金貨が、蝸牛が、

相園 りゅー

 




 数年前に大学を辞めるまで、雨の日には決まって珍妙な客に会うものだった。



 五月に会ったのは、全世界的に見れば何の変哲もない、一枚の金貨だった。彼は僕の冬用スウェットのポケットから、雨の降る日に現れた。

 床に転がった彼を手に取った僕は、当然ながら困惑した。彼の表面、また裏面には当時の僕には読めない言葉が書かれていて、かろうじて竜血樹らしきレリーフと数字の11だけが読み取れた。しかしインド洋はソコトラ島にてこのような独自の通貨が使われているということを寡聞にして僕は知らなかったし、11という手指の数を一超えた素数がコインに刻まれる合理性も理解できなかった。よって彼は、正体不明のコインの形をした正体不明の金属の固まりであり、更には直近の来歴すら不明の小さな物体でしかなかった。

 彼は言った。

「君はこの世のすべては数字でできていると思っていはしないかい。」

 それから彼は二つに分かれ四つに分かれ、二の累乗の果てに小さくなって去っていった。素数が割れるはずもないのに。


 七月のある雨の日に会ったのは、これまでに見たことがない形の殻を背負った、一頭のカタツムリだった。彼は閉めようとした窓の桟に揚々と佇んでいた。

 閉窓の手をいったん止めた僕は、当然ながら困りはてた。彼の渦殻はまだ一巡もしないほどにも見えて、にも関わらず彼は僕の親指の先くらいの大きさがあった。僕の知っている種類のカタツムリではないのかもしれない。たしかに日本に棲息するそれらより大きくなる種というのは存在するようだけれど、それでもそのような生物が僕の部屋に現れる理由は分からなかったし、近隣の誰かが飼っていたアフリカマイマイの幼生が逃げ出したなどと考える心的な余裕も僕にはなかった。よって彼は、正体不明のカタツムリらしき陸生貝類のようななにかであり、更には軟体動物らしく定形不明ですらあるのだった。

 彼は言った。

「君は心のすべてがひとつ己のものであると思っていはしないかい。」

 それから彼は突き出た眼をぎょろぎょろさせて、飛んできたカラスに啄まれて去っていった。いったい誰が彼だったのだろう。


 十二月のある決定的な雨の朝に会ったのは、晴天の夜空を見上げればどれだけでも見つけられそうな、一つの星だった。彼は僕のアパートの部屋の前で、様々なものの結果として輝き極めていた。

 ゴミを出そうと玄関の扉を開けた僕は、当然ながら立ち尽くした。天体望遠鏡を覗いた経験がない身として星に手が届きそうなどといった思いをしたことのない僕は、水素を主成分として燃えつづける恒星の類いが目と鼻の先に表れた際の行動ルーチンを組んではいなかった。銀河のスケールを用いるなら、彼は太陽に似ており僕はまた太陽に近いのだから驚くことはないといったものかも知れなかったが、しかし蝋の羽根のイカロスを引くまでもなく人類は恒星に近づくべきではない。よって彼は、正体不明の燃え続ける概ね球体であり、熱と光を放つものであり、僕の近づくべきでないものだった。

 彼は言った。

「君は未来のすべては過去でできていると思っていはしないかい。」

 それから彼は星だった。僕の生まれる前から星だったのだ。



 僕は大学を辞めた。それからというもの、彼らのような客には会えていない。


 ああ、梅雨が明けた。



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金貨が、蝸牛が、 相園 りゅー @midorino-entotsu

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