1-50 原初の法
ジンの意識が沈黙したことを確認すると、フィリアは貫いた体から剣を引き抜いた。
それと同時に血潮が溢れ出る。心臓は避け、重要な血管にも極力触れないようにしたが、それでも致命傷に限りなく近い傷だ。
「……大丈夫。すぐに治すから」
そしてフィリアは、少し離れたところで寝そべる少女の方を向いた。
守る者がいなくなったアリサは実に無防備だ。ここからナイフを投げるだけでも、彼女を絶命たらしめることが出来る。
だがそれをフィリアは良しとはしなかった。
この手で確実に、神器の力を使っても復活出来ないよう徹底的に彼女を殺す。
それが、フィリアの選んだ道なのだから。
「……さようなら。せめて安らかに」
アリサの傍まで来たフィリアが、血に染まった銀剣の刀身を掲げる。
これを振り下ろし、心臓を的確に貫く。昨日は首を刎ねようとして失敗したが、今の彼女であればたったそれだけのことで事足りる。
そして、フィリアは一息の内にその剣を振り下ろし――
『おいこら待てや。猫野郎』
「ッ!?」
――刹那、天から一条の雷光が落ちた。
雷閃は銀剣の刃を打ち、フィリアの下した必殺の一撃を大きく跳ね返す。
そしてアリサの真横を通過した熱い物体。雷速で駆け抜けたそれは、フィリアの胴体を掴み、巻き込む形でその速度のまま空を駆けた。
大河の濁流の如く荒々しく走るそれは、建物を突き破り、地面を削り、植木の大木を薙ぎ倒しながら、それでも途切れることなく駆け抜けていく。
「こ……の……! しつこい!」
稲妻によって高熱に晒されながらも、それを耐えるフィリアの右腕から、鈍色の光が発生する。
途端に霧散する雷の奔流。
その中から現れた金茶髪の男の拘束を抜け出し、フィリアは男を蹴り飛ばした。
「ちぃっ! 相変わらず厄介な光だな!」
「それはこっちのセリフだ、死に損ない!」
その男、ライトの乱入に、フィリアは忌々しいと顔を憎悪に染め上げた。
あと少しだった。あと少しで、己が本願を達成出来たというのに、まだ自分の邪魔をする者がいるのかと。
「どけ!」
「っ!」
大地を蹴り抜き、瞬きする間もなくライトに肉薄する。
ただでさえ重傷の身。更に先程の法撃で残りカスも残らないほど力を使い果たしたライトには、彼女の一撃を防ぐ術は残されていなかった。
走る一閃。
血飛沫を上げて、乱入者はなす術もなく倒れ伏した。
「……バーカが」
しかし、フィリアが倒れるライトの横を素通りしたそのとき、彼は確かにそう言って嗤った。
まるで自分の目的は果たされたと。お前は負けたんだと、願いの成就を目の前にしたフィリアをそう嘲笑っていた。
「俺は数秒稼げば、それでよかった。変な感傷に浸らず、テメエはさっさとアリサを殺すべきだったんだ」
フィリアがそのことに気付いたのは、再びアリサに剣を振り下ろそうとしたその瞬間だった。
自分の背後で、何かが動く気配。
しかもその気配を感じるのは、ジンが倒れ伏している筈の場所だった。
――あり得ない。
確かに刃に貫かれた程度では、ホムンクルスの強靭な肉体が死ぬことはない。
だがそれでも、大怪我の部類に入ることに変わりはないのだ。起き上がれる筈がない。そんなことはあり得ない。
あり得ない、筈だというのに。
「何でキミは、立っちゃうかなぁ……」
ゆっくりと振り返ったフィリアが苦々しい笑顔で見つめているのは、胸に巨大な傷を負った状態で立ち上がったジンの姿。
フィリアにはどういう仕組みか知る由もないが、ジンの胸の刺し傷が淡い光に包まれ、徐々に癒えていくのが見えた。まるで、時間が逆戻りに再生されていくように。
「おはよう。フィリア」
「おはよう。ジン。出来ればもう少し寝ていて欲しかったんだけどね」
「それは出来ないな。残念だけど」
「それは、この子を助けるためかい?」
フィリアの問い掛けに、ジンはふっと穏やかな笑みを浮かべて、
「それだけじゃないさ」
フィリアがその言葉を聞いたのは、己の背後。
先程まで十数歩離れた距離にいた筈だというのに、気付けばジンは背後に立っていていた。
「な……っ!?」
急いでフィリアがその声の方に身体を向かせようとするが、次の瞬間には、景色が上下反転していた。
いや、これは自分が飛んで――
「がっ!」
思考が整理されるよりも早く、頭が地面に激突する。
軽い鈍痛に頭を押さえながら立ち上がると、さっきまで自分がいた場所にジンが佇んでいた。
「どういうことかな。転移術じゃないよね? 今の」
「速く走っただけだ。まあ、ちょっとした過剰なドーピング入りだがな」
話している間に、ジンの傷は殆どが癒え切っていた。
その驚異的な治癒力と、さっき見せた驚愕的な脚力にフィリアが警戒を強めながら剣を構える。
「ねえ、いい加減しつこいよ。ボクはその子を殺しさえすればそれでいいんだ。会ってたった数日の関係でしょ? そこまでして守りたいものなのかい?」
「ああ。この子は殺させない。そしてこれ以上お前に、自分にしたくないことを強制させたりもしない」
「……何だって?」
その言葉を聞いたフィリアの目が、より険しい色を纏う。
その視線を真正面から受け止めるジンの周囲を、白い光に見えるナニカが渦巻いていく。
「お前にも何か事情があるんだろう。だが言わせてもらう。知ったことか! アリサもお前も、オレにとって大事な仲間だ。仲間であるからには、絶対に助けてみせる! 『起動:
そして旭光が、流転した。
嘗て、白亜の塔と呼ばれる研究機関が存在した。
彼らが人としての倫理を投げ捨ててまで達成したかった悲願の名は、『神域計画』。
その概要は人工的高位存在――神を人の手で生み出し、創星記の絶対証明を成し遂げるというもの。
そして『神域計画』には、唯一の成功例が存在した。
かつて失われた神器の力をその身に埋め込んだ、世界でたった一人の神器と人の融合存在。
その名は――
「名称、識別番号一番。偉大なる名付け親に授けられた名はジン! 初めて人間にしてくれたこの大恩、今こそお返しする! 何としてもお前を止める。行くぞフィリア!」
ジンの
其の名は、永久機関。
寿命と引き換えに人智を超えた力を齎す、原初の法の一つである。
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