Jasmine:灰被りのマツリカ

1. 茉莉花の話

「フジキ・マリカ? 変な名前だな」


 変、というのも多様な意味を持つ。奇行という意味での変なのか、環境に不適応という意味での変なのか。名前を名乗って変だなと言われるのはどういう意味かと思ったけれど、転生者に対する偏見の強いエリンダス王国では致命的なことをしてしまったと思う。今なら対処法はいくらでも挙げられる。見ず知らずの他人相手に本名を名乗ってはならないなど。けれど、見慣れない土地で憔悴しきっていた私にとって、声を掛けてくれた人に偽りを述べる精神的余裕は残されていなかった。


 私は前世の――藤木ふじき茉莉花まりかとしての記憶を持ってこのエリンダス王国に転生した。死因は異世界転生にありがちな不慮の事故、ではなく病死だ。月並みな表現になるが当時の日本において難病と類されるものにかかり、闘病むなしく命を落とした。だから自分が死ぬことはある程度覚悟していたし、死期についても察していた部分はある。余命宣告は家族のみにされたようで、私には聞かされていなかったが、それでも延命治療が中心となる医療を受けていればおおよその予想はついた。

 最終的にガリガリにやせ細った私の身体はお世辞にもきれいとは言い難かったが、まあ穏やかな死に顔と呼べる範囲の最期だっただろう。痛みを和らげる薬をいろいろと投与され、徐々に身体が重たく感じられて、瞼もあげられなくなったときには私の人生は終わっていたのだ。

 その人生に後悔がなかったと言えば嘘になるし、怖いか怖くないかで聞かれれば死ぬのは怖かった。避けることのできない死の足音が近づいていくのは気が気でなかったし、なんのために生きているのだろうとも思った。もし、生まれ変わることができるのなら次は健康な身体に生まれたい。叶わないと知っていて願ったこともある。それがこんな形で実現するとは夢にも思わなかったが。


 私は藤木茉莉花の記憶を確かに持っているけれど、私の姿は生前のものとは大きく異なっていた。プラチナブロンドの髪にエメラルドを嵌め込んだような瞳。西洋人形みたいな、つくられたような顔をしていた。それを整ったと形容する人もいるかもしれないが、日本人だった私には外国人の顔の美醜を正確に論評することができない。何せ生前見ていたハリウッドスターたちの顔がみんな同じように見えていたものだから。

 後に聞かされたこの世界における転生者のパターンから考えれば、私は前世の記憶を持ちながらまったくの別人(エリンダス人)として転生するパターンだった。この身に流れるのは生粋のエリンダス人の血だ。外見から私を転生者だと判断できる者はいないだろう。転生者への偏見を考えれば、転生者であることを隠して生きている者も少なくはないという。私も、利口にそうして生きていればよかったと思ったことは否定しない。


 それでも、一度その身元が明かされてしまったら、転生者は一生転生者のラベルを公的に貼られて生きねばならない。私がそうだったように。


 私がこの世界に転生したとき、この身はすでに二十歳――私の享年――になっていた。意識を取り戻したときには見慣れない石畳の街並みがあって、私はその一角に立ち尽くしていた。最初はわけがわからなかった。ついさっきまで病院のベッドにいたはずなのにと。いきなり二本足で立って、洋画で見たような景色の中にいて、夢の続きを見ているような気分だった。どうせ夢ならと街を練り歩き、誰かに詳しく話を聞いてみようと思った。

 私が不幸だったのは、初めて人と会うのに二時間近く街を歩かなければならなかったことだ。どういうわけか、こんなにしっかりした街なのに通りには人の影ひとつなかった。今振り返ると、その日は邪竜ヘルヴェルトの襲撃が近くの街であって、人々は警戒して家から一歩も出なかったのだと言う。もちろんそんなこと微塵も知らない私は、ゴーストタウンみたいな街をひたすら歩き回った。幸運だったのは、邪竜がその日私のいた街を襲撃しなかったことだろう。


 そうして二時間、静まり返った不気味な街を歩きに歩いて、もうこの世界には私一人しかいないのではないかと諦めかけた瞬間、彼に会ったのだ。

 その男の第一印象は、私の生きた日本社会の物差しに照らし合わせて考えるならば、無礼という他なかった。途方に暮れている私に相手を値踏みするゆとりなど一ミリたりともなかったが、回顧するならば馴れ馴れしいと切り捨てることができる。誰彼構わず遠慮せず声を掛けることができる図太さ故の出会いとも言えなくもないが、とにかく彼は私を見るなり厳しい声を飛ばした。


「おいあんた、何やってんだ!」

「何、って……」

「アルヴァスに邪竜が出たんだ、早く屋内に入れ!」


 アルヴァスというのが襲撃された街だと知ったのはほとぼりが冷めた頃だった。

 何故彼は出会ったばかりの私に怒鳴るのか。何故私は怒られなければならないのか。一体ここはどこなのか。私は明晰な夢を見ているのではなかったか。答えのひとつも今は導き出せない、問うことすら許されなかった。


「待って、あなたこの街の人? ジャリュウって何の話を」

「悠長に話してる暇はねえ。いいからこっち来い!」


 彼は私の手を無理矢理掴むと、そのまま強引に引っ張りだす。どこへ向かっているのだろう。どこかの屋内なんだろうけれど、何もかもがわからない私にはいまだにこれが現実だとは思えなかった。

 これは夢ではなかったの?

 胸の中で何度問うても、答えを与えてくれるものはない。今は目の前の強引な男についていくしかない。彼だって初対面で信用できるかはわからないが、それでも右も左もわからない、しかも二時間近くさまよっていた私は誰かを頼みにしたかった。不安も大きかったけれど一人よりはずっと安心できた。

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