1-14 変貌

 ライトが戦闘体勢に入った直後、周囲に立っていたスカルホーン幹部達が一斉にライトに飛び掛かった。

 それは何か勝算があっての行動ではなく、本能からきたものだった。

 幹部達は一瞬も掛からぬ間に理解したのだ。この場から今すぐ立ち去らねば死ぬと。

 しかし同時に、この男からは絶対に逃れられないと。


 故に彼らに残された選択肢は、勝ち目がないと分かっていても、目の前の怪物に立ち向かうという自殺行為のみ。


「う、うぉおおおおおおおおおおお!」


 連携はややぎこちないものの、流石はスラムのトップクラスの猛者達。

 その動きは荒削りでありながらも、帝国軍人に劣るものではなく、


「死ね。雑魚が」


 だが二歩目を踏み出す前に、その全員が雷撃に貫かれていた。


 部屋の中に焦げ臭い臭いが充満し、バタバタッと人が倒れる音がする。

 スカルホーンが誇る強者である幹部達は、全員白目を剥いて口から泡を吹いており、中には何度も痙攣を繰り返している者もいた。


「キ、サ、マァアアアア――ッ!」


 ようやく事態に頭が追いついたミルドが血管が浮き出た拳で机を叩き割り、中に仕込んでいた緊急用のボタンを砕く。

 ジリリリリリリリッ! と喧しく鳴り響く非常ベル。

 恐らく何かしらの非常手段なのだろう。ミルドが僅かばかり表情に余裕を取り戻した。


「うっせえな。耳障りだ」

「ハハハッ! 余裕ぶってるのも今の内だ若造! このベルはギルドの緊急事態を伝えるもの。今すぐ出口のないこの部屋に他のメンバー全員がやって来る! 多勢に無勢だ。秘密を知られたからには死んでくれや」


 実に下劣な笑い声を上げ、ミルドはまるで勝利を確信したかのように振る舞うが、


「そうか、じゃあ他の奴らが来るのを待とう」


 ライトは全く焦ることなく、堅いソファに背中を預けた。

 これにはミルドは目を丸くして、


「おい貴様。何の真似だ?」

「分からねえか老害。害虫を駆除するなら徹底的に。わざわざ全員集まってくれるならそれに越したことはねえ。それに――」


 老害共が戸惑う中、ライトは何かを確信しているかのように嘲笑いを浮かべ、


「なあ、気付かねえか? このベルが鳴ってから一体何秒経った? 上からここまでは階段の一本道で迷う心配はない。なのに誰かが階段を下ってくるような足音は聴こえてこない。さっきまであんなに騒がしかったというのにだ」

「なッ――――!?」


 ライトの言葉を聞いて、ミルドの顔が焦りに染まる。


 確かにおかしい。

 ミルドはこれまで部下達に、このベルが緊急事態を伝えるもので、鳴ればすぐにこの部屋に集まるよう何度も言い聞かせてきた。

 だがこれ程時間が経って誰も来ないというのは、あまりにも不自然だ。


「小僧、何をした!」

「上の階に、放っておけば勝手に暴れ始めるアホを二人置いてきた。今頃テメエのお抱えの部下は、全員ノックアウトされてるだろうよ」

「こんの、クソガキィイイ……!」


 こちらを馬鹿にしてくる青二才の笑みに、ミルドは怒りで顔の血管を浮き上がらせ、手から血が出るくらい強く拳を握る。


(……だが、それがどうした!)


 荒れ狂う怒りを誤魔化すようにほくそ笑み、ゆっくりと立ち上がる。

 そしてミルドは体内のマナを活性化させ、血管を通して全身に行き渡らせる。


 部下は来ない。手勢は己一人。

 それでも、スラムの王はただその事実を鼻で笑い飛ばす。


 ミルドの全身を、何処からともなく出現した鉄屑や岩石が、鎧のように覆い尽くしていく。


「錬金術か」

「その通りだ。キサマのような若造はお目にかかったことはないだろうがな」


 ミルドが今使っているのは、マナを一時的に別の物質へと変換する法術『錬金術』。


 ミルドは全身を鉄と岩の鎧で覆わせ、更に上からマナで極限までコーティングしていく。

 名付けて『超防甲』。ミルドが長い年月を掛けて編み出した、絶対防護術式だ。 


(硬度は鋼鉄の数倍。小僧が儂よりも多少速かろうと、この絶対防御は破れな――)

「ほっ!」

「――グハアッ!?」


 腹底を貫かれるような、鋭く重い衝撃。

 ミルドは自慢の鎧が軽々と砕かれた感触と共に、後方の壁まで吹き飛び、背中から勢いよく激突した。

 ぶつかった衝撃で壁に巨大な皹が入り、老人は口から血を吐き出す。


「悪いな。少し本気でやり過ぎた」


 一瞬前まで立っていた場所には、拳を突き出したライトの姿が。


「ホラ、立てよ。こんなもんじゃねえだろ」

「……カッ、ガハッ…………。バ、バカな……!」


 一撃。

 長い年月をかけて編み出した努力の結晶が、彼のプライドと共に、たった一撃で粉砕された。


「お、お前は、一体……!」

「“竜撃隊”って言えば分かるか? 老いぼれ」

「……な、あの皇室警護の……!?」


 その名はミルドも耳にしたことがある。

 帝国騎士軍から選ばれた超エリートのメンバーが揃う、イリアス帝国の秘密兵器。

 まさか目の前で自分を見下ろすこの若者が、そうだとでもいうのか。


「無様だなぁ、ミルド。なあ、今どんな気持ちだ? 自分テメエの半分もいってない歳の若造に何もかも壊されるってのはどんな気持ちだ?」


 間抜けな顔をするミルドを指差し、実に愉快だとライトは腹を抱えて笑い出す。

 しかし、目だけは全く笑っておらず、


「あの子の絶望は、そんなもんじゃねえぞ。もっと苦しめよ、ゴミ」


 耳元でそう囁かれ、ミルドの顔が怒りで赤く染まり、これまで感じたことのない恥辱が全身を駆け巡った。


(ふ、巫山戯るな…………!)


 手首をプラプラと振りながら、吐血して壁にもたれ掛かるミルドへとライトが一歩ずつ近付いていく。


(巫山戯るな巫山戯るな巫山戯るなふざけるなふざけるなぁあああああああッッ!!)

「ガァアアアアアアアアア――ッ!」


 先のことなど考えない。

 飛び上がったミルドは体内に残ったマナを全て費やし、この憎っくき男を殺すために正真正銘全力の一撃を――


「プ――――」

「逃げなかったことは褒めてやる。だが死ね」


 雷と見紛う速度の上段蹴りに顎を蹴り上げられ、ミルドの体が真上に跳ねる。


 景色が揺れる。意識が霞む。

 加えて拳が顔面に叩き付けられ、頭蓋骨が軋む音がする。

 勢いのままに壁に衝突し、ただでさえ霞んでいた意識が明滅する。


(お、終われるものか、こんなところで……!)


 だが、その執念は萎えることを知らない。

 ここはミルドの全て。その半生以上の時間を費やして気付かれたミルドの王国。

 このような青二才に壊されていいものでは断じてない!


 ――カンッ


「……ぅ」


 ミルドの懐から、一本の注射器が落ちる。

 それは教国の裏社会での取引で手に入れた、正体不明の薬液。


 信じられない力を齎すドーピング剤という触れ込みで売られたものだが、勿論ミルドはこんな得体の知れないものを体内に入れるつもりはなかった。大方、適当な薬を掴まされただけだと。


 だが、そんなこと知ったことか。

 状況は既に終わったも同然。起死回生の一手なんて都合のいいものはここにはない。

 そう、この注射器を除いて。


「何だ、それは」


 ライトが注射器の存在に気付く。

 しかし、大方自分達が楽しむ用の薬と勘違いしたのか、その注射器自体に警戒は向けていない。

 今しか、チャンスはない。


「グゥッ!」


 注射器を掴み、針の先端を思い切って首筋に突き刺す。

 チクッという小さな痛みの後に、薬液が体内に流し込まれる。


「ッ!?」


 ライトはようやく、その注射器の中身がただの薬でないと気付き、急いで注射器を握っていた右手を蹴り上げる。


 老人の右手の骨が折れ、その手から砕けた注射器の破片が散らばっていく。

 だが、中の薬液はとっくにミルドの体内に摂取された後だった。


「ガ……ガァアガガ……!?」


 ミルドが突然苦しみ始める。

 それは右手が砕けた苦痛からではない。

 身体全体を掻き毟り始めたかと思えば、突如肉体のあちこちが何倍もの大きさに肥大化し、肌の色も濃い緑色に変色していく。


「肉体を変換する錬金術!? いや、似てるが違え。これは――ッ!?」


 初めてライトが表情を崩す。

 術式学的にも、科学的にもあり得ない変態。

 僅か十秒足らずで巨大なナニカに変貌したミルドの目に、既に理性はない。


 ソレの頭部はまるで潰れた蛙の頭のようにひしゃげており、四本に増えた腕は丸太のように太く、絶えず脈打っている。


 今ここに、一体の怪物が誕生した。

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