2 明日無き独房/亡念

 独房代わりのトレーラの中は、何も物のない、ただ空間だけがある場所だった。

 その中に、一鉄は一人、胡坐を掻いて座り込んでいた。


 危険物の没収は、されなかった。一鉄が従順だったからかもしれない。

 手には、鈴音の形見の小刀がある。だが、それを眺めてみても………もうそれは、一鉄の目的には成りえなかった。


 新兵、月宮一鉄。戦場の恐怖を知った。悲しみを知った。すぐさま立ち上がるためには、目的が必要だった。だが、そうして縋った目的も、もはや果たすことが出来ないと、そう、知った。鈴音の形見とこれを渡す相手は、もういないらしい。


 空虚だった。どうして良いかわからない、と言うのが本音だろう。

 敵討ちと奮い立てれば、その方が気は楽だ。けれど、一鉄はそれほど勇敢でもなく、奮い立てるほどの思い出もなく、勇敢になりたいと残ってみても、こうして脱走兵と言う事実が眼前にあるばかり。


 その現実に流される方が、一鉄は楽だったのだろう。だから投降した。


 そして、ただ一人きりのトレーラの、独房の中で、一鉄は考えてようとして思考が止まっているような、ただ、待つだけの一夜を過ごし………やがて、トレーラが開いたことで、夜が明けた事を知った。


「待機していろ!」


 甲高い声で、入ってきた人物が外の“夜汰鴉”へと声を投げている。

 その声に、上官を前に、一鉄は立ち上がり、敬礼した。


 それを、尾方は冷徹な顔で眺める。そんな尾方の背後で、トレーラの戸が閉まる。

 直後、尾方は声を上げた。


「月宮一鉄……あの、月宮、ですか?」


 特任大佐、だ。階級が絶対の軍に置いて、一鉄よりもはるかに目上のはずである。

 だと言うのに、尾方は砕けた……いや、違う。こびへつらうように、いきなり言ってくる。


「ハッ。……あの、と言いますと?」

「分家の月宮、でしょう?陛下と血縁であらせられる……月宮?」

「そう、ですが………」


 月宮は、帝国の名家だ。皇族に連なる分家の血筋。継承権が回ってくることはまずありえないが、遠縁で、家系図的に、さかのぼれば繋がっている血筋である。

 怪訝な顔をした一鉄を前に、尾方は言う。


「そうと知っていれば……いえ、事前に、我が部隊にいらっしゃるとは聞いていたのですが……。このような仕打ち、申し訳ありません。が、何分戦場ですので、この場で規律を破るわけにも行きません。帝国に帰りつくまでの御辛抱ですので、どうか、ご容赦を」

「はあ………」


 流石の一鉄にも、目の前にいるのがどういう男か、理解できた。

 たまにいるのだ。やたらと家名にこびへつらう者が。正直、一鉄はそういうたぐいの人間がそこまで好きではなかった。だが、嫌おうとも寄ってくるものは寄ってくる。


 それなりの対応を、と……ある意味一鉄の人生において唯一器用になった人付き合いかもしれない。


「帝国に帰り着く、と言うことは………オニと協力して、戦域を脱出するんですか?」

「ええ、勿論。亜人間どもを利用して」

「……利用?」


 怪訝な顔をした一鉄へと、尾方は笑い掛ける。


「はい。……あの蛮人ども、大方刀を振るって竜に突っ込んでいくしか能がないのでしょう?彼らが働き、竜を引きつければ、我々に逃げ延びる目が出ます」

「それは………」


 オニをおとりにして、自分達だけ生き延びる、と言っているのか?


「それで、ですね。月宮の方なら、ぜひ協力していただきたい」

「協力?」

「ええ………。口裏を合わせましょう。我々はどうにか、竜から逃げ延びた。兵は最後の一兵まで戦ったが、玉砕。我らはその犠牲を無駄にしないために、危機を伝えるため、辛くも逃げ延びたと。私はなんとしてでも生き延びる必要があるのです。ああ、勿論、これはご内密に。……士気にかかわりますので」


 そう言いながら、尾方は一鉄の手を取り、何かを握らせた。

 遅れて視線を向けた一鉄。そこにあったのは、帝国の紙幣だ。………賄賂である。


 ゆっくりと、だが確かに、一鉄は理解した。

 この、尾方とか言う文官は……オニだけじゃない。帝国軍も見捨てようとしている。戦う味方を置いて、自分達だけ生き延びようとしている。……そのために、この話を誰にも聞かれない為に、わざわざ空にしたトレーラに一鉄を置いたのか。


 そして、この男は今、見捨てた後、生き延びた後の保身の話を今しているのだ。


 ここが戦場であることを理解していない。何かの、裏金でどうにかなる場所の延長線上だと、そう思っているらしい。


 努めて冷静に、一鉄は言う。


「自分は………尾方、特任大佐殿。大佐殿の、FPAは……」

「“羅漢”ですか?アレは、新型で……陛下が私を信頼してくださっている証です。お貸ししたい所ではありますが、何分陛下から賜ったモノでして……」


 そういう話をしたいのではない。

 アレが何か、一鉄も知っている。“夜汰鴉”に続く次世代機、として開発されたFPAで、出力が高い為拡張性が高く耐荷重が大きい……とか。


 代わりに、妙にピーキーな仕上がりになり、反動軽減などが甘く、十全に性能を引き出すためには熟練の兵士でなければならなくなった。そして、結局“夜汰鴉”で現状困っていない前線の兵士が良くわからない上に実績もない新しいおもちゃを欲しがるわけもなく、少数生産されて倉庫で腐っている、そんな鎧だ。


 性能が悪いわけではないのだろうが、時期が悪かった鎧。

 ……そういう話を一鉄はしたかった訳ではなかった。


 ただ、傷のない鎧だった、と、思わず言いかけて、言い切る前に躊躇っただけだ。

 そんな一鉄を前に、尾方は続けた。


「私は訓練を受けているわけではないのですが、あの鎧、陛下が信頼するだけのことはある。私でも竜を殺せましたよ」


 嘘だろう。………そういう男なのだ、これは。竜と戦ったのであれば、もっと現状を心配しているはずだ。


 こんなに、……話していたくないと思う相手とはそうそうお目に掛かれない。

 何も言わず、ただ頷くだけになった一鉄に、尾方は暫く話し続け……やがて、ひとしきり尾方自身の自慢話を終えると、満足そうにトレーラを後にしていく。


 去り際、……おそらく一鉄に、この部隊を掌握している、と見せたかったのだろう。ただ待っていただけの帝国軍の兵士を、尾方は罵倒し、その光景を最後にトレーラが閉じた。


 また、一人、トレーラに残された一鉄は、手に持ったなんの価値もない紙幣を、くだらないと投げ捨てた。


 ……あの様子では、このまま捕まっていても、一鉄が脱走兵として裁かれることはなさそうだ。あるいは、本国に帰っても、あの醜悪な男の武勇伝に利用されるだけだろう。


 自分は、一体、何をしているのか。その思いばかり強く、けれど一鉄は、ただ座してそこに居続けるしかなかった……。


 *


 窓のないトレーラの中では、外の時間などわからない。わかったところで何が出来るわけでもない。ただ座り続け……どれほど経ったのか。


 次にトレーラが開いた時には、外の明かりは茜色になっている。セミの声が遠くから入り込み……何事かと視線を向けた一鉄の視界の先に立っていたのは、背の高い帝国の兵士だ。


 食料の載ったトレーを持っている。食事を届けに来たらしい。

 トレーを荷台に置きながら、その、帝国の兵士は言う。


「流石月宮……虜囚の身でも良いモン食わしてもらえんだな」


 嫌味、だ。……ほかの帝国の兵士は、まともな食料を貰えている訳ではないのか。それもまた、一鉄には知りようがない。


 一鉄はトレーにちらりと視線を向け、そのまま俯き、何も言わない。

 そんな一鉄に、兵士は言う。


「おい、食わねえのか?食わねえなら俺が貰っちまうぞ?」

「……どうぞ。自分が頂くより、その方が有益な気がします」

「マジで?じゃあ、ありがたく頂くかな、」


 そんな事を言って、その帝国軍兵士はトレーラの荷台に座り込むと、トレーの上にあった……見覚えのある、オニの携帯食料だろうそれを、本当に摘み上げ頬張った。


 この状況の憂さ晴らしにいたぶりに来た、と言うわけではない。尾方のようにすり寄りに来た、と言うわけでもなさそうだ。ただ単純に砕けた調子で話に来た、そんな雰囲気で、その帝国軍兵士は「……意外とうめえな」とか言いながら、携帯食料をかじっている。


 もう一度、一鉄は視線を向ける。今度こそまともに、帝国軍兵士の顔を見た。

 どことなく気前の良さそうな、オールバックの……それが汗で乱れているような、男。


 その帝国軍兵士は、世間話のような雰囲気で、呟く。


「お前さ、新兵だろ?」

「……ハッ。はい」

「じゃあいきなりあれの下か……そりゃ逃げたくもなるわな。俺も逃げてぇわ……」


 ……この男は本当に軍人なのか?そう疑わしいほど軽い調子で、その兵士は言って、それから、不意に笑う。


「そうだ。内緒話でもしとくか?帝国軍ク~イズ!この部隊で、あの、竜の奇襲受けた時、最初に逃げた脱走兵は誰だと思う?」

「…………」


 答えがわからない、と言うより、答えて良いモノかわからない。そう、黙った一鉄を見ながら、その兵士は小声で言う。


「………尾形特任大佐殿だ。立派な指揮官様だよな、まったく」


 冗談だとしたら、軍人として笑えない。冗談でなく本当だとしたら、もっと笑えない。

 どちらであれ一鉄が答えるのは一つだ。


「……自分にはそれを笑う権利はありません」

「真面目だな……。まあまあ気に入ったぜ。だからなんだって話だけどな、」


 そんな風に嘯いて、その兵士は持っていた携帯食料を平らげると、その手を軍服で拭いて、一鉄へと差し出してきた。


「久世統真大尉だ。帝国で生き残ってる軍人の中では、俺が最先任、最高階級だ。……とんだ貧乏くじだぜ。なんで出世しちまったんだよ俺………な?」


 そう砕けた調子で言い続ける兵士――統真を眺め、やがて、一鉄はその手を取り、握手を交わし、言う。


「月宮一鉄少尉であります」

「そうか二等兵。よし、お前俺のパシリな?」

「……はあ?」

「お前に命令だ、一鉄。あの、オニのさ、派手な姉ちゃん。アレなんて名前だ?知ってんだろ?」

「……扇奈さん、ですが」

「扇奈、ねえ……。なんか、聞き覚えあるか?………?まあ、良いや。情報提供感謝だ、二等兵。後で口説くか、扇奈ちゃん。アレよりよっぽど話通じそうだしな、」

「はあ…………扇奈ちゃん?」


 この男は本当に軍人なのだろうか。……ある意味、怖いモノ知らずではありそうだ。そんなことを思った一鉄を前に、統真は軽い調子で立ち上がり、言う。


「食うもん食っとけよ、二等兵。これは命令だ。……何が起こるかわかんねえからな」


 そして、統真は歩み去って行き、トレーラの荷台がまた、閉じた。

 あの、統真と言う兵士が何を言いたかったのか、一鉄にはわからない。


 一人取り残された一鉄は、トレーを見た。携帯食料は、一つ統真にとられたが、まだ残っている。どさくさでくすねて行ったのか、あるいは最初か自分の分をそのトレーに乗せていたのか。


 わからない。わからないまま、月宮一鉄は、……結局生真面目に、大尉殿の命令に従い、携帯食料へと手を伸ばした……。

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