第8話 見てないったら見てません

 結論から言おう。

 弥生は賢人のは見なかった。

 賢人は何やらゴソゴソと取り出そうとしていたが、マッハの速度で回れ右した弥生は、人生最速速度でリビングを駆け出し、階段を駆け上がり、自分の部屋に駆けこんだ。

 後ろ手に鍵を閉め(コインがあれば開いてしまうチョロイ鍵ではあるが)、真っ赤な顔をしてガクリと膝をつく。


 満身創痍。

 魂が口から溢れそうな状態の弥生は、しばらく動くこともできずに、ただ肩でゼーゼー息をしていた。

 どれくらいそうしていたかはわからない。手に握り締めていたスマホから着信音がして、弥生はビクリと身体を震わせた。


 スマホを見ると、「オレサマ」の文字。

「オレサマ」って誰だ?!

 いや、一人しかいないだろう。

 恐る恐る着信マークをスライドさせると、不機嫌な賢人の声が響いた。


『遅い! 』

「すみません」

『鍵、かけて郵便受けに突っ込んどいたからな』

「ありがとう……ございます? 」

『何で疑問文なんだよ。ってか、カーテン開けろ』


 前に、賢人と誰か知らない女の子のラブシーン(女の子が賢人の首に手を回してキスしようとしていた)を偶然窓越しに見てしまい、それが気まずくてカーテンは常に閉めっぱなしだった。


 恐る恐るカーテンを開けると、向かいの窓際にスマホを耳に当てた賢人が立っていた。


 さっきのは、コートをバサッと広げて下半身を見せる変態レベルの行為ですからね!


 もちろん、口には出さずに弥生は受けた衝撃をひた隠しにする。


『俺のを見た責任取って、明日からは彼女ってことで』


 いや、勝手に見せようとしただけだよね?

 私は見てないったら見てないし、見たくもない!

 ってか、それ見たら彼女になるんなら、きっと沢山の女子が名のりあげるんじゃないでしょうか?

 私以外でもすでに今日一人いますよね?

 あの手の場所から出てきたんだから、そういうことですよね?

 ……それ目撃した人間に彼女になれとか、頭の中蛆虫わいてませんか?


「勘弁してください。これっぽっちも見えてないですからぁ」


 窓越しでも分かるくらい怒気をはらんだ賢人に、弥生は「ヒーッ!」と悲鳴をあげる。


『なら、今からもう一度見せに行くか? 』

「無理無理無理! な……なんでそんなに彼女彼女言うの?! 万が一お付き合いってことになったとしても、私に有栖川君のペースの恋愛はできないよ」


 だから、君の性欲解消の為の彼女にはなれない!

 いくら召し使い枠だろうと、そっちの御奉仕は無理なんです。


『弥生の恋愛のペースって? 』

「手を繋ぐのに三ヶ月……とか」

『それはもうクリアしてる。初めて手を繋いだのは赤ん坊の時だ。写真に残ってるからな』


 確かに、その写真はうちにもある。母親同士は仲が良いから、母親達が産休中は、お宅訪問とかしあっていたらしく、よく一緒に写った写真がアルバムに貼ってあった。


『キスは? 』

「キ……キスゥッ?! そんなの、さ……三年くらいじゃない?」

『ハアッ?! おまえごときがもったいぶってんじゃねぇ! 』

「す……すみません」


 ああ、もう、泣いていいかな?


 言い返せない弥生も弥生だが、仮にも付き合えと命令(告白では決してない! )している相手に対して、「おまえごとき」って酷くないだろうか?


『三ヶ月……三ヶ月だな』

「無理ですーッ! 」

『無理無理うるさい奴だな。なら、半年だ。それ以上は妥協しないからな』

「ありがと……う? 」


 俺の優しさに感謝しろとばかりの口調に、弥生は何故自分の口は感謝の意を示しているのか、さっぱり理解できなかった。


『セックスは?! 』


 そんな、噛みつくような口調で卑猥な単語を吐かないでください。


「結婚してから……」


 賢人のコメカミに青筋浮いてる。この距離で見えるって、頭の血管大丈夫なんだろうか?


『却下! とりあえずはキスまではおまえの意思を尊重してやる。それ以上はその時話し合う。以上、おやすみ』


 ブチンと通話が切れ、賢人側のカーテンがひかれた。


 なんか、半年後賢人とキスすることになっていないだろうか?

 好きだとか言われても言ってもいないうちに、お付き合いすることが確定されている気がするのは、きっと気のせいに違いない。


 弥生はブルブルッと震えてベッドにダイブした。

 全ての情報をシャットアウトし、とりあえず眠りたかった。


 立派な現実逃避である。


 ★★★


 カーテンを閉めた賢人は、弥生と同じようにベッドにダイブした。


 賢人が初めて女の子を意識したのは、ダンゴムシを観察する小さな背中だった。

 人付き合いが苦手で、自分の世界に没頭したら回りが見えなくなる女の子。たいていの女の子がキーキーうるさいのに、その子の横は静かで居心地が良かった。

 リボンをつけて、ピンクだ黄色だと色鮮やかな洋服を着た女の子はは可愛いとは思えなく、目に騒がしいだけだった。地味な三つ編みに分厚い眼鏡、落ち着いた色合いの彼女は、見ていて落ち着いた。


 彼女が好きだと理解したのは、彼女の友達にキスされた時だ。


「弥生ちゃんのこと好きなんでしょ? いいよ、身代わりにしても」


 見た目も何もかも違うのに身代わりになるか……とは思ったものの、中学生男子の興味心には逆らえなかった。

 色んな娘が寄ってくるようになって、付き合えなくてもいいからという軽い娘だけ相手した。あの娘に手を出す訳にいかないし、たいした意味なんかない行為だと思うし。


 ただ、あの娘が嫌だと言うなら、そんなものは他の誰ともしなくたっていい。

 唯一の相手でいい。


 三ヶ月? 半年? それくらいなら全然余裕……だと思う。そんなに長い間健全に過ごしたことはないけど、あの娘が隣にいてくれるなら、我慢くらいはできるんじゃないかな。

 悪いけど、それ以上は無理っぽいから諦めて欲しい。キスしちゃったら、止まれる気がしない。だから、そこからはあの娘の希望は叶えてあげれない。


 ごめんね。


 面と向かっては絶対に言えないけど。



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