1-56 エピローグⅡ

「……ここが、そうなの?」

「ああ、そうだ。ここがオレ達の思い出の場所だ」


 壁が壊れた箱庭跡地。かつて残虐非道な人体実験が行われていた実験施設のある場所に、ジンとアリサはいた。


 二人が立つのは、箱庭の中で最も高い丘の上。そこには大きめの石が置かれただけの、質素な墓が建てられている。

 もう長いこと手入れがされていないせいで、その周辺は長い雑草が生い茂っており、墓石も雨風に打たれて表面が風化してしまっていた。


「皆、ただいま」


 静かにそう呟くと、ジンは脇に抱えていた花束を墓前に供える。

 そして合掌し、遥か昔に亡くなってしまった家族達を拝む。


(長いこと帰ってやれなくてすまなかった。寂しかっただろう。けど安心してくれ。これからは頻繁に顔を出す。だから、新しくそっちに行った家族と、仲良くやってくれ)


 そしてジンは、懐かしむように墓石の表面に手を当て、刻まれた「フィリア」の文字を愛おしそうに撫でた。


「いい場所だね、ここ」

「……複雑だな。その褒め文句は」


 苦笑で返すジンに、アリサは「ふふ」とイタズラっ子のように笑う。


 ジンは、隣で手を合わせているアリサには、猫仮面の正体がフィリアだとは伝えていない。


 アリサはあのとき、フィリアが猫仮面から自分を守ってくれたのだと、そう思っている。アリサにとってフィリアは最大の恩人であり、今も彼女はフィリアとの再会を心待ちにしている。

 そんな彼女に真実を話し、その後どんな反応をされるのかジンは恐れた。


 万が一でも、アリサから恩人を殺した仇だと思われてしまうことが怖かった。


 それでも、いつまでも秘密にしておくわけにはいかない。

 時が経ち、いつかアリサが心身共に成長を遂げたそのときに、ジンは勇気を振り絞ってそのことを伝えるつもりだ。


「なあ、アリサ」

「ん、何?」


 小首を傾げて、アリサが訊き返してくる。


 今のアリサは、頭を覆っていたフードを外し、その紅い髪を日の元に晒している。

 いつかあの人に胸を張って会えるよう、少しでも成長したいのだという。


 あまり見慣れない姿のせいだろうか。アリサのその一挙一動に、ジンはたまに目を奪われることがある。


「そのフィリアさんって人について、話してくれないか?」

「え? ……うん、いいよ。特別に教えてあげる」


 アリサは思わぬお願いに最初は動揺していたが、すぐに頷いて、思い出の恩人について語り始めた。


「あれは、十年前のある日――」


 アリサは誰かに話せることが余程嬉しいのか、笑顔を輝かせて自慢げに思い出話に花を咲かせている。

 ジンは話に耳を傾けながら、そんなアリサを微笑ましく見つめていた。


(フィリア。これで、よかったか?)


 最後にフィリアから託されたときのことを思い出す。


 彼女は言っていた。自分には、両方救うということは考えられなかったと。

 理想を見ることなく、どちらかを犠牲にして、もう片方を確実に救うことしか考えていなかったと。

 だからこそ、一度守ったのなら最後まで護り通せと。


(任せてくれ、フィリア。この子は絶対、オレが守る)


 例えこれからどんなことがあっても、どんな敵が彼女を襲おうとも。

 絶対に、アリサを傷付けさせない。あの子の笑顔は、君が願ったあの子の未来を守ってみせる。


 だから今は、安心して眠っていてくれ。


「――ねえ、ジン聞いてる?」

「ああ、勿論。続けてくれ」

「じゃあ私が何処まで話したか言ってみて」

「え、いや、それは……」

「やっぱり聞いてなかった!」


 和やかな喧騒が、崩れた箱庭の中に響いていく。


 その声は壁の中に吹き込んできた風に乗って、遠く、遠くへ飛ばされていく。

 まるで遠くに行ってしまった少女に届かせんと、空高く、風は舞っていった。


 その場所を例えるなら、栄華の果て。

 天を貫かんばかりに聳えていた白亜の塔は瓦礫の遺跡と化し、最早そこに遺されたものなど何もない。

 天頂に位置する太陽が照らすのは、行き過ぎた人の欲望の残滓。運命を変えんと人の道を外れた者達が受けた、代償の傷痕。


 そして、少年と少女が生きたという証明。


 記録を抹消され、歴史に残ることすら許されず、存在しないことになっている筈の空白の場所。


 殺風景としか言いようがない光景だが、その日だけはいつもと違った。

 賑やかな人の温かみが戻り、かつての面影を取り戻す。

 そして彼らが去った後も、その名残りは残され、吹き返した色合いは消え失せることはない。


 瓦礫の山のすぐ傍に建てられた質素な墓。

 ただ名前が刻まれた、風化した墓石が置かれているだけのその墓には、色とりどりの二つの花束と共に、白い猫のお面が供えられていた。



 ――ジン。外の世界の空は、広かったでしょ?



 壁の中にはない沢山のものが、外の世界にはあった。そしてまだまだ、ボクらの知らないことがいっぱいこの世界には溢れている。


 きっと一生掛けても探し切れないくらい、沢山の凄いものがこの世界には散らばっているんだ。


 ねえ、ジン。最期に一つ、質問だよ。


 果てがないこの世界を。


 青い空に包まれたこの世界を。


 大切な人と一緒にいられるこの世界を、キミはどう思う?


「ああ、そうだな」


 ――とっても、綺麗だ。

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神殺しの出来損ない 雪村駿介 @Yukimura555

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