追加エピソード BEFORE 中編 ホテルでの襲撃 前日譚

 ブライアンは重い足取りで二階にある応接室に向かった。ノックもせずにドアを開けると、応接室のソファにマディソンが座っていた。応接室はガラス製のテーブルを挟んで黒い革製のソファが向かい合って置かれていた。そして、壁には絵画が飾られていて、このビルの他の部屋とは違って華やかな雰囲気を纏っている。マディソンは入ってきたのがブライアンだと確認すると、ニヤッと笑って話しかけてくる。


「座れよ」


 そう言われてマディソンの向かいのソファに座る。


「で、俺に用とは何だ?」


 そうブライアンが質問すると、マディソンはスーツのポケットから写真を一枚取り出した。


「この男を知ってるか?」


「ああ、知っているアルベルトだ。お前の部下だった男だろ?」


「”元”部下だ」


 アルベルトとはある仕事を共にこなしてから、何度か食事に行ったことがある。ブライアンがマディソンに嫌がらせを受けていることは組織の人間ならだれでも知っていた。だから、アルベルトは上司のマディソンの愚痴をブライアンにしていた。


「それで、アルベルトがどうしたんだよ」


「裏切ったんだよ。あいつはアデルモの護衛をやってたんだが……昨日、他の護衛とアデルモを殺して、姿をくらましたんだ。車ごと吹き飛ばして、派手にやってくれたよ」


 その言葉にブライアンは衝撃を受けた。アデルモはこの組織の幹部の一人だ。そいつを殺して逃亡など無謀すぎる。


「俺の仕事はアルベルトの暗殺か?」


「そうとも言えるし、そうでないとも言える」


 マディソンの遠回しな言い方に苛立ちつつも、ブライアンは話を続けるよう促した。


「俺の知りえた情報では、奴には後ろ盾がいるようだ。どうも、別の組織の人間も関わっているらしい。この裏切りに乗じて、こちらに宣戦布告するつもりのようだ。現在、アルベルトはそうした別の組織の連中と、俺たちの組織のなかで不満を募らせている連中をまとめているようだ。まだ、はっきりとした人数は分かってないが、50人近くはいるだろう」


「なかなか厄介な事態だな」


 そこまで言われてブライアンはなぜ急にマルコムが相棒を付けるように言ってきたか納得した。既にこの事態を聞いていて、ブライアンが作戦に参加させられると予想していたのだろう。


「そこでお前には、俺と一緒にその反抗勢力の殲滅に当たってもらう」


 そう言われて、ブライアンはしばらく黙っていたが、答える。


「どうせ、拒否権は無いんだろ? やるよ。だがな、今回の一件はお前にも責任があるんじゃないのか? アルベルトがお前に不遇な扱いを受けていたのは、俺を含め、組織内の多くの人間が知っていることだぞ」


 アルベルトがマディソンの部下だったころ、何度も危険な仕事を押し付けられ、だがそれを成功させてきた。だが、マディソンは彼の実力を認めず、昇進をさせなかった。本当ならアルベルトはもう少し安全な仕事や上のポストが与えられても良いはずだった。


「知らんな。俺は組織のために、適切に部下を評価しているつもりだよ」


 ブライアンにそう言われたせいか、マディソンは少し不機嫌そうに言った。そして、またいやらしい笑みを浮かべながら、


「それじゃあ、ブライアン。また後日、連絡するよ。くれぐれもそれまでに死なんようにな」


 と言うと、ソファから立ち上がって、部屋を後にした。マディソンが立ち去った後、ブライアンはしばらくソファに座りながら、アルベルトについて考えを巡らせた。



 ・・・



 それから一週間後に組織と密接な関わりのある会社の役員や政治家を招待したパーティーが開催が予定されていた。そして、ブライアンはその警備の仕事をすることとなった。このパーティーにはボスはやって来ないが、代わりにマディソンが関係者に挨拶に回る。今回は非常時であるから中止にするよう意見も出されたが、マディソンはそれを握りつぶし開催を強行した。


 前日の作戦会議の後、見知った二人にブライアンは出会った。ルネとニケだ。彼らは組織の中でも少ないブライアンの味方だった。


「よう、ブライアン。お前も警備に駆り出されたのか」


 そうルネがたずねる。


「ああ、そうだ。どうやら俺は会場の警備らしい。クローゼットの奥から、スーツを出さなきゃならん」


 とブライアンが答えると、ニケは羨ましそうな顔をしながら、


「俺たちは一日中、エレベーターホールで荷物検査だぜ。パーティーで出される料理が食べてえよ」


 と愚痴るのだった。そんな話をしていると、ルネが急に真剣な顔になって、ブライアンに話しかける。


「今回、アルベルトが裏切ったということだが大丈夫か? ブライアン」


 ルネはブライアンとアルベルトが付き合いのあることを知っていた。だから、ブライアンがいざアルベルトと対峙した時に引き金を引くのを躊躇わないか心配だったのだろう。


「そのことはもう割り切ることにしたさ。仕事優先だ」


 そう言うと、ルネはブライアンの瞳をじっと見つめながら、「そうか」と言った。そして、言葉を続ける。


「それと、マディソンも信用するなよ。あいつはこれを機にお前をまとめて殺そうとするかもしれん」


「ああ、分かってる」


「十分に気をつけろよ」


「ああ」


 そうブライアンが返事をすると、ルネは「またな」と言い、ニケを連れて部屋を出て行った。



 ・・・



 当日、ブライアンは普段着ないようなオーダーメイドの高価なスーツを着て、パーティー会場の警備に当たった。パーティーはホテルの三十階の会場を用いて行われ、豪勢な料理が並ぶ立食パーティーだった。天井を見上げれば、派手なシャンデリアがキラキラと輝いている。そして、片方の壁がガラス張りになっていて、そこから見える街の景色はとても美しかった。会場は参加する人々の話し声と演奏される音楽で賑やかだった。


 ブライアンは壁際に寄って外の景色を眺めた。昔、初恋の相手だったセリーナと食事をしたのも、こうした街の景色を見渡せるレストランだった。どこで道を誤ってしまったのだろう、と後悔の念が心の底から湧き上がってくる。一方で、そんなことを考えても仕方がないという考えも浮かび上がってきた。そうした二つの考えが頭の中でぐるぐると渦を巻こうとし始めた時だった。インカムが鳴り、意識が戻される。


『各員、異常はないか』


『異常なし』


 決められた順番で、返事があった。もうすぐ、順番が来るとブライアンがインカムのスイッチに触れようとした時だった。何か聞き覚えのある音が耳に入ってきた。どうやら、室内からではなく、外からのようだった。初めは弾丸を連射する時の銃声の音かと思った。だが、少し違う。外の様子を見ようと、窓の方に足を伸ばそうとした時、その音の正体が分かった。ヘリコプターだ。次の瞬間、サーチライトの明かりが会場内を激しく照らした。サーチライトの逆光でその姿を会場内から確認することはできないが、ガラス張りの壁のすれすれにヘリが飛んでいる。ヘリのプロペラの音が轟音とサーチライトの明かりに、パーティーの参加者すべてが窓の方に釘付けになった。


 ブライアンが「伏せろ!」と叫ぶ前に別の男がその言葉を叫んだ。ブライアンや危険を感じた客たちが一斉に床に伏せる。次の瞬間、ヘリから銃弾の雨が降り注いだ。銃弾はガラスの壁を粉々に砕き、伏せるのが遅れた客や、料理の並んだテーブルを一瞬で蜂の巣にした。ブライアンの頭上を何発もの銃弾が通り過ぎる。伏せた警備の男が銃をヘリに向け銃弾を放つのが見えたが、焼け石に水だった。逆に注意を引いてしまい、次の瞬間には複数の銃弾がその男を貫いた。


 何千発もの銃弾が発射され終えると、ヘリは上昇してどこかへ行ってしまった。ブライアンは立ち上がると、廊下の方に走った。まだ、別の襲撃があるかもしれないからだ。廊下を出ると、すぐに銃声の音がエレベーターホールの方からした。状況を把握するためにインカムで世にかけるが返信はない。そこで、すぐ近くを通りかかったマディソンの部下に話しかけた。


「一体、どうなってる? 敵の襲撃状況は把握できているのか?」


「俺の聞いた話だと、現在エレベーターホールと非常階段で銃撃になっているらしい」


「分かった。なら、俺はエレベーターホールに向かう。いいな?」


「ああ、わかった」


 そう言って、会話を終わらせて向かおうとしたが、一つの疑問が頭に浮かぶ。


「おい、お前。マディソンは今どこにいる?」


 そう言うと、その部下はしばらく目線を泳がせてから、「知らない」と答えた。それを見て、ブライアンは銃をその男に向けると、胸倉を掴み語気を強めてこう言った。


「部下のお前が知らないわけないだろう。奴はどこにいるんだ! 言え!」


 そう言うと、その男は慌てて


「マディソンさんなら、貨物用エレベーターで先に脱出していますよ!」


 と言った。


「その貨物用はどこにつながっている?」


「地下一階です」


「いくつあるんだ?」


「一つしかありません」


「下に護衛は何人いる?」


「5人です。あと、駐車場にも4人ほど……」


 そこで、ブライアンは手を離した。一人だけ逃げるようなせこい手はきっとアルベルトには筒抜けだろう。この二段階の襲撃そのものが、マディソンを脱出させるための陽動だとしたら……そこまで考えてブライアンはエレベーターホールに向かって走り出した。



 ・・・



 エレベータホールの近くに到着する頃には銃声は止んでいた。そっと、壁越しにホールの方を除くと、複数の死体が床に転がっているのが見えた。そして、男が一人、壁にもたれてぐったりしている。そいつはルネだった。


「おい、ルネ。大丈夫か?」


 そう言うと、ルネは顔を上げて笑顔を見せた。よく見ると、肩から血が流れている。


「少し掠っただけさ。すぐ直る」


「そうか、それはよかった。ニケはどうした」


「あいつなら、襲撃してきた男の一人が逃げたからその後を追ったよ。本当にこいつら、銃声が聞こえ驚いてる隙を突いて攻撃してきやがった。せこい野郎どもだぜ」


 ブライアンはそう言うルネを見ながら、不意を突かれたにもかかわらずこうして無事だったルネとニケに感心しつつ、マディソンのことを思い出して、ルネに話しかける。


「エレベーターは今のところ安全か?」


「ああ今のところはな」


「わかった。なら応援を呼ぶから、そこで安静にしていてくれ。俺はマディソンを追わなければいけないんだ」


「あいつ、ここにいないのか」


「ああ、そのようだ」


「あの野郎、一人だけ逃げやがって。で、どこに行くんだ」


「詳しいことは後で話す。行ってくる」


 そう言うと、ルネをそこに置いて俺はエレベーターに乗り込んだ。エレベーターに乗ると、インカムを使い、エレベーターホールに救援に向かうように連絡した。先ほどと違いすぐに『了解』と返事が聞こえた。



 ・・・



 マディソンが貨物用エレベーターで地下に到着すると、そこにいたのは見知った五人の部下ではなく、アルベルトとその仲間とみられる男二人だった。


「あんたなら、一人で逃げ出すんじゃないかと思ってましたよ」


 そう言うアルベルトの奥には部下の死体が転がっていた。


「全て想定済みって感じだな」


 マディソンが悔しさをかみしめるようにそう言うと、アルベルトは話し始めた。


「あなたのずる賢さはよく知っていたからな。そして、そのせいでどれだけの仲間が犠牲になったか……今回はそんなあんたに復讐するために来たんだ。最後の言葉くらいなら聞いてやるぜ」


 そう言いながら、アルベルトは銃口をマディソンに向けた。マディソンはアルベルトを睨みつけながら、


「お前に話すような言葉は持ち合わせていない」


 と言った。


「そうか。それは残念だ」


 そう言って、アルベルトが今にもトリガーを引こうとした時だった。アルベルトたちの後ろのドアが開き、銃声が響いた。アルベルトの右側に立っていた男が頭部に弾丸を受け倒れる。扉から現れたのは、ブライアンだった。アルベルトは振り返りながら、トリガーを引いた。銃弾はブライアンのいる近くにあった壁かけ時計に命中した。二発目を発射しようとするが、それよりも先にブライアンは近くのテーブルの裏に隠れてしまった。そんなことをしていると、アルベルトのもう一人の部下が、うめき声をあげて床に倒れた。アルベルトが後ろを見ると、マディソンが銃を手に握っていた。アルベルトは不利な状況になったと思い、ブライアンが現れたのとは別の扉に向かって走り出した。マディソンとブライアンが逃げるアルベルトに向けて数発弾丸を放ったがそれらは当たることは無く、そのまま彼は扉の向こうに消えていった。ブライアンはマディソンに近づき、手を差し出したが拒否された。そして、マディソンは言う。


「どうして、外したんだ。お前らやはり仲間なんじゃないのか?」


「そんなことはない。こっちも急いでここまで来て必死だったんだ」


 そう言うと、マディソンは不機嫌そうな顔をしながら、インカムで部下に指示を出し始めた。ブライアンはアルベルトがこちらを見た時の顔を思い出した。彼の顔はお前は組織を裏切れない、そう言っているようだった。ブライアンは自分が彼に誘われなかった理由が分かった気がした。そんなことを考えているとインカムに連絡が入る。ニケの声だった。


『敵の一人を生け捕りにした。至急、誰か来てくれ』

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