アメリカの保留地について
ヨーロッパがアメリカに侵入して以来、彼らはアメリカ先住民(インディアン)たちを支配し、長らく管理してきた。インディアンの居住集を定める「保留地」も、そのひとつに含まれる。
そもそも、保留地とは、旧地主であるインディアンの土地を、ヨーロッパからの侵入者たちが奪ったために、与えた土地である。一部族に一ヵ所が割り当てられたが、不毛の土地だった。また、アメリカ合衆国が法治国家である以上、インディアンとの契約も法的に履行しなければならないが、保留地をめぐっては、歴史的にも現状としても、多くの問題が起こっている。
1778年から1871年にかけて、各部族と「371の条約」が交わされたが、インディアンと合衆国は決して対等な立場ではなかった。
1786年、合衆国議会は、各部族に「インディアン保留地」への移住を促した。インディアン保留地においては、土地の税金がかからず、土地は部族の共有地とされた。これは、1934年の「インディアン再組織法」まで続いた。
1876年、「ドウズ法」によってインディアンの私有財産が認められたが、これはインディアンのためではなく、部族共有性を排除することによって、インディアンのアイデンティティや共同意識をなくそうとするものだった。農牧畜を中心とするインディアンにとって、土地はあまりに広く、1960年からは人種統合政策の影響もあって、白人たちが土地を求めてやってくることになった。白人たちはいろいろと理由をつけて、保留地からなかなか立ち去らず、資源開発や漁業などで利益を求め続けた。また、インディアンには永住権があるわけではなかった。
このように、歴史的を見ると、インディアンにとって不利な状況が続いていたことがわかる。インディアンたちは、次第に自分たちの権利を主張するようになる。特に、1960年以降は、インディアンたちの主張が強くなる。
アリゾナ州を中心に4州にまたがる場所に、全米最大の保留地である「ナホバ保留地」がある。面積としても全米で最大の保留地で、200万人の人口を抱える。また、先住民のなかで唯一、コミュニティー・カレッジをもつことも特徴である。このナホバ保留地では、1974年に、米国議会がナホバ族の強制移住を決定した。議会側は当初その理由を、ナホバ族に囲まれているホピ族を保護するためだと説明していたが、1982年に本当の理由が明らかとなる。ナホバ保留地の地下には、地下資源が豊富に眠っていることがわかり、政府の思い通りに動く族長を通して、それらの地下資源が欲しかったのだ。1980年から、ナホバ族は、保留地の存続をめぐって合衆国と争っている。今日、アメリカ政府は「無期延期」という処置を取り続けている。
1972年には、「(英語)破棄された条約の行進」と呼ばれる、インディアンの権利を求めるデモ運動が起こった。これは部族と合衆国の間の「371の条約」が、しばしば合衆国によって不当に破られてきたことに対して、抗議するものであった。この運動の根底には、1832年のJ.マーシャルの、インディアンの権利を正当に守ろうとした判断が、合衆国側に受け入れられなかったという事件も関係している。
そんな中、インディアンの問題の対策として注目すべきこともある。1988年の「インディアン賭博法」である。インディアンは失業率が高く、自立も困難な現状がある。賭博場を自分たちの広い保留地に開くことができれば、収益も生まれ、職もでき、自立ひいては自治につながるとの見方もある。
民主党は基本的に親インディアンで、共和党は強硬策を取ってきたという傾向がある。インディアンの問題はアメリカ全体の問題でもあり、今後の動向も注目される。
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