死にたがりと歯磨き粉

板チョコ

死にたがりと歯磨き粉

「ねぇ、買い物行ってくるね」

「ん? そうなの? んじゃーアレ……歯磨き粉!切れそうだからついでに買ってきてよ。君よく大事な物切らして悲鳴上げてるでしょ」

 死にたかったから適当に何か、死ぬための物を買いに行こうとしたら余計な物まで頼まれてしまった。

 この辺りは珍しくホームセンターも何もかも24時間営業。いや、24時間営業なんて今どき珍しくもないのか? 最近のことはわからない。一応若者ではあるが。とにかく、例の咳止め薬だったり安めの酒だったり……後替刃を大量に買う。薬剤師らしき人に止められたが、

「家族がそれぞれ自分の分を持ちたいって……。あ、酒は買い溜めです。最近何かと値上げ値上げうるさいじゃないですか。替刃? いやー……必要な時に切らしてることが多くて。だからついでに買ってしまおうと」

 などと大嘘ついて切り抜けた。大嫌いなクソ野郎共親族とはもう随分会っていないのに、しれっと家族だなんて言葉が出てくる自分のクソ度合いに吐き気がしてくる。酒だってすぐに飲み尽くす癖に。そして二日酔いするのに。今回ばかりはその二日目はないわけだが。替刃に関しては……切らすことが実際多いから嘘とも言いきれないが。

 自己嫌悪から来る吐き気を抑えつつ、とぼとぼ帰路につく。後は死ぬだけ。こんな陰気臭い世界とおさらばするだけ。死後の世界なんて知らないし、知ったこっちゃないが。少なくともこんな病みだらけのドン底な現在いまに比べればマシだろう。

「あ、おかえりー。歯磨き粉買ってきたー?」

 ドアノブに手をかけ、アパートの一室に無言で入る。できる限り音を立てないようにしたのだが、ドアに付いている風鈴のせいで無意味だった。同居人の何も知らない憎らしい声は無視して自室に……

「ねぇ聞いてる? 歯磨き粉は買ってきたかって聞いてんの」

「うわっ、ちょっ!?」

 行けたら良かった。無論、自分は抵抗したのだがガリガリの体では抵抗虚しく力ずくで買い物袋の中身を覗かれ、漁られる。

「……ちょっと」

「……はい……」

 あー、不味ったな。これは叱られる。怒鳴られる。嫌だな。怒鳴れるのは慣れてるけど、嫌だ。それとも拳が飛んでくるだろうか。ちょっと、という不機嫌そうな声色に釣られて目をギュッと瞑る。

「歯磨き粉ないじゃん! 買ってきてって言ったよね!?」

「……は?」

 続けられた言葉は、確かに大きな声であったが怒鳴り声ではないし……何より、は? と間の抜けた声が出るには充分な言葉だった。

「もーさーねー、歯磨き粉買ってきてって何回も言ったじゃん」

 いや、一回しか言われてませんけど。

「そして君だっていいよって言ったじゃん」

 言ってませんけど。事実の改変はやめてもらいたいところである。

「なーんで……買ってこないかな」

 役立たず、と言いたげにも聞こえる言い草はとても嫌な思い出を思い出す。怒鳴るわけでもない、殴るわけでもない。これはただ、過去から来る自分の好みなので口答えする気もないのだが。

 とにかく、本人に悪気はなくともうだうだと愚痴を吐かれ続けるのは大分居心地が悪い。半分キレつつも、"買ってくればいいんでしょ! "と家から出てコンビニへ向かう。

 コンビニに着けばいつも使っていたやつは何だったかな、とどうせ死ぬから自分には関係ない事なのにしっかりと考えてしまう自分が嫌になる。どうせ死ぬ奴を扱き使うアイツも、嫌いだ。大嫌い。

 会計を終え、本日二度目の帰路につく。しっかりと片手には歯磨き粉……と、追加のお酒が入ったビニール袋。先程と袋の中身以外で何が違うかというと心境だ。先程はああも心細さとやっと解放されるというちょっと早めな達成感で満たされていたというのに。今では怒り心頭に発する、と言うに相応しい。

 大体何だ。あっちの方が歳上だろうに、何故歳下の自分に言うのか。不審者に襲われるとか、そういうのを考えなかったのだろうか。……あ、やべ。過去を思い出してちょっと吐き気が。いやそれはそれだ。本当に何なんだアイツは。聡いアイツのことだから、死のうとしてることなんてわかってただろうに。止めるよりも歯磨き粉か。人の命よりも歯磨き粉がそんなにも大事か。

 きっとアイツは、同居人である自分が死んでもいつも通りの日常を過ごす。死体の処理とかお葬式とか、非日常が数日あるだけでその後はいつも通り。アイツはサイコパスで嫌な奴だから、「アイツが居なくなってくれて清々したよ」とか言うんだろう。それはそれでなんか寂しいな。

 ……寂しいなぁ。

 家に着いたから、家のドアを開ける。

「おかえり」

「ただいま。歯磨き粉、買ってきたよ」

 ありがとう、と嬉しそうに笑うコイツを見ているとなんとも言えない気分になる。恋でもないし殺意でもない。ただなんとも言えない。悪い感情、ではない。と、思う。

「……ねぇ」

「なに?」

 優しそうな目。こんな目が自分に向けられる日が来るなんて、過去の自分は信じらんないんだろうな。

「……なんでもない」

 こうやって、自分が笑えるようになるのも。

「……そっか」

 きっとコイツは、よく知っているのだ。どうすれば死ぬのを止められるか、同居人の人柄を、よく。こっちは知らないことだらけなのに、あっちに知られてばかりなんてフェアじゃないけど。……そろそろサイコパスで嫌な奴、というベッタベタのレッテルは剥がすべきなのかもしれない。

 洗面所にて、半分は残っている歯磨き粉を見てそう思った。

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死にたがりと歯磨き粉 板チョコ @itatyoko

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