第21話 19番ホール:メリクリとあけおめ



毎年のことだが、年末年始はどこもかしこも忙しくなる。

学生時代はそんな様子を端から眺めているだけだったが、社会人となるとそうも

いかないと実感する。

俺個人としては、クリスマスだけでなくバレンタインとかハロウィンなどイベントが多すぎる。お菓子メーカーなどの宣伝に日本人は乗りすぎだと思っていた。

考えるに独身で彼氏彼女がいない諸君にとっては関係のないイベントだ。

その際たる例が俺だった。


大学の野球部連中に何人か彼女はいたが、親しい友人には一応公式にはいないものばかりだった。正月に新年会をやることになっているので、そこで報告せねばなるまい。


年末の仕事で言えば、俺の場合、“今年もお世話になりました“と言う年末の挨拶と、年賀状の宛名作りくらいだ。お客さんも片手で済む程度なので忙しくはないが、周りが忙しくしているのでこちらも落ち着いていられない雰囲気だ。

日本の企業慣習もまだまだ改善する余地は十分ある。


どちらかというと大変なのはプライベートの方だ。まさかこの俺がクリスマスは

どうしようとか、初詣はどこに行こうかと頭を悩ませるとは、想像してもいなかった。

補足すると、俺は人混みというのが大の苦手だ。

生来気の短い俺は、待たされるという事が我慢できない。ピッチャーで試合に出ている時は、投げるテンポがやたら早いので試合時間が短く味方の選手から評判が良かった。

しかし今は千夏という強者がいて、30分や40分待つ事に異を唱えようものならケツを蹴っ飛ばされる。


そこで、クリスマス並びに初詣は人の少ない(必然と人気のない場所になる)

ゴルフ場でのラウンドを提案したが、残念ながら聞く耳を持ってもらえなかった。


結局、クリスマスは千夏第一希望のディズニーランドはなんとか諦めさせ、

絶叫マシンオタクのために富士急ハイランドに落ち着いた。

もっとも、高所恐怖症の俺にとってはどっちでも大して変わらないが・・。


今年のクリスマス月は月曜日だが、前日の祝日振替でちょうど休みだ。

こうなるとどこに行っても人・人・人・・だろうから、俺としては心の準備が必要だ。


当日は、お袋の愛車“プリウス”を借用して千夏を迎えに行った。

10時開演だから8時でも十分間に合うはずだが、7時に来いというご指示だったので素直に従った。


家の前では、千夏の他に玲奈と彩佳が一緒に待っていた。

「大樹くん、おはよう!」玲奈と彩佳が同時に発声した。相変わらず仲のいい

元気な姉妹だ。

「あれえ〜、もしかして一緒にいくのかな〜!」冗談で二人に言った。

「え!行っていいの!?」

「行くわけないでしょ。はい、お見送りご苦労様」

千夏がピシャリと返した。


「残念でした。千夏お姉さんがお土産いっぱい買ってくるから、期待して待っててね!」

「大樹お兄さんの間違いだからねえ。欲しいものあったら今のうちに言っときなさい!」

やっぱり千夏お姉さんには口では敵わない。今の時代、男が女に勝てるカップルはいるんだろうか・・・。

「私はクリスチャン・ディオールの香水!」と玲奈。

「私はヴィトンのバック!」と彩佳。


「じゃあね〜」二人の要望は聞かなかったことにして、俺は車を出した。

「あの二人、いつ会っても面白いね」

「まったく、家にいろって言っても聞かないんだから」千夏は少し不満そうだ。

「かわいいじゃん。今度あったらハグでもしてやろうかな」

「たまには私にもしなさいよね!」そう言われて、俺は運転中だったがハグしようとしたら手で顔を反対方向に押しやられた。


「馬鹿なことやってないで、ちゃんと運転しなさいよ!大事な身体なんだから

責任持って連れて行きなさいよ」二人で大笑いだ。


環七から中央自動車道の道のりは至って快調だった。途中サービスエリアで休憩

しても9時前には到着した。開場まで1時間ほどあるのに、かなりの台数の車が

停まっていた。

俺たちは既に“絶叫優先券”という恐ろしいネーミングのチケットをネットで購入していたので、スマホを見ながら効率よく回れるルートを千夏が一生懸命に確認していた。

どうやら同じアトラクションを何度でも乗ることができ、千夏はそれを行使しようとしている。俺にとっては、客泣かせのシステムだ。


「フジヤマは一度でいいけど、やっぱ高飛車とドドンパと鉄骨番長は最低2回は

乗りたいね!どう大樹?」

俺は“最低2回”という言葉に恐れをなし、千夏が乗りたいなら俺も乗りたいなどと

心にもないことを言ってしまった。

「やっぱり〜。そういうとこ好きよ!」どういうとこは理解できないが、

千夏はえらくご機嫌だ。


俺が覚えている限り、午前中だけで“ド・ドドンパ”“高飛車”“ええじゃないか”“鉄骨番長”と4つのアトラクションに乗った。確かに“優先券”だけあって、さほど待つこともなく

俺は絶叫を繰り返した。少なくとも俺の心臓は限界に近づいていたに違いない。

アトラクションで俺が見る限り、女性の方が手を離したりして勇敢だ。

俺も千夏の真似をしてみたが、左右の肘がどうしても伸びきらなかった。


大体、この寒い時に時速200kmで疾走するマシンに乗るなど、尋常ではない。

心臓まで凍りつきそうだ。

「大樹ってもしかしてこういうの苦手なの?」千夏が疑わしげに俺を見た。

「いや、心拍は上がるし心臓は口から飛び出しそうになるし、この世のものとは

思えないくらい楽しいよ」俺は精一杯強がって見せた。

「そうよねえ。怖がるような神経じゃないもんね!」こいつ俺のこと全く分かってない。こういうところはもっと敏感に感じろよと思ったが、千夏は楽しそうにしているので

ここは我慢した。


12時を過ぎてやっと焼きそばとおでんのお昼にありつけた。今日初めて気持ちが落ち着いた瞬間だった。一方、早くも午後の計画を立てている千夏に言った。


「なあ、ちょっと落ち着いた感じのシャイニングフラワーとか乗ろうぜ」ネーミングで言ってみたものの、どんな乗り物か分からなかった。知っていれば言わなかっただろう。

いわゆる観覧車だ。それもゴンドラが全て透明になっていて足元から下界を見下ろせる強者だ。乗ってる最中はお尻がムズムズして落ち着かなかったが、衝撃がない分マシだったが、そのあとは再び絶叫の連続だった。


4時ごろになってやっと、絶叫マシンから解放された。

さすがの千夏も満足感で満たされたようだった。この時間になるとさすがに年末の山梨は寒い。

早めの夕食を信玄館でほうとうを食べて、夜のイルミネーションに備えた。

寒い時のほうとうは胃に染みて美味い。最近では海鮮もあるが、やっぱりかぼちゃなどの野菜がシンプルで好きだ。


「よっ!お二人さん!!」背後からいきなり声をかけられた。振り返るとなんと

榊原さんが仁王立ちしている。俺も千夏も驚いて思わず立ち上がった。

「どうしたんですか?こんなところで。」俺は思わず愚問を口にした。

「どうしたってことないでしょ。私もデートよ、デート!」


少し後ろに、男性と小さい男の子と女の子が立っている。もしかして榊原さんは

不倫をしているのかと聞きたかったが、さすがに失礼だと思い言葉を飲み込んだ。


「邪魔しちゃ悪いと思ったけど、こんなところであっちゃうなんてねえ。如月さん、沢田くんはちゃんとエスコートしてくれてるかな?」

「ちょっと頼りないですが、なんとかやってます」“頼りない”は余計だろ・・・。

「紹介するわ。私の兄と甥っ子の亮太とルイよ」俺と千夏は榊原さんのお兄さんと甥っ子に挨拶した。


「おばちゃん、デートしてる恋人の邪魔しちゃ悪いからご飯食べようよ」

まったく最近のガキンチョはおませでいかん。

「おばちゃんじゃなくてお姉さんでしょ!」榊原さんは甥っ子に真面目に説教している。

「じゃあ、私たち行くから。お邪魔してごめんあそばせ。沢田くん、ちゃんと如月さん

を楽しませてあげるのよ!おい、甥っ子ども、晩飯行くぞおー!」

榊原さんは言いたいことを言って、窓際の空いているテーブルに行った。


「最近、榊原さんの人柄が少し分かってきたよ」

「けっこう豪快なとこがあるのよね。でも頼りになるわよ」

「それにしても、不倫してるのかと思った。ちょっと焦ったな」

「私もそう思った。まあ、不倫ならわざわざ声かけないでしょ」二人で苦笑いだ。


5時を過ぎると日も沈んで、園全体が薄暗くなりイルミネーションの明かりが幻想的だ。外に出ると少し雪が舞っていた。

「ホワイトクリスマスだね」“ああ”と俺が頷くと、千夏は俺の手を握って肩を寄せてきた。急な展開に驚いたが俺も握り返した。俺は握った手を、自分のダウンコートのポケットに入れた。

「これなら手も冷たくないだろ。かなり冷えてきたしな」千夏は無言で頷いた。

しばらくイルミネーションやアトラクションの光をぼんやり眺めながら歩いた。

会話をすることもはなかったが、俺はとても楽しかった。千夏のことを妙に愛おしく思えた。俺たちはまた観覧車に乗った。夜の観覧車なら俺でも怖くなく、上から見下ろすと光が輝いていた。まさしくその光は宝石のようだった。千夏は俺の肩にもたれかかっている。


「やっぱり千夏のことが好きだよ」普段なら言えないような言葉が自然と出た。

「私も。大樹のこと信じてるから。」少し間を置いて千夏は俺の方を向いて行った。

2度目のキスはとても甘く感じた。そして時間がゆっくり流れるような気がした。


帰りの中央自動車道は予想していた通りかなり渋滞していて、事故も起きていたようだ。

家に着くのは11時を回りそうだったので、千夏はお母さんにメールをした。

数分後、メールが返ってきた。千夏は文面を俺に見せ、帰ったら玲奈と彩佳をぶっ飛ばすと物騒なことを言った。俺はなんのことかわからずメールを読んだ。

“お疲れさま。気をつけて帰ってきなさいよ。なんだったら二人でお泊まりしてきてもいいわよ!!玲奈&彩佳 P S冬なのに暑いですね〜”


「二人はよっぽど千夏のことが好きなんだなあ。愛されてる証拠だよ」

千夏は嬉しそうに笑っていた。それから少しして千夏は疲れたのか助手席で寝ていた。

今日だけで千夏との距離がすごく縮まったような気がした。隣で寝顔を見ているだけで気持ちが落ち着くと同時に、身体の中から千夏への想いがどうしようもないくらいこみ上げてくる。この気持ちをどうしたら良いものか、こんな気持ちは生まれて初めてだ。


千夏の家には11時を過ぎていた。千夏は高井戸を過ぎた頃に目覚めていた。

「千夏は絶叫マシンがほんとに好きなんだな」

「まだまだ乗り足りないわ。」また恐ろしいことを千夏は言う。

「今度バンジージャンプに連れてってよ。ね、お願い!」

前向きに検討するよと答えたところで、家の前についた。


「今日はありがとうね。じゃあまた明日会社で。おやすみ」投げキッスをして手を

振って見送ってくれた。俺はバックミラーで徐々にぼんやりするシルエットの千夏を

見ながら、ゆっくり車を走らせた。深夜ということもあったがアクセルを踏む気には

なれなかった。


児玉建設では毎年出勤最終日は、大会議室で忘年会を行うことになっていた。

といっても参加は自由で1時間くらいで終わるらしい。俺たち4人は全員参加していた。

社長初めゴルフ部の先輩方も参加するので、年末の挨拶はしっかりしておこうと

決めていた。


立食形式で決められた席もなかったので、俺たちは末席でも端っこを陣取った。

当然、幹部席は上座で巽部長もそこにいた。取引先からいただいたビールや日本酒、焼酎、ウイスキーなど、酒類には困らなそうだ。つまみはデリバリーで豪勢に盛り付けられていた。


社長の挨拶から始まり、少々気に食わない専務の乾杯の音頭で会は始まった。


俺たちは缶ビールを片手に顔見知りの先輩のところに行っては、“今年もお世話に

なりました。来年もよろしくお願いします。”と、オウムのように挨拶をして回った。


ここでもゴルフ部の先輩方とはゴルフの話で盛り上がった。挨拶もひと段落して

つまみを食べながら千夏と話しているところへ、顔を少し赤くした榊原さんがやってきた。

「どう、楽しんでる?」榊原さんはご機嫌のようで、俺は少し心配になった。

「けっこう盛り上がるんですね。参加者も多いですよね」俺は答えた。


「あの後は真っ直ぐ帰ったのかしら?あら、野暮なこと聞いちゃったかしら」

いきなりど真ん中のストレートだ。

「榊原さん、もしかして酔っ払ってます?ほどほどにしといた方がいいですよ」

俺の言葉を無視して千夏の方を向いて言った。

「この男は仕事はまずまずだけど、こっちに関してはてんでダメだから苦労するでしょ!」そう言って左手の小指を立てた。

「そうなんですよ、やっぱりわかります。さすが先輩です。」

千夏も一緒になって榊原さんの話に乗ってしまった。


「如月に言ってなかったけど、一度こいつを口説いたんだけど全然気がつかないのよね。ほんと鈍感なんだから。オホッホッ・・」

こういう榊原さんは早く帰した方がいいと俺の本能が言っている。大体そんなことあったか?


「そういう男ばダメですよねえ!女心をわからない男は」

そう言って、俺のスネを千夏が蹴飛ばしやがった。

今度はそこへ巽部長がやってきた。


「お、なんだ痴話喧嘩か?」どうやら千夏が蹴飛ばすところを見ていたらしい。

「部長、お疲れさまで〜す!」榊原さんと千夏は突然愛想を振りまいた。

これだから女は怖い。

「部長、痴話喧嘩ではなくて僕へのパワハラが行われていたところです。助けてください」


榊原さんが真面目な顔をして言った。

「部長、沢田ですが仕事だけじゃなくて、経験豊富な部長からこっちも教育してやってください。」そう言ってまた左手の小指を立てた。

「そっちはあまり経験ないからなあ。その辺も榊原くんに任せるよ」

部長もとんでもないところに来てしまったと後悔してるに違いない。


「あれえ、部長それって私への嫌味ですかあ?」

これはまずい展開になりそうだが、榊原さんの目がまだ座っていないのがせめてもの救いだ。

「嫌味じゃなくて、信頼している証拠だよ。君ほど頼りになる部下はいないからな。これからもよろしく頼むよ!」

そう言って部長は別のテーブルに行ってしまった。

俺は千夏に小声で、“なんとかしろよ”と言ってトイレ宣言して移動した。


トイレで田之倉にたまたま一緒になった。


「榊原さん、あれちょっとやばいかも・・・」田之倉は怪訝そうな顔をした。

俺は先ほどの話と以前の居酒屋の話をして、とんでもないことになったと説明した。

「今日は、ちなっちゃんと由佳ちゃんに面倒見てもらおうか?」さすが田之倉だ。

「それがいい、そうしよう!」由佳ちゃんには田之倉が、千夏には俺から頼むことにした。


今日は終わってから4人で久しぶりに飲みに行く予定にしていたが、榊原さんを

放っておくこともできないから仕方ない。

会場に戻ると幸いなことに榊原さんと千夏、由佳ちゃんが3人で楽しそうに話していた。


俺が行くと藪蛇になりそうなので田之倉に行ってもらい、俺は近くのテーブルで焼酎を

飲みながら田之倉たちの様子を伺った。10分ほどしてやっと田之倉が戻ってきた。

「榊原さんてあんな感じだったけ?もっとおしとやかな感じだったけど」

やれやれという表情で田之倉が言った。

「そうだろ。人は見かけによらないんだよ。特に酒の入った榊原さんは」


結局、千夏たち3人でこの後カラオケに行くことになったそうだが、今度は田之倉と由佳ちゃんの関係を怪しみいろいろツッコミを入れられ、千夏に助けられたという。やっぱり榊原さんは只者じゃない。


1時間も過ぎ忘年会もお開きとなり解散となった。

玄関前で榊原さんに捕まりかけたがなんとか逃れ、万一に備えて千夏たちと合流できるよう俺と田之倉は彼女たちとは別で飲みに行くことにした。


10時を過ぎた頃、千夏と由佳ちゃんから連絡が入り今日は帰宅することにしたそうだ。榊原さんもカラオケで落ち着いたらしく、一人で帰るとのことだった。

千夏と初詣の話をできなかったのは残念だったが、こうして4月から始まった俺の今年の会社生活は終わった。大学の野球中心の4年間は愉快な仲間たちと過ごして、辛いこともあったが楽しいものだったが、それが会社に変わり想像していた以上に新しい出会いがあり刺激的なものとなった。社会人1年生としては満足できるもので、来年はどんなことが待ってるか考えただけでワクワクしてくる。


平成天皇陛下の退位によって、平成最後の新年を迎えた。

5月からは新しい元号“令和”になる。だからと言って沢田家の元旦は特に変わる

わけではなく、朝9時に家族全員で集まりお雑煮を食べながら今年1年の目標を

宣言するのが習わしだ。順番は日本古来の伝統に習って家長である父親からと

言いたいところだが、うちの場合ジャンケンで順番が決まる。

格式も威厳も全くない年始の神聖なイベントだ。


これまでの俺の目標の大半は、野球に関するものばかりだったが、社会人になった今年は違った。 お屠蘇をコップでぐっと飲んでから、“ゴルフでベストスコアー79を叩き出す”これが今年の目標だと宣言した。


我が家では人の目標を応援するなどという甘い考えは通じない。

最初は父親からゴルフをやるならパープレイを目指せと先輩ゴルファーからの指摘があり、母親からは彼女ができたんだから早く結婚しろとか余計な発言があった。

この“彼女”に家族全員が反応してしまった。人生23年目で初めての彼女に称賛の声だ。


「兄貴、おめでとう!」「知らなかったよ、ところでどこまでいってるんだ?」

「早く家に連れてこい」「いつまで続くかなあ?」「式はいつにするか?」とかとか、まったく無責任発言が怒涛のように次から次へと出てきた。


なかなか収まらず俺もバカバカしくなってきたので、おせち料理に箸を伸ばし黙々と一人で飲むことにした。

最近ではおせち料理もネットやデパートで注文できるが、うちでは毎年母親が

数日前から準備をしている。なんでも俺の祖母から教わったらしい。


俺は台所から銘酒“獺祭”を持ち出し、おせち料理をつまみに父親と酒を交わし始めた。

父親とこうして飲むのも久しぶりだ。そこに母親も入ってきて宴会状態だ。

次男の浩介は19歳だが、ここだけの話かなりいけるくちだ。三男の和也は高校生らしくちびちびやっている。こうして元旦は家族全員で酔っ払い、1日が終わることになった。

毎年のことではあるが、俺はこの行事が好きだった。来年は初日の出を千夏と見に行こうかと考えながら初夢に期待したが、何も夢をみることはなかった。


児玉建設の初出勤は1月7日の月曜日だ。新年を迎えるとやっぱり新鮮な気持ちになる。

年末年始の休みは11日間あったから、職場のみんなと会うのも久しぶりのような気がする。駅から会社に向かう途中、着物を着た女性を見かけた。

そういえば、昭和の頃は新年会社へは和装で出勤することが普通だったと聞いたことがある。今でも多少なりともその名残が残っているようだ。


俺の前にも着物姿の2人の女性が歩いている。後ろから見ていてもなかなかいいものだ。すれ違う人も見惚れている。普通の人より大股で早歩きの俺は、まじまじと見たい気持ちを抑え女性の邪魔にならないように横を通り過ぎた。2、3歩通り過ぎたところで、

後ろから声がした。


「ちょっと大樹、なに無視して行くのよ!」誰かと思い振り返ったら、思わず声を上げそうになった。なんと、千夏と由佳ちゃんだった。千夏と一緒に初詣へ行った時は普段着だったのに・・・。


「どうしたその格好は?」俺はつまらんことを聞いてしまった。

「どうしたじゃないでしょ!綺麗だとか似合ってるよとか日本語知らないの?」

格好は違っても、中身はいつもと同じだ。しかし千夏は本当に綺麗だった。

化粧もいつも以上に念入りにしたようだ。千夏一人なら素直にいえそうだが、

由佳ちゃんがいると照れる。


「二人とも見違えちゃったよ。全然気がつかなった」俺はしどろもどろで返した。

「まったく新年になっても大樹は変わらないわね」

「ちなっちゃん、綺麗でしょ!大樹くんも嬉しいんじゃない。」

由佳ちゃんがフォローしてくれた。

「由佳ちゃんもとっても綺麗だよ。田之倉も喜ぶんじゃない?」由佳ちゃんは思った以上に赤くなってしまった。余計なことを言ってしまったかも・・・。


会社についてからは、職場のみんなにチヤホヤされて千夏は有頂天だ。

男性社員からの見せ物のようで、俺はあまりいい気分ではなかった。

まったく単純なやつだ。


隣の榊原さんも新人の時は着物で出社したらしい。聞いた話では、着付け手当として会社から1万円が出るらしい。

もっとも女性に限っての話だが、それでも会社全体で着物を着てくる女性社員は

ごくわずかのようだ。それだけ着替えが面倒ということらしい。


朝のドタバタも落ち着き、今年の仕事初めだ。

うちの会社では社長の新年の決意表明があり、後は新年の挨拶とちょっとした事務をこなして定時で終わった。

帰りは千夏と田之倉、由佳ちゃんと4人で渋谷駅まで一緒に帰った。


渋谷駅で別れた俺は、会社の前でスマホで撮った4人の写真を眺めていた。

今日は千夏とあまり話ができなかった。というより話づらかった。中身は一緒だが雰囲気が違った。急に千夏が大人になったような気がした。


「千夏姉、おかえり!」玲奈と綾香が出迎えた。

「ああ〜、疲れた。あんたたちもそのうち着ることになるんだから覚悟しといた

ほうがいいわよ」

「それで大樹くんはなんて言ってたの?」

興味深そうに玲奈と綾香は千夏を見ている。


「そんなことあんたたちに報告する義務はない!」そう言って、千夏は母親に手伝ってもらって普段着に着替えた。

だいたい大樹のやつ、せっかく着物で行ったのに私に何も言ってくれなかった。

まったく私の気も知らないであの鈍感男ムカつく。

そんなことを千夏が考えている頃、大樹は着物姿の千夏を褒めてあげたい気持ちを伝えておいたほうがいいか迷っていた。


その時、榊原さんから電話がかかってきた。

「ごめんね、沢田くん。一つ伝え忘れたことがあってね」

そう言って明日の打ち合わせで使用する資料の追加の件だった。

「今日の如月さん、素敵だったね。彼女が綺麗だと鼻が高いよね。惚れ直したんじゃないの?」年が変わっても榊原さんは変わらない。


「なんか声に元気ないわね。まったく分かりやすいんだから。如月さんとなんかあったの?」

榊原さんには俺の心を見透かされてしまうようだ。俺は榊原さんに話をした。

「相変わらずつまんないことで悩んでるのね。信じらんない、とっとと電話して

あげなさい。きっと待ってるわよ」

電話の向こうで馬鹿笑いしている。


「女は男に褒めて欲しいのよ。前にも言ったでしょ。言葉にしないと伝わらないわよ。

ちなみに聞くけど、着物の柄なんだったか分かる?」

突然聞かれて思い出そうとしたがわからなかった。


「白っぽい花でしたかね・・・」

「やっぱりね、ぜんぜん見てないのね。ピンクの桜の花と菊の花が綺麗に描かれていたわよ。それじゃあね、資料よろしく!」

榊原師匠には当分頭が上がりそうにない。

やっぱり女性のことは女性に聞くのが一番で、その点榊原師匠は頼りになる。

俺も悶々とするのは嫌なので、早速千夏に電話をした。


呼び出し音が4回、5回となっているが出ない。9回目にやっと出た。

「はい、玲奈でーす!綾香でーす」千夏ではない二人がいきなり出たのでびっくりした。

「あけましておめでとうございます。今年もふつつかな千夏姉をよろしくお願い

しまーす!」

電話の奥から、“バカなこと言ってないで、折り返し電話するって言いなさい!”と

千夏の声がよく聞こえた。


「今着物を着替えてるところでバタバタしてますので、しばらくお待ちください!」

俺も二人にとって良い年になるよう伝えて電話を切った。

しばらくして千夏から電話がかかってきた。


「お待たせ!どうしたの?」電話を待ってはいたものの、どう話したら良いのか。

「いや、用というほどではないんだけどな」自分でも歯切れの悪いのがよく分かる。

「今ねえ、やっと着替えが終わったとこ。やっぱ着物は疲れるわあ」

着物の話をしてくれて助かった。これで言える。


「なんか勿体ないよなあ。花柄の模様が似合ってたのに。あれ桜と菊だろ」

「へえー、見てくれてたんだ。あれね、お母さんの着物を借りたのよ。お母さんも喜ぶよ」榊原さんからの受け売りが聞いたようで、千夏は電話の向こうで喜んでいるようだ。


「みんなの前で話すタイミングなくて遅くなっちゃって、ごめん」

「いいわよ。今更だけど許してあげる。由佳ちゃんはね、成人式で作ったんですって。

由佳ちゃんも素敵だったしょ。爽くんもメロメロよ」

「由佳ちゃんもそうだけど、千夏もとっても眩しかったよ」

嘘ではないが、思わず勢いで恥ずかしいことを言ってしまったかも。

「え〜、ほんとに!でも大樹がそう言ってくれると嬉しいわ」

素直に喜ばれると俺も言ってよかった。


「そういえば、お母さんがまたいらっしゃいって言ってたわ。玲奈と彩佳も喜ぶし。ちょっとうるさいけどね」

家に呼んでもらえるのは嬉しいが、ちょっと複雑な気分だ。

今年もいろんなことがありそうだ。千夏とも楽しい1年にしたい。お母さんにお礼を伝えるよう頼んで電話を切った。


榊原師匠の言うとおり電話をしてよかった。自分の気持ちを相手に伝えることが

どんなに大事か改めて知った。

明日から仕事も本格的にスタートするし、担当しているプロジェクトも成功させたい。


そしてゴルフもワンランク上の次元にアップさせるためにやらなければならない

ことはわかっている。俺はすっきりした気分でベッドに入った。

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