3 “羅漢”/人事を尽くし天命に抗う

 赤い知性体は、イラついていた。


 うまく行かないのだ。


 ループに割り込んでくる奴は無視することにした。どうせ殺されに来るから放っておいても良い。


 それよりもまず、それ以外の人間を殲滅しようと、包囲して結集して力づくで突破しようとして――。

 ――けれど、数の上で圧倒しているはずだと言うのに、突破できない。


 けが人を押し付けたのがあだになって、オニの絶対数が減っていない。しかも、けが人を押し付ければおとなしくなるはずの、紅色のオニが今暴れまわっている。


 前回もそうだった。ループを重ねるごとに知性体が一方的に有利になるはずだと言うのに、その優位性が崩れている。もうやり直せない段階での、その時点での正解が、今やミスに変えられている。


 知性体はどこまでも遊んでいるような気分だ。

 子供が遊んでいるから、うまく行かなくなるとじれる。だんだん、手持ちの札の浪費が激しく、雑になっていく。


 だから、これまでの周回で一番早いタイミングだろう。切り札を使うことにした。


 背後で、周囲で、それまで地面におとなしく蹲っていた数多の竜――翼が退化し切っていないそれらが、羽ばたき始める。


 挟撃しよう。正面の圧力は変えず、後ろを気にさせてやろう。それで、何人か目立つ駒を削げればまだ勝機はある。


 あったはずの優位性が確立できない。次があるともっと、悪い状況になるかもしれない。

 ――やり直すごとに、人間も竜も、お互い、追い詰められているのだ。


 その判断は、ミスだった。

 赤い知性体は知らない。


 周囲の竜を飛び立たせたせいで、自分の居場所を完全に特定されてしまったことに。気付けるはずもない。これまで、自身が狙撃を受けたことなどなかったのだから。その概念を赤い知性体は良く知らない。


 だが、赤い知性体にも、まだ、運が、残っていた。


 知性体の判断に、反応が遅れていた竜がいた。一瞬遅く、飛び立った竜がいた。


 そして、それが、偶然―――射線と重なった。


 真横で飛び立った竜が、突如、弾けて血の雨になり地面に落ちる。


 一瞬遅れて、赤い知性体はそれを見た。その先を見た。―――その先にあった銃口を、人間を、苛立たしく――。


 *


「クソッ!」


 一鉄は吐き捨てた。

 赤い知性体を狙撃した。弾道は正確だった。そこに、一瞬遅れて跳び上がった竜が偶然重なったのだ。


 ―――じれていた、と、千載一遇を逃した後、一鉄は歯を食いしばる。


 一拍おいて撃つべきだった。射線に入り込まれる可能性自体を排除して、飛ぶ奴を全て見送った後撃つべきだった。だが、そのほんの一瞬の我慢が利かなかった。


 ――後悔している暇はない。一鉄はすぐさま、照準を再び赤い知性体に合わせ、引き金を引く。

 今度こそ、赤い知性体に当たる――はずだった。


 だが、狙撃の存在を知られてしまえば、同時に、対処法も目の前で学べば、赤い知性体も即座に対応してくる。


 今度は、偶然ではないだろう。竜が一匹、射線に飛び込んで、壁となって赤い知性体を守っていた。


 そして――その後の対応も早い。

 飛び立った竜、20匹あまり。扇奈たちの方へと跳び上がっていたそれが、空中で方向を変えたのだ。


 ………一鉄の方へと、空を飛ぶ竜が迫ってくる。


「……チッ、」


 舌打ちして、一鉄は即座に起き上がり、“羅漢”へと身を滑り込ませた。

 こうなる可能性を想定して準備しておいた、とはいえ………失策は失策だ。


 これで、存在が知られてしまった。狙撃はもう使えないかもしれない。次があれば、対応されかねない。そして、こうなった以上もう、いつ、知性体が今回に見切りをつけるかわからない。


 だとしても、一鉄は今回に見切りをつけるわけには行かなかった。

 どうにかして、赤い知性体を始末しなければいけない。


 今回を逃せば次がどうなるかわからないのだ。赤い知性体に指揮車が危険、と認識され、完全に破壊されでもすればその後の周回で一鉄たちが勝機を得られる可能性はほとんどなくなる。


「……今回で、終わらせる、」


 決意のような、執念のような――そんな言葉を一鉄が口ずさんだ直後、鎧は閉じ切り、一瞬の暗闇の後、見慣れたディスプレイ越しの景色が一鉄の目の前に現れる。


 赤い知性体の位置は、把握している。見えたままだ。動いておらず、あちらも一鉄を眺めている。何か考え合っての事か、それとも、今送った戦力だけで一鉄を処理し切れると考えたのか。


 一鉄――“羅漢”は、動き出した。

 頭上からは、何匹もの竜――空を飛ぶ竜が、一斉に、一鉄の元へと降下してきている。


 レーダーを見る限り、この丘の下にも、竜が集ってきているらしい。

 ……鈴音たち、本隊に割いていた分の兵力も、一鉄に向けてきているのだろうか。


 悠長に考える時間はない。

 一鉄は、両手に1門ずつ持った20ミリ、それを飛来する竜たちへと向け、迷わずトリガーを引いた。


 右は、点射だ。左はフルオート。

 結局、この“羅漢”を扱いきることは出来ていないのだ。単発で高精度に処理し切ることは出来なかった。だが、えり好みできる状況でもない。


 だから、可能な間は弾幕を張ることにした。

 右手は可能な限り狙い、左手は雑に敵のいる方向へ弾丸をまき散らし、飛来する竜を撃ち落としながら、一鉄は丘の上から飛び降りた。


 急勾配は丘と言うよりも崖だ。そこに、僅かに足を掛け、砂煙と言うよりも削り取っていくように、欠片をまき散らし、滑り落ち続けながら――。


「……クソ、」

 ――トリガーを引き続ける。


 射撃精度が低い。狙った所に完全には飛ばない。けれどそれも織り込み済みで、2門の点射で弾幕を張る。


 予備弾倉はある。左手の20ミリに関しては今撃ち切っても構わない。


 左手で間断なく、弾幕を張り。

 右手で可能な限りの狙撃を、滑り落ちたまま。


 “夜汰鴉”でやっていたような、綺麗な射撃とはいかない。


 だが、その弾幕は、対空迎撃として飛ぶ奴に対しては有効だった。


 一匹、一匹、頭を吹き飛ばされ、あるいは即死とはいかずとも羽を吹き飛ばされ、頭上の竜が数を減らしていく。


 丘を滑り切った時には、もう、空を飛ぶ奴はいなくなっていた。

 ――けれど、これで敵が全滅した訳ではない。


 周囲の深い、黒い森。それが、ざわざわと、あるいはバキバキと、騒めいている。

 レーダーは真っ赤だ。相当数、一鉄の元に竜が迫ってきている。


 その状況を視界の片隅に、だが、見据える先は赤い知性体のいる場所。

 降りてしまえば射線も視界も通らない。だが、さっきまでいた場所はわかる。


 その方向へと、一鉄は駆け出し――。

 ――走り掛けた瞬間に、目の前の森から巨大な口が飛び出してきた。


「邪魔だッ!」


 その口へと、左の20ミリの銃口を突っ込む。そしてためらいなくトリガーを引く。


 目の前にいる竜の後頭部が弾けて、脳症が木々に降りかかり、それでも止まらないフルオートの弾丸がその木々をも撃ち抜き砕いていく。


 打ち砕いた先にも、単眼がある。一鉄へと迫ってきている。……立ち止まった瞬間に包囲されるだろう。


 だが、一切の迷いなく、一鉄はその森の中へと踏み込み、駆けて行く――。

 正面に、左手で、弾丸の雨を降らし続ける。木々をなぎ倒し、行く先にいる竜をなぎ倒しながら、ひたすら正面へと、赤い知性体の元へと駆け抜ける。


 同時に、側面から来る竜を、右手の20ミリで的確に処理していく。無視して良い位置にいる奴は無視して、ひたすら先を目指す。


 背後で振り回される尾を無視し、横合いから飛び掛かる牙を撃ち落とし、正面の奴は弾丸の雨で無視して、飛び越えて、踏んで、先へ先へ先へ――。


 ――ふと、左のトリガーの感触が軽くなった。弾が切れたのだ。そして弾切れになった瞬間に、正面から竜が大口を開けて突っ込んでくる。


「――舐めるなッ!」


 そう、咆哮を上げながら、足を止めず、一鉄は正面から迫る竜へと、弾切れになった20ミリを


 ぐしゃりと――あるいは、“羅漢”だから、“夜汰鴉”より性能が、出力が上だからか。


 鈍器代わりに振り下ろした20ミリが、目の前の竜の目を、脳を叩きつぶした。

 返り血が降りかかり、負荷に耐えかねた20ミリの砲身が歪む。


 ――どうせ2門ある。一つ捨てても構わない。


 一鉄はそのまま左の20ミリを手放し、同時に、右手の20ミリの弾倉も捨て、走りながら予備弾倉へと手を伸ばし――。


 また、目の前に竜がいる。2匹、一鉄を待ち受けている。

 リロードは早計だったか。いや、どちらにしろどこかで右も弾が切れる。そんな思考までも無視していくように、一鉄はそこで、大きく跳ね上がった。


 の際に、“羅漢”の運動性も確かめておいた。“夜汰鴉”より上だ。そしてそれに慣れきることは出来なかった。だが、出来ませんでしたで諦める気は一鉄にはない。


 目の前にいた2匹、その頭上を飛び越える――二つの単眼には映っていた。宙に身を置きながらリロードを終わらせ、その終わり際にはもう、銃口は竜へと向けられて――。


 点射を2回、計6発、その鉛の雨で2匹が血しぶきになると同時に、“羅漢”は着地した。そして、振り返らず森の奥へと駆け抜けていく――。


 邪魔な奴は木を抜いて、後ろの奴は無視して、レーダーにある真っ赤な地獄を置き去りに、“羅漢”は駆けて行った。


 ――包囲を抜けたのか。ふと、一鉄の行く先に、レーダーの反応がなくなる。

 まだそこにいるのだろう、赤い知性体の反応以外、正面にも側面にも亡くなった。


 だが――それももう、一鉄は知っている。


 どうせ罠だろう、と。

 レーダーに映らない竜がいるのだから。


 耳を澄ます。木々のざわめきに耳を欹てる。

「――今、」


 一鉄が銃口を向けた先に、レーダー上はなんの反応もないはずのその場所に、竜が姿を現した。その瞬間に、弾丸が竜を射抜いていく。


 ……透明になる知性体、ではない。それに近い能力を持った、ただレーダー上から消えるだけのただのトカゲだ。


 何度も何度も、気が遠くなるほどの回数、も殺してきている。


「今更、不意打ちになるかァ!」


 吠え。駆け抜け。引き金を引き。返り血を浴び、牙が尾が掠めながらも尚進み――。



 “羅漢”。

 月宮一鉄はその場所へと辿り着いた。


 飛ぶ竜の群れが羽ばたいたことで、木々が薙ぎ倒され、遂数分前に作られたばかりの、空き地。


 月明りが直に降り注ぐその中心。

 赤い――真っ赤な色合いの知性体は、まだそこにいて、憎々し気な視線を一鉄へと向けていた。


 レーダー上では、周囲に竜はいない。が、レーダーに映らない奴が潜んでいるかも知れない。かといって、それを気にしている余裕はない。


 何度も、何度も何度も何度も何度も、この戦域で戦い続けて来た。


「――もう、うんざりなんだよ、」


 声と共に、月宮一鉄は銃口を赤い知性体へと向け、トリガーを引きかけ――。



 その瞬間だ。

 赤い知性体、嗤った。


 と、思えば――一鉄のすぐ真横が、月明りに照らされたその場所が、奇妙に、


「―――ッ、」


 咄嗟に――向けかけた銃口が、衝撃に跳ね上げられる……いや、切り飛ばされる、か。


 真っ二つに割られ、ばらばらに砕けて行く20ミリ。それを、一鉄は即座に手放した。


 まだ、武器はある。飾りだが素手よりマシだ。ここまで来て諦める選択肢は存在しない。

 一鉄は腰の野太刀、その柄へと手を伸ばし――。


 ――だが、それに手が届く前に、腹部に衝撃が、痛みが、走った。


「がッ、」


 咳き込んだ一鉄の口から血が溢れ、ディスプレイを汚す。

 血に汚れたその画面の中で、歪んでいた月明りが、姿を現し始めた。


 てらてらと輝く、黄色のような、緑のような――竜。知性体。その尾が、……一鉄の腹部を、胴を、貫通していた。


「クソ、……」


 ずるり、と、一鉄の身体から尾が引き抜かれる。

 完全な致命傷なのだろう。踏ん張りがきかず、一鉄はその場に、崩れ落ちた。


 透明になる虫野郎が嗤っている。

 赤い知性体が嗤っている。


 ……嵌められたらしい。赤い知性体を餌に、おびき寄せて、勝ったと思わせて――その瞬間を、透明になる奴が刈り取る。音がしなければ動いてくれなければ、いくら慣れていても、消える奴を捕捉する手段はない。


 ここまで来て、投げ出すのか。


 赤い知性体は、もう、一鉄には殺せないだろう。死力を振り絞れば、透明になる方は連れていける。だが、そうなったら……また、始めからだ。


 覚悟は、決めてある。

 気力は、ある。そう言い聞かせてここまで動いてきた。


 だが、精神の摩耗は、未だにぬぐい切れてもいない。

 ……今回は、うまく行きそうだった。後一歩だった。もう一度ここまで、積み上げるのか……。


 血と共に熱意が去って行き、身体が冷めて行く――。

 その最中で、ふと、一鉄の視界に、赤い輝きが映り込んできた。


 月明りの空き地の中心。そこに立つ赤い竜。その尾が、彼岸花のように放射状のそれが天へと伸ばされ、あるいは孔雀のようにか、広がり、輝き――。



 やり直す度に何度も、何度も見てきた赤い光が、その場を包み込んだ――。

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