2 泡沫の朧月夜/引き裂く弾響

 セミの声が響く中、長い夜を待ち続け、……やがて、それは訪れた。


 不意に、レーダーに、赤い点が現れる。それが現れた瞬間、一鉄は立ち上がった。

 それと同時に、鈴音も洞穴から出てきて、……太刀に手を掛けている。


 前と同じ。否、前、一鉄は気づけなかった、竜の襲撃だ。だが、今の一鉄はわかっている。知っている。これから何が起こるか、……どういう終わり方をするか。

 だから、一鉄は鈴音に言った。


「鈴音さん。……下がっていて貰えませんか?」

「……どうして?」

「説明しようにも………。とにかく、この後良くないことが起こるんです。だから、……竜は、自分が始末します」


 そう言い切った一鉄を、鈴音は眺め………やがて、ぶっきらぼうに言い捨てる。


「……腰抜けの色惚けの怪しい奴を信用する気はない」


 そして、言うが早いか、鈴音は太刀を抜き、林の中へと飛び込んでいってしまう。


「あ、……待ってください!」


 腰抜けの色惚けの怪しい奴?……確かに、現状では、一鉄は鈴音に助けられた、だけだ。戦力として、ビビッて腰を抜かしていた新兵、と言う評価しかないだろう。


 そして、

(……色ボケの怪しい奴……)

 ………振り返ると否定できない気もする。


 一鉄は軽く落ち込んだ。が、落ち込んでいる暇はない。

 鈴音はもう行ってしまった。他は、この際良いだろう。腰抜け、だけは返上しなければならない。


 そうしないと突っ込んでいった鈴音が死ぬ。


「………鈴音さん!話を聞いてください!」


 声を上げながら、一鉄は20ミリを手に、鈴音を追いかけて林の中へと飛び込んだ。


 *


 鈴音は、不可解だった。あの鎧の言動も確かにそうだが、それ以上に、突然現れた竜の軍勢が、だ。


 鈴音には異能がある。レーダーに近いような異能だ。それによって、近づいてくる竜は察知できるはず。だと言うのに、ついさっき気が付くまで、少女が察知できる範囲に踏み込んでいたはずの竜が、察知できていなかったのだ。


 周囲の気配を探る。かなりの量の、竜がいる。木々が薙ぎ倒されているような音もする。

 これに気付けないはずはないのだが………。


 考えながら走る鈴音の後を、付いてくる者がいる。“夜汰鴉”、だ。


「鈴音さん!待ってください!」


 鈴音は待とうとは思わなかった。

 あの帝国軍兵士の事は、あらゆる意味で信用できない。


 兵士として、竜を前に腰を抜かす臆病者だ。その上、なんかついてくるし言っていることは要領を得ない。


 戦場で気が触れた新兵。そのくらいに評価していた。今だって、一端に戦える鈴音から離れるのが怖くてついてきているのだろうと、そう思っていた。


 とにかく、鈴音は気に留めないことにした。訳の分からない奴に気を配ってどうにかなりそうな竜の数ではないのだ。


 だから鈴音は、立ち止まらず、手近まで来ている竜――林の向こうで木が薙ぎ倒されている、その場所へ、竜を殺しに行こうとして――。


「………待ってください、……お願いします!」


 背後からそんな――やけに必死な声と共に、銃声が響いた。3発同時。点射の銃声。

 気の触れた新兵に背中を撃たれた――訳ではないらしい。


 振り返った先、銃口が向いているのは、つい今しがた鈴音が殺しに行こうとした竜のいる方向だ。そして、レーダーに近い知覚を持っている鈴音だからこそ、わかる。

 その銃弾は、確かに竜に命中したらしい。


(…………?)


 銃口の先を視線で追ってみても、林しか見えない。だと言うのに、その向こうの竜は死んでいる。


(木を抜いて、間隙を縫って、………当てた?)


 あの鎧にはレーダーが確かにある。だが、そんなことが狙ってできるものなのか?ましてこの鎧は、ついさっき竜を目前に腰を抜かしていた男だ。


 まぐれだろう。

 そう判断して、鈴音はまた別の、迫ってくる竜の元へと向かおうとして――また、声と銃声が響く。


「待ってって!」


 必死な――戦闘、と言うより鈴音への呼びかけで必死になっているような、そんな風情で放たれた弾丸は、また、林の向こうの竜を撃ち抜いたようだ。


 1回ならまぐれかもしれないが、2度も続けばまぐれとは思えない。

 立ち止まった鈴音へと、その帝国軍兵士は声を投げてくる。


「あの、ですね。鈴音さん………えっと、」


 言いながら、銃口は忙しく林の中で照準を合わせ、トリガーを引き続けている。敵の姿は見えていないはずだ。だが、鈴音にはわかる。全て命中している……。


 新兵では、無かったのだろうか。そんなことを考える鈴音へ、忙しく銃口を動かしながら、帝国軍兵士は言った。


「……知性体がいるんです。この竜の群れを倒した後。姿を消せる奴が出てきて、それで………」


 必死に捲し立てる――今この場では、戦闘より説得の方が大変そうな帝国軍兵士を前に、鈴音は頷いた。


「……うん。わかった。認める」

「え、ホントですか?じゃあ………」


 言いかけた帝国軍兵士の肩を、鈴音は軽く叩き、言う。


「………手分けした方が早い」


 直後、鈴音は、素早く跳び上がり、木々を渡って竜を狩りに向かった。

 それを、どこか呆気にとられたように、帝国軍兵士――一鉄は見送って、呟いた。


「こんなに話を聞かない子だったのか………」


 前知れなかった一面を知れて、一鉄は嬉しかった。……なんて言っている場合ではない。


「どうにか、援護しなければ………」


 そう、言い聞かせるように呟いて、一鉄は鈴音から離れすぎないよう、その後を追いかけた。


 *


 初めは、鈴音の進行方向上の竜をいち早く撃破出来ていた。

 木を抜いての、それも移動しながらの射撃だが……レーダーとわずかな視界を頼りに乱戦の間を正確に抜くよりはるかに楽だ。多少狙いがブレてもどうにかなるように、点射にするだけの冷静さも、今の一鉄には、ある。


 もう、新兵ではない。恐怖を抜けて、何なら一回死んで………生真面目な訓練の成果が十分に発揮できる。援護も出来る。守れる。


 ……問題は、援護対象がどんどん前線へ突っ込んでしまうこと、だ。

 竜が多くいる方へ鈴音自身が突っ込んでいってしまうために、どうしても、撃破が間に合わなくなっていく。


 前回、後方から狙撃してやれば、それで鈴音は生き残っていた。

 だが、同時に、幾つか傷を負っていたことも事実だし、その後、知性体に鈴音が殺されたことも事実だ。後ろから援護だけ、なんてする気に一鉄はならなかった。


 あの時の一鉄とは違う。今更この程度で怖気づくわけには行かない。

 援護をしながら鈴音の後を追いかけて――やがて、視界が開けた。


 竜が木々をなぎ倒しているのだ。鈴音を狙って、だろう。竜の尾に、爪によって木々が薙ぎ倒され、そんな、今作られた林の切れ目で、鈴音が美しく舞っている――。


 それに見惚れる余裕は、一鉄にもない。

 切れ目へと踏み込んだ直後、―――一鉄の真横に単眼があった。


「………ッ、」


 おびえない。ビビらない。そう言い聞かせながら、一鉄は銃口を真横の竜へ向け、トリガーを引く。


 レーダーがある。だから、会敵前にその方向に竜がいることは知っていた。

 放たれた3発の弾丸で、竜の頭が弾けて真っ赤な華になる――それを横目に、一鉄は林の切れ目へと飛び込んだ。


 レーダーを見る。安定して狙撃、は無理だ。一鉄の前にも横にも背後にも、竜がいる。そう言う場所に自分から突っ込んでいった鈴音の後を追ったのだ。そこに飛び込む羽目になるのは当然の話だ。


「く………、」


 呟きながら、一鉄は素早く、銃口の先に竜を捉え続ける。

 こんな乱戦に突っ込んだことは、前回なかったが――生身に短刀で、竜に向かい合ったことはある。アレよりずいぶんマシだ。ああ、問題ない。問題ないと言い聞かせろ。男児意地を張るべし。そう、父に教わった。


 恐怖が無いわけではない。ただ、恐怖に打ち勝った経験が、一鉄には確かにあった。


 派手な動きはしない。ただ、効率的に、近づいてくる竜の中に、脅威度の序列をつけて、堅実に、それの高い方から処理していく――。


 その周囲を、鈴音は派手に立ち回っていた。跳び上がり木を蹴り、短刀を投げて目を抜き動きを止め太刀で切りその死骸から短刀を回収し――。


 やがて、ほんの一瞬。ほんの一瞬だけ竜の圧力が止んだ。

 いつの間にか、一鉄は倒れた木々の中心――戦場の中心で足を止めていて、その背後に、返り血で白い装束を染めた鈴音が、着地する。


 そして、拗ねたような声が、一鉄の背後から聞こえてくる。


「………手分けって言った」

「自分は、待ってって言いました!」


 その返答に、あるいは、鈴音は笑ったのだろうか。

 それを確認する間もなく、鈴音は次の竜へ向けて、果敢に向かっていく――。


 それを見送り――ながら、レーダーで全体を把握し鈴音にとって脅威度の高い位置にいる竜を選定し、一鉄は鈴音を援護する。


(なんとか、出来るか……。いや、)


 する以外の選択肢はない。どうも自分は、結構なじゃじゃ馬に惚れたらしい。ならばそれも良し。


 無茶苦茶な暴れ方をする鈴音に、一鉄はどうにかついて行った。


 *


(……なんで腰抜かしてたんだろう?)


 “夜汰鴉”の暴れ方からして、鈴音は不思議だった。竜を前に怯える仕草を見せない、どころか、その落ち着きようは相当な死地を抜けた末のそれに見える。


 信頼のおける援護、だ。鈴音からしてみれば、いやな位置にいる敵がいち早く排除されるのだ。これほど戦いやすいことはない。


 楽な戦闘だった。数の差を考えればそんな感想になる方がおかしいような、そんな戦場だったはずだと言うのに。

 腰抜けは、返上してやっても良いかもしれない。そうなると残るのは、色惚けの怪しい奴、か。


(結局、碌でもない………)


 そんな風に思いながら……鈴音は、周囲に残った竜へと、駆けていく。

 “夜汰鴉”の方も、鈴音の暴れようを信頼したのか。鈴音が狙ったのとは別の、その周囲にいる竜を撃ち殺している――。


 残り、3匹。そのうちの一匹を、“夜汰鴉”が撃ち殺し、直後、背後から声が聞こえる。


「……リロード!」


 援護できない、と言う意味だろう。だが、2匹なら十分、鈴音一人で殺れる。

 それで、この戦闘は終わりだ。


 駆け抜け――近くの一匹が突き出してくる尾を、身をかがめて避ける。

 同時に、短刀を、少し離れている一匹、その単眼へと、投げる。


 思い切り投げた訳ではないから、それで殺せるわけでもない。だが、2匹目に追撃される可能性は減った――。


 そうしながら、鈴音は一匹目、懐へともぐりこんだそれへと、刃を突き立てる。

 電光石火の肉薄から放たれた突きが、竜の単眼を、頭を貫き、すぐ目の前の一匹が死に、崩れる。


 その、倒れていく頭を足蹴に、鈴音は太刀を引き抜いて、残る一匹へと視線を向けた。


 そして、短刀の突き刺さった単眼、そこを抑えるようにのたうつ竜へ、軽い足取りで歩み寄り、鋭い一閃で、………楽にしてやる。


 不意に、それまでの音が止み、昼夜がわからなくなっているらしい、セミの声が聞こえてくる。


 鈴音は太刀の血を払い、納め……足元へと転がってきた竜の頭から、短刀を引き抜き、その血も払う。


 周囲に、もう、竜はいない。返り血が気持ち悪いが、……鈴音が怪我をしたわけではない。


 掠り傷一つ、だ。無傷の勝利、である。そう、終わってみれば、楽な戦場だった。

 鈴音一人ではこうはならなかったかもしれない。


 怪しい奴、ではある。だが、使えない訳ではないらしい。

 本隊とはぐれたこの状況で、得たいが知れなくとも、戦力が増えるのは歓迎すべき出来事だ。


 鈴音は、“夜汰鴉”へと視線を向ける――。

 もう少し話してやっても良いかもしれない。そんなことを考え、呼びかけようとしたが、……そういえば、まだ、名前を聞いていない。


 とにかく、良い支援ではあった。そんな風に思って、何とはなしに、鈴音は片手を上げ――。




 直後、―――恐怖に引き攣ったような、それでいて恫喝に近い程の憤りの籠った、声が届いた。

「後ろだッ!」


 その声に、鈴音は後ろを向く――

 ――その先が、奇妙に、そして巨大に、どこか揺らめいていた。


 今更、鈴音は、聞き流した言葉を思い出した。

 知性体。姿を消せる奴がいる。そう、鈴音は言われていた。だが、ちゃんと聞いてはいなかった。


 全方位、鈴音は知覚できる。飛び道具が無い竜に不意打ちされるはずがない。

 そう、油断していた。だから――は知らずとも、前回の鈴音は死んだのだ。


 すぐ後ろにいるのだろう竜の、その姿は、見えない。ただ景色が揺れているだけ。けれど、風を切る音は聞こえた。本能的な――ほとんど第6感に近いような恐怖も。


 自分の死が理解できた気がした。それを前に、鈴音は、立ちすくんだまま、動かなかった。


 寂しいとだけ思う。寂しかったと、逝ってしまった片割れを想う。

 鈴音の蛮勇の根本だ。


 だから、鈴音はそれを前に動けず――真横を弾丸が奔り抜けた。

 悲鳴が聞こえた。立ち止まったまま、返り血を浴びた。その後になってようやく、鈴音を殺そうとしていたモノの姿が見えた。


 昆虫のように、玉虫色に、月光に輝く――いや、てらつく竜。ただの竜よりも一回り以上大きい、竜。たった今受けたのだろう弾丸で、片方の爪を失ったそいつ。


 それが、鈴音に背を向けて逃げていく。そして、その背を追いかけるように、何発モノ弾丸が放たれていた。


 竜の姿が消える――さっきのように透明になったのだろう。姿は見えず、だが木々の揺れでその居場所はわかり、そこへと、銃弾は執拗に放たれ続けている。


 狙いが、雑だ。とにかく撃ちまくっている。恐怖に、苛立ちに駆られたように。

 鈴音の隣に、鎧がいた。赤い文様の走る、“夜汰鴉”。

 それが、トリガーを引き続けている。


「………ッ、……クソッ!」


 もう、あの知性体は逃げ去っただろう。だと言うのにその帝国軍兵士はトリガーを引き続け……やがて、弾が切れたのだろう。カチリカチリと音が鳴るだけになっても、“夜汰鴉”はトリガーを引き続けていた。


 鈴音には、わからなかった。この鎧の中身が、どんな人間なのか、だ。


 助けた時はただの腰抜けだった。

 普通の戦闘――ついさっきの戦闘では、圧倒的で、貫禄までありそうな、そんな冷静さだった。


 けれど、今、そこにいるのは――何かを強烈に恐れている、そんな人間だ。

 カチカチ、と、音が鳴り続ける。その音を鳴らし続ける腕に、鈴音はやがて触れ、それから、どこか戸惑うようにしながらも、呟いた。


「……もう、大丈夫だよ?」


 その声に、“夜汰鴉”の、指が止まる。そして、そのままうなだれるように、その鎧は動かなくなる。

 鈴音には、やはり、何が何だかわからない。


 何が何だかわからないまま……鈴音は、その鎧が動き出すまで、横で待っていようとは、思った。



 セミの声に、くぐもった嗚咽が混じっているような、そんな気がして、それは聞かなかったことにしておいてあげようと、そんなことも思いながら……。

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