1-34 情報
「取引だと?」
「そうだホムンクルス。安心したまえ、君に損はさせない」
「……断る。お前とこれ以上話をしたくないし、こっちはこの通り連れを運んでいる最中だ」
「私が提供するのは、『白亜の塔』の情報だ」
「ッ!」
「目の色が変わったなぁ。ホムンクルス」
ベルダは怪しい光を灯す目を、ゆっくりと細める。
それは、かつてジンが飽きる程見てきたあの目。こちらを人以下のナニカと見下す、あの目。
ベルダは先程ジンに敵意はないと告げた。当然だ。自分より存在が矮小だと信じて疑わない相手に、何故敵意を示すというのか。
「その情報が、本物だという証拠は?」
「我らが神の名の下に、一切の嘘偽りを語らないことを語ろう」
「それじゃあ駄目だ。あんたが嘘の情報を掴まされている可能性だってあるんだからな」
ベルダがジンに向けるのは、侮蔑、嫌悪、軽蔑、唾棄。
被造物であるジンを見下し、自分がまるで圧倒的高位に立っていると信じ切っている。
「いいだろう。では軽い情報の確認といこうじゃないか。それで私の情報が本物だと分かってもらえる筈だ」
ベルダは大仰に両手を広げると、恍惚とした気色の悪い笑みを浮かべる。
「知っての通り、『神域計画』の概要は『人工的な法術士の作成』となっているが、勿論こんなものは建前だ。愚かな貴族からの布施をいただくためのな」
「……ああ」
神域計画て何? とは流石に聞けなかった。
「その実態は、『人工的高位存在の創造』。純粋な材料で生み出した
「そうだな」
《知らない単語のオンパレードですね》
(ちょっと黙っててくれるか? 整理するのに忙しい)
全く知らない未知の情報が頭の中を縦横無尽に駆け巡り、ジンの脳内がちょっとしたパーティーを開く。
「全てはっ! かの創星記が真実であったという絶対証明を実現するため! 法の原点は三原色という伝説。この原点に辿り着けば、全能神の存在を立証することも不可能ではない! 悪魔が在るから神も在るなどというあやふやな理論では誰も納得せんのだよ」
ここでベルダはジンが背負う、神器に選ばれた緋の少女を指差し、
「そこにいる、創星樹を簒奪せしめた巨悪程度の存在では、とても足りない!」
言いたいことを全て言い終えたのか、ベルダは一度深呼吸し、興奮して上がった息を整える。
「すまない。少々気分が昂まってしまった。しかしこれで、私の持つ情報が真実だと理解して貰えた筈だ。必要ならばここから先も話そう」
「結構だ。『白亜の塔』はとっくに壊滅した。今更過去の情報を知ったところで、オレの得になるとは思えない」
《脳がオーバーヒートを起こす前に、一旦情報が入ってくるのをやめさせる魂胆ですか》
(その通りだからホント黙ってて)
神域計画。人工的高位存在。法の原点。創星記の絶対証明。
欠片も知り得なかった情報が一気に脳内を侵食し、熱を帯びたジンの頭が危うくカオスに陥り掛ける。
そしてここに来てベルダの一言が最後の投石となり、ギリギリの均衡を保っていたジンの思考を混乱の渦に呑み込んだ。
「気にすることはない。白亜の塔の崩壊は、教会の立てた『神域計画』に組み込まれた必要不可欠なステップだ。計画自体に何ら支障はない」
「……は?」
ジンのポーカーフェイスが、砂上の楼閣のように一瞬で崩れ落ちる。
おかしい。オカシイ。奴が何を言っているのか全く意味が分からない。ワケガワカラナイ。
動揺が隠せない。呼吸が乱れる。まともに立っていられない。
「おや、これはどうやら知らなかったようだな」
ベルダが得意げに嗤うが、今のジンにはそんなものに反応している余裕はなかった。
(どういうことだ。教会が立てただと? じゃあ黒幕はユグル教会……? それ以前に神域計画って何なんだ⁉ 人工的高位存在? オレ達自身が触媒? あの実験も、ソレに近付けるためのもの? いや、そんなことは後で考えろ。白亜の塔の崩壊が計画の過程だっていうのなら、あのときの出来事は――)
全て、仕組まれていた……?
最悪の想定が、ジンの中で形を得ていく。
そしてその想定を裏付けるように、ベルダは流暢に未知の情報を語っていった。
「君は疑問に思わなかったのか? いくつか実験場を破壊し回っていた最中に、自分達を縛っていた組織はこの程度だったのかと。出資者の貴族に、どうしてろくな警備も割かれていなかったのかと。実験場の規模と組織の力のバランスが取れていないと」
「……待て」
「それは、白亜の塔など教会の一組織、すげ替えの効く末端だからに他ならない。出資者の貴族など、こちらの情報を殆ど知らないただの金貸しに過ぎん。君がやったことは、切り離された末端を潰して回っていただけなのだよ、『貴族殺し』!」
ベルダがここで盛大に嘲りの笑みを浮かべる。
だがそんなもの、始めからジンの目には入っていなかった。とてもそれを相手にする余裕がなかった。
(全部、無駄だった……? じゃあ、オレは一体何のために……)
崖っぷちまで持ち堪えていた思考が、容赦なくそこから突き落とされる。自分が為した苦行が全て無意味なものだったと知り、頭の中が絶望の二文字で埋め尽くされる。
そんなジンに追い討ちをかけるように、ベルダは口早に喋り始めた。
「そこで取引だ、ホムンクルス。私は君に時間が残されていないことをよーく知っている。そんな君に、本当の敵の情報を仔細に教えてあげよう。私にとって奴らはもう用なしだ。君が処分してくれるというのなら、実に都合がいい」
《ジン、奴の口車に乗ってはいけません》
「そんなことは、分かってる……」
言葉ではそう言っても、ジンの内心は揺れに揺れていた。
ベルダの魂胆は見え透いている。奴によって不都合な存在をジンに教えることで、自らの手を汚すことなくそいつらを処分出来ると考えている。
いや、ジンがそいつらを処分し切れるとははなから思っていないに違いない。精々、手傷を負わせられれば儲けもの程度の認識なのだろう。
だが、それでよかった。利用されてでも、ジンは奴らに復讐しなければならない。
ベルダの言う通り、ジンにはもう時間が残されていないのだから。
「分か――」
取引に乗ろうと、藁にもすがる思いでジンが発した返事は、
「そこでだ。君が背負う娘の身柄と引き換えに、情報を提供してやろうと思ってな」
ベルダ提示した条件を聞いて、言い終えることなく永遠に詰まることとなった。
「…………は?」
ジンが拍子抜けして目が点になっていることに気付かず、ベルダは赤裸々と自らの覚悟を告白し始めた。
「今我らが主たる創星樹は、言葉にするのも憚られる辱めを受けている! かの悍ましい『緋』に縛られ、力の行使を強制されるなど、本来あってはならぬことなのだ! だからこそ、崇拝する一信徒である私が、その死にも勝る苦しみから解き放って差し上げなければならない! その悪魔の末裔の凄惨たる死を以って!」
さも自分の言うこと全てが正しいと完全に信じ切った、ベルダの目。
それはジンが唾棄して止まない狂信者のものと全く同じだった。
普段のジンならば、出会ったことをその日最大の不幸として呪うわけなのだが、
「…………腹が立つな」
今このときだけは、そうは思っていなかった。そう思うだけの余裕がなかった。
身勝手な暴論。辻褄の合わないことだというのに、それを神のためにまかり通す狂った思考。
既に動揺など消え去っていた。
あるのは怒り。
この男がさっきまでベラベラと得意げに語っていた、あまりにも薄っぺらく一方的な理屈への、抑え切れぬ程の憤怒。
なあ、それだけか? たったそれだけなのか?
たったそれだけのことで、今背中に背負っている少女は迫害され、今も怒りを堪えて震えているとでもいうのか。そんな馬鹿げた戯言のために。
「もう一度訊く。何故この子をそこまで追い詰める」
「……妙なことを吐くな、ホムンクルス。貴様も見ただろう、その血の如く穢らわしい赤の髪を! その女は存在そのものが罪! 創星記に記されたように、その一族は、全能神に刃向かった悪魔の末裔だ! 悪魔の特徴を受け継いだ穢らわしい証拠こそそれなのだ!」
「じゃあオレは髪が白いから白の神の末裔だな。ほら、ひれ伏せよ。下郎」
ジンの芝居掛かった台詞を聞いて、ベルダの顔が茹で蛸のように真っ赤になる。
「この罰当たりが! 貴様らホムンクルスに祖先などおらん! そんなものがかの神々しき白の神の末裔の証拠になるものか! 無機物風情が吠えるな!」
「矛盾しているな。お前はさっき、髪の色は何の証拠にもならないと自分で証言したじゃないか。もう、アリサが悪魔の末裔だなんて言わせないぞ」
「な、何をぉ……!」
言い返したいのだろうが、自分の発言を撤回することは出来ないのか、ミルドは苦しげに呻くだけだった。
そしてジンは畳みかけた。
「じゃあもう一つ聞くが、アリサが神器を簒奪したと言ったな。どうやってだ?」
「はっ! それこそ、前教皇猊下を謀殺し、我らの象徴たる神器を――」
「どうやって殺した?」
遮る。
「そんなもの、悪魔の力を使って猊下を呪い殺したに――」
「その証拠は? お前の言う悪魔の力の存在の立証は出来るのか? それはお前達が御神体だと崇めるユグドラシルさえも縛る程強力なのか?」
指摘し、拒絶する。
「何を言うか! かの全能神のご神体である創星樹が、悪魔風情に劣るものか!」
「そうだよな。神が悪魔に侵されるわけがない。……なら、おかしいぞ」
その虚栄に満ちた偽りの事実を、徹底的に破壊する。
「お前達の神は全能神。その写し身がユグドラシル。それならどう足掻いても、悪魔に堕とされた神一柱の力じゃ敵わない。つまり、ブラッド一族が教皇を殺すことは不可能。アリサが神器を簒奪することも不可能。強制的に神器を支配下に置くなんてことは、絶対に不可能だ」
何処までも、徹底的に。
「おい、言ってみろ。こんな矛盾した糞のような教えでも、お前らが身勝手に押し付けた烙印でもなく、この子がここまで傷付かなければならないその罪を語ってみせろ!」
「ひっ!?」
その憤怒に染め上げられた形相を、噛み付かんばかりの勢いでベルダの顔面に近付ける。
だがジンはそれだけで何もせず、怒りの収まらぬまま、だが荒ぶる理性を落ち着かせながら、侮蔑の目を狂信者に向ける。
「あ、あああ……ああぁ…………」
その剣幕に当てられ、ベルダの顔からは血色が抜け落ちる。
しかし、それでもその目の狂気だけは色褪せることなく今も爛々とした輝きを放っており、「違う……違う……」と亡者のように頻りに呟いていた。
「交渉は決裂だ。帰らせてもらう」
そう吐き捨て、ジンはベルダに背を向けた。
「ま、待て! 折角の機会を逃すのか!? 君にとってその娘は、人生の目標よりも重いとでもいうのか!?」
「分からないさ、そんなこと。けど、今を必死に生きている人間とオレ個人の身勝手な願望は、天秤に掛けちゃ駄目なんだ。この子は、自分の不幸に抗って生き続けてる。オレなんかと違ってな」
それからジンは二度と振り返ることなく、その場を後にした。
背中から感じる小刻みな震えを、いつまでも気付かない振りをして。
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