1-54 最期の質問

『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!』


 何かに覚醒したように突然白い極光を吹き荒れさせたジンが、鉛の雨を弾き飛ばし、警備兵達に襲い掛かった。

 その暴れ方はまるで獣のように荒々しく、あっという間に警備兵を惨殺してみせた。


『ジン……?』


 朧げな意識の中、フィリアは暴れるジンの雄叫びで薄っすらと目を覚ました。

 靄がかかる思考の中で、フィリアは今何が起こっているのか、必死に考えを巡らせる。

 僅かな思考。視界がロクに効かない中にも関わらず、聡いフィリアの脳は今自分達が置かれている状況を正確に読み取っていた。


(ダメだ、ジン。それ以上暴れたら、キミでも廃棄処分は免れない……)


 フィリアは知っている。実験に失敗した実験動物の凄惨な末路を。

 そして、刃向かったモルモットが行き着く果ても、十分に理解していた。


(逃げなきゃ……)


 幾ら弁解したところで、自分達の廃棄は免れない。

 ならば、ここから逃げる。塔を抜け、壁を越え、外の世界に落ち延びるしかない。


(逃げなきゃ……!)


 その生への渇望が、フィリアの身体に異変を齎した。

 今まで感じなかったものを感じる。大気を周り、自分の中を廻るナニカの存在を知覚する。


 規定年齢以前における、唐突な法術士としての覚醒。

 逃げたいという一念がフィリアの法術士としての素質を呼び覚ました。

 更に幸運なことに、フィリアは同時に空間転移の固有系統も発現させていた。


(ここから、遠く離れた場所へ……!)


 理屈なんてどうでもいい。ただその願いを、フィリアはマナに呼びかける。

 そしてマナは、その願いに法術という形で忠実に応えた。


 フィリアの身体が、空間の歪みに呑み込まれる。

 術者であるフィリア自身も制御し切れない程、圧倒的な速さで。


(待って。待ってよ。ジンも、一緒に……!)


 無我夢中でフィリアは閉じていく歪みの外に手を伸ばすが、法術の進行は止まらない。

 伸ばされた少女の腕を巻き込み、空間の穴は捻れるように閉じていった。


 血溜まりの中に、千切れた腕が転がる。


 そして理性の消えたジンは、終ぞそのことには気付かなかった。


 ◆


(……冷たいなぁ)


 フィリアは空間の歪みから川に着水し、川岸に打ち上げられていた。

 片腕を失った痛みはもうない。血を多く失い過ぎたせいで、意識はもう殆どが失われていた。


 当然だ。右腕は千切れ、内蔵はズタズタ。これ程の重傷を負えば、十歳児の肉体など即死するのが当たり前。この世に踏み止まらんとする気力で持ち堪えたところで、限界はもう見えていた。


 当然の報いだ。ジンにたった一人で戦わせておいて、自分は逃げることだけを考えていた。

 たった一つ、それだけのものも大切に出来ない非人間は、ここでくたばってしまえばいい。


『この人を、治して!』


 だが、助けられた。助けられてしまった。

 綺麗な紅い髪の少女に、見ず知らずの人間の死を泣きながら拒絶するこの少女に、死にゆく筈だった命を助けられてしまった。


『あ、の……! 私、アリサって、言います。あなたの、名前は……?』


 行き絶え絶えの少女が、そう名前を問うてくる。


『ボクの名前? ああ、あるよ。大切な人に付けられた、とっておきの名前が。ボクの名前はね――』


 名乗るのと同時に、アリサと名乗った少女は意識を失ってしまった。

 せめてもの恩返しにこの子を安全な場所に移動させたかったが、隻腕では引き摺るのが精一杯で、フィリアは仕方なく、その子を置いて川を下っていった。

 自分達を閉じ込めていたあの場所に、ジンを迎えに行くために。


 だが、その三週間後。


『ねえ、ジン。どうして、待っててくれなかったんだい?』


 地面に膝を着いたフィリアが眺めるその先には、多重の隠蔽結界に隠された、内側から大穴を穿たれた巨大な壁と、その中で崩壊した白亜の塔があった。


 人為的に破壊されたことは、それが奴らに怨みを持つ者の仕業だということは、見ただけで明らかだった。

 その日からフィリアの、ジンを捜す旅が始まった。


 ◆


 とある研究組織を潰して回っている白髪の少年がいるという噂を頼りに、フィリアは大陸中を駆け巡った。


 しかしどんなにフィリアが急いでも、運命は少女の努力を嘲笑い、幾度となくすれ違いを起こし、最後までジンに追いつくことはなかった。


 誰かに協力して貰えれば、ジンと再会することも出来たかもしれない。


 しかし、少女は知ってしまった。外の世界の愚かさと醜さを。

 たかが数万の金目当てで人を殺す男がいた。

 自分の息子を奴隷商人に売り渡し、笑顔で金を受け取る母親がいた。

 他にも様々な種類の人間の醜さを、フィリアは知ってしまった。


 生まれたときから外の世界から隔離されていた彼女にとって、そんな周りの人間はただの恐怖の対象でしかなかった。


 故に、一人でジンを探し続けた。

 しばらくしてジンらしき人物の噂が絶え、その「もしも」にうなされた時期もあった。


 それでも少女は、当てなき旅を止めようとはしなかった。

 信じて探し続けた。ジンは必ず生きていると。外の世界に負けたりしないと、そう信じて。


 ◆


「――ああ、全く。思い通りにならないことばっかりだった」


 振り返った走馬灯に映っていたのは、苦痛と欺瞞ばかりが満ちた、救いようのない軌跡。呪われているとしか思えない、糞ったれな人生だった。


 もう耳は聞こえない。全身の感触はない。鼻はイカれた。口の中の血の味も、もう感じない。辛うじて機能している目も、ぼやけた映像しか見せてくれなかった。

 そこに映っている靄がかった白い像に、人生最後の愚痴を零す。


「いつか、あの子に恩返ししたかった。けど創星記に書かれたのがあの子かもしれないって知ってからは、考えないようにしていたんだ」


 記憶のあの子と創星の巫女は全くの無関係だと。そう自分に言い聞かせないと、とてもじゃないがやっていけなかった。

 いつか来る、ジンとあの子を天秤にかける未来を想像しなくなかった。否定したいがために必死に情報をかき集め、その全てがあの子が巫女だと示すたびに絶望してきた。


 ジンとアリサの両方を助けてみせると、理想を語れたらどれだけよかったか。

 しかし、世界の醜さを知ってしまったフィリアには、もうそんな世迷い言を吐くだけの純粋さは残されていなかった。どちらか片方を切り捨てることしか考えられなかった。


 それに、ジンと同じように時間が残されていなかったフィリアには、どの道これしか手がなかった。


「ボクの寿命は、十年前にとっくに尽きていた。あの日注がれたユグドラシルの力で、生きているように動けていただけ。そのボーナスタイムも、もう終わる。馬鹿だった。あの子から貰った時間を、あの子を殺すために費やした。あの子の努力を、無駄にしたんだ」


 あの少女に恩返ししたいという想いは、気付けば出来るだけ楽に死なせてあげたいという目標に変わっていった。

 生き抜くために培った剣術は、いつしか彼女を殺すための凶器に成り果てていた。


「ホント卑怯だよね。あの子を殺すって決めたのに、嫌われたくなかったんだ。ボクに笑いかけてくれたあの目が、憎しみに染まるのが怖かった。あの子の憎悪を、真正面から受け止める勇気がなかった」


 あの子に万が一でも思い出して欲しくないから、仮面をつけて顔を隠した。

 どうか些細な記録の欠片のままでいて欲しいから、声を変えて面影を消した。


 殺したいが、嫌われたくない。この不条理な矛盾のために。


「……疲れたんだ、本当に。ジンとあの子を天秤にかけるのも、どちらか片方しか選べないって、自分に言い聞かせるのも、ずっとずっと、辛かったんだ。……だからさ、これからはキミがやりなよ。一度護ったんだ。だったら、責任とって最後まで、あの子を、アリサちゃんを護り切ってよ」


 最後の力を振り絞って、義手の中に隠していたチップを手渡す。


 そこにはこれまで十年間集めてきた、神域計画についての情報が全て詰まっている。そして、ホムンクルスの寿命を引き延ばす方法も。


 精々有効活用しろよと、微かに細めた目で釘を刺す。

 そしてとうとう、光が消える。砂時計の最後の砂が、落ちていく。


(……ああ、そうだ。これだけは、最後に訊いておかないと)


 やり残した最後の悔い。

 実にどうでもいい、本当にくだらないもの。果たしてジンがそれを憶えているかも怪しい。


 それでも最期に訊かなければ。

 その本当の答えをまだ、彼の口から聞かされていないのだから。


「ねえ、ジン。最期に一つ、質問だよ」


 途切れ途切れに尋ねた、生涯最後の問い掛け。


 それを聞いたジンの顔が、どんな表情をしていたかは分からない。

 笑っていたかもしれないし、拍子抜けして口を開けていたかもしれない。


 それを見られなかったのが、本当に悔しい。


「――――」


 そして、ジンの口から、その問いへの回答が短く告げられる。


「……ははっ」


 壊れた耳はもう音を拾わない。それでも確かに、フィリアはその答えをはっきりと聞いていた。


 ――本当に、キミらしいなぁ。


 その答えに心の底から満足して、フィリアは笑いながら息を引き取った。


 生涯を他者のために捧げ続けた献身の少女は、こうしてその儚き人生を終えたのだった。

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