3 遅すぎた反逆/亀裂

 蛮人より接収した携帯食料は、肥えた上流階級の舌にはまるで馬糞のようだ。


 だが、酒は良い。酒があると言うだけでも僥倖で、なおかつこの状況で酒宴を開くような蛮人だ。酒にはこだわりはあるのかもしれない。


「ハハハハハハ、」


 尾形准次特任大佐は呑んでいた。一人独占したトレーラの中、あるだけの酒と食料を運ばせて、生き残っていた女性兵士に酒を注がせ、この陣地で今一人、呑んでいた。


 自分はそもそも軍人ではない。だから助けられる権利はある。兵士には尾形を助ける義務がある。


 自分はこの部隊で最高階級である。だから、酒を独占しても罪にはならない。指揮官足る自分には英気を養う必要があるのだから。兵士には尾形に絶対服従する義務がある。


 ……この男は本気でそう思っていた。


 元々どこか他人を下に見る、歪んだ気風の男ではあるが、あるいは地獄を経験して、反動で更に歪んだのかもしれない。皇帝陛下に気に入られ、あるいは邪魔と見切りをつけられ、祭り上げられ、戦場へと送り付けられた。


 戦いが始まる、そう思う前に奇襲を受け、命からがら逃げ延びた、立場と責任だけ重い民間人だ。一人どうにか夜を越し、そこを助けに来た部下――軍人に、殺意に近い目で睨まれれば、どこか壊れもするだろう。


 ある意味で被害者でもある。自分で蒔いた種とは言え、だ。

 だが、命がけで前線に立つ軍人としては………指揮官の無能より恐ろしいモノは存在しない。


 酒宴の途中で、夜風に当りたかったのか、あるいは酒を注がせるごとに増す女性兵士の――女性とはいえ訓練を受けていない尾形からすれば明確に脅威になるその相手の、殺意に耐えかねたのか。


 ふと、夜の中トレーラを出た瞬間、尾形の酔いと、天下は消えた。


 目の前に兵士がいる。銃を構えた兵士が脇に二人。それを伴って、目の前に立っているのは長身の――オールバックの帝国軍兵士。


 その兵士――久世統真は、敬礼と共に言った。


「尾形特任大佐殿!僭越ながら……敵前逃亡の罪により、拘束およびその指揮権の停止を敢行させていただきます!」

「な、…………」


 尾形は絶句していた。これは、クーデターである。反逆されるとは思っていなかった。


 ……どこまでも現状認識が甘かったのだ。あるいは、民間人には何もかも真っ当に受け止め難い事態しか目の前になかったのか。

 固まった尾形を眺めて、統真は、言う。


「悪いが、あんたに従ってたら誰も生き残れない。あんたも含めて、誰もだ。できればやりたくなかったんだが、流石に目に余る。……久世統真だ、覚えとけ。このクーデターの首謀者。生きて帝国に帰してやるよ。その後訴えるなら、やり玉に挙げるのは俺だけにしとけよ」


 その統真の言葉に、尾形は何も言えない。いや、そもそも何も理解していない。

 半ば気を失ったような状態だった。


 抵抗など出来るはずもない。屈強な軍人の中に、一人の、嫌われた民間人指揮官


 クーデターは成功した。運が悪かったのだ。尾形の。いや……その場にいる全員の運が。


 結果論だ。

 結果論だが、このクーデター。そのタイミングは最悪だった………。



 不意に、夜を劈くような悲鳴が、陣地から上がる。

 尾形の上げた悲鳴ではない。この陣地の外れ辺り。そう、無能な指揮官の忘れ形見で、陣形を更新しきれず、外縁の警備に付かされていた、鎧を纏っていない帝国軍兵士の悲鳴が………。


 *


 昆虫のような色合いの、竜。

 知性体はずっと、見ていた。


 これまで学習した中で、あの陣形は弱そうだ。襲えば簡単に戦果を挙げられそうだ。そう、思っていた。昼間から。


 けれど、夜の方が成功率が高い気がする。数日前に夜中行軍する帝国軍を襲い大戦果を挙げた記憶がある知性体は、そうも思っていた。


 だから………その夜、そのタイミングが地獄になった。


 *


 睨む先、月明りの夜、森、その影がありえない程に騒めいている――。

 気づいた瞬間に、久世統真は叫んだ。


「……敵襲だ!応戦しろ!」


 その、久世統真――つい数秒前にこの場所の最高責任者になった男の声に、即応できる者はいなかった。オニとの境界線辺りにいたFPAは、どれも、一瞬躊躇い……躊躇った直後に動き始める。


 その一瞬で、被害は膨れ上がった。

 悲鳴が上がる。混乱が上がる。


 視線を向けた先でテントが裂け、血しぶきが上がり、眠っていた兵士が、あるいは生身で哨戒させられていた兵士が、八つ裂きにされる――。


 爪があった。血に濡れた爪が。

 尾があった。真っ赤なインクをまき散らす尾が。

 理性無く破壊衝動ばかり、よだれをまき散らす牙が赤く染まる――。


 純粋な暴力。理性のない殺意の波が、視線の先から襲い掛かってくる……。


 一瞬遅れて“夜汰鴉”が発砲し、前線へと向かう。だが、たどり着く前に、無力な兵士が八つ裂きにされる。


 その光景は、久世ですら一瞬、恐怖で竦むようなモノだった。

 そして、逆にそこで動き始める者がいた。


 尾形だ。


「うわあああああああああああああ!?」


 恐怖に駆られた一般人、それ以外の何者でもない。全員の注意が竜に向いていて、だから方位が緩んでいた……なども、尾形は考えていない。


 ただ怖くて逃げだしたのだ。

 その民間人の動きに、統真の周囲の兵士は一瞬遅れて気付き、銃口を尾形に向ける――。

 そこで、統真は声を上げた。


「やめろ!……弾の無駄だ!トカゲへの対処を!負傷者の救出と前線構築!」


 声を上げながら、統真は横に置いておいた自身のFPAへと駆ける。

 捨ておいても尾形は勝手に竜に食われて死ぬだろう。今はそれどころではない。


 そう、統真は考えていたが………一つ、失念していた。

 あの男は、軍人ではない。文官だ。官僚だ。……本能的に、政治的な保身は発動する。


 鎧を纏い、起動させ――一瞬遅れて明るくなったディスプレイの端。

 尾形はトレーラに飛び乗っていた。………一鉄が拘束され、荷台に乗せられたままの、トレーラに。


「クソ、」


 歯噛みするばかりだ。統真はたった今指揮官になった。すぐ目の前にはもう、竜がいる。


 拘束された脱走兵を気に掛けてやれる状況ではなかった――。


 *


 ――気に掛けてやれないのは、扇奈も同じだった。

 背後の帝国軍陣地、その騒ぎは聞こえている。だが、そちらへと手助けしてやることは出来ない。


 帝国の側で騒ぎが起きたのと少し遅れて――扇奈たち、オニの陣地へも、竜が襲ってきたのだ。


 挟撃、である。奇襲の上、挟撃、だ。

 帝国軍程被害が出なかったのは、扇奈がまともな陣形を敷いていて、かつ、残っていたのがここが地獄だとよく理解している精鋭だったからだ。


 だとしても、窮地であることは間違いない。

 たとえ正面からの竜を食い止められても、背面の帝国軍が食い破られれば陣形を後ろから突かれることになる。しかも、帝国側の混乱は尋常なモノではない。


 絶えず悲鳴が、背後から聞こえてくるのだ――。それほど士気にかかわる要素はないだろう。


「……ビビんじゃないよ!後ろ抜けてきた奴は全部あたしがやる!前だけ見てな!」


 オニの陣形の最後方で、扇奈はそう味方に声を上げた。

 前に出たいのはやまやまだが、あらゆる意味で後ろの帝国軍(味方)を信用できない――。


 クーデターを起こす、と言う世間話はされた。だが、それがもう起こったのかはわからない。どちらであれ、背後の帝国軍は瓦解しているようにも見える。


「………ッ、」


 そう、扇奈が歯噛みした時だ。扇奈の背後で、トレーラが動いた。


「アレは………」


 一鉄の載っているトレーラだ。帝国の馬鹿が、この状況下で逃げようとでも考えたのか。手近なトレーラにでも乗ったのか。だが、完全に包囲されている状況だ。それこそ自殺行為でしかない。それに、荷物として、一鉄が付き合わされた――。


 わかってもこの状況で扇奈が動くわけには行かない。


「………ッ、」


 見捨てるべきだ。見捨てる以外の選択肢は扇奈にはない。だが、感情的に見捨てたくはない。砕けんばかりに歯を食いしばるしかない扇奈の前で、不意に、一人のオニが動き出した。


 狙撃銃を置き、散弾銃を二つ、拾い上げ、そのオニ――奏波は、ぶっきらぼうに言う。


「頭領。………無茶をします」

「……………ちゃんと連れて帰ってきな、」


 そう、言うほかに出来ることは何もない。

 言った扇奈に頷いて、奏波は走り出した。この戦場を離れて行こうと――死にに行こうとするトレーラへ向けて。


 *


「ハハハハッハハハハハハ!」


 ハンドルを握り、アクセルを踏みしめ――


「ざまあみろ!ざまあみろ!ハハハハハハハハハ!」


 尾形准次は泣きながら笑っていた。

 もう、真っ当な思考はほとんど残っていないのだろう。完全に壊れたのだ。


 ……壊れて尚保身の切符月宮一鉄を握ってはいる。ずっとそういう舞台に身を置いていれば、調子に乗って軍事に口を出そうとして、皇帝に疎まれなければ、歪んではいてもある程度優秀ではあったのかもしれない。


「私は帰る!帰るぞ美幸!ハハハハハハハ!」


 娘の名前を呼び、叫び、笑い………トレーラは陣地を離れ、加速しかけて――。


 何かを踏んだ。


 巨大で、赤茶けたような色の、気色の悪い体色をしている、酷く頑丈な生物を。

 トレーラが、横転し、木にぶつかり、フロントガラスが砕け散り、その最中で、尾形はアクセルを踏み続け――。


「ハハハハハハハハハ!」


 訳も分からず涙を流しながら、笑い続けた。

 真上から月明りが降ってくる――と思えば、その明かりが影に消える。


 見上げた先に、嗤ったような顔の、目が一つの怪物がいた。


「ハハハハハハハ―――…………」


 笑い声が止む。静寂に包まれる。


 運転席が、真っ赤に、染まる。そんな血の中、着せられた軍服の切れ端と共に、写真が血にまみれ、ゆっくりと、零れ落ちて行った……。

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