第4話


 琰慈を見て、率直に感じたのは、


 ——犬の様な男だ。


 という感想だった。

 人目を惹く、闇を具現化した美貌は一見すると冷淡にも見えるが、犬の様に懐っこい様子はそれにしか見えない。

 青峯との話合いを終わった後、新しい玩具を与えられた犬の様に芙蓉に纏わり付いた。見えるはずもない尾が見えた気がして、芙蓉は両目を何度か瞬かせた。


「芙蓉殿の得物は剣ですか、珍しい形ですね」


 芙蓉の腰に指した剣を見る。一般的な直刃両刃ではなく、少し反った形で片側にしか刃がないものだ。


「奏国で造られた物ですか? まるで芸術品のような剣ですね」


 先程、剣を向けられた時、琰慈はその鈍色に反射する美しい刀身に目を奪われた。一度手に持って振るってみたいとは思うが、大切に手入れされ扱われているそれに触れるのを芙蓉は嫌がるだろうから言葉にはしない。現に、剣に視線を落とす芙蓉の眼差しは先程自分に向けられたものより柔らかい。


「これは貿易商から買い取ったものです。東の国の技法で作られたもので鍛えれば鍛えるほど切れ味を増します」


 黒塗りの鞘を撫でながら芙蓉は答えた。この剣は出立する前に兄達が買い与えてくれたものだ。奏の剣は鋼鉄を使用しているため、強度もあるがとても重い。女である芙蓉もまったく使えないことはないが、それを使用すると速さが劣るためあまり好んで使おうとは思わなかった。

 それに比べ、東の国で作られたこの剣は鉄で出来ているが薄いためか軽い。手に馴染む重さだが切れ味は鋭いことから、扱いやすいだろうと遠い異国にいくことになった自分へくれた。

 事あるごとに「鉄の女」だの「狐の様な悪知恵が働く」など揶揄やゆされたが、あれでも自分のことを大切に思っていてくれたのだろうか。


 ——そうだとしたら嬉しいな。


 そう思うと口元が緩む。


「それは興味深い。後で手合わせをしましょう」


 前のめりになり、早口で告げる琰慈に芙蓉は緩んだ口元を引き締めた。それと同時に苛立つ。元より喜怒哀楽はしっかりしているが、この男といると何故が神経を逆撫でされたようで落ち着かない。


「琰慈、芙蓉殿は長旅で疲れているのだからそれぐらいにしておいたほうがいい」


 芙蓉の表情が笑っていないことに気づいた青峯が焦った様に再度、琰慈を諌めた。しかし、青峯の言葉に琰慈は臆せずキラキラと輝く眼で何か話しかけようとする。

 出会った当初、青峯の方が身分が高いと推測したが今までのやり取りを見るに琰慈の方が身分が高いのだろう。なぜ、それを隠すのか分からないが、芙蓉にとってどうでもいいこと。


 ——月娟様の邪魔にならなければどうでもいい。


 さして気にすることはない。

 彼らが清国からの使者である事は疑うことはなかった。

 話し合いの途中、奏国から早馬が来た。乗っていた武官は急いで来たのか肩で息をしながら芙蓉に手紙と木簡を差し出した。

 手紙は奏国のものだった。先にそれを読むと奏王の直筆で文章が書かれており、中を見ると公主の体調をおもんばかる文から始まり、清国から使者の申し出があった事が記載されていた。

 木簡は清国のものだ。あの国は紙が貴重であることから間違っても削って使用できる木の板を常用していると聞いたことがある。巻物の様なそれを開くと急な手紙を出した事を詫びる文章から始まり、山賊に襲われる可能性があること。それを回避する為に使者を送ったことが記されていた。そこには二人の名前とその下には王印も押されていた。

 それにより警戒が解かれたので、隊列には先程よりのんびりとした空気が流れていた。ここから見るに野営のための準備に取り掛かっている百官もどことなく落ち着いている。その様子だと公主が休む天幕てんまくはもう出来ていることだろう。琰慈からの質問責めにあう前に、と芙蓉は席を立った。


「それでは私はこれで。貴方方が休む天幕の案内はあそこにいる武官が担当します」


 芙蓉が視線を投げると、近くにいた武官が頭を下げた。


「ご厚意感謝いたします」

「芙蓉殿はどちらへ?」


 頭を下げ、公主が休むであろう天幕で向かおうとした芙蓉を琰慈が止めた。


「遠乗りに出かけようかと」

「俺も一緒に行ってもいいですか?」


 琰慈の言葉に芙蓉はあからさまに顔をしかめた。雪の様な冷たい美貌が歪む。蒼色の双眸そうぼうの奥には怒りの色が見え隠れした。


「約束があるので失礼します」

「ですが」

「遠くには行きません」


 ここは平野だ。遠くに行かなければ見えないことはない。早口でそう告げると芙蓉は手を組み、頭を下げると素早く去っていった。

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