【ドアナンバー:『06』】 【殺し合い】 【VS:『ディスコ=プリンス』《タイソン・フィックス》】 【戦場:『ミラーキャッスル』】

(約3500文字) 【ドアナンバー:『06』】 【殺し合い】 【VS:『ディスコ=プリンス』《タイソン・フィックス》】 【戦場:『ミラーキャッスル』】 その一 mandarin orange

【ドアナンバー:『06』】

【殺し合い】

【VS:『ディスコ=プリンス』《タイソン・フィックス》】

【戦場:『ミラーキャッスル』】


 天使が用意した扉をくぐった少年がまず目にしたのは、壁や天井、床に至るまで、視界に映る全面が鏡張りになった空間だった。【鏡地獄】。ふと少年の脳裏にそんな言葉がよぎる。左右上下正面背後、そのすべてに反射する自分の姿を見ていると、目がくらんでしまいそうになる。

 目の前に広がる異様な空間に、不安な心持ちになって、少年は背後を振り返る。しかし、元の場所に戻りたいという少年の淡い気持ちなど知らぬように、たったいま通ってきたばかりのドアは、音もなく、跡形もなく、静かに消え去ってしまっていた。

 悲しい気持ちになったが、いまさらどうしようもない。仕方なく、少年は再び正面に向き直る。

 『アリバイ』と称して、事前に戦場だけは説明されていた。それによると、いま自分がいるのは『ミラーキャッスル』、鏡の城らしい。まさにここは、その名にふさわしい場所といえるだろう。

 天井には燦然ときらめくミラーボールがいくつも浮かんでいて、壁際にはここがお城だということを象徴するような銀色の甲冑や古色蒼然たるロウソク、小さな十字架などが配されていた。視界の端にある下り階段を降りると、豊富な食料とワインを備蓄している地下室があるらしい。

 ……地下室も鏡張りなんだろうか……。そんなことを考えながら、少年は周囲を見回す。一面の鏡に映り込む無数の自分の姿こそ見えるが、それ以外に人の姿はなく、さらにいえば人の気配すら感じられない。本当にこの場所に、戦わなければいけない相手などいるのだろうか、と不安になるくらい、周囲は静けさに満ちていた。

 ……もし幽霊みたいなのと戦うことになったらどうしよう……。少年は幽霊が苦手だった。妖怪や怪物などの異形の存在も苦手で、お化け屋敷やホラー映画などはなるべく見ないようにしているくらいだ。万が一にでもそのような存在と出くわすことにでもなれば、一目散に逃げだしてしまうだろう。

 甲冑などの物陰にそんな幽霊が潜んでいて、気付かれないようにこっそりと近付いてきたらどうしよう、そんな不安に駆られて周囲に首を巡らしていると、突如として中年男性の声が響いた。

「カモーン! 対戦者」

 と、同時に、自分が立っている鏡の床がせり上がり、鏡の天井へと向かっていく。迫る自分の姿に、……ぶつかる! とっさに頭を抱えて少年はうずくまる。しかし予期した衝撃はなく、ガコンという音とわずかな振動がしたかと思うと、また再び先ほどの声が、今度は正面から聞こえてきた。

「おいおい、これくらいでビビってちゃ、オイラの勝ちは決まったようなもんだな」

 少年がそーっと目を開けると、正面の鏡張りの壁には巨大な十字架があり、その下に王さまが座るような立派な椅子が置かれている。そしてその椅子の前に一人の中年男が決めポーズをつけて立っていた。少年よりもはるかに巨漢、というよりも太っていて、顔以上の大きさがありそうなアフロヘア―はかすかにゆさゆさと揺れていた。

「オイラはタイソン・フィックス! このミラーキャッスルのあるじ、『ディスコ=プリンス』さ!」

 サングラスを身に着け、決めポーズをしながら大声で名乗りを上げる男に、つられるように少年も慌てて立ち上がり、軽く会釈する。

「あ、俺はヴァレーです。よろしくお願いしま……」

YOUユーの名前なんか聞いてないZE! レッツ、ダンスダンスミラーダンス!」

 そう言うが早いか、男はキレッキレのダンスを踊り始めた。BGMは男が口ずさむリズムだけのはずなのに、そのダンスは男の見た目とは裏腹に上手で、いつしか少年はそのダンスに魅入ってしまっていた。キレッキレのダンスを踊りながら徐々に近付いてくる男に気が付かないほどに。

 いや、それは魅了されているというよりも、思考停止に陥っているといえる状態だった。少年の目の前にまでたどり着いた男はそこで踊ることをやめ、すべての指にシルバーリングをはめた拳を握り込み、少年の顔面へと殴り掛かった。

 瞬間、それまでボーっと突っ立っているだけだった少年が我に返る。しかし、ほんの少し遅かった。迫りくる、予想もしていなかった男の拳を避けるには圧倒的に時間が足りない。とっさに少年は自分の顔の前に一個の果物――小さなミカン――を出現させる。この一瞬では、そんなミカンくらいしか作れなかった。

 そんなささいな防御などお構いなしに、男のパンチが少年の顔面を打ち抜いた。

「あ゛あ゛っ゛!」

 それはまさにクリティカルヒットに違いない。うめき声を上げた少年は、中身が裂けて果汁をほとばしらせた小さなミカンともども、鏡張りの床を転がった。痛かった。学校の練習試合で攻撃されることや殴られることには慣れてはいるが、それでもやはり、この激痛には慣れることがない。痛いものは、痛いのだ。笑いを滲ませた男の声が聞こえてくる。

「ヘイ、油断してんなYO! 戦いはもう始まってるんだZE!」

 そうだ、そうだった。いくら相手がアラフォーの中年男性といえど、これはれっきとした戦いで、少年が心底嫌がっている殺し合いなのだ。早く逃げなければ、殺されてしまう!

 慌てて少年は立ち上がろうとするが、足がガクガクと震え、視界がグニャリと歪んだ。立ち続けることができず、その場に膝と両手をつく。そんな少年に、見下した声で男が言った。

「頭がグラグラするだろ、脳震とうSA! オイラはこれを起こすのが得意でね。いま二発目をたたきこんで、終わりにしてやるYO!」

 ……脳震とう……脳震とう、だって⁉ グラグラとする頭で、少年はいま自分が置かれている状況の、それこそ命に関わる、極めて深刻なことに思い至る。テレビだったか、それともネットニュースだったか、なにでそのことを知ったのかは忘れたが、伝えていたその内容だけは脳裏の片隅に覚えている。

 【セカンドインパクト症候群】。

 一度目の脳震とうを起こした後、ごく短期間のうちに二度目の脳震とうを引き起こした場合、脳に深刻なダメージを負い、ときには死に至ることがある。たとえ助かったとしても、脳に重篤な後遺障害を引き起こす可能性が極めて高い。

 そう。つまり。男の二発目のパンチを顔面に受けた、その瞬間に、勝負は決まってしまうのだ。何をすることも、抵抗することもできずに、少年は殺されることになる。ただのパンチ、されどパンチ。二撃必殺の無慈悲な強力パンチ。

 男が決めポーズをとった。

「ヘイ! 行くZE! レッツダンシング!」

 男が踊り出すよりも早く、少年は鏡張りの床に両手をついた。それは考えた上での行動ではない。生きたい、元の世界に帰りたいという、少年の思いが直感的に、反射的におこなわせた、無意識の行動だった。

 少年の視界を塞ぐ一本の大きな樹木が出現し、キレッキレのダンスを披露し始めていた男の姿が途切れる。……早く……いまのうちに逃げないと……。木の幹に手をつけて何とか立ち上がろうとする少年の眼前に、いびつに縁取られた小さな鏡が出現した。

「ムダだZE! こんな木なんかでオイラのダンスはジャマできないんだZE!」

 破片のようなその鏡に、キレッキレのダンスを踊る男の姿が映り込む。

 そう、この戦場は『ミラーキャッスル』。壁、床、天井に張り巡らされた無数の鏡の反射によって、たとえどんな場所にいても、いやおうでも互いの姿が見えてしまうのだ。しかしだからといって、なぜ少年の目の前に、それまでなかったはずの鏡が出現したのか。そんなことを疑問に思う余裕もなく、少年の頭がボーっとし始める。

 そして、少年の一切の動きが停止した。

 この瞬間を待っていた。男は踊りながら大きな樹木を回り込み、膝をついて頭を垂れる少年の前に現れる。少年の目前で踊ることをやめた男が、シルバーリングをはめた拳を握りしめ、

「これで終わりDAaaaaッ!」

 少年の頭部へと二度目にして最後のパンチをたたきこんだ。これにて男の勝利が確定した。

 そのはずだった。少なくとも、男はそう思った。自分の勝利を確信していた。だが、男の拳が少年の頭を打ち抜かんとするその刹那、それまでダランと垂れていた少年の腕が瞬時に動き、すんでのところで男のパンチをその手のひらで受け止めたのだ。

「な、なんだとおッ⁉」

 驚く男の声は、次の瞬間、絶叫へと成り代わる。パンチを受け止めた少年の手のひらが淡く輝いたかと思ったとき、その手のひらから一本の先のとがった木の枝が現れ、握りしめていた男の拳を貫いたのだ。

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