エピローグ

終わり、始まる物語

 茜空。寂寥を告げる蟲の恋歌が、どこか涼し気に囁いている――。

 木々が長い影を落とす夕暮れの雑木林を、どこか歪な、巨大な甲冑が駆けていた。


 熊に比肩するサイズ、ヒトよりも一回りも二回りも巨大な、鋼鉄の駆動甲冑。


 FPAフルプレートパワードアーマー――“羅漢”。新型と鳴り物入りで生産され、それに見合う性能はあったモノの反面ピーキーで使い手を選び、使い手になりえる者から奇異され、……結局は初期に少数生産されただけで終わった、運のない、ある意味希少な鎧だ。


 だが、希少であれ未だ運用する者もいる。ほとんど専用だからこそ、設計者はじめ関わっている技術者を独占できる、とも言える。実戦データと共に要望を言えば喜んで聞いて貰えるのだ。その、積み重ねた改良――あるいは占有の跡が、夕暮れを駆ける“羅漢”にはあった。


 歪だ。身体の右側――利き手なのだろう右腕の周辺には、動きの邪魔にならないよう、ほとんど装甲がつけられていない。左腕は右に比べればまだ手厚いが、それでも装甲は薄い。道から下、脚部は装甲が厚め――と言うより予備弾倉や武装のストック箇所を増やしたついで、だろう。腰から何層かの可動式の装甲が垂れ、そこに幾つも、予備弾倉がつけられている。


 着物の片袖を脱いだような、そんなシルエットだ。背中には弾薬共有の長銃身の機関砲を背負い、右手には短銃身、――よく使われている機関砲20ミリを持ち、腰には、野太刀が一つ。


 首筋に赤い文様。家紋、赤い三日月が一本。

 自らの要望通りに兵器を改良し。今もをその身に帯び続けて。



 ――茜色の雑木林を、追手の音、獲物の足音に耳を澄ませながら、いびつな鎧は駆けていく。

 FPA。纏うモノを守り、纏うモノに力を授ける、兵器。


 使い慣れ、会う形に変えてしまえば尚の事、じゃじゃ馬だろうとそれは強力な兵器だ。

 もはや、慣れきっていた。その歪な鎧にも、あるいは戦場にも。


「……3匹………」


 鎧の主は掛けながら、呟いた。

 焦りも恐怖もなく、……ただ冷静に、どこか冷淡に。



 *



 2年前。


「………う………、」


 白い、部屋。交戦区域内部の帝国軍拠点。基地の病室で、うめき声と共に、青年は目覚めた。大怪我のせいか心なしやつれた青年だ。


「ここは…………?」


 状況を理解しようとでもするように、青年は呟き、最後の記憶を穿り返す。

 ―――どうも、長い、長い夢を見ていたような気がする。何もかも夢だったかのようにどこか記憶がおぼろげなのは、目覚めたばかりで頭が働いていないからだろうか。


 自分の身に何が起きたのか――思い出したのか。青年は自身の腹部に触れた。

 そこには、跡があった。傷跡だ。もう、治っているようで、包帯は巻かれていない。ただ傷の、縫合をされた跡がある。竜に、知性体に、致命傷を負わされたはずだ。それを、誰かが治療してくれたらしい。応急処置だったのかもしれないが、それでも、救われた。


 誰に……?などと、思い起こす必要もない。わかっている。忘れられるはずもない。


 ベッドサイドのテーブルに、何かが置いてある。

 手紙だ。お守り代わりだった妹からのモノの他に、もう一通ある。

 2通の手紙。そして、その横には―――小刀がある。


「……鈴音さん、」


 呟いて、青年――一鉄は小刀に手を伸ばした。

 それは、形見だ。鈴音の、片割れの、形見。それを、一鉄は、鈴音から預かった。


 形見をあるべき場所に。恩を、あるべき人に。回りまわって今もまだ、一鉄の生きる目的は何も変わっていない。


 ……要はただ会いたいだけだ。


 とにかく、一鉄は、小刀へと手を伸ばした。

 けれど、それを手に取る前に、不意に、病室の戸が開く。


 現れたのは見知らぬ男達だ。軍服を着ている。腕章をつけている。そこには記載がある。

 “軍警”――帝国軍内部の規律維持組織。

 その代表だろう、先頭に立つ兵士が言った。


「月宮一鉄少尉。貴官に軍法会議への出頭命令が出ている。罪状は、わかっているな」



 *



 “羅漢”のモニターには、夕暮れに沈む暗がり、雑木林の影のみが映る――。


 レーダーには、竜を示す赤い点が3つ。駆ける“羅漢”を追いかけてきているらしい。レーダーがある以上その位置はわかる。何ならレーダー無しでも、林の中なら音で、だいたいの位置を把握できる。


 もはや3匹程度、特段問題にはならない。問題は、その更に後ろ。

 ―――夥しい数の竜が、レーダー上に映っている。


(……百……二百?面制圧をこれだけ生き残ったのか……また、いるのか?)


 そう思案しながら、歪な鎧、“羅漢”――一鉄は、夕暮れの雑木林を駆け抜けて行った。

 結局、一鉄は逃げている。もっとも恐怖に駆られたからではなく、リスクヘッジとして交戦を避けることにしたのだ。


 周囲には一鉄がしていた味方の部隊がいるはずである。そこと合流するか、あるいはそちらに気付いて駆けつけてもらうか――その方が生存率は高いはずだ。

 今更――こんなところで無茶をして死にたくはない。もう少しで――。


「チッ、」


 急に視界が開け、一鉄は舌打ちした。

 木々が薙ぎ倒されている。焼け焦げ、吹き飛ばされたように。未だに燃えている箇所も視界には映っている。


 面制圧――爆撃の跡だ。この作戦の第一段階として実施された面制圧、その跡である。


 爆撃で大雑把に数を減らした後、歩兵FPAで残党を殲滅し、この戦域を制圧する――その手はずだったはずだが、爆撃の跡地に竜の死骸がほとんどない。


 爆撃を運よく逃れたのが後ろの大群なのか、また知性体がいてどうにか回避したのか。


 ……どちらであれ、だ。

 一鉄はその空地へと踏み込むと、駆けながら半身に後ろを向いて3発、トリガーを引いた。


 追いかけてくる背後の3匹、その姿は未だ木々の向こうで見えていないが――だからと言って位置がわかっているなら一鉄は外さない。


 3発の銃声が蜩の声に溶けるとともに、すぐ後ろにあった3つの赤い点も、姿を現さず消え去った。

 だが、当然、その更に奥の大群は健在。周囲が開けている以上――


(林で進行速度を遅らせる、のも、無理か………)


 冷静に、一鉄は思案する。逃げて逃げ切れないこともないだろうが、安全を期すなら減らせる時に減らしておくのも悪くない。


 一鉄は“羅漢”の腰部独立装甲ウエポンラックから、装備を一つ取り出して、それを地面に置いた。


 爆弾、だ。遠隔で起爆できる爆弾。“羅漢”の整備班に頼んで用意してもらったのだ。


 “羅漢”の運動性能と一鉄自身の狙撃能力、そして永遠森の中をさまよい続けた結果身に付いた森林地帯での単独での生存能力。


 部隊と一人離れて遊撃的に行動する、そんな役割が一鉄に振られるようになっていたのだ。そして、そうやって単身狙撃地点から味方を援護している時に、それこそ今のように運悪く、竜の大群に絡まれることがある。その時、単独行動である以上、ありていに言って死にかける。手が足りなくなる。


 だから―――。

 左手で、その爆弾を地面に設置する。

 同時に、右手で機関砲を一発。


 一匹、気が急いた竜がいたらしい。、だ。もう過去形である。

 木々の間から姿を現した単眼は、現れた瞬間に弾けて赤い染みに変わった。


 それを見るでもなく、爆弾の設置状況をもう一度チェックし、一鉄はそのまま、後ろ向きに歩き出した。


 歩きながら、トリガーを引く。

 木々の向こうで、まだ姿を現していない竜が一定のテンポで赤い染みに変わっていく。


 だが、それでも、――大群が迫る予兆、地鳴りのような足音の群れは響いてきている。


 あの爆弾でどの程度減らせるだろうか?安全に殲滅できるだけの数に減らせるだろうか。

 ………結局、根の臆病さは変わっていないのかもしれない。


 死にたくないのだ。死ぬわけには、いかないのだ。

 また、会うまでは。



 *



 1年前。


「“大和奪還作戦”………?」


 大和帝国帝都、“京”。

 その中央近く、“月宮”の邸宅の応接間。


 そこで、一鉄はそう、来客の言葉を鸚鵡返しに呟いた。

 訪ねてきたのは二人の男だ。一人は眼帯の、中性的で不愛想な男。それから、オールバックの、軽い調子の男。一人は知り合いだ。もう一人は初対面……のはずだ。


 眼帯の男が頷く。


「ああ。正確に言えばそれの準備段階になるんだろうが……交戦区域、今トカゲが好き放題跋扈してる場所は、帝国と連合を東西に横断してる。その東の沿岸をまず制圧して、オニとヒトで共用する軍事拠点を設立する……らしいぞ」


 沿岸を制圧……オニとヒトが共用する軍事拠点の設立。

 思案し出した一鉄を前に、オールバックの男は言った。


「要は、こないだみたいに現地集合はもう止めましょうって話だな。かといって、一応まだ休戦中だから、帝国軍を大っぴらにオニの国に入れる訳にも行かねぇし、逆もまた然り。つうわけで全部グレーゾーンに押し付けちまおうって事だろ」


 ………わからない話ではなかった。

 今の一鉄は噂程度でしか知らないが、一鉄が参加したあの戦いの後、オニとヒトとの共同作戦は実施されていないらしい。同じ戦域を双方同時に攻略しに行き、に手を組むことはあるそうだが……協力を前提とした作戦は実施されていないそうだ。


 政治的な駆け引きがずいぶんあったらしい。帝国内部でも、帝国とオニとの間でも。


 その折衷案が、“大和奪還作戦”。

 ……興味がないと言えば、嘘になる。未だ渡せていない小刀に知らず触れながら、一鉄は問いかけた。


「……その話を、なぜ自分に?」

「スカウトしに来た」


 ぶっきらぼうに、端的に、眼帯の男は言った。そしてそれを捕捉するように、オールバックの男は言う。


「この根暗を中心にした部隊、って奴が今度出来るんだよ。けど、こいつを中心にするってことは無茶しかしないってことになるしよ。だから無茶しても死ななそうな奴を道連れにしたい訳。つうわけでお前に白羽の矢が立ったんだよ。来るよな、一鉄?一緒に地獄にピクニックしに行こうぜ」


 内容の割に軽い調子で、オールバックの男はグッと親指を立てていた。

 要は、何がしかの特殊部隊に志願しないか、と言う話だろうか。

 一鉄は頷きたかった。だが、……俯くしかなかった。


「ですが、自分は………」

 ……現在、事実上の軟禁に近い。


 複数の嫌疑が駆けられているのだ。

 敵前逃亡。命令不服従。越権。上官への反逆。そして……諜報。連合、オニの国と通じているスパイだったのではないか。そういう疑惑だ。


 あの戦場で遂に最後まで生き延びていた尾形特任大佐殿の証言の結果である。あの基地、あの病室で目覚めてすぐ、一鉄は本国に移送され、軍事法廷に立たされた。


 敵前逃亡も命令不服従も越権も上官への反逆も、全て覚えがある。そして、全て軍の内部では重罪。死刑もあり得る状況だった。


 だが、死刑にはならなかった。投獄もされなかった。もしかしたら、“月宮”であることも関係しているのかもしれない。証言した尾形特任大佐殿がその後別の罪で投獄された、と言うことも、あるいはあの戦場を生き延びた帝国軍の兵士が一鉄に有利な証言をしてくれたことも関係あるのだろう。あるいは、もっと、一鉄の知らない裏側があるのかもしれない。


 一鉄に下された罰は甘かった。降格処分、だ。しかもあの戦場での活躍は認められたらしく、同時に昇格もした。結果として少尉として据え置き、別命あるまで待機。


 ……待機、が1年近く続いている。監視も、付けられている。

 皮肉な話だ。敵前逃亡はじめ、やった覚えのある罪はそのほとんどが許された。


 だが、身に覚えのない……諜報、だけが、暗に罪、いや疑惑として残っているのだ。


 それを言い出したのもおそらく尾形だろうが、他と違って一度向けられればその疑惑はなかなか消えない。単純な話では済まないのだ。


 と、そこで、オールバックの男は、眼帯の男の肩を叩きながら、声を上げた。


「軟禁か?そう言うのは、まあ、こっちでどうにか出来る。……ここだけの話な?この根暗の婚約者超権力者なんだぜ?」


 肩を叩かれた眼帯の男は、どこか迷惑そうに顔を顰めていた。


 ……超権力者?そう言われても、一鉄にはピンと来ない。

 眉を顰めた一鉄を前に、オールバックの男は肩を竦めた。


「要するに、細かいことは一切気にすんなって事。俺らはただ聞きに来ただけだ。お前が志願するかどうか。……遠回りだけど近道だと思うぜ?お前の女にまた会うには、な?」

「…………」


 一鉄は、目を伏せた。

 鈴音とはあれ以来会っていない。そもそも、あの基地で目覚めた時点で、鈴音たちはもうオニの国に帰っていた。いや、正確に言えば帰らされた、と言う状況だろう。


 ほんの少し戦場を離れれば、それでもう物事は複雑になっていく。すぐ目の前に敵がいる状態でなければ、そういう場所に生きている人物でなければ……オニも竜も等しく敵なのかもしれない。


 病室には、小刀が……返してと言われた形見が、置かれていた。鈴音からの手紙も、目覚めた時にはもうあった。


 その返事も書いた。だが、……諜報の疑惑がついているのに、オニの国に手紙など出せる訳もない。いや、そもそも手紙を渡す伝自体が存在しない。


 何かしようとしても、何もできない状況に置かれて、1年。

 もしも、その、“大和奪還作戦”に参加することが出来れば、それは確かに、遠回りな近道かもしれない。少なくとも、また会える可能性が、その道の先にはある。


 やがて、一鉄は面を上げて、迷いなく、言い切った。


「許されるなら、……志願、します。……戦場より今この状況の方が、俺には地獄です」


 小刀を……未だ果たしていない約束を、その手に握りながら。



 *



 夕暮れの最中。

 怪物の波が、目の前の木々を踏み倒しながら、押し寄せてくる――。


「…………、」


 おびえずそれを見据え、冷静に一歩ずつ後退していきつつ、一鉄はトリガーを引き続けた。

 後退しながら射撃し、爆弾の起爆範囲を挟んで、竜をおびき寄せていく――。


 振り返ると、1年の軟禁は良かったのかもしれない。十分身体を癒すことが出来たし、リハビリも出来た。なんせ実家だ。ありがたいことに、腐っていたい気分になっても、父は変わらず厳格だった。


 そして、その後、志願してからの1年――それはずっと戦場だった。

 “大和奪還作戦”。東の端で、オニとヒトが双方から、陣地を獲得していく戦争。


 ただ竜を殲滅するのではなく、殲滅したうえで都度防衛線を構築し領地にしていくのだ。歩みは遅々として、だが確かに繋がり掛けている。


「………ッ、」


 一鉄は歯を食いしばる。同時に、左手に持っておいた起爆用のスイッチを押す。

 直後―――目の前に群がっている竜の群れが、爆炎と轟音に呑まれ吹き飛んでいった。

 ……それでも、全てではない。


 爆炎を突っ切り、煙と炎を引いて、何匹ものトカゲが一鉄へと殺到してくる。

 それらへと、一鉄は冷静に、的確に、トリガーを引き、ある程度数を減らした後、また林の中へと駆けて行った。


 何よりも、生き延びることだ。生きていればチャンスはあるだろう。死ぬわけには行かない。まだ、死ねない。約束を果たしていない。形見を、渡していない。


 ……まだ、逢えていない。



 *



 1週間前。


『本作戦の目的は、所定戦域に存在する竜の殲滅、および防衛施設群設営までの工兵部隊の護衛だ。まず、第1段階として所定区域に対して爆撃を行い――』


 建設して日の浅い、真新しさと突貫工事の跡が見え隠れする大規模ブリーフィングルーム。


 その正面、設置された大型ディスプレイには、この大和のど真ん中を横切るような、巨大な交戦区域――竜が跋扈している為帝国のモノでもオニのモノでもなくなった地域――の地図が表示されている。


 それを背に、作戦の概要を伝えているのは、白髪の混じった老年の将官だ。特任、と頭についているわけでもない、れっきとした少将。


『――諸君らも重々承知しているだろうが、この“大和奪還作戦”の最終目的は帝国と連合――オニとヒトとが手を組むため、その橋頭保を築く事だ。陛下、そして殿下御両人肝いりの、未来のための戦争だ。諸君らの中にも戦場でオニと出会った者もいるだろう。……連合側も同時に軍事行動を起こし、作戦区域が一致するとの通達があった。敵を間違えるなよ』


 その声に耳を傾けているのは、帝国軍の士官たちである。


 一鉄も、その一角に腰を下ろし、作戦の概要に真剣に耳を傾けていた。


 作戦区域が一致する。

 オニと、遭遇する可能性がある。


 …………もしかしたら、



 *



 もしかしたら、来ているかも知れない。同じように、遠回りな近道を選択しているかも知れない。


 夕暮れの林。ヒトの爆撃で所々爆ぜて燃えているその最中を、一人のオニは駆けまわっていた。周囲で林が騒めき、突然竜が大口を開け突っ込んできて――

 ――その首が直後には宙へと刎ね飛ばされる。


 白い羽織に赤い返り血を浴びながら、唇を引き締めて、2年たって少しだけ背が伸びたオニの少女は、林の中を駆け抜けた。


 周囲に味方の姿はない。どうやら、事前に聞いた作戦がうまく行っていなかったらしいのだ。


 ヒトの爆撃で竜の大部分を減らす、と聞いていたのに、いざ臨んでみればトカゲは未だ多く、鈴音のいた部隊もその大群に絡まれ、いつかそうしたように、鈴音はおとりを引き受けていた。


 ……流石に、鈴音も学んでいる。あれ以来、いつもいつも、こうやって無茶をするわけではない。と言うよりほとんどしなくなった。仲間を頼り、場合によっては一時撤退する選択肢もちゃんと学んでいた。今回も、一時撤退する可能性が出ていた。


 だが………鈴音は、今回は、撤退したくなかった。

 つい、数時間前。つい数時間前の事だ。


 鈴音の尊敬する頼れる姐さんは、こう言っていたのだ。


『爆撃、ねぇ……。帝国か。真面目な馬鹿がすぐ傍まで来てるかもね?けど、だからって焦るんじゃないよ。まず生き延びて、作戦を成功させて、その後ゆっくり、だ。わかってるね?』


 鈴音の心情を見抜いていたのだろう。その上で忠告してくれたのだ。

 だが、……努めて考えないようにしていた鈴音にとってそれは逆効果だった。


 あれから経験を積んでも、鈴音は未だ若かった。色々と自制が利かなかった。ここまで来て退きたくない、と、つい突っ込んでいってしまったのだ。



 そもそも、である。


 鈴音は未だ一鉄の安否を知らないのだ。病状が安定しているらしい……と言う辺りで鈴音たちは政治的お上の事情で連合に帰ることになった。


 だから形見の小刀と手紙を置いてきたのだ。その場の勢いでなんか恥ずかしい事を書いたような気がするし手紙の内容は思い出さないが結びにしっかり、“返事をくれ”とは書いておいたはずだ。


 それから2年。……返事はない。


 よほどあの男はもう死んだのだろう。忘れよう、……と思ってもやたら夢に出てくるのである。


 夢の内容はあの時の事だ。一鉄が無限に繰り返していた1日、の内容だろうか。


 一鉄を助け、一鉄に助けられた夢だ。鈴音が大怪我を負ったまま、知性体の返り血を浴びたこともあった。それが、赤い知性体の能力、ループに巻き込まれる条件なら、一鉄程完全に、ではなくとも、鈴音もそれに巻き込まれていたのかもしれない。


 記憶が持続する。ただし、夢の形で少しずつ、だ。眠るたびに周回の記憶を思い出していく、と言った具合だろうか。


 結果、夢を見るとあの男がほぼいるのだ。


 ある意味悪夢である。忘れさせてもらえないのだ。これで、鈴音の治療が失敗していたら、本当にあの男がもういなかったら、それこそ本当に、何もかも悪夢だ。


 ……………。

 あの男絶対に許さない。


 鈴音は怒っていた。

 怯えていた。


 ……そして、寂しかった。


 そういう諸々の結果、鈴音は単身竜の最中へ突っ込んでいってしまったのだ。

 そして、そのまま、竜の波を突っ切って、林の中を駆け抜けて行き……。




 いつの間にか、茜空が暗く輝く青色に変わっていた。

 満月が空に輝く最中、爆撃の跡なのか、あるいは元からあったのか……林の切れ目の空き地に踏み込む。


 レーダーのような異能で分かる。その舞台の周囲には、竜がたくさんいる。涼音を追いかけて来てるモノもいれば、……別の誰かを追いかけているらしい、そんな一群もあった。


 そして、そんな、竜に追いかけられて……あるいは逃げていたりしたのか。

 鈴音と同じタイミングで、向かいから、見慣れない鎧が空き地に踏み込んできた―――と同時にその鎧はトリガーを引く。


 鈴音もまた、腰の短刀を投げる。

 空き地の中心で弾丸と刃は交差し、素通りしていく。


 鈴音の背後で、すぐそばまで迫っていた竜の頭がはじけ飛び。

 鎧の背後で、短刀が竜の単眼を貫く。


 そんな血しぶきを双方背後に、いつかと同じ満月の空き地の中心で、二人は背中を合わせて、この場所へと殺到してくる竜へ、それが出てくるのだろう暗がりの木々へ、視線を向けた。


 ……妙に、心臓の音がうるさいのは、きっと走り続けていたせいだろう。鈴音はそんな事を、そっぽを向くような気分で思った。


 背中にいる鎧は、見慣れない形をしている。けれど、知っている、目印になりそうな部分もある。所々に入っている赤い意匠とか。腰にある野太刀とか。


 けれど、もしかしたら気のせいかもしれない。そんなことを思って、戦場では勇敢なはずの少女は、少し怯えたのだろう。


 だから、先に声を掛けたのは、その鎧の方だ。


「………また、無茶してるんですか?」


 周囲には竜が多く迫っている。だと言うのに、なんだか嬉しそうな、笑っているような声が、背後から聞こえて………。


 鈴音は、怒っていたはずだったし、おびえていたはずだし、寂しかったはずだけど。

 それらが全部一瞬でなくなった気がした。


 残ったのは、照れと喜びが混じったような微笑みと。


「……また、逃げてるんだ」


 からかう調子の鈴の音のような声。

 ―――そして直後に、竜の大群がその満月の舞台へと踏み込んでくる。







 形見を返して貰うのも。

 手紙の返事を直接手渡されるのも。

 いろいろと文句を言って拗ねるのも。

 いつか、夢の中で言った『次は……』の続きも。


 ……やっと、ゆっくり、話すのも。



 これから、数時間後の話だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼岸の華を弾響に穿つ 蔵沢・リビングデッド・秋 @o-tam

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ