飛んで火に入る

 ミチとは図書館以外でも会ったら話すようになった。

 ミチは私を見つけると手を振ってくれる。図書館では私が読みたい本や今までどんな本を読んだかだとかを教え合ったりなんかした。

 ミチは私が好きだと言った本を図書館で一冊一冊見つけては私に報告してきた。読むことはなかったけれど、ミチが好きだと言ったテの本を見つけると、ミチは読んだんだろうか、いつか尋ねてみようと、何度か思った。

 わざわざクラスのところまで会いにいったことはなかった。そんなことをしなくてもいいと思える関係性だって言われたら、確かにそうなのだと思う。


 神様は意地悪だ。気が付いたら私は、どんどんミチに吸い込まれている。

 まるで火に飛び込んでいく虫のように。炎の中に飛び込めば翅も、内臓さえも燃え尽きて死んでしまうのに。


 いつものように本を借りて、ソファのような椅子に座れば、隣にいたミチが顔を上げた。

「ごめん」

「いいよ、今読み終わったし」

 気が付いたら一緒にいるのが当たり前みたいになっていた。ミチが私の隣に来ることも、ミチの隣に私が行くことも。テスト前になればミチと図書館で椅子を並べて勉強した。

 ミチは数学と宗教が好きだと言った。テストの点は比例しないけどね。数学は答えが一つのことが多いのに、不思議なことが多いから好きだよ。なんて笑いながら。ミチが何を言っているのか、わからないままで私はそうだねと相槌を打った。実際、返ってきたミチの数学のテスト答案は赤点の30点に15足した45点だった。

 来週から始まる期末テストのことなんて知らないみたいにミチはまた本を借りようとする。朝ちゃんと勉強したし、放課後だって残って勉強するからいいんだよ。声にしないで顔で語るミチは楽しそうに司書の先生に渡された本をブックカバーで包んだ。


 ミチのことが嫌いなわけではなかった。ただ、ときどきひどく距離を感じる。

 でもだからこそ私は、ミチと一緒にいられるのかもしれない。

「カレン、来週の日曜日、空いてる?」

「うん、どうして?」

「水族館に、行こう」

 行かない?と誘うのではなくて行こう、とはっきりと言うところがミチらしく思えた。付け足すようにカレンとどこかに出かけたくて、なんて笑うミチは、いつもはみせない子供っぽさを残している。

「いいよ、行こう。集合とかは後で決める?」

「そうしたい。」

 お気に入りらしい青色のブックカバーは本の形に沿って端の方が色褪せている。図書館で一冊だけ借りて、このブックカバーに包んで1日で読み切る。そう決めているのだとこの前ミチは言っていた。ブックカバーに包まれているのが酷くもどかしい。ミチは私に見せないように本を読んでいる気がした。

「何の本?」

「秘密」

 そう言って立ち上がったミチの前髪は初めて会った時よりも短い。眉毛を毛先すれすれで隠している。女子高校生ってこんな子のことを言うのかな、なんて思って恥ずかしくなったのは昨日のこと。「似合ってる?」なんて聞くミチが初々しくてなんとなく抱きしめた。昨日の私はほんの少しほんわかとしていて、だからきっとそんなことをしたんだと思う。


 教室の前でミチと水族館の話をする。その水族館には一度も行ったことがないと言ったら、ミチは軽く驚いて、階段を下りながら顔を崩すように笑った。床に上靴が擦れるたびに突っかかりを覚える。ブレーキ音みたいな音を鳴らす水を撒いたような床が憎い。

 上ってきた中学生がミチを見て、嬉しそうに「ミチ先輩、こんにちは」と笑いかける。その子の名前を呼んでこんにちはと続けるミチの目は優しかった。何度か見かけた光景で、挨拶をする子はほとんど毎回違う子たちだった。

「楽しい水族館の思い出にしたいね」

「きっと最高に楽しいと思うよ」

 クラスメイト達がお菓子を片手にこちら側に向かってきているのだろう、知っている声が廊下に響く。

「あ、ミチじゃん」

「久しぶり」

 そう言って笑い合うクラスメイトとミチの距離感は、近い。ミチの他人を入れるギリギリのラインまで、クラスメイトは平然と入っていった。

 足元を眺める。まだ白い私の上靴。少し色の褪せた上靴には薄らと残っている前のクラス番号が記されていて、私の上靴だけがはっきりして見えた。

 確かに25センチは離れているであろうクラスメイトとミチの距離感も、私の知らないものみたいで、今すぐここから抜け出したかった。

「ミチ、じゃあね」

「あ、うんバイバイ」

 話の息継ぎをするようなバイバイが余計に私の劣等感を助長させる。

 仲良しなのだと見せつけられているみたいで、全部視界から消したくて誰の顔も見ずに教室に入る。私の入れない輪が、廊下の隅へ、教室の中へと無理やり押し込んでいるのに、まるで私が自分から進んで教室に入っていくみたいで不服だ。

 教室に入っても、クラスメイトとミチの声が廊下から聞こえてくる。

 何も聞こえないふりをして、水筒の紅茶を流し込む。今喉を開けていると、私が許さないうちに言葉が出てきそうだった。

 常温の紅茶は可もなく不可もない、ただの紅茶で、教室はいつもと同じような空気を充満させている。いつもと違うのは、聞きたくもない声が壁一枚の向こうから容赦なく響いてくることだった。

 充満している重くて水っぽい空気は、雨のせいで、頭が痛いのもそのせいだと言い聞かせた。水滴にまみれた窓ガラスもここ数日で日常のように溶け込みだして、当たり前のように視界に居座っている。



 炎に近づいて、大火傷を負った。私はそれでもミチに吸い寄せられてしまうのかもしれない。いや、きっとそうだ。

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