胸に咲く花

いぬきつねこ

胸に咲く花

 親友の花に綺麗な花が咲いてから今日で30日経つ。親友の真希まきが眠り始めてからは20日。

ある日真希の胸を突き破って開いた花は、今も彼女の血肉を吸って咲き続けている。


 真希は治療室のアクリルガラスの向こうで、点滴に繋がれて眠っていた。

病着の胸元からは、チュールレースを何枚も重ねたような花弁が覗いている。白と桃色の間で光に触れれば透き通るほど薄い花弁。それが何枚も何枚も重なって胸を覆うほどの大きな花を形成していた。

ここからは見えないけれど、花と体の境目には細い茎があり、彼女の皮膚に根を張っている。

花が出す麻酔の成分で、痛みはないらしい。

 医者の話では、花は真希の体から養分を吸い取っており、また花が蓄えた栄養の一部が彼女の体に循環されているらしい。難しいことはよくわからなかったが、とにかく私が理解しなければならないのは、真希には今、眠るくらいの体力しか残されておらず、それが長期に渡ると死んでしまうかもしれないということだった。

精神性身体結花症候群せいしんせいしんたいけっかしょうこうぐん」という長くて語呂の悪い病名が彼女につけられていた。

 人の体に寄生するとても小さい植物の種が見つかったのは私たちが産まれる前で、初めての症例が出たのも産まれる前だった。

名前は知っているけれど、この病気にかかっている人を見たことはない。ほとんどの人がそうだった。

思春期にのみ発症することと、東京に専門の医療機関ができるという話を保体の時間に聞き、へーそうなんだ、都会はすごいとこだなあ、なんて私たちは緊張感の一欠片もなく言い合っていた。

海も山もあるけど地下鉄や路面電車はなく、私鉄の線もひとつしかないという都会とは全く言えない地方都市で育った私たちには遠い国の話と同じくらいに現実味がない話だった。

そして今、私はその病棟の治療室のガラスの前にいる。なんだか爬虫類っぽい顔をしたお医者さんと、切羽詰まった表情の真希の両親とに囲まれていた。


「星野さんが娘に好きと一言言ってくれれば目を覚ますはずです」


 真希の父親が私に深く頭を下げた。

おじさんにこんな風に頭を下げられる経験なんてない。

しかも、親友の父親に「娘に告白してくれ」なんて迫られてるの、どう考えてもおかしい状況だ。

医者までもが、「この紙にサインした上でお願いします」なんて言っている。なんだこれ。夢?いや、夢を見てるのは真希だ。胸から咲く花の出す麻酔のような成分で真希は今、たぶん最高に幸せな夢を見ている。ガラスの向こうの真希の顔、ちょっと笑ってる。


「混乱なさっているとも思いますので、もう一度説明します」


 医者がひとつ先払いをして話し始めた。

待て。何回説明したって私は混乱したままの自信がある。聴覚だけは医者の言葉を拾っていたが、頭はまだぐるぐると回っていた。


三原みはら真希まきさんの身体に寄生した種子ですが、実は我々の体内にも侵入していることが明らかになっています。ところがご存知の通り、発芽するのは十代の男女のみです。その数も多くはない。種が体内で発芽するかは、精神的に大きな精神的負荷が掛かることが条件となっています。精神的負荷、ストレッサー。一般的にいうとストレスというのですが、その種類が、いわゆる恋愛感情によるものと限定されているのがこの病の特徴です。相手への思慕しぼが大きくなり、閾値いきちを超えた負荷となり、特殊な脳波が観測されると、種が発芽します。星野さん?」


「はい‥…聞いてます……」


 居眠りを指摘されたような私はギクシャクと答えた。は……発芽……恋……メンデルの法則……えんどう豆のしわ……。こんな時に生物の知識が頭の中でぐるぐる回っている。


「ほとんどの場合、種は発芽しても皮膚状に現れる前に枯れてしまいます。稀に、極めて稀にですが、三原さんのように花の成長が続いて皮膚の上に現れることがあるのです。条件はまだ確定していませんが、強い思慕……下品な言い方をすれば執着ですね。それがストレスとなって脳波に影響を与え、開花を促進すると我々研究チームは考えています。花が咲く頃には極めて細い根が身体に伸びていまして、体から栄養を奪っていくのです。最悪の場合は死に至ります」


 真希のおばさんが、わっと顔を手で覆って泣き出した。真希のおじさんがその肩を抱く。


「花を切除しても解決はしません。花を三原真希さんの体から取り去るには、あなたの協力が必要なのです。彼女の気持ちに応えてやればいい。ストレスが消えると、花は徐々に体内から消えます」


 後ろでやっすいファミリードラマみたいなことが起きてるのに、ちょっと蛇みたいな顔を少しも崩さないで医者が淡々と告げてくる。

私は合間に、はあ、とか、はいとか相槌を打つのに精一杯だった。あまりに滑らかな喋りだったので、口を挟むのもできなかった。まだ混乱もしてるし。

でも、これだけは聞いておかなければならなかった。


「なんで真希が私のことを好きだってわかったんですか?」


「枕元で真希さんと親交のある男女の名を読み上げた時、特徴的な脳波が出たのが星野さんの名前でした」


 爬虫類医師はまた淡々と言った。


 真希とは中学の頃からの友達だった。

親友なんて言葉は恥ずかしくて使わなかったが、仲は良かった。私たちはお揃いの文房具を揃えたり、一緒にカラオケに行ったり、ファミレスで勉強会という名のドリンクバーと時間だけを無駄に使ってろくでもないことを語り合うだけの会合をやったりした。真希は高校に入って髪の毛をちょっと染めて、私は日に当たると赤く見えるその髪色が好きだった。でもその好きというのは、たぶん真希が私に対して抱いている好きとは違うのだろうなあと、今、ぼんやり考えていた。

考えながら、なんだが頭の奥の方に氷を当てられているみたいになってきた。


「これは最も成功率が高い対応です。あなたが三原さんの思いを受け入れればいい。一時的にストレスが緩和されれば、花は枯れます」


「簡単なことでしょう。詩織ちゃん。真希のことを助けると思って。ね?後のことは私たちがなんとかするから」


 おばさんが涙で崩れた顔で言う。

おじさんも口を真一文字にひき結んで深く頷いた。


 私はーー。


 私はもしかしたらものすごく薄情な人間なのかもしれない。

私はこの人たちが真希を救う唯一の方法だと言っているものに腹が立っていた。

なにそれ。

私たちをバカにしすぎじゃない?

私は真希とは付き合えない。

真希はいい子だ。可愛いし、おしゃれだし、すぐに舞い上がって、気が短くて勝手に落ち込む私のことを辛抱強く見守ってくれる。時々めちゃくちゃ手痛い一撃をくれたりする。

真希が一番嫌いなのが、バレバレの本心を隠して振る舞うことだった。

「詩織は本当にそれでいいの?いいって顔してないじゃん」と鋭くえぐってくる。

 あれはテニス部の王子様系爽やかボーイの平岡くんに私が惚れて、でもこんなガサツな女に平岡くんは振り向いてくれないべ、サイゼで羊の肉をたらふく買って忘れようなんで提案をしたときのやり取りだった。結果私は平岡くんに振られ、真希と2人でたらふく羊の肉を食った。

 そのバランスがよかったから、4年間も友達をやってこれたんだと思う。

 一緒にいて楽しいし、たぶん四六時中一緒にいても飽きないだろうなとは思うけれど、それでも私は真希のことを恋人として好きではない。

でもそれは別に真希のことを嫌いということでもない。


 花が枯れて真希が目覚めて、全部の顛末を知ったらどうなる?

私が偽りの言葉を吐いたとして、その言葉が私たちの関係に決定的な亀裂を入れることは目に見えていた。

大人たちが勝手に踏み込んできて暴きたて、ばりばりに踏み荒らしてしまった真希の心はどうなる?

真希を救うため仕方なかったんだよー、本当は好きじゃないの!なんて私はヘラヘラ笑えばいいのか。

それともそのまま惰性で付き合えばいいのか。最悪じゃん。それ、どっちも。真希に対して失礼すぎる。

 真希がいつから私のことを好きだったのかはわからない。それを心のうちに秘めて、こんなに大きな花に育ててしまって、そして本当は隠しておきたかった願いは今最悪の形で暴かれて踏み荒らされている。


 ムカつく。私今めちゃくちゃムカついてるよ、真希。


 私は鼻から息を思い切り吸い込み、吐いた。

肺の中の空気が全部出ていくまで息を吐いて、暴れ出しそうな私をなんとか制御した。


「真希と話をさせてください」


 真希のおじさんとおばさんはなんか勘違いしているみたいで、よかったよかったともう喜んでいる。

爬虫類医師は、黙って書類へのサインを求めた。

治療協力者の欄に星野詩織とできるだけ丁寧に書きながら私は真希を見た。


「治療室の中の音はこちらに届かないようになっています」


 爬虫類医師は最後まで淡々と言った。

こいつちょっといい奴だなと私は彼を見直した。



 私はビニール製の雨合羽みたいなのと同じくビニールでできた給食当番の帽子みたいなのを被らされ、真希のベッドに向かった。

 細くなってしまった真希の腕から、点滴のチューブが伸びている。根元が黒くなってしまったピンクベージュの髪。前髪切りすぎたって言ってたけど、今だとちょうどいい長さになったね。短いのも似合ってたよ。


 花が咲いてる。真希がここまで育てた恋の花だ。誰にも明かさずにここまで育てて育てて、限界がきて弾けた花。真希の養分を吸っているから憎たらしいけど、それはとても綺麗だった。

この花は一人ひとり形が違うのだという。

真希の思いがきれいだったからだね、なんて、それこそ綺麗事で終わらせされないことは私が一番わかっていた。

 恋は泥臭いものだ。相手のことが欲しくて欲しくてたまらなくて、それしか考えられなくて、気持ちがふわふわ舞い上がって地に足がつかなくて、ふと冷静になっちゃうと自分の悪いところとか嫌われそうなところとか否応にも自覚させられて。

そういう思いを真希が味わってきたのなら。


 こういう決着の付け方もあると思う。


「ごめんね。真希。全然気がつかなかった。言ってくれればいいのになんてバカみたいなことは言わないよ。ありがとね、私のこと好きになってくれて」


 私は真希の手を握った。

 暖かい。枕元のモニタに異常もない。よかった。


「それでね。真希。私今めちゃくちゃ腹が立ってんだよね。真希が隠しておきたかったことを暴いちゃったこの病気にも、周りの大人にも、あと気がつかなかった私にも。それから、どうしても『真希のこと好き。付き合お』なんて口が裂けても言えない私にもキレそう。真希とは付き合えない。ここから先は私の妄想かもかもしれないんだけどさ」


 私は鼻の奥がつーんとなって、鼻を啜ってから続けた。泣くな。私。


「もし真希が私に告って、そんで私が断っても、それでも私たちうまくやってけたんじゃないかと思うのね。都合のいい妄想かも知れないけど。都合のいい妄想だって思ったらさ、真希、起きて……起きたらさ……あんた勝手な奴だなって私のこと殴っていいから……」


 私は涙でぐちゃぐちゃになった顔でなんとか言葉を繋いだ。

 真希、もう恋人とか友達かいいから。

 私は真希に起きて欲しいんだよ

 真希、またカラオケ行こうよ。絶対薄めてるあの味が薄いメロンソーダ飲んでバカみたいに笑おうよ。

 今年の夏はピアス開けようって言ったじゃん。

 恋人じゃなくても一緒にいさせてよ。

 真希。真希がいない学校はつまんなくて、1人で行ったカラオケのメロンソーダはだだ味が薄いだけだったよ。ねえ、真希。


 私は真希の手を強く握った。


 私の手の甲に、なにかふんわりしたものが触れた。

 それは真希の胸から溢れた花弁だった。

真紀の胸に咲いた花はばらばらと崩れた。

花弁はすぐにカサカサに乾いてしまった。

最後に残った毛細血管みたいな茎もすぐ引っ張れば取れるんじゃないと思って私は迂闊にもそれに手を伸ばし、右頬に弱々しいパンチを喰らった。


「痛い。詩織、あんたやっぱ勝手な奴だね……」


 カサカサの唇で、真希が笑っていた。


 それからはてんやわんやで、真希の胸に残った根を取り除く手術が行われたり、なんか勘違いしているおじさんとおばさんに感謝されたりした。


爬虫類医師は私が真希の思いを受け入れなかったことをわかっているみたいだった。


「非常に珍しいケースなのですが、あなたの行動がストレスを緩和したのでしょう。受け入れるだけが治療ではないということですね。個別性が高いが事例として学会に発表したい」


 そのようなたわけたことを言っていた。もちろん断った。


 真希は軽いリハビリの後、無事に日常生活に戻れた。私たちは今もそこそこ勉強したり、ファミレスで駄弁ったりCDショップの試聴コーナーに居座ったりして過ごしている。免疫が落ちてるとかでピアスは開けられなかった。


 私たちの関係は変わらず、だからと言って真希の気持ちに踏ん切りが付いたのかは分からない。




 わからないが、私の方は真希の髪がそよぐときとか、ふとした仕草にどきりとさせられることが増えた。

 私は今サッカー部のワイルド系寺山くんに恋しているはずなのに、真希の指を、艶と張りが戻った唇を、最近ラベンダーアッシュに変えたサラサラの髪を目で追ってしまう。


 不意に心拍数が上がるとき、私の胸にも花が咲くかもしれないと身勝手な私は思う。

 もしかして花は感染るのかもしれない。

 私が眠りについてしまったら、真希はどんな言葉で私を叩き起こすのだろう。


ちょっと楽しみだ。












  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

胸に咲く花 いぬきつねこ @tunekoinuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ