第4話 わたしは緩衝材
ある日。わたしは引越しと転校が決まりました。
それは、叔母が結婚するために嫁ぐから。という理由でした。
時間を少し遡り、引っ越すことが決まる前。
「ふうちゃん、水族館行こうか」
叔母が唐突に、そう言ったのです。
わたしは悩むことなく「行く!」と答えました。水族館なんて、保育園の遠足以来。絶対に行きたい。けれど疑問でした。どうやって行くんだろう? と。
すると、水族館へ行くと約束した当日。
家の前に一台の車が止まります。
(ああ、そういうことか)
察するのは早かったです。この車は、叔母のお付き合いしてる男性の車なんだと。マセガキですね。
その時のことは、そこまで鮮明には覚えていません。ただ覚えているとすれば、水族館なんて楽しめず、ただただ早く帰りたいという嫌悪感だけ。
光景を思い出そうとしても、叔母と、そのお付き合いしてる男性の顔が、まるで黒のマーカーでぐちゃぐちゃに塗りつぶされています。
あの時はきっと一日が過ぎるのが、もの凄く遅く感じたに違いありません。
そんな出来事があって、時間は差ほど経たないうちでの引越し&叔母の婚約報告でした。
もちろんわたしに拒否権は無く、ちょっと変わった事とすれば引越しと転校が決まったので、行ってなかった学校に最後の方は少し通ったことでしょうか。
ちょうどわたしが小学校三年生に上がるタイミングで引っ越すというので、春休みになる前の数ヶ月はちゃんと通った記憶があります。その頃には、多分いじめは落ち着いて居たのでしょう。
引越し当日。
わたしは予期せず、次の試練と対面しました。
母のお付き合いしてる男性です。
引越し業者を頼んだのかどうかは覚えてません。
ただわたしは引越しの日は母と、その母の彼氏の車に乗って、引越し先である東京の某所へ向かったのです。
──驚くことにたった三ヶ月と少しの間だけ、わたしは東京へ移り住みました。
三ヶ月だけ。これだけで、勘の良い方なら察しはついてしまったかと思います。
東京での生活が始まり最初こそ、順調かな? と疑問符が頭に浮かびつつ、わたしを“緩衝材”にして彼氏とデートした叔母です。結婚は見事に無理でした。
というのも東京へ引っ越すと、叔母は猫と犬達と共に婚約者となった彼氏の実家に移り住みました。
わたし、母、祖母はといえば、叔母が嫁ぐはずの彼氏の実家付近のアパートへ住むことに。
この段階で今更お伝えするのも何ですが、過保護扱いなのは何もわたしだけではなかったんです。叔母もバッチリ過保護の対象です。
話が脱線しましたね。
なぜ叔母が嫁げなかったのか。それは彼氏の猫と犬たちの対応に問題があったと聞いています。
婚約をした際は彼氏さんも動物が好きだからと、家の中全てとはいかなくても、ある程度自由にストレスフリーに近い環境でお迎えしてくれる約束でした。
けれどもいざ一緒に暮らしてみたら、猫と犬たちに与えられた部屋はとても狭く、ストレスの溜まる環境下に置かれてしまいました。これでは約束が違うという事が発端となりました。
わたしも叔母が移り住んだ日は母と祖母と一緒に、叔母の彼氏の義両親への挨拶へ付き添いました。その時には、もう犬猫たちが狭い部屋に追いやられていたのは覚えています。ただその時は、荷物が片付くまでの一時凌ぎに当てがわれた部屋だと思ってました。
なにせ叔母の彼氏の実家は大きく土地もあり、わたしからしたら豪邸に見えたのです。実際、部屋数もたくさんあったとか。
叔母という女性は、わたしたち家族と同じ、もしくはそれ以上に動物至上主義です。(それはわたしも同じ)
なので言ってしまえば、よっぽどベタ惚れしない限り、内に秘めた男の位置付けなんて三位や四位といったところです。
なのになぜ嫁ごうとしたのか。
それは、叔母にも色々あったんだと思います。子供が欲しかったとか、母である祖母を安心させたかったとか。
けどうまくいきませんでした。
猫や犬たちのことだけでなく、きっと他にもダメだった部分はあるんでしょう。深くは聞いていません。たぶん祖母と母には伝えたと信じて、わたしは敢えてあっけらかんとしていた、はずです。
なので叔母は時間経たずして、元彼氏兼婚約者の家から猫達と犬だけ連れて、わたし達が住んでいたアパート(ペット不可)に逃げてきました。
叔母は血眼になって即入居可、且つペット飼育可な近場のアパートを見つけだし、そこで短期で猫たちと暮らしだしました。
犬だけは叔母のアパートでは難しく、母が犬をお迎えさせてくれたブリーダーさんに掛け合い、そこで一時的に預かってもらえることが決まると急いで犬を預けに行きました。
もうてんやわんやです。
そうして、わたしたち家族は三ヶ月と少しだけ東京へ住んだものの、また神奈川へと戻る事が決まりました。
三ヶ月と少しという時間だったがために、わたしも一応は転校した訳ですが、事実上は一ヶ月と半月ほどしか転校先の学校へは通ってません。
学校への在籍は多分三ヶ月間でしたので、半分しか登校していません。残りの一ヶ月と半月は、ごめんなさい、不登校です。
それでも一時的ではありましたが、友達になってくれた男の子と女の子がいました。
男の子は手のひらにちょっとした障がいを抱えてたからか、放課後遊ぶことはありませんでしたが、障がいをものともしないとても優しい男の子でした。
どういう障がいかというと、確か左の手のひらだけ指がなく、柔らかいお肉の塊といった感じでした。
神経が集中している指が無い為かひんやりとしていたけれど、ぷにぷにした気持ちいい手のひらでしたので、わたしはよく手を触らせてもらってました。
女の子の方はわたしが学校をボイコットしても、放課後は家に遊びに来てくれた記憶があります。神奈川へ戻る直前まで、遊んでくれたような。
そうして多少の名残惜しさを感じつつも、わたしは神奈川へ戻りました。今、二人がどんな生活をしているのか知る方法はありません。名前も、薄情だと思いますが覚えてません。
けれどどうか元気に、そして幸せに暮らしていてくれたと思う気持ちは確かです。
──神奈川へ戻ってきたら、わたしにとって忘れられない、忘れちゃいけない、度重なる怒涛の日々の始まりを告げました。
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