1-32 真夜中の不審者

「……これ、絵面かなりヤバくないか?」

《通報されてもおかしくないですね。それ以前にアリサ嬢が目覚めたら殺されても文句は言えません》


 酒場からの帰り道。あれからジンが幾ら起こしに掛かっても、アリサの意識は全く覚めなかったので、仕方なくおぶって帰ることになったのだ。


 通信でエミリアを呼んでみたりもしたのだが、「今忙しいからジン君が持って帰って来なよー」と返されるだけで終わってしまった。あれは間違いなく、端末越しで面白そうに笑っていたに違いない。


 ジンに下心は全くないのだが、背中の感触が、こう、何か弾力のある水風船のようなものが二つ当たっているような。


《……ジン。あなたの保護者としては、一時の情欲のせいで道を踏み誤ることは感心しません》

「何のことだ! ……ていうかだな、この子本当に寝てるのか? 酔いも神器の加護で治したり出来るんじゃないのか?」

《露骨に話題を逸らしましたね。まあ、アルコールも取り過ぎない範囲では薬のようなものですから。わざわざその効果を取り除くような真似はしないでしょう。流石に過剰摂取の際には働くでしょうが》


 背負われているアリサは余程果実酒水割り一舐め分のアルコールが効いているのか、ジンの背中の上で苦しそうに唸っていた。これは二日酔いコースかもしれない。


「んん……」


 アリサが背中の上で、唸りながら身動ぎする。

 するとその動きでフードが若干外れ、窮屈に押さえつけられていた彼女の髪の一部が漏れてジンの肩に垂れ下がる。


 鮮やかな真紅の髪だった。明滅する街灯の光に照らされ、その光を薄く反射して輝く様は、ジンにはとても綺麗なものに見える。


「悪魔の血筋、ねえ」


 ユグル教の歴史も、その教えの内容も、ジンは浅くしか知らない。だがその知識の中では、ユグル教は過激な部分こそあれど真っ当な宗教だった。

 しかしその実態は、理不尽な理由で罪もない人々を迫害するというとても醜いものだった。


「勿体ないな、本当に」

《許せないではなく、勿体ないですか》

「そりゃ、許せないって感情もある。けど、オレはその迫害を受けていない。何もされていない奴が、話だけを聞いて加害者を恨むっていうのもおかしな話だろ。腹が立つことはあってもな。だから純粋に、勿体ないなって思う。こんな綺麗な髪を、教義がどうの言って一生見ないでいる奴らが、とても哀れだ」

「……」


 気のせいだろうか。酩酊して熟睡している筈のアリサの腕が、ピクリと不自然に痙攣したように見えた。

 しかし、ジンはそれを気にすることなく、次々と胸の内を口ずさんでいく。


「お前は、男が髪を気にするのは変だって思うか?」

《いいえ別に。性別に関係なく、人が自身の容姿を気にすることはごく当たり前のことです》

「そりゃよかった。オレの髪、見ての通り脱色してるだろ? 元々黒かったのに、ストレスで全部色が抜けたんだ。そのせいか、昔から他人の髪の色が羨ましかったんだ」

《それでしたら、染めてしまえばよかったのでは?》

「それも昔考えたんだが、この色は昔の家族の形見というか、まあそんなところで。忘れたくなかったから、染めるとかは考えなかったな。けど、この子の髪を見るとちょっとしてみたくなる……」


 ジンはそこでそのことに気付き、口の動きを中断した。


「髪の色が原因で迫害されるなら、何でアリサは髪を染めようとしなかったんだ? ウィッグでもいい。隠す手段は幾らでもある筈なのに」

《それは、アリサ嬢も自分の髪に、並々ならぬ想いを抱いてからではないのですか? 晒される迫害に負けないくらい強い想いが、そこには込められていたのでは》

「……そっか。強いな、アリサは」


 アリサを落とさないよう注意しながら、溢れた長い髪をそっとフードの中に戻す。


 果たして、ジンに出来ただろうか。味方はおらず、常に石を投げられる毎日。その苦痛に折れることなく、信念を貫き通すことが。


 アリサの髪を元に戻し、ジンは再び歩き出した。


「もし、そこの方」

「ん?」


 そんな二人を、暗闇から呼び止める声がした。


「少し、話を聞いていただけるだろうか」


 物陰から現れたのは、全身を真っ白な祭服で着飾った男。

 一見人当たりの良さそうな風貌をしているが、ジンはこういう奴程本性は醜いと知っていたので(偏見)、一切の警戒を解くことなく身構えていた。


「そんなに身構えないで貰いたい。私に君と敵対する意図はない」


 確かにその男の言う通り、ジンに向けられる感情に敵意は一切感じられない。

 そう、敵意は。


 男はジンの警戒が解けたと思ったのか、友好的な穏やかな笑みを浮かべると、懐から黄金の十字架を取り出した。


「自己紹介をさせて貰おう。私の名はベルダ。偉大なる創星樹にこの身を捧げしユグル教徒であり、司教の称号を授かってい――」

「すいません、勧誘の方は結構ですので」

「ちょっと待ちたまえ君ィ!」


 鮮やかなUターンで来た道を引き返すジンを、ベルダと名乗った男が慌てて呼び止める。


「何故逃げる!? まずは話を聞くのが常識だろう!?」

「常識って言いますけど、今朝上司から『定められた概念を打ち破ってこそ、我々は更に一つ先のステージへ進める』って提言されたばっかりなんでちょっと……」

「今すぐ抜けたまえ! その胡散臭い宗教団体から今すぐ脱会したまえ!」

「あ、じゃあ脱会の手続きに行ってきますんで、それじゃ」

「だから話を聞けーい!」


 ベルダと名乗った胡散臭い男は息を荒げて吠えまくるが、ジンは相手にすることなく距離をとっていく。

 こんな夜中に、人気のない裏路地で話し掛けてくるというだけでも胡散臭い上に、あの男はジンにとって何か気に食わなかった。


 更に今はアリサを背負っている状態だ。この男が名乗った通りユグル教の関係者であるのなら、ここは一切関わらずに退散するのが吉――


「――『白亜の塔』。知っているかね?」


 ピタッと、ジンの足がその場に縫い付けられる。


 驚愕、したかどうか自分でもよく分からない。

 昼間に猫仮面がそれを匂わせる発言をしたお陰で、その言葉に耐性が出来ていたのか、


「君にとっては、随分と馴染みのある言葉ではないのかな?」

「どうやら、布教活動をしに来たわけじゃなさそうだな」


 それとも怒りが一周回って返って冷静になれたのか、ジン自身にもよく分かっていなかった。

 ベルダはジンの反応を見て、一瞬で穏やかな微笑みを凶悪かつ醜い笑みに切り替え、


「取引をしようじゃないか。ホムンクルスよ」


 悪魔のような甘言を、囁き始めた。

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