玉川上水八賢伝

森山智仁

玉川上水八賢伝

 今年の梅雨は長かった。心まで湿気てしまいそうだった。

 それが、今日から途端に夏の日射し。待ってましたとばかりにセミどもがフルパワーで鳴き喚いている。


「おーい……おーい……誰かー……おーい……」


 そんなセミいる!?

 幻聴かと思い、耳を澄ます。


「おーい……おーい……」


 どうやら「ミーンミンミン……」という鳴き声が脳内で翻訳され、言語として聴き取れているようだ。

 一体どこだ、人の頭にテレパシーを送りつける不埒なセミは。

 声をたどって、一本の樹に行き着いた。この上だな。


「どうかしましたかー?」


 と念じてみる。テレパシーにはテレパシーだ。


「ああーー……! そこのあなたーー……! 私の声が聴こえるのですねーー……?」

「何かあったんですかーー……?」


 と、こちらもつい間延びした口調になる。


「言伝をお願いできませんでしょうかーー……? この玉川上水にーー……あと七人ーー……私の仲間たちがいますーー……! 彼らに伝えてほしいのですーー……! 『戦が始まる』とーー……!」


 む。いくさとは、穏やかでないな。


「ああーー……ご心配には及びませんーー……! 戦の仔細、ヒトの皆様は知る必要のないことーー……! 霊体にて臨む天界の戦にございます故ーー……!」

「そうですかーー……。じゃあ、詮索はしませんーー……。でも、お仲間はどうやって見つければーー……?」

「こちらをお持ちくださいーー……」


 木の上から落ちてきた物体をナイスキャッチ。

 木片の首飾りだ。妖しげな紋章が彫られている。


「それを身に付けてーー……近くを通ればーー……仲間たちはすぐに気付くはずですーー……」

「了解しましたーー……」


 もともと今日はこの玉川上水沿いをウォーキングする予定だったのだ。道々で伝言を伝えるだけのこと。おれ適任過ぎワロタ。


「ありがとうございますーー……! よろしくお願い致しますーー……!」


 ★


 左手には玉川上水、右手には公園、あるいは墓地。

 二本のストックを軽快に突きながら歩いていく。ノルディックウォーキングというやつだ。

 この首飾りをしていればあちらが気付くということだから、こちらから探し回る必要はない。


「おい、そこの!」


 ほら来た。


「止まれ! しばし待て。今近くまで行く」


 対岸にいたカルガモがバシャンと水に飛び込み、すい〜っとこちらに近づいてきた。


「ヒトの伝令とは久しいな。何十年ぶりであろうか」

「あなたは何歳なんですか?」

「この個体では三歳だが、賢者として転生を始めたのはもう千年以上前のことになる」

「賢者の皆さんは全員そんなに長生き(?)なんですか?」

「いや、つい最近加わった者もいる。我ら八賢にこれといった謂れはない。この上水付近に住んでいるというだけの緩い繋がりよ」


 なるほど、町内会みたいなものか。

 しかしそんな軽い縁で共に戦に出向くとは、賢者とやらも大変だ。


「さて、用件を聞こう」

「『戦が始まる』だそうです」

「ふむ……ついに来たか」


 と言って、カルガモは遠い目をした……ように見えた。


「予感はしていた。『そろそろカモな』と」

「……」

「……」

「……」

「では、行くがよい」

「はい。失礼します」


 ★


(また行き止まりか)


 奥多摩街道を離れたところから拝島駅まで、意外に入り組んでいた。青梅線と八高線の線路も入り乱れ、区画がごちゃごちゃしている。

 行っては戻りを繰り返したせいで、早くもソル◯ィーライチ1本を飲み干した。最寄りの自販機で次はポカ◯スエットを……


(あ、しまった)


 買えなかった。財布に小銭や千円札がなく、この自販機は電子マネーに対応していない。


「やっほー! 君、お金ないの?」


 声の主はすぐそばの木だった。幹には色とりどりの平たい茸が生えている。


「いや、お金はあるんですけど、小銭がなくてですね……」

「ふぅん、貧乏なんだね」

「……」


 今おれは一万円札二枚と五千円以上チャージされたスイカを所持している。しかし、買い物に必要な貨幣を持っていないのだから、確かに貧乏なのかもしれない。

 言伝を伝えると、木はため息をついた。


「戦か〜。できればしたくないものだね」

「やはり嫌なものですか」

「そりゃそうさ。でも、やるからには勝つつもりでいる」

「どうぞご無事で」

「ありがとう。君も道中気をつけて」


 ★


 拝島駅を通過し、ウッドチップが敷き詰められた快適な道を抜けると、広々とした緑地に出た。あちこちで親子連れが遊んでいる。


「やべえ、やべえぜ……死ぬッ!」


 おいどうした。

 こんな平和な世界で誰が死ぬのか。

 声の出どころを探すと、一匹のバッタが虫取り網を持った子どもに追いかけられていた。


「あんた、伝令か! 匿ってくれ!」


 と、バッタは一直線にこちらへ向かってきて、おれの左手の甲に止まった。

 子どもは諦めず、網を構える。

 差し出してやるのが大人の振る舞いだが……


「まーくん! やめなさい! 危ないでしょ!」


 お母さんが制してくれて事なきを得た。


「ふぅ、助かったぜ。万事窮すって奴だな」


 それは先ほどまでの状況である。

 言伝を伝えると、バッタは複眼をきらりと光らせた。


「了解した。腕が鳴るぜ!」


 ★


 バサバサバサ!


「うおっ」


 思わず声が出た。

 突然、真っ黒なカラスが頭の上に乗ってきたのである。


「言伝を」

「あ、はい。『戦が始まる』だそうです」

「承知した」


 そしてただちに去るカラス。

 ドライな賢者もいたものだ。


 ★


 小平の中華料理屋「一番」で、おかずが二つ選べる「お好みセット」を食べた。選んだのはエビチリとイカの辛子炒めだ。

 すごくおいしかった。エビチリはタレだけでもごはんが進み、イカの辛子炒めはしっかりと辛くて汗が出た。胡麻ダレ豆腐も香りがよかった。

 しかし今、とても苦しい。ウォーキングの最中に摂る食事ではなかった。腹が重くてペースが落ちる。


「大丈夫ですか?」


 と、背後から芝犬に声をかけられた。おばさんにリードで繋がれている。

 事情を話すと、犬は「アホか」という顔をした……ように見えた。


「中華の定食なんてそりゃボリュームあるでしょう」

「そうなんだよ」

「避けられた事故ですよね」

「そうなんだよ」


 コンビニでおにぎり等を適量食べるという選択肢もあった。


「どうしても中華が食べたかったんですか?」

「せっかくだから土地のものが食べたかったんだ」

「土地のって」

「うん、わかってる。小平は中国じゃない」

「おじさんの気持ちもわからないではないです」

「ありがとう」

「言伝は確かに聞きました。ご苦労様です。残すところあと二人ですが、その前に少し休むべきですね」

「そうするよ」


 犬とおばさんは角を曲がり、おれは小金井公園で腹を休めた。



「戦ね。悪いけど、行かないわ」


 三鷹駅そばの細い緑地帯で、アゲハチョウがひらひらと踊りながら言った。


「でもあんたが気にする必要はないわ。伝令の役目は伝えることだけ。説得は含まれない」

「でも、あなたが行かないと、他の皆さんが困るのでは?」

「女の子に戦えって言うの?」

「そう言われると困るんですが」

「どんな戦かも知らないくせに」

「確かにそうなんですけどね」

「みんなはみんな。私は私。やりたくないことはやらない主義なの。ましてや戦なんて絶対お断り」

「そうですか」

「あんた、大切な人いる?」

「いません」


 同期はみんな結婚しているのに、おれにはもう四年以上彼女がいない。ぼちぼち諦めている。


「じゃあ、戦争に行けって言われても行かないでしょう?」

「そうかもしれません」


 守りたいものがなくては命はかけられない。


「そういうことだから。さようなら」


 ★


「そうか。やはりアゲハは拒んだか」


 三十キロ続いた緑道の終点、高井戸インターチェンジ手前の金網で、アリはしみじみと言った。


「無理もない。あやつはヒトを嫌っておる」

「ヒトを? では、戦というのは、ヒトを守るためのものだったんですか?」

「そうとも。今、お主らを脅かしている疫病、その元凶たる鬼に挑むのだ」

「……!」

「しかし、アゲハを欠いては……いや、アゲハがいたとて、おそらく勝ち目はない。いくらか力を削ぐことしかできまい。それでも、お主らの犠牲を数千は減らせるであろう」

「どうして、そんなことを?」

「不服か?」

「アゲハさんのほうが自然です。人間は皆さんの敵でしょう。なぜ助けてくださるんですか?」

「単純なこと。恩返しよ」

「恩?」

「およそ三百五十年前、玉川兄弟なる者がこの玉川上水を拓いた。目的は江戸に水を注ぐためだが、流域も見違えるほど住みよくなった。生きるのに水を必要としているのはヒトも我らも同じだ」

「……」

「確かにヒトはしばしば我らの住処を壊す。だが、共存が成り立つこともある。実を言うとな、ヒトよ、我らは写真に撮られたり絵に描かれたりするのが好きなのだ。こそばゆい故、つい逃げてしまうがな」

「そうだったんですか」

「興味を持たれて悪い気はせんよ」

「じゃあ」


 と、スマホのカメラを構えると、アリは触覚をぴんと伸ばしてポーズを取った。


「時に、ようやくヒトも四足歩行を始めたのだな」


 何のことかと思えば、このストックか。


「やっとあなた方に追いついてきました」

「我らは六足ぞ。まだまだ青い。精進するがよい」


 アリは金網を伝って、大地のどこかへ消えていった。


 時刻は午後六時。

 西日を浴びて、中央自動車道が大きな影を作っている。

 彼らの思いを無駄にはしない――そう決意しながら、おれは帰路についた。


 (了)

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玉川上水八賢伝 森山智仁 @moriyama-tomohito

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