肉と鉄

犬井作

本文

 扉が勢いよくノックされた。どなた、と尋ねると、作業台の隣の伝声管から男の声がした。

 男はMI6のアイヴィスだと名乗った。それで用事が分かったから、手元のレバーを操作した。

 円形の壁を這う管の内側でアームが動く。義肢用のマネキンや神経細胞を培養するペトリ皿を並べた棚に沿って縦横無尽に走る管が煙を吐く。蒸気圧で駆動する扉が、熱を吐き出しながら開かれる。

 椅子を引いて振り向くと、少しくたびれたスーツの男──アイヴィスが、夜を背にして申し訳なさそうに目を伏せていた。

 その背後から、片足でぴょんぴょんと跳びながら現れたのは、幼なじみのナギ。

 ナギは赤毛を揺らしながらアイヴィスの前に立つと、体を軽く左右に動かした。


「腕と足、もげちゃった。エイル、新しいのつけてくれない?」


 ぷらぷらと、肘から先のない左腕と、包帯がグルグルに巻かれた右足が揺れた。

 研究室の白い背景に、右足の先端の赤色は、ひどく、めだった。


「とりあえず……そこに横になって。アイヴィスさん、ここまでありがとう」


 促すと、ナギは威勢よく返事をして部屋の中央の手術台に横になる。

 アイヴィスは最後まで申し訳なさそうにしながら退席した。


「いやー、今度のヤマもひどかったよ」


 赤髪の、片側だけの三つ編みを残った指先でいじくりながらナギはいう。

 私は興奮気味に語られる「今回のヤマ」の話を聞きながら、扉を閉めて、作業台の隣にある煮沸機を開く。

 中から噴き出した蒸気が熱く、手を引っ込める。煙は天井の換気扇に吸い込まれる。私は鉗子でメスやその他を取り出した。


「……今度は右足か」

「うん……あはは、やっちゃった」


 思わず口にすると、ナギは自慢話を中断して、心なしか取り繕った声でうなずいた。


「あのね、以前から義手だった左腕はまだしも右足は計測からやらなきゃいけないし、というか怪我してるし……やること多すぎよ」

「ごめんごめん。いつも感謝してるよ、愛してるよエイル」

「ふざけないで」

「ふざけてないんだけどなあ」


 調子のいいことを言うナギに溜息が出た。


「あのね、ナギ。あなたのおかげで私なんて呼ばれてるか知ってる?」

「うん?」

「フランケンシュタイン博士」


 ぷっ、とナギは吹き出した。


「似ても似つかないのに? あのおじさんと?」

「私が手伝ってるのはそういう人を逮捕する側なんですよって説明してもね、信じちゃくれないの。特に噂好きのハドソン夫人とか」


 ナギはお腹を抱えて笑いをこらえている。

 私は注射器をとって、ナギの右足の上部に注射をうつ。


「麻酔。ちくっとするわよ」

「ありがとう」


 ナギに頭を撫でられた。

 振り払うのも面倒で、そのままにする。


「じゃあ……ひとまず傷を見て処置して行くから」

「どのくらいかかる?」

「処置? それとも全部?」

「ぜんぶ」

「さっきも言ったけど計測からだから……それに駆動機も壊したわね。明日の夜までかかるわよ」

「うえー……代替品とかないの?」

「義手ずれで皮がべろべろになっていいなら今すぐ取り付けてあげるわよ」

「やめとくわ。寝ていい?」

「寝てよ」


 はあい、といってナギは目を閉じる。まもなく、寝息が聞こえてきた。

 疲れていたんだろう。

 ナギ専用として常備している毛布を上体にかけてあげて、私は、包帯にハサミの刃を入れた。


 蒸気機関が過剰発達し、後発のディーゼルエンジンと共生しつつあるこの時代。我が大英帝国は、核分裂反応を研究していた科学者・サルト博士を追っていた。

 スコットランドヤードとMI6で組まれた非公式の合同チームに、ひょんなことから、ナギは関わってしまった。

 サルト博士が父親の勤めていた鉱山の爆破事故に関わっていたと知って、ナギが正式に志願したのが半年前。

 そして私は、ナギに引っ張られる形で雇われてしまった。

 植民地における産業と貿易で財を成して早逝した両親の資産を食いつぶして趣味人を決め込んでいた私が彼女の義手を作っていたことは本来違法だった。それをお目溢ししてくれるというのだから、断る道は存在しなかった。

 そんな経緯で、私はナギの主治医兼アドバイザーをやっていた。


「んむー……」


 寝言を言って首を横に動かすナギ。そのまぶたがうっすら空いて、ふたたびまた横を向く。

 私は縫合を終えた傷口にガーゼを当て、包帯を巻きつける。

 肌にぴったり合うのを確認して、私は紙定規をあてる。

 彼女の足の幅、厚みを調べて、それにフィットするように義足の接続部を調整しなくてはいけない。

 ふと、平穏な寝顔を見て、思わずため息が出た。


「……こっちの気もしらないで」


 ナギがどんな危険にあったのか、私は知ることができない。

 前線に出ず、自宅の敷地内にある研究室にこもりきりで、実験と論文作成に明け暮れる私には。

 戦うことなんて求められてなくて、だから、いつも、私は終わってからすべてを知る。


 もし私が、法を犯していなかったら。

 もし私が、ふつうの義肢を作っていたら。

 彼女はきっと、今でもパン屋にでも勤めていただろう。

 父の死の真相なんかに触れることなく。

 遠くになんか行くことなく──


「……エイル?」

「!」


 まぶたを拭う。


「起きてたの」

「うん、まあ、さっき」


 尋ねると、ナギは曖昧に返事をして体を起こす。

 傷口を見るとナギは、わあ、と歓声をあげた。


「もうここまで終わったの? ありがとう」


 私は曖昧に答えて手術台の奥に足を向ける。


「鉄の破片とか細かい破片がたくさん刺さってたからって、むこうじゃ除去しきれなかったんだけど」

「そう。ヤブ医者ばかりね、王室直属の連中は」

「ええっ?」

「冗談よ」


 円形の部屋の壁には、片側に穴が開いている。等間隔のその穴には、いずれも操作板と、どれが何に対応しているか書かれたプレートがある。私はそのうち、義足と義手をそれぞれ操作して、ナギのためのストックを呼びだす。

 穴の向こうにはコンベアがあり、それぞれの倉庫につながっている。

 待っていれば、すでに作成してある義肢たちが届くだろう。


「現場対応だとトリアージが避け難いから、あなたは後回しにされたんでしょ」

「はは。まあそんなかんじ」


 ナギは隠しているような声で答えた。

 きっとまた、彼女の同僚が何人か亡くなったのだろう。


「……気にしなくていいんじゃないの?」

「え?」

「また守れなかった、とか思っているんじゃないの」

「ん……そう、だね」

「だから、気にしなくていいって言ってるの」

「うん……」


 本来、義手や義足は戦闘を目的になどできない。

 蒸気機関が発達し、過去行えなかった規模でテクノロジーが展開できるようになった現代でも、こと人体の代替品となると、まだまだだ。

 あくまで、生活の補助。

 義肢は人並みに戻すための道具にすぎない。

 それを、戦闘用へ応用できる領域まで改良してしまったのが、この私だった。

 ド・ラ・メトリの「人間機械論」に端を発する人間機械学者。

 その末端にいる私は、人形造りの趣味と、小型化した蒸気機関、それと動物磁気学を組み合わせて、いわゆる、脳波操作式の義肢の発明に成功した。

 そんな折、ナギが片腕を失ったため、彼女のために手術を施した。

 それで彼女は腕を取り戻し、ついでに、その性能を活かして、巻き込まれた厄介ごとを解決してしまった。

 それが全てのきっかけになった。


「ナギの身体能力が高いのはナギの長所。でも、ナギの腕や足が丈夫なのはナギの長所じゃない。あくまで機械の性能よ」


 だから、私が彼女を、戦いに向かわせていると言って、相違ない。

 ナギの苦しみは私にも起因する。


「義肢は完全な武器じゃない。守りきれなくても仕方ない……大仰な盾やオートマチックライフルを装備することができてもね」

「ん……」


 ナギは、曖昧にそういうばかりだった。

 届いた義肢を手に取ってナギの方へと歩み寄る。

 こんな日が来ると思って、私は彼女の足の型をとって、すでに義足の原型めいたものは作っていた。おかげで調整は少しで済みそうだ。


「ちょっと早く終わるかも。具体的には……明日の昼かな」


 彼女の脳波に共鳴・共振するようにニューロダイトを精製しなくてはいけない。水銀と、培養された神経細胞の一部を融合させるためには、いろいろと面倒な作業が必要になる。騒音も考えたら夜明けからしかやれないだろう。

 彼女の腕や足を義肢の接続部にさしこんで、ネジを締めて太さを微調整する。

 そのとき、ナギがいった。


「ねえ、エイル。サイボーグ、って何?」

「……えっと……簡単に言えば、生命系と機械系のハイブリッドのことだけど……」

「簡単じゃないじゃん」


 顔を上げると、ナギは苦笑した。

 ナギは動く方の足をもぞもぞとさせながら、目をそらしたり戻したりする。

 割れたり欠けたりした、本来なら綺麗な爪先が、私の腕の横でゆれる。


「じゃあさ、えっとさ……サイボーグって、人間じゃないの?」

「は……?」


 思わず手が止まった。

 習慣のまま義肢を外して、負担にならないよう床に横たえて、立ち上がる。

 ナギの、いつもと違う視線が私に向けられる。

 かすかな不安に震える目。


「どうなの?」

「……誰に聞いたの」

「……今回の敵だよ」

「話したの? 自律人形が?」


 ナギが戦うのはサルト博士の作った自律人形(ロボット)だ。原始的な論理回路をモジュール化して組み合わせて、汎用制御系の回路を構築することで製造した天才の代物。

 だけど、それらは意志も声も持たない。そのはずだ。


「今回戦ったの、人だったんだ」

「……え……」


 ナギはポツポツと話した。


 敵はサルト博士の弟子のひとりだったこと。

 彼は自身の身体をみずから機械化することで、自律人形の頑強さと人間の頭脳を駆使していること。

 彼に苦戦させられたこと。そして……


「お前は同じだ、って言われたんだ。その人に……最後まで名前は知らなかったけど……」

「……そんなわけないじゃない」


 感情的に否定する。だけどナギは食い下がる。


「でも……その人は四肢を、私は、その半分を……」

「たったそれだけで、否定するなんて──」

「それだけじゃないんだよ、エイル」


 ナギの声音は硬かった。


「もう、私がやれることは、生身の人間のそれを超えている。仮に……義肢がなかったら私は、人並み未満」

「バカなことを言わないで! そんな考え方──」

「でもやれることが足りないのは本当でしょう?」


 卑屈っぽくナギは笑った。


「それに……私は戦いをやめる気はない。そしたら、今日みたいにエイルに腕を換えるようにお願いして……いつかあの男と同じになる。あるいは、もっと。それでも……それでも私は人間って言える?」


 喉元まで、言葉がせり上がった。

 だが、すべての前に、ただ、ぐちゃぐちゃになった。

 沸点を通り越して、ぷつりと、私の中でなにかが変化した。ぐずぐずだった何かが、固まって、固まって。固く。


「……ばかなこと言ってないで、寝なさい」


 私はナギの頭を撫でた。

 揺れていたナギの目が安らぎに包まれる。


「ちょ……やめてよ」


 そう言いながらも、ナギは抵抗しない。

 されるがままになって、目尻から力を抜いていく。


「……これじゃバカみたいじゃん、私……勝手に怒って不安がって……エイルに、なぐさめられて……」


 ナギは目を閉じた。


「エイル、ありがとう」


 寝息を立て始めたナギを車椅子に移して、ベッドへと運んで……そうして、私はふたたび研究室に戻る。

 人のいなくなった、機械だけの王国。円形の……かつては庭園だった場所を、私が作り替えた場所。

 ナギに腕を与えた場所。


「……ひとの気も知らないで……」


 目尻から涙が湧き上がる。

 昔から変わらない癇癪がはじまりそうになっている。わかっていても、今は止めたく、なかった。


「ふざけんじゃないわよ!」


 私は足元の義足を持ち上げてそれを義手に振り下ろした。

 なんども、叩きつける。

 歯車が、シリンダーが、ねじが、砕けて、壊れていく。


「あなたに死にに行けなんて、私言ってない!」


 声が、誰もいない研究室に響いた。


「あなたがあなたの思うままにできるように手伝っただけ! そうじゃなかったら……そうじゃなかったら私、こんなもの作ってない、あなたに与えてなんてない! 責めるなら私を責めなさいよ! どうしてこんなことにしたんだって、言えばいい! まるで私を、透明に扱って……ふざけてんじゃないわよ……!」


 最後の一片を放り出す。

 ひどい音がした。

 あたりは一面に機械の部品が散らばっている。

 力が抜けて、その中に崩れ落ちる。

 ドレス越しに部品が肌に食い込んで、痛い。

 涙が止まらなかった。


 でも、それでも、ナギには、言うことができなかった。

 こんなことを伝えて、彼女の重荷になりたくなかったから。

 今日も、我慢したぶんだけ、痛みが、胸を刺した。

 鋭く。とても、鋭く。


 翌朝、ナギは起きてきた。

 私がなにをしていたかも知らず、実験の失敗のせいで義肢が壊れたことをただ受け入れた。

 休暇が伸びるね、なんて、笑って。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

肉と鉄 犬井作 @TsukuruInui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ