1-35 実力の差

 ライトの振り下ろした雷刃は綺麗な弧を描いて、真っ直ぐ猫仮面の首を斬り裂く筈だった。

 雷鎖の拘束は完璧。どう足掻いたところで、抜け出すことなど不可能な筈だった。


 ――だがそれでも道化師は、嗤うことを止めはしなかった。


「リアクター起動。全て薙ぎ払え“贋作銀腕アガトーラム”」


 猫仮面の右腕が、鈍く光る。


「なっ――」


 猫仮面の右手の変化を感じ取ったライトが即座に後退するが、その動作はあまりにも遅過ぎた。

 鈍色の光が右腕から放出され、身を縛る雷鎖を強引に破壊する。


 リアクター。又の名をエーテル粒子加速補助機。

 魔導管融合率の低い法術士が、強力な法術を行使する際によく使われる媒体。


 中に組み込まれた人工魔導管内でマナを加速させ、予め仕込まれた特定の法術を自動で発動するという、科学と法術の融合における象徴。


 猫仮面が右腕に見せかけた義腕型リアクターに仕込んであった法術は、『非行使権限

《キャンセラー》』。


 マナ同士の伝達を阻害し、法術をただのマナの粒子の集合体に分解する反転術式。


「油断したな。こっちはとうの昔に義腕だ」


 拘束から解放された猫仮面は、体勢を崩していたライトに一瞬で肉薄し、銀光の刃を突き出した。


「しまっ――」


 しかし、ライトの意識は完全に意表を突かれたが、肉体の方は別だった。

 幾度となく実戦で鍛え上げられたライトの身体は、迫り来る死の危険に対して無意識に反応していた。


 正確に猫仮面の首筋向けて振るわれる雷刃。

 猫仮面がライトの体を貫くよりも、一瞬早く斬り裂く絶妙なタイミングだった。


 勝ったと、ライトが確信した瞬間、


「――■■■■■こそが、白亜の塔の母体だ」

「ッ――!?」


 囁かれる、最も求めていた情報。

 ライトの予想していた通りとはいえ、その事実への動揺は全身にまで広がり、それはナイフを握る手も例外ではなかった。


 結果、


 ――ザクッ


 その肉体を、銀光の刃が貫く。


「…………ゴフッ」


 視界の情報にライトの意識が追い付き、そして口から大量の血液を吐血する。

 続く激痛。それが自分は刺されたという事実を信号として告げてきた。


「クソ……が……」

「そう自分を卑下するな。このリアクターが無かったら、勝っていたのは間違いなくお前だった。それにあのような卑劣な作戦を使って勝ったところで、ただ惨めなだけだ」


 抜き取られる刀身。勢いよく噴き出す血潮。


「本来君が勝っていた。いや、この勝負の勝者は間違いなくお前だ」

「…………」

「だから、誇りながら死んでくれ」


 倒れ伏したライトの首目掛け、猫仮面は一気に剣を突き下ろした。


(……ああ、強えな。コイツ)


 ゆっくりと迫る剣先を眺めながら、ライトは呑気に敗北の二文字を噛み締める。


 猫仮面は惨めだと言っていたが、そう感じる必要はない。

 最後ライトに囁いたあの一言は、猫仮面にとっても賭けだった筈だ。


 勝負に出て、勝った。ただそれだけのこと。


 更に言えば、これは試合ではないのだ。最後に立っていた者こそが勝者。

 例え、それがどんな形であったとしてもだ。


「――ああ、どんな形であってもな!」

「ッ!」


 首を捻り、ギリギリのところで凶刃を回避する。

 全身の筋肉を稼働させ、地面を跳ねて立ち上がり、ガシィッとポンチョの奥にある、猫仮面の胸ぐらを強く捻り掴んだ。


 火事場の馬鹿力とでも呼ぶべきか、重傷を負っているにも関わらず、その膂力は平時のものを何段階も上回っていた。


「お前、まさかそれは……!」


 猫仮面の声に、これまでにない焦りが生じる。

 その目が凝視するのは、ライトの左掌で荒れ狂う凝縮された雷の宝玉。


 それが意味することなど、一つしかない。


「自爆する気か、ライト・ニーグ!」

「はは、竜撃隊舐めんなよ、猫野郎!」


 そして、雷玉が弾けた。


 同時に解放される千の雷。即席の魔法故に本来の威力の半分も出ていないが、至近距離で直撃すれば、魔法師一人殺傷することなど児戯に等しい一撃。


 そしてそれは、例え術者であろうと例外ではない。


 ライトの視界が、凄まじい光量によって一気に焼き尽くされ、爆音は鼓膜を破り、激しい耳鳴りが脳裡を揺さぶる。


(ジン。あとは任せた。どうか、アリサを――)


 プツリと、限界を迎えたライトの意識がようやく途絶える。

 だがそれでも、意識を失ってしまっても、ライトは握り締めた右手を手放すことはなかった。


 集中爆撃の跡地を彷彿させる程に、徹底的に焼き尽くされたその空間は、千雷が収まった今でも高温の空気を帯びており、酸素が電気分解されることで生み出されたオゾンがその空間を漂っている。


「……流石に、無傷とはいかないか」


 その死の世界の中心に、ただ一人ボロボロになりながらも佇んでいる人物が存在した。

 高温でポンチョは焼け落ち、鈍く光る右腕の余熱に苦しみながらも、猫仮面は健在だった。


「何て奴だ。自分が死ぬかもしれないというのに、躊躇なく法術を暴発させるなど理解不出来ない」


 その面が見下ろすのは、全身に軽い火傷を負った金茶髪の男。


 胸の傷を含め、致命傷と疑わない重傷だが、あの高熱量で人としての原形を保っているなど信じられないことだ。


「私がリアクターで打ち消していなければ、確実に死んでいた。まさか、それを見越しての行動だとでもいうのか……?」


 猫仮面のリアクターに刻まれていた『非行使権限』を一発で看破していたのなら筋は通るが、それでも一か八かの賭けだったに違いない。余波で生じる高熱は、猫仮面のリアクターを以ってしても掻き消せないのだから。


「む、流石に今ので壊れてしまったか。よくもやってくれたな」


 猫仮面はライトの懐にあった円盤型の機会を掴み上げるが、それが三分の一程溶けて欠けてしまっていることに気付き、落胆して空を仰ぐ。


『何だ、今の爆音は!』『凄い光も見えたぞ!』


 先程の法撃爆発に釣られて、何人もの野次馬と憲兵がやって来る気配が伝わってくる。


「命拾いしたな、ライト・ニーグ」


 ライトを殺すだけの余地はないことはないのだが、猫仮面の目的はあくまで、しばらくの間この男を活動不能状態にすること。わざわざ殺す必要はない。


 寧ろ、トドメを刺すその僅かな時間で憲兵が追い付いてしまうかもしれない。今ここでライトを生かすことよりも、そちらの方が遥かに面倒だ。


「それでは、さようなら」


 そう言い残し、猫仮面の姿が霞となって消えていった。


 卑劣さで負け、非情さで負け、最後の策でも倒し切れず、全てを含めた『実力』で敗れた。


 言い訳の余地など何処にもない、完璧な敗北。

 残されたライトは意識無きまま、その二文字を真の意味で噛み締めるのだった。

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