1-30 少女の過去
「言われた場所に来たのはいいんだが……」
《完全に酒場ですね》
第二城壁を越えたスラムに位置する、一軒の酒場。
小さいがそれなりに繁盛しているようで、むさ苦しい男達が店内の至る所で乾杯していた。
「要件が全くないせいでどう困ってんのか分からなかったが、これはあれか。ぼったくられたのか、あいつ……」
《どうしますか、ジン。出所したての私達には全然金に余裕がないと記憶していますが》
「言われるまでもない。綺麗にUターンして新拠点に即帰宅だ」
『おーい、ジン。コッチコッチ!』
「しまった。見つかった」
もたもたしている間にライトのセンサーに引っ掛かってしまったのか、店の奥から一際大きいご指名の声が。
今すぐ逃げるべきか、とも思ったのだが、仲間を裏切った罰として後日どんな制裁が待ち受けているのかちょっと怖い。
「やっぱ来るんじゃなかったか……」
《ゲームオーバーですね。こうなったら潔くぼったくられましょう》
「そういうのは金稼ぐ苦労を身をもって知ってから言ってくれ」
トボトボとした足取りで、ジンは酒場に入り、とっても気持ちいい笑顔を浮かべた友のいる席へと近付いていく。
「よく来てくれた。久し振りに忠実な後輩が入って、俺も感極まって泣いちゃいそうだ」
「誰が忠実な後輩だ。言っておくが、金貸してとかの頼みだったら今すぐ帰――」
そこまで言い掛けて、ジンの口が言葉を紡ぐのを止める。
いや、口だけではない。その硬直は全身に及び、まるで錬金術で一瞬で鋼鉄製の肉体に変換されたように、微動だにせず固まってしまっていた。
ジンが視界に捉えているのは、ライトが座っている席の一つ隣のカウンター。
そこに在ったのは、料理を平らげられて積み重ねられた大皿と、
「うぅ……。ぎぼぢわるい……」
べろんべろんに酔っ払ってテーブルに突っ伏した、白いコートを着た紅髪少女。
「…………何だこれ」
状況が飲み込めない。てっきり酒代が払えない程度の事態だと楽観していたのだが、その予想は大きく外れていたようだ。
「まさかお前、アリサを泥酔させてお持ち帰りするつもりか……!? エ●同人のように!」
「おいコラ。勝手に人を性犯罪者に仕立て上げるな。俺は止めたんだぞ。この馬鹿が人の話を聞かずに呑むのが悪い」
「因みに飲んだのは?」
「果実酒の水割りを一舐め」
「弱過ぎないか!?」
《雑魚ですね》
アリサの意外な弱点に、ジンとトワが思わずツッコミを入れる。
脆弱。あまりに脆弱過ぎる……。
「首切られても死なないのに、アルコールには極端に弱いて……」
《もしアリサ嬢ともう一度戦り合うことになったら今度はスピリタスぶっ掛けましょう》
「トワやめろ。それマジでコイツ死ぬ」
下手したら匂いを風に飛ばすだけで無力化出来るかもしれない。
しかし、ここでジンはアリサの現状に何処か違和感を覚えて、
「――って、この子昼間のスカルホーンでは大丈夫だったじゃないか。ホントは狸寝入りしてるだけじゃないのか?」
「ああ。今は『加護』の効果が強く出てるからな。その影響をもろに食らったんだろ」
「『加護』? 何だそれは」
聞き慣れない単語にジンは頭に「?」マークを浮かべているが、トワは何か心当たりがあるのか《やはり……》とブツブツ呟いていた。
ライトはジンに取り敢えず座るように促すと、店員に麦酒を一杯注文した。勿論勘定はジン持ちだ。
ジョッキが届くと、ジンとライトは互いのジョッキをぶつけ合い、ささやかな乾杯をする。
「その『加護」についての説明なんだが、その前に一つ聞きたい。テメエ、ユグル教って知ってるか」
「そりゃ、全世界の六割の人間が加入してる超大物宗教だからな。世俗に疎いオレでも知ってる」
「じゃあ、そこの教皇が十年前にくたばったのは?」
「知ってる。老衰だってな」
傾けたジョッキの中身を一気に飲み干し、ジンは早速おかわりを要求。ついでにつまみに焼き鳥も注文した。
「ユグル教の教皇を選ぶ方法は独特でな。何でも、代々受け継がれてきた『神器』に選ばれた者のみが務める決まりになってるらしい。つまりどんなに優秀でも、神器に選別されなかったら一生大司教止まりってわけだ」
「神器……? あの超古代兵器が?」
予想だにしない単語に、ジンが焼き鳥を頰張りながら眉を顰める。
神器とは、遥か古代より存在してきた“原初の武器”。
原典にして頂点であり、至高の武具として各地に様々な伝説が残されている。
今世界に存在するありとあらゆる武器は、例外なく全て神器を模倣しようと試みた結果の失敗作とさえ言われるほど、神器は破格の性能を秘めているという。
その性能は、最早戦略兵器級と呼んでも過言ではない。
しかしそれでも、武器が人を選ぶとはどういうことか。
「何でも言い伝えでは、神器には神の意識が宿っていて、自らを行使するに値する存在を宿主に選ぶらしい。だから皆教皇の死を嘆きながらも、それ以上に神器に選ばれることを切望していた」
「なるほど。トワみたいなものか」
《ソウデスネー。トテモワタシトソックリデスネー》
何故かトワの口調がいつも以上に固い。
「そうだな。で、話の本番はこっからだ。自分達を導いてくれた教皇の死よりも、己が出世欲を優先する権威の亡者。そんな奴らに愛想を尽かしたのか、その神器はユグル教徒ですらない一人の少女を新たな宿主に選んだ。黄金の大樹――創星樹の巫女に相応しいとな」
「……黄金……大樹?」
何故かその言葉が、ジンのトラウマを激しく呼び起こした。
黄金。大樹。武器。
比較的最近、下手したら今日中に、その条件にピッタリ合致するものを目撃した覚えが。いや目撃というより、容赦なくボコボコにされたような――
「……! アリサの黄金弓!」
「大正解。アリサの持つ弓こそ、ユグル教の神器。その名も創星弓ユグドラシル。大陸に散る九つの神器の一つだ」
「創星弓……」
ジンは今一度、アリサとの模擬戦に思いを馳せる。
確かにアリサのマナ保有量は驚異的だった。魔導管融合率も80超えは固いだろう。
だがあの大爆撃は、ただアリサの素質が優れているというだけでは説明のつかない圧倒的な脅威を内包していた。
アリサが原初の武器を使っていたというのなら、あの超威力にも納得がいく。
「更に神器は武器としての性能の他に、それぞれが秘める固有の加護を宿主に授けるらしい。ユグドラシルの加護の名は『天恵』。持ち主に超速度の再生力を齎し、しかも他人に付与可能」
「あ、じゃあアリサの首の傷が塞がったのも……」
猫仮面の襲撃の際、アリサは首に大きな裂傷を負ったというのに、少し時間が経てば元通りになっていた。
それが神器の加護だというのなら、アリサは常に回復系統最上位以上の自然回復力を保持していることになる。
「……それ、実質倒すの不可能じゃないか? 無敵みたいなものだろ」
「流石にその域の重傷は再生にも時間が掛かる。失くした血はすぐには戻らねえしな」
《神器の加護も無敵ではないのですね》
「それに加護が強く働けば働くほど、その神器の影響を強く受けやすい。例えば、木の根のような圧倒的な栄養吸収力とか」
苦笑いを浮かべながら、ライトは隣でダウンしているアリサを見やる。
尤も、神器の加護が働いていたとはいえ、果実酒の水割り一舐めでここまでになるのは、アリサの元来の酒の弱さのせいであろうが。
「いや、ちょっと待てよ……」
ジンがここで顎に手を当て、真剣に何かを思案し始める。
アリサの馬鹿げた再生力は、ユグドラシルの加護によるものだった。
だがライトの話が真実なら、ユグドラシルに選ばれたアリサは世界最大の宗教団体の教皇の資格を得たということになる。いや、資格というよりは義務に近い。
では何故、アリサはイリアス帝国で軍属に就いているというのか。
ユグル教会の総本山たるユグル大聖堂は、隣国のアトランティス教国に置かれている。
何かしらの取り決めを結んでいると言えばそれまでなのだが、それでも次期教皇の護衛に一人も人材を寄越さないというのはあり得るのか。
ジンが出口の見つからない思考の渦に呑まれかけていると、ライトが急に何かの文を口ずさみ始めた。
「“神は二人の子を産んだ。神はそれらを白と黒と名付けたもうた”」
「は?」
ジンが意味の分からないものを見る目をライトに向けるが、ライトは「黙って聞け」と目で訴え返してくる。
「“白と黒は自らを割き、生き写したる三人の三原色を誕生させた。それらは緋、蒼、翠と名付けられた”」
(なあ、これ何)
《ユグル教の聖書“創星記”の一節ですね》
(よく知ってるな聖書の内容とか)
《博識ですから(ドヤッ)》
(わーすごいすごーい)
ジンが棒読みのエールを送る中、ライトの聖書詠唱はまだ続いていた。
「“緋は他の三原色と二元色、終いには全能の神にすら牙を剥き、叛逆した”」
「“だが神には如何なる力も通じず、煉獄に落とされた緋は悪魔と成り果てた”」
「“緋の悪魔は再び天に帰るため、先ずは地上を制さんと自らの眷属を遣わした。その名は緋の血脈”」
そこでようやく、ライトの聖書詠唱が終わりを告げた。
ライトは何か気分でも害したのか、口直しとでも言わんばかりに麦酒を一気飲みする。
そしてジンの方に向き直って、
「……そういうことだ。分かったか」
「すまん。全く聞いてなかったからさっきのもう一度熱唱しろ」
「もう一回あのイタいのを読めとか鬼かよ」
ライトは痛くなる頭を押さえて嘆息し、「つまりだなぁ」と簡潔に説明し始めた。
「ユグル教の聖書には、緋っていう神の一人が他の神や全能神に叛逆して倒されて、今度は地上を征服せんと自分の眷属を送り込んだって書かれてあったんだわ」
「うんうん」
「そして昔の熱狂的な信者が、その神話を確固たるものにするために緋の血脈ってのを探しに行ったわけよ。で、見つけたんだわ。この悪魔の眷属に合致する特徴を持った民族を」
《あー。読めましたその話のオチ》
「オレもだ」
さっきまで美味しかった焼き鳥が、今ではパサパサした別の物体に感じられる。
麦酒で流し込もうとジョッキの中身を飲み干すが、口内に満ちたのはただ苦々しい液体。
「他の民族には特徴しない緋い髪と真紅の眼。それがブラッド一族。アリサのご先祖様に当たるってわけだ。その後の顛末は、語らなくても分かるだろ?」
「人間って、愚鈍な奴はとことん愚鈍だな」
近年稀に見る胸糞の悪さに、ジンの中で嫌悪を超えた別の感情が芽生え掛ける。
ジンは無神論者だ。かと言って、宗教そのものを否定したりはしない。人の心の拠り所として、宗教という概念はなくてはならないものだ。
故に、基本的にジンはその宗教の考え方を肯定することはなくても否定することもない。
しかし、今ライトが語った内容は、到底受け入れることが出来ないものだった。
「じゃあ、アリサがこんな暑い中フードを脱がないのは……」
「そうだ。自分の髪と目を見せないためだ」
ここでジンは、記憶の中にあった僅かな疑問点を掘り返した。
確かアリサは自分の髪を見て怯えるチンピラを見た途端、見ただけで分かるほど狼狽し、冷静さを失っていた。
今ならその意味が分かる。
怖かったのだ。自分を人ではない恐ろしいナニカとして見る周囲の目が、何よりも怖かったのだ。
「……それでも、アリサはユグドラシルに選ばれたんだろ? ならその悪魔の眷属っていう迷信も多少は緩和された筈だ」
「それだよ、それ。その事実が、よりブラッド一族=悪魔のイメージに拍車をかけた」
だがジンの希望的観測は、非情な現実の前に尽く打ちのめされる。
「ユグル教のお偉いさん共はな、自分達が悪魔だと貶していた奴に神器が渡ったのを良しとしなかった。極一部の敬虔な信徒達からは擁護する声も上がったが、大半の連中は『悪魔の眷属が何らかの手段で神器を簒奪した』と事実を改変した。挙句の果てに、先代教皇の死もブラッド一族の仕業だとでっち上げた」
「……巫山戯るなよ」
「何も知らない信徒達は、上の奴らの言うことを純粋な子供のように信じ込んだ。そして、ブラッド一族への迫害は、以前の比にならないレベルで白熱した」
「……けど、アリサが神器に選ばれる以前に付き合っていた奴もいた筈だ。そいつらは、それを信じたのか?」
「実はな、アリサみたいに目と髪が両方紅い人間は、ブラッド一族でも他に一人もいなかった。髪に赤色が混ざってたり、目が赤みがかってるならごまんといるんだが、完全に真っ赤な髪を持った人間は、アリサだけだったんだ」
年が経つごとに先祖の血が薄まったんだろ、と続けて、ライトはお代わりした麦酒を一気にガブ飲みする。
「そんな、同じ一族の中でも異端として扱われてきた子供が、今度は神器なんてもんに選ばれたんだ。ユグル教のトップシークレットである神器の力は一般には極秘扱い。傷を負ってもすぐに回復するアリサの体質を、親でさえも悪魔だなんだの忌み嫌って、アリサに虐待を加え続けた。自分達への迫害が増した分、それはもう徹底的にな」
「巫山戯るなッ!」
周りの目を気にせず、気付けばジンはライトに向かって喚いていた。
だが、すぐに冷静さを取り戻して、
「……悪い」
「いや、いい。テメエの気持ちは分かる。聞いてて気分がいいもんじゃねえからな」
ライトに叫ぶのはお門違いだと分かってる。
しかし耐えられなかった。我慢が出来なかった。
たかが髪の色。
それで人の何が分かる。一体何を恐れる必要がある。
アリサが一体、何をしたというのだ。
ライトは申し訳なさそうにするジンを慰め、店主にジンの分も含めた代金を全額支払い、
「逃げるようで悪りぃが、ちょっと急な用事が出来た。アリサを連れて先にホームに戻っといてくれ。連れて行くわけにはいかねえから困ってた」
「あ、おい!」
「ああ、そう」
ライトは出口の手前で立ち止まる。
しかし、それはジンの呼びかけに応じての行動ではなく。
「なあ、ジン。お前が殺した貴族――『白亜の塔』に出資していた奴らを殺したのは、せめてもの復讐のつもりか?」
「……何のことだ」
「しらばっくれんな。とっくに裏は取れてんだよ」
「…………。軽蔑、するか?」
押し黙った後のジンの返答が予想外だったのか、ライトは背中を向けたまま肩を震わせ、
「しねえよ。何度も言ってるだろうが。俺は復讐容認派だと。だが、結局変われなかったみてえだな。お疲れ様」
そう言い捨てると、ライトは再び歩き出し、
「じゃ、またホームで。久しぶりに一緒に飲めて楽しかった」
手を振りながら、酒場を後にしていく。
ジンはその背中をきつく睨んでいたが、しばらくすると諦めるように肩を竦ませた。
「変われないさ。あんなことがあったんだ。だからこそ、オレは変われなかった」
ジンは気持ちを落ち着かせるように深呼吸すると、とっととアリサを連れて帰ろうと、寝息を立てる彼女の方に向き直り、
「……さて、どうやって運ぼうか」
全くそのことを考えておらず、困ったようにその少女を見つめていた。
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