第40話 彼氏と彼女

 賢人と弥生のアパートにつくと、賢人は当たり前のように自分の部屋に弥生を引っ張り込んだ。


「……あ……有栖川君」

「賢人」

「有栖川君」

「賢人」

「……有栖川君」

「賢人」

「……」


 部屋の鍵を閉められ、引っ張られるままに靴を脱いで部屋に上がった。ワンルームの部屋の真ん中に立ち、逃げるなとばかりに腕を取られたまま向かい合う。


「有栖川君……離してくださいませんか」

「賢人。言うまで離さないし。ってか、逃げるから離せないし」

「逃げないです。……あの、お茶いれますから」

「飯、飯作って。久しぶりに弥生の飯食いたい」

「……じゃあ、うち来ます? 材料ないですよね? 」

「行く、すぐ行く」


 何故だろう?

 なるべく……できるだけ関わり合いたくなかった。でもいつだって賢人の願いは断れなかったし、賢人専属の家政婦のように賢人の世話をするのは嫌じゃなかった。

 嫌なのは賢人と親しいと思われること、それによってもたらされる人災。

 そうか、昔から賢人個人のことは嫌いじゃなかったんだ。


 ストンと賢人への想いが心に収まったようで、弥生は賢人に引っ張られて自室に戻り、賢人の好きなナポリタンを作りながら、自分の部屋のようにくつろぐ賢人を盗み見た。


 賢人はスマホをいじり何やらしている。

 ライン?

 女の子と連絡をとっているんだろうか?


 そう思うと、お腹の辺りがチクリとする。


「もうできますよ。テーブル拭いてもらえますか? 」

「布巾、投げて」


 賢人がスマホを置いて片手を上げる。


「そんなお行儀の悪いことできません」


 弥生が台布巾を片手に近寄ると、スマホの画面が見えた。

 何か調べ物をしていたのか、ググっていたようだ。


 スパゲッティを運ぶと、弥生と賢人はL字に座っていただきますと手を合わせる。


 二人でご飯を食べるのは、高一の別れた時以来だろうか? 久しぶりな筈が、妙にしっくりくる。

 まぁはたから見れば、超絶イケメンと地味子の組み合わせに違和感しかないんだろうけれど、二人にしたら熟年夫婦のような安定感があり、何か喋らなきゃとか無駄な気負いがない。


「久しぶりに食べる弥生の飯はうまいな。なあ、明日からも毎日作れよ」

「毎日?! 」

「朝飯と夕飯、どうせ毎日自炊してんだろ」

「してるけど……」


 何様? ……有栖川賢人様だ。


「あと、掃除と洗濯な。ほら鍵。おまえんとこも寄越せ」

「何で? 」


 賢人はスペアキーをポケットから取り出すと、弥生の鞄からキーケースを出してつけた。そして、テレビ台の引き出しの中から弥生の部屋のスペアキーを取り出してズボンの右ポケットにしまう。


「え……何でスペアキー持ってるんです? というか、うちのスペアキーの場所何で知っているの? 」


 ちょっと返してと手を伸ばして、賢人のズボンのポケットに指をかけて硬直する。

 黒スキニーのジーンズは賢人の身体にフィットしており、ポケットの中に手を突っ込んでまさぐってはいけない気がした。


「このズボン、ポケット深いんだよね。一番奥に入ってるから、取るなら今のうちな。十秒後には俺のになるから。ちなみに俺のは右寄り派だから、よろしく」


 何が右寄りなの?!

 ナニが?!

 そんなとこに手なんか突っ込める訳がない!!

 無理~ッ!


 弥生がワタワタとしているうちに、賢人は悪魔な笑いを浮かべたまま十秒数えてついでにスパゲッティを食べきった。


「うまかった。ご馳走さん。で、鍵の交換ってことでOKだな。取り返さないことだし。ところで……」


 賢人に腕を引かれ、腰に手を回された。引き寄せられた際、賢人の肩におもいきり顔面をぶつけてしまい、眼鏡が鼻に押し付けられて、弥生は羞恥心でというより痛みで身悶える。


「痛いじゃないですか」

「あれから三年たったよな」

「あれから? 」

「俺達が付き合ってから」


 耳元で低く響く賢人の声に、背中がむず痒く感じて、弥生は首をすくめて賢人の声をブロックしようとした。

 そんな弥生を見て、わざと弥生の耳元に口を寄せる賢人は、凄くご機嫌な様子で口角が緩やかに上がりイケメンぶりが更に上がる。普通の女子ならば、こんな賢人に至近距離で囁かれたら気絶ものだろう。


「ソウデスネ」


 賢人の吐く息を耳元に感じ、その距離に不快感を感じないことに、弥生は逆に戸惑った。感情の乗らない声がでてしまったのは、そんな戸惑いからだったが、賢人からしたら塩対応に思えたらしく、いきなり弥生の耳にかぶりついてきた。


「ギャッ!! 」


 弥生が顔を仰け反らせて耳を押さえると、賢人がクックッと笑った。


「色気ねぇな」

「必要ありませんし! 」

「なくてもあっても俺はおまえには反応するから問題ねぇけどな」

「……!! 」


 目をまん丸に見開き、硬直してしまった弥生の頭を、賢人は髪をすくように撫でた。


「それはおいおいな」

「おいおい……って」


 おいおいってなんですか?!


「おいおいはおいおいだ。まずは……」


 賢人の指が弥生の顎にかかり、賢人の方へ顔を向けられる。そのイケメン過ぎる顔が近づいてきて……。


 弥生は思わず両手で口をおおった。


「おい 」


 賢人の目がスッと細まり、氷点下なオーラが漂う。


「嫌な訳じゃねぇよな」

「嫌……というか、心の準備が必要ではないかと」

「三年。おまえ、三年っつったろ。キスまで三年って。三年たったよな」


 弥生はそんなこと言ったっけ?と、口をブロックしたまま首を傾げる。


「三年前に聞いた。セックスは結婚してからとかほざいてたな」


 確かに言った……言ったと思うけど、あれから三年たったかもしれないけど、三年間付き合ってた訳じゃないですよね?!


「いや、でも、間は別れてましたし」

「別れてたって過去形ってことは、今は付き合ってるって認識してんだよな? 」


 弥生は「うん」も「ううん」も言えずに、眉を下げて情けない表情になる。

 賢人のことは好きだ。好きだと理解した。でも、また回りから攻撃されたら嫌だし、何より好きだという感情と付き合うという事実が弥生の中でうまく結び付かない。


「付き合うって……どういうこと? 」

「一緒に飯食ったり、どっか出かけたり、手繋いで、キスして、セックスする」

「む……無理」


 それが付き合うってことなら、弥生にはハードルが高かった。

 手を繋ぐ……まではできるかもしれないが、それ以上は恥ずかしいというより怖すぎた。

 心底怯えたように顔色をなくす弥生に、賢人はチッ! と舌打ちをする。


「しゃあないから、おまえに合わせてやる。まじで有り得ないけど」

「……本当? 無理にしたりしないですか? 」

「無理にして欲しいなら遠慮しないけど」

「遠慮してください! 」

「はいはい。で、一つ質問。渡辺弥生の彼氏は誰でしょう? これに正解できたら、ちゃんと遠慮してやる」

「……有栖川君です」


 賢人は蕩けるような笑顔を浮かべた。


「半分正解。半分アウト」

「……? 」

「賢人。賢人って呼べよ。そうしたら、100%正解。呼べなかったら俺のレベルの恋愛に付き合ってもらうかんな」

「賢人君! 賢人君です」


 賢人はしょうがないなというように、慌てて叫ぶ弥生のオデコに唇を寄せた。


「ま、おまえにはこれくらいからで我慢してやる」


 弥生は真っ赤になって俯き、賢人はそんな弥生の髪の毛を何度も撫でた。

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