1-19 感情を植えられただけの有機物

 突如響いたその声に、アリサは驚愕して息を呑み、ジンは納得したとばかりに舌打ちをして、そしてライトが「冗談だろ」と悪態を吐く。


 そこに立っていたのは、愉快に嗤う猫仮面。

 まるでライトの雷撃もジンの全力の一撃も、毛程も効いていないと言わんばかりに、その足取りは軽やかなものだった。


「上方向への警戒が確かに足りていなかった。次からは気を付けるとしよう」

「次だと? お前、この状況で次があるとでも思っているのか?」


 ジンは地面に刺してあった薙刀を抜き取ると、その刃先を猫仮面へと向ける。

 それに合わせてライトがアリサを庇うようにナイフを構え、稲光を迸らせる。


 二人から放たれる圧が猫仮面を襲うが、彼はこのピリピリと軋む空気の中であっても、全く気圧される様子を見せなかった。


「ははっ、怖いな。そんなに睨むな。私は諜報専門の、しがない運び屋だぞ?」

「よく言う……」


 その諜報専門に為す術なく敗北したアリサが、苦々しく毒を吐いた。

 猫仮面は「ま、確かに嘘だがな」と抜け抜けと付け加えると、先程自分に一撃を入れたジンに視線を向ける。


「どうだ白髪の人。私からのプレゼントは気に入って貰えたか?」

「そう見えるか? オレは身体を傷付けられて喜ぶなんて特殊な性癖持ってないぞ」

「テメエどっちかって言うとMだろ。どうせそれもわざと受けたんだろ?」

「うるさい」


 ジンの足の傷に気づいたライトの揶揄いに、ジンは全力の顰めっ面で対応する。


「クククク……!」


 そのやり取りの何が面白いのか、猫仮面は身を捩らせ、必死に笑いを噛み殺していた。


「……何かおかしいか」

「いやいや、すまないな。あまりに奇怪過ぎて、笑いを堪えることが出来なかった」


 殺意の込められたジンの眼光を向けられても、猫仮面は全く怯むことなく、口を動かすことをやめはしなかった。


「何せ、感情を植え付けられただけの有機物が、見事に人間社会に溶け込んでいるんだ。必死に人間に擬態しようとするあまりの滑稽さに、感動すら覚えてしまう。ああ、実にホムンクルスとは愚かだな」


 瞬間、空気が変わった。

 何かの錯覚でなければ、確かにこの空間一帯に満ちる空気の温度が一気に下がった。


「有機、物……?」


 そのことについて一切知らないアリサが、訳も分からずその言葉を反芻する。

 だがそれ以外の者――その言葉が取り巻く事情を知っているライトと、


「――おい」


 当本人であるジンの纏う空気は、先程とは明らかに一線を画していた。


「お前今、何つった」


 直後、地面が爆発した。

 否。実際には爆発したというよりは、ジンの蹴った地面がそのエネルギーに耐え切れず弾け散ったという表現が正しい。


《ジン、落ち着いて下さい!》

「うるさいッ!」


 爆発的な速度で猫仮面に肉薄したジンは、トワの制止も振り切って全力で拳を振りかぶった。


「来い。遊んでやる」


 猫仮面は銀剣の刃を横に構えて、その拳を真正面から受け止めた。


 激音が、轟く。

 人の拳が物体を打ったとは思えない爆音が、その場に居た全員の身体の芯にまで響き渡った。


「ウォオオオオオオオオオオオオ――ッ!」

「グ……! なるほど。素晴らしい腕力だ」


 猫仮面の剣を支える両腕が目視出来るまで震えるが、それでもジンの剛力を完全に受け止めていた。


「なっ!? ジンの力とまともに張り合うのかよ!?」


 それを見たライトが吃驚する。

 当然だ。並大抵の法術師では、ジンの膂力には絶対に張り合えない。


 ライトでも、法術による身体強化を何重にも重ね掛けしてやっと勝負になるくらいなのだ。

 それを、あの猫仮面は見た限り法術の強化なしで拮抗してみせた。


「どうしたホムンクルス⁉ 同族を貶されてお怒りか? 随分と単調な脳味噌だな!」

「黙れェエエエエエエエエエエエ――ッ!」


 ジンが今度は薙刀をあらん限りの力で振り下ろす。

 しかし力だけの振り下ろしは簡単に受け流され、見当違いの地面を砕いていた。


「オレを馬鹿にするのは構わないッ! それが現実だ。それくらいは弁えてる!」


 ならば何度も叩き付ける。


「けどそこにあいつらを一括りにするな!」


 何度も。


「オレなんかと一緒にするな! オレのような被造物と同じにするな!」


 何度も。何度も。


「あいつを、馬鹿にするなぁあああッ!」


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もッ!


《ジン、もういい加減に……》


 音が聴こえる。雑音だ。気にするな。


「……ついて」


 うるさい。黙れ。


「……ってば!」


 黙れ黙れ黙れ黙れ!


「……がい、もう――」

「黙れッ!」


 その雑音の方に、ジンは苛立ちをぶち撒けるように手を振った。


「痛っ!」

「え――――」


 そしてその悲鳴で、目が覚めた。


 そこにあったのは、地割れでも起こったのかと思わせる大規模に破壊された地面と、皮が剥けて血だらけになった己の両手。

 そして、痣の出来た頬を押さえて倒れる、紅い髪の少女。


 猫仮面の姿は、何処にも見当たらなかった。


「目が覚めたか? ポンコツ」

「……ライト」


 振り向いた先には、酷く冷めた目でこちらを見つめるライトの姿があった。


「……なあ、ライト。あいつは何処だ」

「逃げた」

「何処に」

「教えねえ」

「巫山戯るなッ!」


 その直後、ジンの顔面を硬い何かが直撃した。

 先のジンの攻撃に比べれば可愛い威力だが、それだけでジンは地面に叩き付けられ、口内に血の味が充満する。


「周りが見えなくなっていたテメエを、皆が止めようとした。俺も、トワもだ。それでも止まらなかったテメエを、アリサが身体を張って止めた。アリサがいなかったら、テメエの腕は確実にぶっ壊れてた」

「…………」

「それなのにテメエは、アリサに感謝も謝罪もすることなく、何も学ばず、再び同じことを繰り返そうとしている。――最低のクズだな」

「それでもいい!」


 立ち上がったジンは、ライトの両肩を真正面から掴み、懇願するように頭を下げた。


「最低でもいい! 屑でもいい! 目の前にあった! さっきまであったんだ! あいつらに繋がる道が! あの糞共に通じる手掛かりが!」

「だから?」

「あいつらを根絶やしにするまで、オレは止まれない! あいつらを全員皆殺しに出来るなら、オレは何だってする! だから頼む。お願いだ……!」

「駄目だ」

「何――」


 ――で、と。

 その言葉をジンは最後まで言うことが出来なかった。


 突如堪えようのない頭痛が、動悸が、吐気が、耳鳴りが、一斉にジンの全身を襲ったのだ。


 ライトの仕業ではない。現に彼もジンの身に起きた変化に目を強張らせていた。

 ジンだけが、今己の身に降りかかっているコレの正体を知っていた。


 何で。今。これが。よりによって。どうして。あり得ない。巫山戯るな。何で何で何で何で何で何で何で何で何で何でッ!













 ――――――――ちくしょう。


 その悔恨を最後に、ジンの意識が完全に途絶えた。

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