第37話 トイレ

私の会社は、都心の大きなビルの中にフロアを借りている。

多数の企業が入っており、お互いの会社内容もわからず、働く人々も交流もなく冷ややかな感じだ。


ある日の昼食後、私のフロアのトイレの付近に人だかりできていた。

緊急隊員が行き交い、AED(自動大概式除細動器)を持った人が走り込んでいった。

やがて警官が来て、我々を部屋に戻るように促された。

青い大きなビニールシートがはられ、トイレの主はストレッチャーに乗せられ運び出されたのだった。

その後男子トイレには、立ち入り禁止の黄色テープが縦横無尽に貼られていた。


ざわつく社内。

いろいろ噂が飛び交っていた。

隣の会社の部長が、仕事を苦に首を吊ったという。

数日後には、トイレにベニヤ板で入り口が塞がられた。


私の同僚で、立ち入り禁止のテープが貼られた直後に入った者がいた。

彼が言うには、

「一番奥の個室が現場だったよ。

ドアの上の梁に、ビニールのヒモがぶらさがってたんだ。

先ちょが切れていたんだ、あれで首を吊ったんだな。

床は汚物で汚れて近寄りづらかったよ。」

仲間たちは彼に

「よく見に行ったよ。」

「呪われるぞ。」

と声をかけた。

我々は、少し気持ち悪く感じたが、好奇心の方が強く続きを聞いた。

「そうしたらさ、個室の壁中に何か殴り書きしてあるんだよ。

赤黒い文字で、会社の悪口を。

あれは、血だな。

自分の手を切って、血で書いたんだと思うんだ。」

今後トイレを使用するのが、気味悪くなったのは言うまでもない。


2ヶ月が過ぎ、トイレがリニューアルされた。

中身がそっくり新品になり、壁紙の色も白から明るい水色に変わっていた。

しかし皆事件を知っているので、そのトイレを使う者が少くなるのも当然であった。

それに、幽霊がでると噂までもたち始めた。


ある日、私は急な腹痛をおこしトイレに駆け込んだ。

あれ以来使った事のなかったフロアのトイレに。

一番奥の個室以外満室になっている。

この時おかしく思ったが、背に腹は変えられなくドアを閉めた。


腰を降ろした後も何事もなく、怖れていた自分が可笑しく思えた。

冷や汗をぬぐい、一息ついた。

「ふうっ!」

そして天井を見上げた。

目が合った。

トイレの外からこちらを覗いてる。

輪郭は逆光で黒く見え、血走った目だけが爛々と光っていた。

不覚にも私は恐怖で視線を逸らしてしまった。

私は便座に腰を降ろした状態で、恐る恐る再び天井に目をやった。

そこには何もない天井が広がっていた。


「なんだ、意識しすぎたせいで幻覚を見たんだな。」

と独り言を呟いた。

立ち上がり、ドアのロックに手を掛けた瞬間、胸を強く押された。


ドン!


っと、再び便座に座らされた。

私の周りの壁には、血で書かれたであろう文字が浮かびあがってくる。

殴り書きした呪いの言葉が。

自分を追い詰めた会社に、怨みの言葉を綴っていた。


ガチャガチャ


私は、これ以上堪えられない。

個室から床に転がる勢いで飛び出した。


他の個室は全て扉が開いたままの状態であった。

私一人だけしかトイレにはいなかったのだ。


その後も夜中に人の声が聞こえるなど噂が絶えないトイレが存在している。
























  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る