3 ほんのひと時にせず/説明を要求する

 ――手を振られた時に、いやな事を思い出した。

 そしてその記憶の通りに、鈴音の背後が揺らめいた。


 その後のことはもう、あまり覚えていない。


 我ながら――どれほどあの出来事にトラウマを抱いているのかと、そう一鉄は自嘲する。


 取り逃がしたのだ。冷静に狙えなかった。あれだけ撃って、結局クソムシ野郎を殺せなかった。アイツを殺せれば、この後、どれだけ楽になるか……。


 だが、その機会を逸してしまった。それはもう、悔いても仕方がない事だろう。

 何もなせなかった訳ではない。だから――


 *


「……説明を要求する」


 名前の通り鈴の音のように綺麗な声が、今も、そう、問いかけてくる。


 場所は先ほどの洞穴の中だ。着たままでは入れなかったから、“夜汰鴉”は今、外に置いてある。この状況下で無防備になりたくはなかったが、鈴音に諭され、結局従ったのだ。


 顔を見せた後、鈴音に『……普通』と称されたが、それらも諸々、前向きに考えるべきだ。気持ち悪いとか言われなかったのだから、マイナスではないのだろう。


 とにかく、そんな諸々の後、狭い洞穴で鈴音と向き合い、月宮一鉄は威勢よく鈴音の問いに答えた。


「はッ!……………」


 いや、正確には、答えようとした、だ。

 説明を要求されても、依然一鉄には、今自分がどんな状況、否、現象に巻き込まれているのかわからないのだから。


 威勢ばかり良い割に、敬礼のポーズで固まって何も言わない一鉄を前に、鈴音は首を傾げ、腕を組み、組んだ腕を指でトントンしだし………やがて、ため息を吐いた。


「ハア………わけわかんない」

「まったくその通りであります!」


 その一鉄の返答に、鈴音はまたため息を吐き、それから、質問を替えて来た。


「名前は?」

「月宮一鉄少尉であります!」

「そう………。それで……。なんで私の名前を知ってたの?」

「それは………」


 一鉄はまた答えに窮した。それらしい言い逃れを探してみるか。そんなことも思ったが、結局、一鉄にそんな器用なことは出来なかった。


 結果として、一鉄は、素直に話すことにする。


「その……可笑しなヒトと、思われるかと思うんですが」

「それはもう大丈夫です」


 何が大丈夫なのだろうか。なぜ敬語だったのだろうか。不思議だったが一鉄は諸々気にしないことにした。そして、言う。


「……ええっと……。前世で逢いました」

「…………」


 鈴音は何も言わず、ただただ不審そうに一鉄を睨んでいた。


(……これはこれで可愛い。ではない。いい加減にしろ月宮一鉄!)


 色呆けは、内心で自分を殴り、それから続ける。


「自分は………おそらくですが。この戦場が2度目です。前に、まったく同じ戦場を経験しました。そこでも鈴音さんに自分は救われ、そして、先ほどと同じような竜の襲撃を受けました」

「…………?」

「何がどうしてこうなった、と、自分でもわからないのですが………時間が遡った、としか、自分には思えません」

「時間が遡った?」


 いぶかし気に呟いて、それから鈴音は思案し出す。それからやがて、鈴音はまた問いを投げてくる。


「……あの、知性体。アイツの事を知ってたのは、時間を遡ったから?」

「そうとしか、自分には説明がつきません」


 素直に頷いた一鉄を前に、鈴音はまた思案し、また問いを投げる。


「……良くないことって?」

「は?」

「さっき、言ってた。良くないことが起きるって。具体的には?」


 一鉄はまた答えに窮し、いや、伝えるかどうか迷ったのだろう。けれど結局、小細工は性に合わなかった。


「……先ほどの竜の襲撃。それを撃退することは、前回も出来ました。ほとんど、鈴音さんの独力でしたが。ですが、その後………あの、知性体に、鈴音さんが背中から、刺されて………」

「そう」


 静かに、鈴音は頷いていた。それから鈴音はまた暫し思案し、やがて、呟く様に、誰にともなく言う。


「……私の知りえない情報を持っているらしい、と言う点だけ、信用する」

「はッ!十分であります!自分としても……自分の経験したことが正しいのか、わからないので……」


 そう呟く一鉄を、鈴音はまた眺め、うるさそうに顔を顰めたかと思えば、次の瞬間には真剣な顔になって、問いかけてきた。


「その前回。この後、どうなるのか、聞かせて」

「はッ!」


 一鉄は威勢よく答え、話し始める。前回の出来事を、わかる範囲で。


 話をする。ただ、それだけの事だ。

 けれどそれは、その話の内容はどうあれ………一鉄が望み、けれど諦めてもいた、夢物語の、続きだった。


 *


 一鉄の話をまとめると、こうだ。

 月宮一鉄は時間を遡った。未来の出来事を知ったまま、過去に戻った。その原因は一鉄にも良くわからないらしい。


 正直、その話は、信用しきれない。確かに、鈴音の知らないことを知っていたようだが……それについても、ファンタジー抜きで考えることもできるのだ。


 一鉄は、この戦域にいる知性体の情報を知っていた。それだけなら別に、時間を遡らずとも知ることは不可能ではない。事前に調べておけば良いだけの話だ。


 鈴音の名前についても、調べようと思えば調べられないこともない。時間を遡った、よりも、この戦域に入る主要なオニの顔と名前を暗記しておいた、と言う方が現実に即している。


 一鉄の“夜汰鴉”にしても、事前に聞いた話や見せられた写真とは、意匠が異なっている。赤い模様が入っていて、太刀を佩いてもいる。特定の――皇帝と近縁な場合、そういう装飾がつけられる、と前に聞いたこともある。


 つまり、だ。現実的に考えると、一鉄は間諜――スパイ、諜報部員。


 もしくは、皇帝の近縁として、なにがしかの密命を受けた兵士。その密命の過程で、ある程度好意的にオニと接触する必要があった。それで、偶然出会った鈴音を前に、媚びを売っている。


 それが一番現実に即した、ありそうな話だ。

 だが、………仮にスパイと言うのであれば、この男は間抜けすぎる。と言うか、嘘を付けそうな人種に見えない。そこまで計算して演じているのであれば大したものだが……そこまでは鈴音にも見抜けない。


 時間を遡った……と言う話をありえないと思うのと同じくらい、目の前の青年がスパイであることをありえないとも、思う。


 結局の所。鈴音からすれば、一鉄は依然よくわからない何者か、だった。

 腰抜けではない。色惚けではある。スパイかもしれない。怪しい奴。


 そんな怪しい奴は、一通り話し終えた後………。


「……やはり、前回より警戒されている気がする。なぜ?何か飛ばしたのか……」


 とか呟きながら、そそくさと洞穴を出て行った。

 とにかく、今日は一旦休息をとることにしたのだ。鈴音が休んでいる間、一鉄が周辺を警戒するのだろう。外に行った一鉄は、そそくさと鎧を着込み……「あ、」と何か思い出したと言わんばかりな声を上げていた。


 それを、鈴音は眺めていた。

 警戒役として信用して良いのか?一応、さっきの竜の襲撃には気づいていたらしかった。だが、今眺めている限り、なんともまあ、頼りない。


 やはり、眠るわけには行かない。だが、ある程度は体を休める必要もある。

 そんなことを考える鈴音の視線の先……一鉄――“夜汰鴉”が椅子に座り込み、手紙だろうか、何か紙を手にしている。


 と、思えば、その鎧はちらっと鈴音の方を見た。そしてまた手紙に視線を戻し、今度こそ読み始めるのかと思えば、すぐさままたちらっと鈴音の方を見てくる。


 どうも一鉄は、鈴音に話しかけて貰いたがっているようだ。


「…………わけわかんない、」


 それだけ呟いて、鈴音は目を閉じた。「あ。ああ……」とか残念そうな呟きが洞穴の外から聞こえてくる。


 本当に、訳の分からない、忙しい男である。ヒトは誰しもそうなのか?それもまた、鈴音にはわからない。わからないことだらけだ。どこまでが本当でどこまでが嘘かも、わからない。


 瞳を閉じ、眠りはせず、鈴音は話の内容を、今日――もっと言えばあの鎧にあってからの数時間を反芻する。


 初めて見た時は怯えて動けなかった。次に竜に会った時は、歴戦の兵士のように、落ち着いて行動していた。けれど、知性体を前に、あり得ない程に取り乱してもいた。


 その後、鈴音と面と向かって話している時は、どことなくソワソワしていたように見える。あるいは、はしゃいでいる、だろうか。そんな雰囲気だった。


 鈴音は、一鉄にお慕い申し上げられているらしい。そう言われて、嬉しくない訳ではない。悪い奴ではなさそうだし。だが、警戒しない訳には行かない。


 しばらくたって、鈴音はまた、ゆっくりと目を開いた。

 洞穴の外で、鎧が座り込んで、月を見上げている。


 その手には……武骨な銃が握られている。

 一鉄も、今置かれた状況がわかっていない訳ではないのだろう。だが、それ以上に、鈴音を前に、はしゃいでしまっている。


「…………」


 鈴音は、やはり、一鉄を……信用しないことにした。

 情を移すと辛くなるかもしれない、そんな場所なのだ。


 鈴音は、失うことに慣れている。いや、慣れようと思った。そうすれば寂しくない。


 ……どことなく、思考が散漫とし始める。鈴音は、まだ若いオニだ。年齢はほとんど見た目よりほんの少し上なくらい――オニの長寿は、成長はヒト並かほんの少し遅いくらいで、明確なのは老いるのが遅いと、そういう意味なのだ。


 今日。一日。戦い通しだった。気を張り続けていた。それをずっと保てる程、鈴音はまだ、経験を積んでいるわけでもない。


 眠るつもりはなかった。けれど、……鋼鉄の鎧が見守る洞穴の中には、静かな寝息が響いていた。

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