モダン

津島 吾朗

モダン

僕は面接帰りに浅見駅で途中下車した。


ショッピングモールに寄ろうと思ったからだ、特にこれといった具体的な目的はない。強いて言うならば「久しぶりに行ってみるか」と思ったからだ。

改札口を慣れた動作で超えていくと徒歩で真っ直ぐ移動し千広駅の改札口を通過し、ホームに繋がる階段を降りるや否や「オレンジデパート駅」行きの電車が止まる。

オレンジデパートは思い出深い場所だ。高校時代の友達の職場は浅見にあり、週末に遊びに行くとなったらオレンジデパートに行っていたからだ。


思い出に没我しながら電車に乗り込むと平日の夕方だからか思いの外、席は空いていたので白いワイシャツの袖口から逞しい腕毛が見えている会社帰りのサラリーマンという雰囲気の男性の二席隣、一席空けて座った。


正面の窓から見える右から左へと流れていく街並みを見ていると柄にもなくノスタルジックな気持ちを掻き立てられる。


過保護で、体の弱い僕の遠出を禁止していた父に無断で母が僕を連れて上野動物園に連れて行ってくれたことを思い出した。

今は別居中だが、母は父の計らいで月に一度きり母の給料日の翌日に会うこととなっている。

「親ならば育児費を払うのは当たり前」という理由からだ。僕はもう一九歳になるというのに。


正直、母は僕のことを好いていないと思う。


月に一度、もっというと二五日に母親は僕と僕の弟に会いに来るのだが、僕は不安障害が原因で大学を辞めざるを得ない状況になり在学時代にしていたバイトの数少ない貯金を毎日々々、少しづつ減らしながら何とか生きている。

弟は僕に似て努力をするのが嫌いな性質(タチ)の人間で小学校の頃から勉強を怠り僕と同じいわゆる底辺高校に入学したのだ。未来のビジョンも曖昧で将来性の欠片もない。母親が月に一度家に来ても、身内が死んでも、赤点を取ってもずっと部屋の隅でスマホゲームをしている、訂正しよう彼は僕よりよっぽど怠慢だろう。


母親はなぜ子どもを愛するのだろうか、そんな疑問が頭を過ぎる。


本能に「子どもを守らなければ」とインプットされているからと言ってしまえばそこまでだろう。

しかし、僕は世の母親はそれ以外の理由を持って子どもを愛している気がする。世の母親が理由があって子どもを見捨てるように。

僕が母親を要する気持ちと同じようなものなのかもしれない。しかし考えても埒が明かないので無理やりに疑問を埒外に追いやった。


「大丈夫、新しいママ見つけてやるから」

夕焼け空に目を焼かれて、父の言葉が頭に反芻する。母からの愛情に欠けた僕は頻繁にこのようなことを考えてはその度にこの言葉が浮かび上がるのだ。


父が僕と弟と祖母を連れてスーパーの行った帰り、夕焼けが目に痛い夕方頃。

父がなんの気なしに「ママいないと寂しいだろ」と言ってきた、それからこちらの返事を待たず「大丈夫、新しいママ見つけてやるから」と言った。


いつもなら「そう言って欲しかったんじゃない、僕はお母さんと離れたくなかっんだ」となるのだが、今回は違った。


ああ、親父は虚勢を張ってたんだな。あの日と同じくらい目に痛い夕焼けを睥睨しながら、初めてプラモが好きな親父が買い与えてくれたプラモデルを完成させた時のような感慨を覚える。もっともあの時と違って、認めてほしいという気持ちは微塵もないが。


ああ、分かるよ。親父は強がりたかったんだよな。


父は母に逃げられた。家庭内暴力の末に逃げられたのだ。今思えばそれらは全て僕や母への愛情の裏返しだった。

考え方によっては「求愛を拒絶された」と取れるかもしれない。


父は母が手から離れて惜しかったのだ。苦し紛れに言った、己を鼓舞する言葉だったんだ、あれは。


今の僕には、分かる。


『親父は中学の三者面談の帰りに男の体ばかりデッサンしている俺を見てホモだと揶揄したよな。親父は高校に入って香水を付け始めた俺に好きな女の子でもできたのか?と言ったよな。まあ、あれはタバコを吸い始めて体臭を気にしてたからなんだけど』


『ああ、半年前に出来てたんだ。未成年の彼女が出来てた。出会い方が特殊で相手が未成年であるということもあって親父には隠してたけどいたんだ』


『彼女と同意の元で投薬自殺を図ったけど失敗したよ。それから「飽きた」と言われて別の男に取られたよ。色々と貢いでやるとか言ってて必死であの時の俺は気持ち悪かった』


『同じく精神障害を患って仕事をやめた友達と通話で話したんだ「馬鹿、お前が素人童貞捨てるよりも先にあんなブスより可愛い彼女作ってやるわ」って話した。彼女は思い出補正もあるのかもしれないけど可愛かったよ、何よりも心が子どもみたいで吸い込まれたよ』


『親父、苦し紛れに吐いた言葉だったんだよな、あれは』


そこまで考えて、なんだかおかしくなってきた。フフと笑いが零れた。


父は今は職場で出来た同じバツイチの女の人と恋人関係にあるんだと思います。週に一度の休みを彼女と過ごしているようです。

有名ブランドの財布と鞄を誕生日プレゼントに買ってやったと自慢げに僕に話してた。

けど返ってくるのは彼女の息子が着古した古着だけ。僕はサイズがピッタリだ。


喪女ってよく聞くけど、喪に男って書いて……なんて読むんだ?あんま聞かないよな。喪(も)に男子(だんし)でモダン、か皮肉だな。

気付けば声を上げて笑っていた、隣の男性は席を立っている。向かいの女子高生のグループはこちらを睥睨している。


オレンジデパート駅への到着を告げるアナウンスが聞こえて理性的になる。

「あぁ、電車を出なきゃ」


誰よりも早く電車を飛び出した僕はそのまま改札を出ることもなくホームに居続けてその電車が過ぎるのを見守っていた。

さっきの女子高生達の囁き声が聞こえる。おっ、あのショートヘアの女の子、元カノより可愛くないか?


電車の到着を告げるアナウンス。

僕は黄色い線を走って飛び越えて砂利の海にダイブした。


そう言えば、おばあちゃんもよく親父のことをちゃんと教育できなかったと言ってたね。

人に信頼されない人が人を信頼できないように。人に愛されない人は人を愛することはできないみたいだ。


鼻先に迫る電車の反射した表面はスーツ姿で地面に座り込んでいる僕の鏡像を映していた。

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