4 閉ざされた円環/彼岸の華を弾響に穿つ

 赤い光。

 赤い光は、何度も見て来た。


 それが、赤い竜の、異能を使う時の合図なのだろう。


 追い詰めた時、いつもそれで逃げられてきた。そして、やり直したその瞬間にも、その赤い光が空を照らしていた――。


 だから、今回も、やり直すのだろう。

 そう、ぼんやりと、一鉄は、輝く竜を見上げ―――。


 ―――けれど、その光が去った後も、一鉄は、“羅漢”は、その場所に臥せったままだった。


 また、目の前に鈴音の顔を見たりしていない。周囲の状況は、何も変わっていない。


 赤い知性体は、倒れた一鉄を見下ろして嗤っている。

 虫野郎も、致命傷を負って倒れた一鉄を見下ろして、嗤っている。


(……巻き戻って、ない……?)


 あの赤い光は、知性体の能力のはずだ。

 今、能力は発動していた――いや、一鉄をせっかく殺せたのに、やり直す必要は赤い知性体にはないはずだ。一鉄を嵌めた、と言うことはそれだけ一鉄が邪魔だったって事だろう。


 やり直すための能力じゃない。なら、一体――。


 ふと。

 一鉄は、前回の事を思い出した。扇奈に相談した時、頼れる姐さんが話していた事を。


『………で、今回は、さっき。全部竜の能力。主導権はあっち。……やり直すこと自体だけじゃなく、どこからやり直すかもあっちは選べるのかもね』


 ――そして、そこに、案外自由度はない。


『もうやり直す必要がない。あんたがそう判断するとしたら、それはどんな時だい?』


 ――目障りな敵を、うんざりするほど殺し合っている敵を、ついに殺せた時。戦果に満足した時。

 扇奈は、言っていた。


『満足したから保存したのさ』

(保存………今、この瞬間が、スタート地点になった……?)


 確証があるわけではない。

 だが、確信に近い何かがあった。


 やり直す度に、その最初に、この赤い光を見た。

 スタート地点は確かに一度変わっている。それ以後、一番初めに戻されることはなかった。


 罠を張るほどに、一鉄は知性体にとって鬱陶しい敵で、それが、致命傷を負っている。


 大戦果、と認めても良いくらいに、一鉄は知性体に疎まれているのだろう。

 だから、……つまり。


 それこそ、走馬灯のようなモノだろう。

 死ぬ間際の人間が、生き延びる術を探る為に記憶を掘り起こし、脳がリミッターを外して過剰に高速に働いていく。


 もしも、この瞬間が、保存されたのであれば。

 一鉄は、確実に死ぬ。もう、次はあり得ない。


 だが、同時に――一匹は確実に連れて逝ける。

 冷血に、熱血に、知性は回り切り、残り一つ、必要になるのは、――根性だ。執念だ。


「ダアアアアアアアアアアッ、」


 まず、声を出す。死に体に咆哮を上げる。


 父の教えだ。徹頭徹尾武人の、歴戦の雄の教え。戦場の淘汰を生き延びた男の教え。

 それがただの根性論であるはずがない。そこに合理性がないはずがない。


 おびえていようが。竦んでいようが。絶望していようが、死に掛けていようが。

 ――声を上げればその瞬間だけは、必ず、カラダは動く。


 一鉄がまだ動くと、予想していなかったのだろう。

 跳ね上がるように身を起こした一鉄の前で、2匹の知性体は、驚いたように動きを止めていた。


 赤い知性体を殺せるのがベストだ。だが、それは現実的ではない。

 だから、代わりに、目の前にいるムシ野郎を殺す。


 目の前の知性体、透明になる竜が、一鉄の動きに一瞬遅れて反応した。尾が翻る。それは躱せないかもしれない。だが、もうどうでも良い。どちらにせよ一鉄の死は決定している。連れて逝くだけだ………。


 飾りの、月宮の、FPA用の、―――野太刀の柄を握る。

 走馬灯だろう。幼い日の父の教えを思い出す。


 抜刀は芸ではない。其は常在戦場の心意気。月宮としてまず納めよ、と。


 幼い身に叩き込まれた。スパルタだ。出来ないと泣くな。出来るまでやれ。


「――アアアアアアアアッ、」


 一鉄は、“羅漢”は、野太刀を抜き打った。

 死に体であれ、確かに地面を踏みしめ。穴の開いた体幹を気合で捩じり、痛みはもう遠く、ただ一念を持って、振り抜く――。


 一鉄の顔の真横。“羅漢“の装甲を、ムシ野郎の尾が剥いでいく。

 そして、直後、その尾が、力なく、崩れて行った。


 振り抜いた姿勢のまま固まる“羅漢”。その真横に、ぽとりと、ムシ野郎の首が落ちる。

 ……討ち取った。


 そう、思った一鉄の視界の端で、赤い光が瞬き出す。

 視線を向けた先、赤い知性体は一鉄を睨みつけながら、やり直そうとしていた。

 この結果が気に入らないのだろう。赤い竜はムシ野郎を殺すと、いつもいつもいつも、やり直していた。


 今回も―――。





















 

 がりがり。

 ごりごり。

 ぐちゃぐちゃ。

 ばきばき。


 頭の中で異音が鳴り響き、酷い頭痛が一鉄を襲い、だがおかげで気を失わずに済む。


 気付くと、一鉄は地に伏せていた。

 周囲には知性体が2匹。ついさっき、赤い輝きを放ったその時。


 やはり、やり直すタイミングも、赤い知性体は選べるのだ。だが、その時刻は、あらかじめ保存したその瞬間のみ――。


 ついさっき殺された記憶があるからだろう。ムシ野郎が即座に一鉄を殺そうと尾を振り上げる。


 だが、その行動も一鉄は知っている――。

 ――完全に腹は決まった。もう、根性は必要ない。


 最後の一太刀、それを入れる体力がギリギリ残っている状態へ戻されるのだ。


 一鉄は、執念染みた一念を胸に――

 ――起き上がると同時に野太刀の柄を握り、握ると同時に一歩を踏んで、抜き打つ。


 また、ムシ野郎の尾が“羅漢”の顔、その側面を剥ぐ。だが、それだけだ。一鉄は殺されていない。最後の一太刀を振るうことが出来る。


 そして、――ムシ野郎の首が、真横に、ぽとりと、落ちた。

 ……やり直しても、永遠に、これが続くだけだ。


 また、視界の端に、赤い光が灯る――。

 その中で、一鉄は赤い知性体を睨み、呟いた。


「……根競べだ。お前が折れるまで殺し続けてやる……」


 直後には頭痛が全てを飲み込み、―――3度目の同じ状況が。


 あるいは、永遠のこの数秒が、始まった。


 *


 赤い知性体は混乱していた。


 やっと殺したと思ったら死んでいなかった。

 そして、こいつはまだ動いて、トモダチを殺す。今、殺された。


 だからすぐ、赤い知性体はやり直す。

 抜け道があるのではないか、そう淡い期待を抱いてトモダチの首が跳ね飛ばされる様を見てすぐにやり直す。


 何度も何度も、考えがまとまるまでその数秒をやり直し続ける。

 どうにか出来ないだろうか。何か抜け道があるはずだ、と。


 どこかで、死に掛けのこいつの気力がなくなるのではないか、と。

 あるいは、どこかで一度、トモダチがこいつを殺してくれれば、それで終わりだ。


 知性がありながら、思考を放棄したように、ひたすらひたすら、赤い知性体はやり直し続ける。


 どこかで、トモダチが勝つだろう、と。

 けれど、その一瞬の攻防を、執念染みた死に掛けの鎧は、ことごとく制し続ける。


 トモダチが死に続ける。

 ……そうやってやり直す回数分、そのトモダチは死んでいるのだ。死の恐怖と痛みを、なまじ知性があるからこそ、味わって記憶し続ける。


 ――ふと。一体何度目だろう。

 トモダチが死に掛けの鎧に背を向けて逃げようとした。


 けれど、死に掛けの鎧は逃げようとしたトモダチの尾を踏み、踏み抜き、抜き打った太刀でその首を逃さず、跳ね飛ばす。


 また、やり直す―――もしも心があるのなら、最初にそれが折れたのは、やり直す度に殺されているモノだ。


 トモダチが、動かなくなった。

 動かないトモダチの首を、死に掛けの鎧が跳ね飛ばした。


 すぐに、赤い竜はやり直す選択をする。

 けれど、次もまた、トモダチは無抵抗に、ただ、ただ殺される。


 ただ殺される様を永遠見続ける―――。


 やがて、赤い知性体は気づいた。

 やり直す選択肢は自分にある。


 自分が諦めない限り、これは永遠に続くのだろう。そう思わせられるくらい、死に掛けの鎧は冷徹で、情けも容赦もなく、ひたすらトモダチを殺し続けている。


 何度も、何度も、何度も見た、トモダチの死。

 それを前に一瞬硬直した赤い知性体を、死に掛けの、血みどろの鎧は睨み、呟いていた。


「………選べ、」


 やり直す。やり直す。やり直す。やり直す。

 ……そうやって、いくらやり直そうとも――その瞬間の出口は、もう、一つしかなかった。


 *


 ………156回目だ。一鉄は殺した数を数えていた。

 そういう事をしていなければ正気を保てないのだ。


 156回、ムシ野郎を殺した。途中から、諦めて動かなくなったそいつを、容赦なく切り伏せる。


 感慨も何もない。

 もはや、ただ、事実だけがある。


 一鉄は死ぬ。致命傷を負った上で動いたのだから。

 だが、ただでは死なない。片割れはもらっていく。


 選ぶのは赤い知性体だ。片割れを諦めるか、縋って永遠にこれを繰り返すか。


 ポトリ、と、ムシ野郎の首が落ちる。同時に、身体も崩れ落ちる。

 次で、157回目だろう。そんな事だけを思い、次を考えた一鉄。


 けれど、その視界が、赤く輝くことはなかった。


 だらりと、太刀を下げて、視線を向ける。

 赤い知性体が一鉄を睨んでいる。そこには、怨嗟の表情があるようにも見える。


 一鉄が憎いのだろう。

 ―――同じくらい一鉄も、竜が憎い。


 赤い知性体は能力を使わなかった。ただ、他の竜と同じように、怨嗟を宿して一鉄へと突っ込んでくる。


 太刀を振れば切れるだろう。単純な戦闘能力では、赤い知性体は雑魚も雑魚だ。

 だが、その一太刀を振るう体力と気力は、もうなかった。


 わかった事がある。怨嗟の表情を浮かべていても、こいつは、片割れを今、見捨てたのだ。見捨てて、先に進むことを選んだ。


 竜を相手に、こんな、どこか女々しい意地を張っても仕方がないのかもしれないが。


「……俺は諦めきれなかったぞ、」


 いや、正確に言えば、諦めさせてもらえなかった、かもしれないが。

 あの子から見れば、一鉄の行動は色々、急に移ったのかもしれない。


 だが、一鉄からしても、それは似たようなモノだ。


 出会った時も急に現れた。

 諦めようとした時も、諦めさせてくれなかった。


 そして、今も――。

 ――目の前。飛び掛かってくる、赤い知性体。怨嗟の表情を浮かべた怪物。


 その首が、横合いから突然、矢のように鋭く、だが軽やかな足取りで突っ込んできた誰かに、切り落とされる。刎ね飛ばされる。


 綺麗だと思った。その、淀みない一閃が。あるいは、その一閃を振るった誰かが。


 月明りの真下で、噴き出した鮮血のカーテンの向こうで、酷く、輝いて見える。


 じっとしていて欲しかった。

 安全な場所にいて欲しかった。確かに、一鉄は、そう言ったはずだ。はいって言ってたはずだ。


 だと言うのに………この子は本当に、言う事を聞いてくれない

 怨嗟の表情のまま、跳ね跳んだ赤い知性体の首が、ぽとりと地面に落ちる。


 同時に、残った身体が、赤い液体をまき散らしながら、倒れて行く――。

 その向こう側で……白い羽織の、返り血のせいでもう、元の色がわからなくて、それはそれで似合っているような気がする、そんな彼女が一鉄へと視線を向けた。


 髪が乱れている。一生懸命走ってきたのだろう。すぐさま、その子は、一鉄へと駆け寄ろうとする。その姿を、顔を見て、


「………女神だ、」


 そんな、また、バカみたいな事を想って。

 一鉄の意識は、執念は、そこで、途絶えた。

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