで何がある訳でもなかったが――

「むしろ街から出ない方が楽に生活できたのです」

 商店街の元・獣人たちは、店の経営さえこなせば食料品や日用品、そしてゲーム内通貨であるラッグがいくらでも手に入ったのだ。

 ただ店を開けるだけで、材料どころか完成された商品そのものが無限に現れる。

 ラッグさえあれば何でも買えるし、通貨はプレイヤーたちが商品と交換してくれる。

 自分の店で扱う商品は横領できないが、しばらくするとNPC同士でもラッグと商品を交換できると判明し、プレイヤーを介さない新たな市場が生まれた。

 しかもプレイヤーが売りつけて来る物資の対価は店の無限金庫から支払われ、市場に流通するラッグがいくら増えても商品の価格が変動しない。

 無限に増え続ける商品とラッグは余って漏れて、商店街の外で暮らしている仕事にあぶれていた者たちの手にも渡り、困窮する住民は少しずつ減って行った――

「……坊ちゃんはどうしてたんだい?」

「週に1度、物乞いしてました」

 おそらく定期メンテナンスで領主邸から解放されるたびに、家族総出の金策で街中を走り回っていたに違いない。

 商人でも労働者でもなく領主になってしまった使用人一家(執事にされた市長を含む)だけが、高すぎる地位のせいでラッグの入手が最も困難な立場に置かれ、新たな流通システムから取り残されてしまったのである。

「うちの家具や調度品は持ち出せませんし、たとえ動かせたとしても売れないでしょうね」

 無限に燃え続ける魔法の蝋燭立てなど、金目の物品はあるにはあるのだが、定位置に固定され、金に換える事もできなかったらしい。

 領主邸の倉庫には、金貨がぎっしり詰まった豪華な宝箱が山のようにあるのだが、ただの背景オブジェクトにすぎなかった。

 金は持っていたのだ……ただそれがラッグでないと言うだけで。

 宝箱が視界に入るたびに泣きそうだ。

「ううっ、苦労したんだねえ…………あれれん? 領主邸の中って確か有料公開じゃなかったっけ?」

 トリボーノの顔を見たさに、常連客のランチュウは結構な額を落としている。

 課金でも全然構わないと思っているが、入場料はゲーム内通貨に指定されていた。

「1年ほど前からです。それまでは大変でした」

「これもすべてランチュウ様のおかげです」

 揃って頭を下げる執事とトリボーノ。

「あなた様に坊ちゃまの宣伝をしていただいたおかげで、収入が安定したのです」

「そういやそんな事もあったかねえ……」

 更紗がネットで紹介したのをきっかけに腐女子プレイヤーが殺到し、一時はファンクラブまで生まれた。

 会長はランチュウだったが、飽きっぽくいい加減でリーダーに不向きな百手巨人はクラブのサイトを設立しただけでやりっ放し、現在は開店休業状態となっている。

 それでも女性客は絶えなかったのは不幸中の幸い……いやトリボーノの美顔あっての事だろう。

「最近は兄と遊ぶ姿がウケて売り上げも上々です」

「しまったメンテ始まる前に行くべきだった~‼」

 終わったら即行こうと決意するランチュウであった。

 長男のメッセラはランチュウの守備範囲外にまで成長してしまったが、それでもギリギリ美少年のうちに入る。

 それが守備範囲内のショタ坊やとキャッキャウフフ……これは必見だ。

「こりゃファンクラブを再開させないとねえ。まあアタシにゃ無理ってわかってるからショウちゃんかムッチさんに押しつけるとして……ところで領主邸の入場料は誰が設定したんだい?」

 1年前まで無料公開だったのに、いつから有料化されたのか。

 そして誰が有料化したのか……しかも運営が儲からないゲーム内通貨で。

 よくよく考えてみれば、運営の仕業ならラッグではなく課金にするはずだ。

「さあ……?」

 執事も首をかしげている。

 だとすると犯人は――

「伝説の樹か」

 魔海樹は本来、ヘスペリデスの環境と生態系の維持を目的としたシステムネットワークの一端である。

 人格や知性はなくとも知能に近い高度な機能を持っているため、ナパースカ内の生態系を維持しようと、運営サイドのAIを通じてゲームのプログラムに干渉したのかもしれない。

「意外とスゲーな魔海樹。あとで詳しく調べてみよっと」

 前回接続した時は、入場料についての記録は見当たらなかった。

 いまのところ魔海樹の関与は不明だが、もっと深く潜らないと必要な情報は得られないのかもしれない。

 だとすれば、いままで制圧したすべての魔海樹を再調査する必要がありそうだ。

「……ひょっとして領主が別邸の端末で連絡した?」

 執事はともかく、元・使用人であるマスカッチ伯爵なら、魔海樹との限定的な交信ができるはず。

 端末は主に使用人同士の通信に使われているとオルテナスは言っていたが、魔王用のドレッサーにも端末が仕掛けられているし、ランチュウの知らない別の機能があっても不思議ではない。

「マスカッチ様は端末と端末樹に、1年半もかけて街の窮状を訴えておりました」

「性能いいのか悪いのかわかんねーな伝説の樹」

 魔海樹はオペレーターのスキルを持たないランチュウに様々な新機能を即座に用意してくれたのだが、使用人の優先順位はかなり低いらしく、なかなか話を聞いてくれなかったようである。

 それとも領主の連絡では動かず、一部の住民たちが困窮したから対策を立てたのか。

 餓死者が出る寸前まで事態が進行しないと、魔海樹の環境維持システムは介入してくれないのかもしれない。

「つー事は……坊ちゃんマジでヤバかったんかい」

 街の住民のうち、最も飢えに苦しみ生命の危機に瀕していたのは、おそらくトリボーノである。

「なんてこった……」

 ランチュウはたちまち青ざめた。

 餓死寸前でも体は痩せず顔色も変わらず、NPCの役割を強制されてプレイヤーたちに笑顔を向ける美少年など想像したくない。

 だが薄幸の美少年は1年前まで確実に実在したのだ。

「アタシ、そのころ坊ちゃんの顔見たさに、しょっちゅう通ってたんだよねえ……」

 涙がボロボロあふれ出した。

「ごめんねえ。アタシなんにも気づかなくってさあ……」

「いいんですランチュウ様」

 泣き崩れる超魔王の背を優しく撫でるトリボーノ。

「いまはみんな仕事ができて楽しく暮らしてますから」

 さすがは領主の息子、乞食も同然だった自分の事より領民たちの生活の方が大事らしい。

「いい子すぎる……」

 罪滅ぼしの種が、また1つ増えた。

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