追加エピソード ベンとケイトと映画監督 第18話前

 ケイトのアルバイト先のカフェテリアで俺がいつものようにコーヒーを飲んでいるときだった。仕事が一段落して、休憩に入ったのか彼女が俺の向かいの席に座った。彼女はいつもと比べて口元が緩んでいる。何かうれしいことでもあったのだろうか。


「お疲れ」


 とまずは彼女に言った。そして、


「何かいいことでもあったのか? うれしそうだけど」


 と彼女に質問した。すると彼女は待っていました、と言わんばかりに答えた。


「映画に出演が決まったの! しかも、名前とセリフがあるのよ!」


 うれしいニュースに驚いて、俺はカップのコーヒーをこぼしそうになる。ケイトは舞台を中心に活動してきたが最近は映画の仕事にも挑戦するようになった。だがセリフの無いエキストラの仕事ばかりで、なかなかいい仕事は手にできなかった。そんな彼女がとうとう大きな役を手にしたのだ。こんなにうれしいことはない。


「それはすごいじゃないか! 今度お祝いをしよう」


「お祝いもうれしいけど、今度の金曜日スタジオに来れない? せっかくだから私の演技を近くで見てて欲しいの」


 そう言われて、頭の中でスケジュールを確認する。その日は特に予定は無かったはずだ。


「ああ、大丈夫だよ。でも、部外者がスタジオなんかに入れるのかな?」


「大丈夫だと思うわ。オーディションのときに監督と話をしたんだけど、とってもいい人だったの。私のこと『気に言った』って言ってくれてたし、頼めば入れてもらえると思うわ」


「そうか。じゃあ、楽しみにしているよ」


 そう言って彼女に微笑みかけた。彼女の夢への第一歩を近くで応援できることに俺は喜びを噛み締めた。



 ・・・



 そのカフェテリアでの会話の後、彼女から監督の許可を貰ったと携帯に連絡が入った。約束の金曜日、彼女に迷惑はかけまいと普段着ないジャケットを羽織り、きちんと髭を剃って家を出る。近くのバス停でバスに乗り、彼女に言われたスタジオに向かった。スタジオ近くのバス停で降りると、俺を呼ぶ声がした。


「ベン! こっちよ」


 振り向くとバス停近くの木の下にケイトがいた。


「ごめん、待たせたかな」


「そんなことはないわ。さあ、行きましょ」


 そう言って彼女は俺の右手を掴んで、「こっちよ」と言って引っ張った。普段こんなことはしないので、今日こうして映画に出演できることが相当うれしいのだろう。しばらく歩道を歩いていると、ケイトは「あそこよ」と前方を指さした。彼女の指先には、スタジオの名前が大きく書かれたゲートがあった。ゲートの前には警備員が何人か立っている。ケイトは警備員にIDのようなものを見せると、俺のことを説明し、中に入れるよう話をした。二人が話し終えると警備員は俺を呼び、「ここにサインするように」と入館簿を渡してきた。それにサインをすると、一時入館者向けのカードを俺に渡して使い方を説明してくれた。


 二人で中に入ると、前方には大きな建物がいくつも並んでいた。左奥には街並みを再現した野外スタジオがあった。ちょうど撮影中のようで立ち入り禁止の看板が遠くに見える。だが、今回彼女の目的の場所は、前方の建物の中にある屋内スタジオのようだ。


 二人で建物の中に入ると、そこには駅の改札機のようなセキュリティゲートが並んでいた。


「そこのゲートにさっきのカードを通して。それとカードは反対から出てくるから取り忘れないでね。無くすと出られなくなるから」


 そう言って、彼女は自身のIDカードを入れてゲートを抜けた。俺もカードを入れて通り抜ける。


 奥に行くとエレベーターがあり、彼女がボタンを押すと扉はすぐに開いた。彼女は三階を押して、俺が入るのを確認するとボタンを押して扉を閉めた。三階でエレベーターの扉が開くとそこは廊下になっていたが、既に何十人ものスタッフがいて立話に興じていた。そんな人々をかき分けて、俺とケイトは廊下を進んだ。


「すごい人の数だね。これが全部、今回ケイトが出る映画のスタッフなのか?」


「ええ、そうよ。今日は特に撮影開始の日だから、普段は来ないような関係者の人もいるけどね。ここが、スタジオ部屋よ」


 彼女はそう言うと大きな両開き扉の前で立ち止まって、ドアノブを握った。扉を開けると、部屋の中にもたくさんのスタッフが撮影の準備に勤しんでいた。そして、奥にはこれから使用するとみられる映画のセットが置いてある。俺がスタジオ内の光景に感動していると、二人の男がこちらに向かって歩いてきた。二人とも、見たところ60歳くらいに見え、白髪だった。左の男ははひょろ長く眼鏡をかけており、右の男は背はあまり高くないが、顔立ちは整っており若いころはきっと好男子だったことをうかがわせる。ケイトはその二人の男に気づくと声をかけた。


「コルドー監督、今日はよろしくお願いします」


 そう言うと右の男は彼女の方に顔を向けて微笑みかけた。


「ケイト、今日はこちらこそよろしく頼むよ。君は会うのは初めてかな? 今回、私の映画のプロデューサーを務めてくれるトマスだ。昔からの僕の友人だよ」


 そう言って、左の男を紹介する。


「君がケイトだね。これからよろしく頼むよ」


「よろしくお願いします。」


「ところで、横の君は誰かな?」


 と、ここでコルドーは俺の方を見て言った。俺が口を開くより早く、ケイトはそれに答える。


「この前お話した私のボーイフレンドのベンです。今回は入場の許可をしていただきありがとうございます」


「そうか、君がうわさに聞くケイトの彼氏さんだね。なかなかのイケメンじゃないか。君も俳優志望なのかい?」


「いえ、そういう訳では……今日は彼女の晴れ舞台が見たくて来ました。今回は本当にありがとうございます」


 そう言って俺が手を差し出すと、コルドーは握手に応じた。


「まあ、今日は楽しんでいってくれ。こんな機会は滅多にないだろうからね」


 というと、コルドーはトマスと一緒に廊下に向かって歩いて行った。二人が見えなくなると、ケイトは俺に向かって話し始めた。


「いい人でしょ。監督、昔は俳優として活躍していたのよ。だから、役者の目線で話をしてくれるのよ」


「歳をとってるのにかっこいいと思ったけど、前は俳優だったのか」


 そんな話をしていると、中年の小太りをした女性がケイトに声をかけてきた。


「ケイトさん。ここにいたの! 30分後くらいには一旦お試しでメイクをしてみたいから、準備をお願いしてもいいかしら」


 どうやら、映画のメイク担当のようだ。


「わかりました。ベン、少し行ってくるわ。あまり案内ができなくてごめん。また後でね」


 そう言うと、ケイトは俺に手を振りながら、廊下の方に走っていった。


 ・・・



 しばらくはセットの準備を観察したり、映画用の大きなカメラを見て楽しんでいたが、話し相手がいるわけではなかったのでしばらくすると暇になった。ケイトを待ってもよかったが、何か飲みたいと思い近くにカフェテリアがないか探すことにした。廊下を出て、しばらく歩くとエレベーターの横に建物のフロアマップがあった。それによると、カフェテリアが1階の左側のフロアにあるようだ。エレベーターに乗り込み、一階に向かう。


 エレベーターを降りると、左に曲がりそのまま廊下に沿って進んだ。廊下を歩いていると、前方にカフェテリアが見えた。だが、その手前にある廊下の曲がり角付近で聞き覚えのある男の声が聞こえて少し立ち止まる。覗き込むと、そこにはコルドーとトマスの二人が笑いながら話をしていた。話しかけるかどうか悩んでいると、とある名前が彼らの会話から出てきた。


「今回の彼女、名前は何だっけ? ケイトか。彼女には何日夜を付き合わせるつもりだい?」


 とトマスが言った。何を言っているんだ、と俺一瞬意味が分からなかったが、そのまま隠れて話を聞く。


「まあ、とりあえず明日くらいに一夜かな。彼女が望めば何日でも相手になるけどね!」


「彼氏もいるってのに、恐れ知らずな奴だな! いつか痛い目を見るぞ!」


 そういうトマスの顔は笑っていた。ここまで聞いてようやく納得がいく。今回、無名の彼女がこうして大きな役を与えられたのはこれが目的だったのだ。怒りで拳を強く握る。今にもここで、彼らに殴り掛かりそうだった。だが、それでことは解決しないだろう。こちらには証拠がないのだ。俺が捕まり、彼女は役を降板され話は終わるだろう。しばらくは二人を隠れながらにらみつけたが、何の解決にもならないと思い俺はその場を後にした。


 俺はカフェテリアに行かず、建物を一旦出ることにした。しばらくは茫然と歩き続けたが、ケイトを守る方法はないのかと考えることにした。ここで下手に動くことが、彼女の仕事を奪ってしまうことになるのは嫌だった。そうして考えながら歩いていると急に銃声が聞こえた。驚いて音のする方に走っていくとそこは屋外撮影場だった。どうやら、映画の銃撃シーンを撮影しているようだ。拍子抜けして引き返そうと思ったがそこであるものが目に留まった。それは映画の小道具だった。少し危険な賭けだったが、今回の問題を解決する考えが頭に浮かんだ。



 ・・・


 今日の撮影が全て終わると、彼女はカメラの後ろで見ていた俺のところにやってきた。


「どうだった?」


「他の俳優たちに負けていない素晴らしい演技だったよ」


「ありがとう」


 そう言うと、彼女は俺の頬にキスをしてきた。


「これから、着替えた後に食事でも一緒にどう?」


「ごめん、急な用事が入って今から行かないといけないんだ。また今度、お祝いにおいしいレストラン予約しておくよ。本当にごめん」


「わかったわ。そしたら、また今度ね」


 彼女はエレベーターまで俺を見送ってくれた。この後することは決めてある。建物を出ると少し離れたところにあるベンチに座った。建物との間に木が植えられていて、入り口からは見えずらい場所にあったが、こちらからは建物から誰が出てくるか見ることができる。ケイトに見つかる心配があったが、既に太陽が沈み辺りは暗くなっていたので、余程のことが無ければ気づかないだろう。俺はただじっと建物の入り口を見つめて監督が出てくるのを待った。


 30分ほどすると、スタッフたちがぞろぞろとスタジオから出てきた。ゲートに向かって歩いていく人や駐車場に向かう人それぞれいたが、どうやら監督はその中にいないらしい。


 そこから、一時間ほどさらに待った。もしかしたら、監督は今日帰らないのではないか、そう思った時だった。携帯で会話をしながら、スタジオから一人の男が駐車場に向かって歩いていった。その声は昼間に聞いたものだった。俺はベンチから立ち上がり、その後を追う。


「ああ、それでいい。よろしく頼むよ」


 何かの会話をしながら、コルドーは駐車場に着くと、入り口の近くにある黒いベンツの前で立ち止まった。それを確認して、ベンもコルドーに近づく。そして、覆面マスクと拳銃をポケットから取り出した。これは昼間、屋外で撮影されていた映画の小道具から拝借したものだった。どうやら銀行強盗のシーンでも撮る予定だったのだろう。覆面マスクを頭からかぶり、拳銃を右手に持つと一気にコルドーの近くに走り寄った。コルドーは耳と肩で携帯を挟み、車のドアを開けるところだった。コルドーのすぐ後ろまで来ると、首元に銃口を当てこう言った。


「振り向くんじゃないぞ。俺も連れて行ってもらう。後ろのドアを開けろ」


 昼に少し話したので、正体がばれないように普段より声を低くし、口調もブライアンのように話すことにした。


「頼む。言うとおりにするから、撃たないでくれ」


 コルドーは情けない声で返答すると、後部座席のドアを開けた。俺は銃を向けたまま、後部座席に乗り込むとコルドーも運転席に座った。


「車を出せ。ゲートを出るときに守衛に俺のことを話すなよ。もし、妙なことをすれば、すぐに撃ち殺してやるからな」


「わかった! わかったから」


 そう言うと、コルドーは慌ててエンジンをかけ、車を発進させた。



 ・・・


 そのまま、コルドーに街の外れまで運転させると、俺は近くに見えた空き地で車から降りるように言った。エンジンを切り、鍵は挿したままにするように言いコルドーを車から降りさせた。


「そこでこちらを向いて、両手を挙げ、両膝を地面につけろ」


 そう言うと、コルドーは指示に従った。こちらを振り向いたコルドーは昼間では想像できないくらい情けない顔をしていて、目から涙があふれ出ていた。そして、絞り出すような声でこちらに向かって話し始めた。


「金が欲しいのか? なら望み通りの金額を払うから頼む、家に帰してくれ……」


「だめだ。今回は金が目的じゃない。何が目的かわかっているんじゃないのか? 自分の胸に手を当ててよく考えてみろ」


 と言い返した。すると、コルドーは右手を下ろして胸に当てようとしたので、「ただの言葉の綾だ。手を下ろすな!」と言ってコルドーの頬を銃のグリップで殴りつけた。コルドーはうめき声をあげながら、口から血を流した。整った顔立ちが台無しになった。


「さあ、なぜ俺がこんなことをしているか当ててみろ」


 そう言うと、コルドーはしばらく考えて、逡巡してから恐る恐るこちらの方を見て答えた。


「俺が色んな女性に手を出したことか……?」


 昼間に盗み聞きした会話から、ケイトに対してだけではないと思っていたが、やはりこの男は複数の女性に手を出していたようだった。


「よくわかっているじゃないか。俺は雇い主に二度とあのような行為ができないように痛めつけてやれと言われているんだ」


「そうか。わかった。謝る。謝るから……許してくれ! それに二度とあんなことはしない。神に誓う」


「そんな都合のいいようにいくと思っているのか!」


 そう言って、俺はコルドーの鳩尾の辺りを思いっきり蹴りつけた。コルドーは口から胃の中の食べ物を吐き出し、咳き込んだ。そして地面に倒れこみ、両手でお腹を押さえた。これ以上やっては死んでしまうと思い殴るのをやめてコルドーの頭を掴むと、耳元でささやいた。


「今度同じことをしてみろ。お前の寝ている間にベッドの中にお前の買っている馬の頭を置いてやる」


「俺は……馬は持ってないぞ」


 そう掠れた声で言うコルドーを無視して、俺は奴の車に乗った。そして、奴を空き地に置き去りにしてその場を後にした。


 ・・・



 それから、しばらくしたある日、ニュースでコルドーがセクハラにより訴えられたことが報じられた。そのせいで、ケイトが出演するはずだった映画は製作中止になり、彼女を守るためのあの日の俺の行動は無駄に終わったのだった。


 ケイトは監督を信頼していたこともあり、相当ショックを受けたようだった。そんな彼女を励まそうと、俺は食事に誘った。その食事の席はとても静かだった。彼女に何を言えばいいのかまるで分らなかった。ただ、ひたすら出てきた料理を口に運ぶ作業をしているとケイトが口を開いた。


「今回はごめんね。いろいろと気を使わせて……」


「いや、そんなことないよ。俺も何もしてやれなくて悪いと思ってる」


 そう言うと、彼女は俯いた。また沈黙の時が流れる。だがまた彼女から話し始める。


「実はね、あの監督の悪い噂は少し小耳にはさんでいたの。でも、自分がこのまま女優としての夢に踏み出せないのが怖くて。そうした話を承知の上で役を引き受けたの……」


 その話を聞いて俺は驚いた。複雑な感情が体の中を駆け巡る。少し悩んでから、彼女に質問した。


「じゃあ、監督に求められれば、応じたのかい?」


 すると、彼女は顔を上げて、こちらを向いた。


「前の私なら、そうしたかも。でも、今はどうだろうね……でも、一つ言えるのは映画が中止になってよかったってこと。やっぱり、ズルして成功しても後で痛い目を見ることになるもの。実力で勝負しないと」


 そう言うと、彼女はこちらに微笑んだ。だが、目からは少し雫が垂れている。そんな彼女に俺は「そうだな」と答えた。それからは気を取り直して、彼女と楽しく会話をしながら食事をした。





















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