(約3000文字) その四 the Cross

 回転していた衛星ミラーボール群が停止し、その姿を消していく。男を包んでいたミラーボールがゆっくりと鏡張りの床に着地し、その形を上部の方から徐々に消滅させ、男の姿を露わにする。

「……やっと終わった……」

 そういえば、少年の能力が何なのか、聞くのを忘れていた。フルーツと言っていたことから、おそらくそれに関する能力なのだろう。まあいい。そもそも、戦いの最中に自分の手の内をさらすやつなどいるわけないのだから。

 長い戦いのように感じたが、実際はほんの数分から十分程度の攻防だったのだろう。やっとの思いで戦いが終わり、張り詰めていた気が切れて、男は脱力して床に膝をつく。

 いまは手や足の痛みなど気にならない、むしろ勝利の余韻によって、それらの痛みすら心地良いと感じるくらいだ。両手を上げて、壁に掛かっている巨大な十字架が震えるほどに、男は勝利の雄叫びを吼えた。

「勝った……! 勝ってやったぜ! コノヤローッ!!!!」


「……やる前に謝っておきます……ごめんなさい……」


 背後からの声に、男が振り返る。拳を握りしめた少年がいた。避ける間も防ぐ間も、驚く間すらなく、男の顔面に少年の渾身の一撃がたたきこまれる。勢いで床を転がる男に、少年が申し訳ないように説明した。

「いまのタイソンさんの攻撃は、本当にすごかったです。今度こそ本当に死んだと思いました。でもレーザーが当たる前に思い出したんです、ここがお城の二階だったってことを」

 さっきまで少年がいた場所、そしていま少年が立っている床の近く、合計二つ、人ひとりが通れるような穴があいていた。

「俺は急いでジュースのビームで床に穴をあけて通ると、一階の天井にフルーツの枝を行き渡らせて、その枝を伝ってタイソンさんの後ろに回り込んだんです」

 とはいえ、もう一度同じ技を使われたら、今度も助かるかは分からない。いまのパンチで気絶していてくれればいいのだけど……。少年の願いもむなしく、男が間髪入れずに上体を起こした。やっぱり自分の腕力では、一発で気絶させることはできなかった。男を気絶させるために、殲滅レーザーを撃たれるより早く、少年は慌てて男へと駆けだす。

 男が手のひらを掲げた。そこに小さなミラーボールが現れる。一本の小さなレーザーが放たれる。少年はすんでのところでかわすが、自分に近付くなと言わんばかりに男は次々とレーザーを撃ち出していく。

「……くらえ。くらえ、くらえ。くらえくらえくらえくらえ、くらえエエエエッ!」

 動く死体や幽霊でも見るような目で、男はレーザーを撃ち続ける。その様子から察するに、もはや先ほどの殲滅レーザー群を撃ち出すほどの力は残っていないらしい。しかし……このままじゃ、やばい! 少年は幾筋ものレーザーを何とかかわしながら、男へと駆けだしていく。

 目前に迫る少年に、ヒイイイイ……ッ! と男が情けない声を出して、頭部のアフロを揺らし、怪我をした足を引きずりながら、少年に背中を見せて逃げ出した。少年の心に焦燥が浮かび上がった。……ダメだ……このままじゃ……ッ!

「そっちに逃げたら、ダメだ……ッ!」

「……へ……?」

 男の眼前に、一筋のレーザーが映り込んだ。

 少年が生きていたことに動転して、男は忘れていたのだ。ここが『ミラーキャッスル』で、周囲には自分が出現させた無数の鏡が張られていることを。そのことを、たったいま、レーザーが鏡によって反射し自分に向かってきた、この瞬間に、思い出したのだ。

 皮肉かな。自分が放ったレーザーによって、男は自らの頭部を撃ち抜いていた。

 ……。

 …………。

 ……………………。

 男は自分の身に起きたことが理解できないでいた。男は生きていた。男の身体に何かがかぶさっている。少年だった。残る体力を振り絞って駆け込んだ少年が、男の身体を床へと倒し、迫るレーザーから守ったのだった。レーザーが撃ち抜いたのは、もっさりとした男のアフロヘア―だった。

「良かった……間に合って……」

 安堵の息を吐く少年に、呆然とした様子で男が尋ねる。

「……なんで……どうして……?」

「なんでって……」

 その問いに、助けられたうれしさに涙を流しながら、笑顔を浮かべて少年が答えた。

「生きていることは、それだけで素晴らしいことだからです……!」

「…………ッ!」

 思いもよらない少年の返事に、男が怒鳴るように叫んだ。

「これは殺し合いなんだぞ! どうしてオイラを助けたんだ! オイラに勝っていれば、ユーは元の世界に生きて帰れたのに!」

「あ……忘れてました、そんなこと」

「な……ッ⁉」

 本当に忘れていたらしい少年のその様子に、男は開いた口が塞がらない。でも……と、少年が続ける。

「たとえそうだとしても、やっぱり俺にはできません。誰かを死なせたり、見殺しにしたりするなんてこと」

 心の底から、本当に少年はそう思っているらしい。正真正銘のバカ。けれど、許せるバカ。正義や正しさと同じ『正』の字が二つも入った、『正』真『正』銘のバカ。『正しく真っすぐで、正しくしるされた』バカ。その心にウソ偽りなど、一切ない。

 力が抜けて仰向けになった男は、乾いた血が付いた手の甲を額に置くと、心の底からおかしそうに、面白そうに室内に響き渡る大きな笑い声を上げた。その様子を、ぽかんとした顔で、不思議そうに少年は見ていた。

 男がひとしきり笑ったあと、二人は立ち上がる。つきものが取れたかのように、朗らかな様子で男が言った。

「残念だけど、オイラにはもう戦う力はないよ。こうして立っているだけで、やっとってくらいだ」

 緊張感が取れた様子で、少年も答える。

「俺も、せいぜい樹や枝をあと少し作れるくらいです。」

「そうか。なら、残念ながら、この戦いは引き分けだな」

 男の言葉に、少年は驚く。

「え、引き分けって、もう戦わないんですか。俺を殺さないと、タイソンさんだって元の世界に帰れないんじゃ……」

 やれやれと、男が大げさな動作をする。

「おいおい、俺は確かに負け犬で冴えないアフロのデブおやじだが、命を助けてくれた恩人を裏切るほど落ちぶれちゃいねえYO。ま、女神とか天使とか、あと天使候補生のやつらは知らないけどNE」

「ハハ……」少しだけ陰のある表情で、少年は苦笑する。少年のその微妙な様子には気付かないで、考え込むように男は言った。

「さて、と。それじゃあ、これからどうするかNA。二人して、少なくともユーに生きて帰還してもらう方法を考えないとNE」

「そんな、俺だけが助かるなんて!」

 聞き捨てならぬといった調子で、少年は食い下がった。少年だけが生きて帰るということは、すなわち男が死ぬか、少なくともこの世界に置き去りになるということに他ならない。そんなことは少年の心情的に、できなかった。

 そんな少年の反論など予期していたというように、男は口を開いた。

「HAHAHAHA。怒るなって。ちゃんと考えはあるYO」

「え? あるんですか、そんな方法が。それって……」

 その疑問を待っていましたとばかりに、男の瞳がキラリと光った。

「それはね……ユーを突き飛ばすことさ。こうやってNE……!」

「え……?」と言う間もなく、少年の身体は男の剛腕によって突き飛ばされる。

 床に尻もちをつく少年が見たのは、壁に掛かっていた巨大な十字架が落下して、その先端が男の身体を貫いた光景だった。

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