最終話『30年の往復切符』

 翌日、僕は自宅ではなく、実家に向かって走る列車に乗っていた。昨夜、いろんなことを想像した。普段は寝る前に考え事をほとんどしない僕はすぐに寝てしまう。だけど、昨夜はかなり遅くまで宿の布団の上で考え込んでいた。眠れないのは普段のベッドと違うからだとか、そんなことまで考えていた。そしてそのまま眠りについた僕はスマホのアラームに起こされる。そして早朝に送られてきていた母からの長文のラインに気付き、それを読んだ。それは待ちきれない母からのメッセージともとれる内容であり、昨夜の問題の答えそのものだった。


「おはよう。昨夜はよく眠れましたか。正直、あんたがそこまで動いていることに母は驚きました。そして私ももう墓場まで持っていこうと思っていたことをあんたに伝えます。前にも言ったと思うけど、あの人は何を聞いても忘れたとしか言いませんでした。だからもうあの人の口から何かを聞こうとはしないようにしてきました。兄ちゃんの結婚式で涙を流したあの人は少し変わろうとしているのかな?と最近は感じるようにはなりましたね。私が昔、家出をした理由はあの人に『我が子をとるか、それとも大阪の人間をとるか。今すぐ決めてくれ』と迫った結果です。今でこそ振り返るとマイホームも田舎だけど建てることが出来ました。今は年金暮らしでお金に困ることもありません。ただ、それまでの道のりは本当に大変でした。貧しさと向き合う日々でした。その理由はあの人の継母の無心が止まらなかったからです。昔は今と違って会社のお給料は手渡しでした。給料明細もちゃんと給料袋の中に入ってました。あの人の給料明細を見たら給料の多くを大阪へ送金していたのです。大学を出て就職し、初任給から私と結婚するまでの間ずっとです。継母と血の繋がらない妹弟たちへずっとお金を送っていたのです。それは私と結婚してからも続きました。私からそのことについてだけは何度か止めるようにと言いましたが聞いてもらえませんでした。そして『あの電話』がかかってき。そんなあの人を呼び捨てにするような人間に対し、いつまでもお金を送るあの人に苛立ちをいつも持っていました。あの人はいつも『娯楽がないなら本を読め。本なら図書館でタダで借りれる』と言っていました。だから私は本を読むようになりました。二人だけなら貧しさも耐えられました。ただ、子供が出来たらそうも言っていられません。あの「ゴライオン」の超合金をあんたに買ってくれた人があの後すぐに自殺したのは知ってますね。その葬式で『あの電話』の人間にお香典を四十万円請求されました。そんなお金などありません。それでも何とか工面してそれを払いました。そして先ほどの言葉です。『我が子をとるか、それとも大阪の人間をとるか』と私はあの人に答えを迫りました。それでもあの人はその質問に対してハッキリとした答えを言いませんでした。そうなるともう私の覚悟を行動で伝えるしかありませんでした。だから私は家を出ました。そしてようやく『大阪の人間と縁を切る』とあの人は私と約束してくれました。あの人は本当に可哀そうな人なのでしょう。だから私はおばあちゃんに言われた『あの子は継母に育てられたからあんたが大事にしてあげなよ』の約束を守り続けてあの人と一緒に人生を歩んできました。あんたがその年になって。大人になったなあ。あの人のために大阪まで足を運んでいろいろと、それに至るまでも大変な過程だったと思います。今日、家に帰るんですよね。気を付けて帰るように。それから余計なことかもしれませんが何度でも言います。親もいつまでも若くはありませんよ。また元気な顔を見せにいつでも帰ってきてな」


 僕は今、『三十年の往復切符』であの日の父と会話している。近くを見るとものすごいスピードで、でも遠くを見るとゆっくりに感じる列車に揺られながら。ガタンゴトン、ガタンゴトンと車輪の音を聞きながら、僕は目を瞑る。


「六歳だった父さん。僕は六歳の時の記憶はほとんどないんだけどね。それでも両親に大事に育てられてたよ。幼稚園にはいつも父さんの運転するカブの後ろに乗って毎日送ってもらってたよ。君はお母さんを亡くしてしまった。とても残念で悲しいよね。僕がもう少し大人だったらまた違う言葉をかけることが出来たのにね」


「十歳だった父さん。継母は優しくしてくれないのかな?新しい妹弟が出来たんだよね。お兄さんになるんだね。僕も兄貴がいるけれど、兄弟っていい時と悪い時があるんだよ。いい時は僕を守ってくれたり、遊んでくれたりするときで。悪い時はお年玉とかいつも僕より多めに貰う時かな。二人で分けなさいって渡されることが多いからいつも僕は不満を持っているんだ」


「十八歳だった父さん。すごい大学に合格したんだよね。おめでとう。でも東大にだって入れるほどだったんだよね。それに初めて自分の戸籍の届け出をしてもらったんだって。辛かったですか。でもあなたはもうそれに慣れてしまって。麻痺してしまって。辛いとか感じることもなかったかもですね。大学では勉強しながらキャンパスライフを満喫することもなかったでしょう。あなたの血の繋がらない妹弟は八歳とかですね。もうバイトなどをしながら家へ送金を始めたのでしょう」


「二十九歳だった父さん。あなたは素晴らしい女性と結婚しました。あなたは悪くありません。洗脳に近い感覚でしょうか。今まで一人で抱え込んできた重い荷物をあなたは背負いながらもう一つの『責任』も背負うことになりました。でもその両方を背負うことは無理でしょう。きっとどちらかを選ばないとどちらも不幸になるのは分かっていたと思います。僕も二十九歳で結婚したから分かります。親も子供も等しく大事です。でもいびつな呪縛をいつまでも抱えることは一生の不幸を意味すると思います。そしてその素晴らしい女性の覚悟で『我が子』を選んでくれてありがとう。だからこそ僕の『今』があるのだと思います」


「四十歳だった父さん。僕はようやくあの時のあなたと同じ年になりました。我が子は本当に不思議なものですね。どんなに失敗しようと本気で突き放すことは出来ませんね。また、我が子を見ていると昔の自分がどれだけ我儘で身勝手で…」


 僕は列車の揺れを感じながら目を開けた。僕の頬を涙が伝う。誰かに気付かれないよう、僕はそのまま列車の窓の方を見続けたままで、自然に涙を拭う。ただ、この涙はとても心地の良い涙であり。僕が今流している涙の理由はきっと父と母にだけしか分からないものであり。兄の結婚式で父が流した涙の理由もきっと確実に存在するわけであり。母が手渡してくれた『三十年の往復切符』で僕が経験してきた年齢の数だけ同じ年だった頃の父との会話があり。実際には「事実とは少し異なる」と言われるかもしれないだろうけど。けれど、僕は理解しようとは思っていない。それが不可能なことは自分で分かっている。ただし、想像することは許されると思っている。そして僕が今、人生において本当の意味で両親に対し、最大限の敬意と賞賛の気持ちを持っていることが心地の良い涙の理由であり。父も母も偉大であり、僕はそんな二人の間に生まれ、そして育ててもらい。そして社会に出て、生涯の伴侶と出会い、人の親になりました。僕があと三十年の年を重ねた時、僕の子供たちは同じような気持ちになってくれるのだろうか。僕は僕らしくこれからも年を重ねていくだろう。人に後ろ指をさされないよう生きていると他人の狡さがとても目につく。自分の狡さを許せない生き方をしていると生きていくのが息苦しくなる。僕は我が子たちに何を伝えることが出来るだろうか。それはこれから僕が時間をかけて考え、答えを探していくことも一つの生き方なのだろう。

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。列車の車輪の音を聞きながら、どこか懐かしい景色を窓から眺めながら、涙を拭き終えた僕は『三十年の往復切符』を心の中にしまい込んだ。

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