第29話 ついに確定!


             *           *


「タオル、どうもありがとう」

 濡れた髪を拭くのに使ったタオルを返し、野木村は月子に礼を述べた。駐車場所の都合により、子供達や月子に比べて長い距離を雨の中歩いたため、濡れ方もきつかったのだ。

「どういたしまして。このあとはまた暗号解読のサポートを?」

「そのつもりです。月子さんが宿題で困っているのであれば、先に聞くけれども」

「今のところは特に引っ掛かっていません。量の多さには少しうんざりしてるかなぁ」

「まあ、がんばって」

「野木村さんは宿題はないんですか」

「もちろんありますよ。レポートが残ってて、帰ったらやります。うちの大学は夏期休暇に入る前に定期考査を実施するんですが、その方が僕には合っているな」

「その言い方だと、夏休み明けに定期考査を行う大学もあるということになりますけど」

「あるんですよ、それが」

「信じられない。夏休み、遊びに行けないじゃないですか」

 月子は目を丸くして、本当に驚いてる。

「その分、宿題は少ないらしいと噂では聞いたんですが、実態は知りません」

「休み明けにテストがある上に、宿題を山ほど出されたら、とてもじゃないけれどやっていけないわ。私、大学に入るんだったら野木村さんのところにしようかな」

「学部学科を調べない内から決めるのはよくないのでは……と一応、真面目に指摘しておくよ。それじゃあ」

 きびすを返し、広間へと続く廊下に踏み出そうとした野木村だったが、気懸かりができていたことを思い出した。子供らのために聞いておこう。洗面所の方へ向かい掛けている月子を呼び止めた。

「まだ何か?」

「つかぬことを伺います。間違っていたらごめんなさいしますので、許してください」

「な、何でしょう」

「瑠音さん達が一生懸命取り組んでいるあの暗号、月子さんがこしらえたものではありませんよね?」

「――」

 元々大きめな目を見開いてから、息を飲むような仕種があった。何度か瞬くと、月子は声を発した。

「――あははは。やだわ、野木村さん。いったい全体、どういう風にしてそんな話になったんですか?」

 おなかに手を当て、結構盛大に笑って身をよじる月子。

「す、すみません。外れていたのならいいんです。僕の思い込み、妄想でした」

「いえ、それはほんとかまわないんです。どうしてそんな発想になったのかを聞かせて、野木村さん。ああ、おかしいっ」

 前屈みになってまだ笑う月子。

 野木村はやりにくさを感じつつも、説明せざるを得ないなと覚悟を決めた。

「今日、車の中で言ったでしょう、鬼門について蒼井君が丑寅の方角だから牛と虎の像があるのかもって。それに対して若い方が発想が柔軟だとか、自分は北東としか思い浮かばなかったとか言ったのが月子さん」

「念押ししなくても覚えてます。私のその発言が、宝の暗号作りとつながるのですか?」

「少し長くなるけれども……まず僕は、月子さんが子供達のために宝の暗号をでっち上げた可能性はないかなと想像してみた。動機はまあそうだな、親戚の瑠音さんとその友達を楽しませようというサービス精神プラス、診療所について自由研究のテーマに取り上げて欲しくなかった。逆に言えば、他に興味を引く事柄を用意しておけば、診療所を取材することはなくなる」

「ふふふ。言われてみてはじめて気付きました。確かに暗号をでっち上げた思われても、ありそうに聞こえます」

「つまり、暗号は瑠音さん達を楽しませるために作られた。最終的には解いてくれなきゃ困る。だから暗号解読としては不正解でも、正解よりも面白そうな解読をされると、立場がなくなる。その思いが、若いほど発想が柔軟なのかしら、私にはとても思いつけないっていう発言になったのかなと」

「野木村さんも頭、相当やわらかいですよ。どうしてそんなことを思い付けたのか、中を覗いてみたい」

「中はお見せできないけど、思い付いたきっかけなら話せる。また笑い話になってしまうが、恥を忍んで。

 最初に変に感じたのは、暗号を写したメモそのものについてでした。あれは写しなんだから当然、月子さんの字ですが、文章の一部をぐるっと囲って矢印を引いた箇所まで、月子さんの書いた物とよく似ていた。暗号と分かって書き写しているのだから、文字じゃない箇所はなるべく原文に似せなければいけない。なのに普段、月子さんが書いている丸囲いや矢印にそっくりだったので、あれっと思ったんです」

「話の腰を折ってすみませんが、野木村さん、私の書いた矢印や丸を見る機会、ありました?」

「ええ。昨日、宿題を」

「あっ、そうでしたね。問題文に書いてたんだ」

 続けてください、と軽く頭を下げる月子。野木村は唇を下でちょっと湿してから話を戻した。

「もう一点、暗号を解読するためには、この手塚診療所の正確な位置、恐らく北緯と東経が必要なんだろうと推測したんです。暗号メモを持っていた人物が、急病で倒れるより前にここを訪れていたのには理由がないければいけないと感じていたもので。そうしたらその内、全部が作り事なんじゃないかと思えてきて、月子さんの仕業なんじゃないかと。でも大間違い。あなたにだけでなく、寺北という人にまで失礼なことをしてしまった……やっぱり、だめだな僕は。他人の気持ちを考えているつもりなのに裏目に出る」

「だめ? そんなこと全然ありませんよ」

「慰めをどうも。ただ、今日、帰りの車の中で、子供達へのヒントのつもりでわざと『白上さん家』って言っちゃったんです。あれのせいで瑠音さん達、ひょっとしたら月子さんの仕業だと思い込むかも」

「我が家の位置が暗号解読に関係している可能性は、まだ否定されていないんですよね。でしたら野木村さんは瑠音ちゃん達が誤解しないように、導いてあげて。それが今の役目だと思いますよ」

「……そうなると、一刻も早く」

 野木村はまだ若干の湿り気が残る髪を手櫛でかき上げると、みんなのいる広間へと急いだ。


             *           *


 瑠音も、他の三人もびっくりした。

 ノックもそこそこに扉が開けられたかと思ったら、そこには野木村が立っていた。

「ど、どうしたんですか、いきなり」

「驚かせてごめん。暗号のことなんだけどね。変なこと思い付いて、月子さんに聞きに行ってたんだ」

「変なことって、もしかして月子さんのお家が宝に関係している、とか?」

「うわ、もうそこまで辿り着いてたのかい」

 額に手のひらをやった野木村。でもほっとした様子も垣間見える。

「先に聞かせてくれるかな。今、暗号解読はどんな風に進んでいるのか」

 求められるがまま、瑠音達はこれまで積み重ねてきた推測を披露する。そしてこの白上家がひょっとしたら宝を隠すか、暗号文を作ったという疑いが浮上したところまで説明し終えた。

「――これで全部」

「あー、その最後のところなんだけど、僕も似たようなことを思い付いて、先に確かめに行ったんだ。そのー、ひょっとしたら月子さんが瑠音さん達をかついで、どっきりでした~ってやるつもりなのかな、それはちょっとひどいなと思ったから」

「あ、そうか。宝とか暗号とか、全部作り話だって場合もあり得るんだ?」

 今の今まで、その可能性は思い浮かばなかった。急な成り行きに、瑠音達の顔が強ばっている。

 けど、次の野木村の言葉に四人とも表情が和らいだ。

「みんな安心していい。月子さんに聞いたら笑われたよ。宝探しの暗号は本物だし、彼女が宝を隠したのでもないって」

「なんだー、脅かさないでよ」

 部屋の緊張感が緩み、ほっとした空気になる。

「俺は最初から信じてた。あの月子さんがそんなことするはずないって」

 蒼井がさらっと言ったのには、「えー! さっきまで疑ってたでしょ!」とブーイングが上がったけれども。

 その騒がしさが収まったところで、野木村が言った。

「それじゃあすぐにでも調べるとしよう。手塚診療所の位置、携帯端末かタブレットを使えばすぐだ」

 彼の言葉につられて、実際に診療所まで行こうと立ち上がりかける瑠音。が、倉持が座ったままタブレットをさわり始めたのを見て、理解した。ネット上の地図で緯度経度を知りたい地点を指定すれば、数値を表示してくれるサイトがあることを。

(恥ずかしい~)

 誰にも気付かれないように座り直した。

「これはまた精度が高いな」

 上から覗き込みながら野木村。桁数の多さに驚くやら呆れるやらといったところか。

「ちょっと、野木村さん、影になってる」

「あ、ごめんごめん」

 高谷に注意され、すごすごと頭を引っ込めた。

「この辺でいいね?」

「いいんじゃない」

 倉持が皆の意向を聞く。個人宅は枠囲みだけで示され、店や公共施設などは名称入りで表示される地図だから、間違えようがない。ただ、そのサイトはコピーアンドペーストができない仕様だったので、数値を紙にメモする。必要なのは経度だけのはずだが、念のため北緯も書き取った。

「これを白神山地の東経と入れ替えて、改めて計算すればいいのね」

 今度こそ当たっていますように。そう願いながら倉持の計算が終わるのを待っていると、自然と手を握りしめていた。

「出た。この数値の表す地図上のポイントは」

 もう何度も利用している別の地図サイトに飛び、場所を特定する。

「陸地か? 陸地であってくれよ、頼むぜ」

「――ここ。やったね。ようやく“上陸”できた」

 倉持の動かす矢印型のカーソルが差し示したのは、無蔵島なくらじまという瀬戸内海にあまたある小島の一つだった。

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