1-43 絶対王者

「クカカカカカカカカカカッ! 何と素晴らしいことか! 失敗作などと聞いて元から期待などしていなかったが、これはこれは嬉しい誤算だ!」


 帝都中を、喧騒などと生易しく言い表せない悲鳴と罵声が飛び交う。


 助かったと気を緩めた彼らを、恐怖のドン底に突き落とした怪物は、悠々と街中を闊歩し、手当たり次第に動く血袋を握り潰していく。


 そしてそれを、高き塔の上から見下ろす法衣を身にまとった狂人が一人。


 神を信望する筈のその男は、ユグル教徒異教徒関係なしに入り乱れる恐怖の劇場に、酔い痴れるかのように頰を上気させている。


「異教徒共よ、死にたまえ! 同じ神の元に仕える我らが同士達も安心なされよ! 貴殿らの魂は聖戦の礎となり、いずれ伝説として語り継がれていくであろう! 悲しむことはない!」


 実に自分勝手な妄言を吐き散らしながら、ユグル教司祭にして、この惨劇を作り出した元凶、ベルダは、本気でそう信じているかのように純粋に目を輝かせていた。


「運び屋の方は難なく事が進んでいるようだな。結界装置の一部が壊されたと聞いたときは失望したが、流石は金のために命を狩る野蛮な人種と褒めておこう。私が教皇となった暁にはあのような野良犬は徹底的に根絶やしにするつもりだが、その功績に讃えて奴隷として飼ってやろうではないか」


 ベルダが目を向けるのは、ドーム状の不可視の大結界。本来結界の内外を行き来することは不可能だが、予め登録しておいた転移魔法陣を使えば問題ない。


 お陰でベルダは、結界の内外の戦況を知ることが出来ていた。


「……しかし、これが我らが教国に次ぐ軍事力を誇る帝国の実力なのか? やはり、頂点とその他のゴミでは、どんな称号を持とうが勝負にならん。所詮は異教徒の治める蛮国か」


 これなら、帝城を落とすことすら容易いのではないのか? とベルダは冗談で口ずさんでいたが、何度も繰り返し呟く内に、その言葉が重みを増していく。


「…………なるほど。確かに、かの創星樹を解放し、真の選別によって選ばれたとしても、それだけでは教皇としての箔がイマイチだ。いっそのことこの国を落としてみせれば、私は歴代最高の教皇として歴史にその名を刻むのではないか!?」


 仮に彼の作戦が万事上手くいき、アリサからユグドラシルを離したとしても、自分が担い手に選ばれる根拠など全くない筈だが、そんな仮定はこの狂人の頭の中には元から存在していなかった。


 描かれた己の最高の未来に、そう進むに違いないと確信した未来に、ベルダは恍惚とした表情をその顔に刻む。


 そして犯した。恐らく彼の人生の中で、最も愚かだと言い切れる愚行を。


「聞け、我らが神の温情により生かされている失敗作共よ。これより貴様らに、未来の神の化身に貢献するありがたき機会を恵んでやろう」


 本来あのカエル頭のバケモノに、自己と言うものなど存在しない。


 元々あった薄い自我などとうの昔に消え失せ、歪んだ本能のままに殺戮を繰り返す、生物としての欠陥品。


 しかしそれでも、脳を直接弄り、ある特定の人物の声に従順に従うよう洗脳することは可能だ。

 今帝都中に散らばる全てのバケモノは、どれもがベルダの声に従うよう調整されている。


「帝都の中央に君臨するかの帝城を落とし、私に国落としの称号を献上するのだ! 結界内の個体は、より強く、多いマナ反応を襲え。なに、小難しいことは言わんとも。全部皆殺しにしろ。初期命令に変更はない」


 直後に響き渡ったのは、何重にも重なった耳障りなバケモノの雄叫び。

 それはまるで、王に忠誠を誓う臣下の如くだったという。


「征け。『神域計画の失敗作』よ」


 聖職者とは思えない下卑た顔で、ベルダは己が栄光の一手を――


 ――自ら詰みへと向かう最悪手を、高らかに宣言した。


 ◆◆◆


『GYAAAAAA!』

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAA!』

『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』


 バケモノが迫る。

 バケモノの群れが迫る。

 緑がかった肌色が、帝城へ繋がる道路を埋め尽くす。


 その数は十や二十に留まらず、目視出来るだけでも百体を超えていた。


「城門を閉じろ! 急ぎ桟橋を上げろ! 帝城は我ら近衛騎士団が死守するのだ!」

「「「イエッサー!」」」


 必死の形相で支持を飛ばす近衛騎士長に、部下達が忙しく走り回りながらも綺麗に重なる返事を返す。


 しかし、近衛騎士団及び居合わせていた騎士兵が全力で対処に回っているが、それでも間に合うかどうかギリギリのラインだった。


 帝城とはいわば、文字通り最後の要。

 どれだけ街を壊されようが、皇族さえ残れば幾らでも再起は出来る。


 そのためにこの帝城は、帝都の地下シェルターの何倍もの強度を誇る要塞としての機能も備えている。


 本来ならば、急ピッチで終わらせれば五分と掛からずに要塞化は完了していた筈なのだ。それなのに、こうも後手後手に回ってしまっている。


「クッ! 周辺住民の避難など請け負わねば、とっくに準備は終わっていたというのに……!」


 近衛騎士長の歯痒そうな恨み言が、喧騒に包まれる城壁内にやけに響く。

 そう。この対応の遅れはひとえに、他ならぬ皇帝陛下の勅命故だった。


『例え皇族が生き残ろうとも、民草が死に絶えた国は最早国ではない。急ぎ、周辺住民をこの帝城に避難させよ。貴賎は問わない。万民を受け入れ、ギリギリまで終わらせてはならん』


 人民を思うために、自らの危険も顧みずに、あのお方はそう命じた。

 賢帝の名に恥じぬその慈悲深さは、あまりにも神々しく輝いているものの、


「貴方様に万が一があったら、それこそ元も子もないでしょう……!」


 だが、嘆いたところでもうどうしようもない。

 既にバケモノの群れは帝城の目と鼻の先。


 桟橋の回収はもう間に合わない。半分も上がりきっていないあの高さなら、報告に聞いていたバケモノの身体能力なら容易く飛び越えてしまう。


 桟橋より内側に攻め入られてしまえば、雪崩の如く押し寄せたバケモノの波に城門はあっさりと崩壊してしまうだろう。


 一体どうすれば――


「全くだ。幾ら国民が生き残ろうが、皇族が死に絶えたらそれこそお終いだってのに。あの爺さんは賢帝には違いないが、自身を顧みない皇帝なんざ最悪の愚帝だ」


「ッ!? 貴様、皇帝陛下に何たる口……を……」


 皇室を信望する者なら卒倒しかねない暴言の数々。


 瞬時に憤怒で顔を烈火の如く燃え滾らせた近衛騎士長だったが、振り返った途端、その赤みが一気に青白く変わる。


「俺の隊の殆どが出払ってるときに攻めて来るなんて、今回のテロ首謀者は随分頭が回るな。少なくとも、今バケモノに指示を飛ばしてる奴じゃない」


 そこに立っていた金髪の男は、緑に埋まった世界を見下ろし、翡翠の目を細めたかと思うと、――何と、城壁の窓から一気に飛び降りたのだ。


「お、お待ちを!」


 近衛騎士長が慌てて窓枠に駆け寄るが、その男は既にバケモノがよじ登る桟橋まで降りてしまっており、


『おい、桟橋下ろせ。そっちの方が城が汚れずに済む』


 叫んでいるわけでもないのに、遥か眼下にいる筈の男の声が近衛騎士長の鼓膜を大きく揺さぶる。それはどうやら城壁内にいる他の近衛騎士も同様であった。


 その「どっちでもいいけど、やるんだったら早くしろ」と言外に語る声に、近衛騎士団総員背筋をこれでもかと伸ばして、


「ははぁッ! 聞いたか貴様ら! 今すぐ桟橋を下ろせ! あのお方の気を煩わせるな!」

「「「サー! イエッサー!」」」


 先程以上の気迫で、上がりかけていた桟橋を一気に元通りにせんと、近衛騎士団が装置をと向かう。


『GYAA!』


 既に目の前には、桟橋を登ってきたバケモノの拳が迫っているというのに、男は構えることはおろか、目を向けることなく城壁の方を見つめており、


『GYA!?』


 理性のない筈のバケモノの醜い貌が、驚愕に歪む。


 全てを粉砕し、握り潰してきたその自慢の拳が、目の前の男を砕こうとした瞬間、逆に粉々に粉砕されてしまっていたのだ。


 あり得ないその現象を前に、バケモノは戸惑うものの、それでも後退は許されないのか再び男に襲い掛かった。


『GYAAAAAAAAAAA!』


 残った三つの拳で、バケモノが三方向から男の肉体を打つ。

 一度だけではなく、何度も拳を叩き付けるが、目の前の男はこちらを見向きもしない。


『GYAAAAAAA!』

『GUAAAAAAA!』


 他のバケモノも参戦し、男を取り囲む形で、鋼鉄を容易くへし折る膂力を存分に打つけていく。

 しかし、それでも男には一切の傷が付かず、逆に打った拳のどれもが、卵の殻のようにグシャグシャに潰れていた。


 まるで、絶対に壊れない壁を全力で殴ってしまったかのように。


『GYA!?』

『GAAU!?』


 バケモノの肉体が、見えないナニカによって両断される。

 鋼鉄の鎧を凌駕する強度を誇る肉体が、ナイフに刺された果実のようにあっさりと。


 仲間が屠られる瞬間を目撃し、男を避けていくのが合理的判断だと直感で感じたのか、バケモノは突っ立った男の横を素通りしようとして――そのどの個体も、例外なく両断され、汚い体液を飛び散らせていた。


 そして、丁度そのときに、桟橋が完全に下され、男とバケモノの群れの間に巨大な一本道が築かれた。


 それと同時に、ダムが崩壊するように緑色の奔流が桟橋に雪崩れ込む。


「作業完了致しました! ご健闘をお祈りします!」


 ビシィッと強く敬礼し、近衛騎士長は一人背を向ける男に敬意を示す。


「ご苦労、近衛騎士団。後で美味い酒奢ってやる」


 そして桟橋に立つ男は、その敬意に応えてみせんと、バケモノの群れに足を踏み出した。


『『『GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』』』


 バケモノの雄叫びが大気を震わせる。

 一気に乗り込んだバケモノ達の体重で、分厚い桟橋がギシギシと軋む。


 歴戦の魔法師ですら逃げ出すであろう、屈強なバケモノの洪水は、


「“止まれ”」


 男の一声によって、完全に堰き止められた。


『GYAGYA!?』


 全力で桟橋を蹴っていたバケモノの先頭が急停止する。


 バケモノ自身の意思ではない。まるで見えない壁に激突したかのように、そこから先に進みたいのに進めないと、己が目の前にあるナニカを必死に叩いている。


 だがそんなことが出来たのは、一秒にも満たない僅かな間のみ。

 瞬きをし終える頃には、先頭に立っていたバケモノは後続の波によって押し潰され、更にその憐れなバケモノの運命を辿るものが続出していく。


 見えない壁は、何十ものバケモノが全力で突進してもビクともせず、バケモノの津波は男の手によって完全に堰き止められていた。


 しかも、その見えないナニカは前方だけに張られているのではなく、桟橋の縁に隙間なく敷かれ、バケモノの最後尾の背後まで展開しており、挙句の果てに上下にも構えられていて、


『GYA……GYA……!?』


 バケモノ達は気付いた。この男が今から何をしようとしているのかを。

 消えていた筈の理性が、恐怖という形を得てバケモノ達に芽生える。


『『『GYAOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO――――ッ!』』』


 パニックに陥ったバケモノ達が、その拳を全力で前方の壁に打つけ始めた。


 芽生えた欠片ほどの理性が、本能が告げているのだ。ここから抜け出せねば死ぬ、と。

 だがその必死の抵抗を嘲笑うように、彼らを囲む見えないナニカは皹一つ入ることはなく、逆にバケモノの拳が己が膂力に耐え切れずに潰れていく。


「……元の人格が、ショックで元に戻り始めたか。白亜の塔も酷なことをする。駒として扱うなら、徹底的に心を廃しておくべきだというのに」


 男の瞳に、僅かながらの憐憫が宿る。


 しかし、同情はすれど、そこに容赦の二文字は微塵も存在しない。

 己が意思ではないとはいえ、彼らは国民を害し、帝城を襲撃しようとした。

 それだけで、十分敵としての線引きは済ませてある。


 そして、一度引かれた線は、容易なことでは塗り消すことは出来ない。


「死ね。失敗作のホムンクルス。来世というものがあるのなら、次は真っ当な生命として生まれ落ちるんだな」


 開いた掌を、男は一気に握る。

 その動作に合わせるように、バケモノを囲っていた見えない立方体が一気に縮小し、拳と同等の体積にまで収縮させた。


 顛末は語るまでもない。

 帝城に攻め込んだカエル頭のバケモノ、総勢三百四十八体。


 一体一体が帝国騎士軍の上位騎士に匹敵する正真正銘の怪物の群れは、桟橋が繋げられて僅か二分と経たずして、その全ての生命反応を完全に消失させた。


 たった一人の男に一つの擦り傷を付けることも叶わず、無視して帝城に攻め込むことも、逃走することも、更には肉体の存続すらも許されずに、醜い怪物はただの血痕と化したのだ。


「さて、部下達にばかりいい格好させられない。俺も働くとするか」


 その男の名は、アーク・レン。

 絶対王者の名を誇る、イリアス帝国最強の盾である。


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