ドリームアウェイ

夏冬春秋

ドリームアウェイ

 「君の、将来の夢を教えて」

 幼い頃から、形は変われど洗脳のようにこの言葉を聞き続けてきた。僕は何よりもこの言葉が嫌いだ。それこそ、幼い頃にこの質問をされたときには、純白な気持ちで、「やきゅうせんしゅ!」だとか「うちゅうひこうし!」だとかまるで分を弁えていない戯言を吐き散らしていたわけで。それから十年も近く経ってみれば、やはり人間変わるものである。

 親戚やら何らかの形で催される席に参加すれば、まず聞かれないことなんてない。そのたびに、僕はお決まりのように「いえいえ、夢なんて無いですよ」などと、あまりにも適当にはぐらかし、あまりにも強引に別の話へと舵を切るのだ。

 “はぐらかす”。本当に夢なんて無いのなら、『無い』という言葉はただの事実であって、はぐらかすなんて言葉を用いる必要は無い。つまり、夢そのものは確かに存在している。というか、していた。過去形である。数年ほど前までは確かに自分の内側にそれは宿っていた。でもそれは現在にも至らず、顕在することのなかった存在。まさしく夢そのもののようだった。

 何故かなんて、自分には既に分かっていた。

 詰まるところ、恥ずかしいのだった。年相応にして、往々にして、煌々として輝きを放つ夢というものが、どうにも恥ずかしくなってしまった。だから言えなかった。だから捨ててしまった。

 より正確に言うと、そのように輝く夢を叶えるための努力をするのが薄ら寒かったから。そして、見合わない夢に夢見ることが恥ずかしかったから。目指す先の光に堪えきれなくなってしまったから。

 いつからか見ていた自分自身の未来を当の自分自身の手で、「恥ずかしいから」とへし折った。というかむしろ、分を弁えた。

 どんなことであれ、分を弁えるということは大切なことだと思う。分不相応な真似は絶対にするべきではない。恥だからだ。自己を無理やり押し込めて、圧殺してでも弁えなければいけない。分相応でなければ、いけない。

 何を語っても揚げ足を取られる現代で、ただ普通に生きるには、語ることを弁えなければいけない。知らないことを知っていると言ったり、知らないということを知っていると言うことも憚られる。“無知の知”は通用しない。自分の思いも、夢も、知らないふりをしていかなければならない。知は必要なく、ただ“無知”となる。光からも目を背けて、厚顔無恥として生きなければいけない。

 そうやって分を弁えて、自律する。己を律する。孤立すること無く、顔も分からない人のために見えもしない足並みをそろえる。

 ただ、ただそれだけ。それだけのために僕は夢を諦めた。僕の中で未来を指し示す夢が、大人になってから親から聞いて苦笑いする程度の過ぎ去ったものへと変わってしまったという、ただそれだけのことだった。

 だから何かが減るわけでもなく、何かが増えるわけでもない。今後の僕の人生になんら変わるところなどはないのだ。

持っている夢が大きかろうと小さかろうと、あろうとなかろうと、どっちにしたって夢なんてものは見る分にはちょうどいいものであって、決して叶わないのだから。

 以上、中学校三年生日本人男子の勝手な言い分である。

 結局は夢なんて叶わない。自分としては、むしろ気づくのが遅かったと感じるぐらいだった。人によっては小学校低学年辺りでもう気づくようなことだ。僕としては、そんな風にやけに達観した小学校低学年の男児だかは御免被りたいところである。

 そんなところで中学校三年現在、こんな当然のことに気づくなんてそれこそ恥ずかしいことだ。

 どれほど大仰な夢を持とうがなんだろうが構わないが結局は叶わない。それが分かっているくせに大それた夢を持ってしまっていた自分が恥ずかしい。だから弁えた。大人に自分を伝えることをやめた。そうしているうちに自分の夢がなんだったのかさえ、思い出せなくなった。

 至極当然の摂理である。

 そして、ようやく僕は本題について考えるために、果たしていつもの公園、いつものベンチへと向かう。

 本題の議題は、“夢のあり方”。


 我が家から徒歩三分そこらの第二公園は、基本的に人が少ない。一人になるには絶好の場所である。

 公園にはなにも変わった様子はなく、いつも通りだった。

 見た目としては長方形型で、学校にあるような二十五メートルプール一個は余裕で入るような、それなりに広い面積がある。そこにいくつか有名な遊具陣があるだけ。土地の無駄使い。行政の手抜き感がうかがえる。

 さて、僕の定位置である件のベンチは入口からめちゃくちゃ近い位置にある。詳しくは、大きく一歩進んで、右向け右して、また大きく三歩ぐらい。うん。分かりづらい。

青色で木製で、所々塗装がはがれていて、落ち着きがあるような。

 そんな安心感のあるベンチに、さて、いつものようにと思った矢先だった。腰を掛ける前に話かけられた。

「そこの少年。少しばかり話――というか悩みを聞いて欲しいんだけど。いいかい」

 我が愛しのベンチに足を組みながら座る、どこか浮浪者然、というかなんとなくだらしなく見える男は、つかみ所は無いがなぜか響くような声でそう言った。

 もちろん僕としては、

「こんなところでなにやってるんですか、叔父さん」とこう返す。

そりゃあ、実の母親の弟君がいくら休日といえど、一人で人気のない公園に佇んでいればこう聞くだろう。

「叔父さんというのは総じてなにやってるか分からないもんだよ」

 叔父さんは口角を上げながら答えになっていない答えを返してくる。それはフィクションに生きているようなおじさんだろ。

 先ほどから叔父さんと連呼されているあの男は、どことなくだらしない顔つきをしているがよく見るとそれなりに男前で、独特のオーラを持っている。

 白のシャツにグレーのカーディガン、それにベージュのパンツを合わせたような普通のスタイルなのだが、その雰囲気は“普通”の波にはかき消されない。叔父さんの小説家という肩書きもどこか雰囲気作りに与っているのだろう。

「叔父さんというのは押し並べて小説家だよ」

 確実に偏見だけど、何となくわかってしまう自分がいる。だがそれもフィクション的なおじさん像である。

「それで?俺の話を聞いてくれるのかいユウスケくん」

首を傾げて、四十五度の角度から顔を覗き込まれる。いつの間にか俯いてしまっていたことをそこで気がついた。

「ええ、ええ、聞きますよ。なんですか」

即座に顔を上げ、男の目を見つめる。その瞳は以前に会った時から変わることなく、どこか澱んでいた。

ともかく僕がそう言うと叔父さんは嬉嬉とした顔を見せて、それとなく隣に座るよう促した。もう目を見る気にはなれなかった。

「ほうほう。それなら良かった。小説家だからって変な期待はよしてくれよ」

叔父さんは微笑を湛える。

「まぁ、これから話すのは別にそんなに力んで聞くようなもんじゃない。肩の力を抜いて、ゆっくり聞いてくれればいい。たかだかおっさんの話す戯言や世迷言だと思ってくれて構わない。そうだなぁ、例えばだ。ここに夢を追いかけ、夕日に向かってひた走っちゃうような昭和型スポコン少年がいるとする。彼は今小学校五年生だ。努力を積み重ね、数年が経ち、中学に入学する。そこで彼は気付かされるわけだ、圧倒的な才能の差に。彼には才能がなかったんだ。ん?あぁ、ここにおいてはこの競技が何なのかは全く関係ないから深く考えなくたっていいよ。さて、本題だ。ここで彼がとるであろう行動は二つ。スポコン少年らしくこれからも研鑽を積み、差を埋めようとするか、夢を諦めてしまうか、だ。そう、君のようにね」

ゾクリとした。というかギクリとした。ていうかビックリした。

が、たしかに、覚えていてもらわなければ困る。僕が夢を失ってしまったこと、夢を忘れてしまっていることを。他ならぬあなたのせいで。

「どちらだと思う?君の意見を聞かせて欲しいんだよ。夢を失ってしまった君にこそ、聞いてみたいんだよ」

「僕なら、諦めます。それはもう潔く諦めますね。

どうしてって、そんなことは叔父さんが言っていたことじゃないですか。夢なんて叶わない。叶えるものじゃないんだって。

彼には頑張って欲しいですけど、きっと叶わない。夢が努力の報酬だとすると、安すぎるんです。才能さえ掛け合わせてようやく掴めるかどうか。だから……」

「だからなんだって言うんだい」

何度も会ってきている中で、こんなに冷たい声色を聞くのは二回目の事だった。初めは、夢を奪われた時。

「だから、諦めるべきなんです」

僅かに感じる一抹の恐怖心に気圧され、俯きがちに答える。また、下を向く。

「"べき"ねぇ……。フム、よく分かったよ。なるほど、やっぱり君は流されやすい人間なのだろうと思うよ。というか普通の人間だ」

さっきの冷たい声とはまた違った、今度ははっきりとした声色で、なんというか叔父さんの本来の姿がある気がした。

『流されやすい』ことに意見を挟む隙もなく、叔父さんはこう言った。

「ありがとう。俺の悩みは解決したよ。そうだなぁ、確かにこれはお話でもなければ相談でもないね。ただの確認作業だったよ」

「待ってください!確認ってどういう……」

「俺の悩みというのはね、君があれから夢を完全に諦めてしまったのだろうか。それが気になって眠れなかったんだよ。いや、比喩じゃなくってほんとだよ」

 叔父さんは居直って、一瞬だけ柔らかくなっていた表情をまた真剣な表情に戻す。

「君は安心したいだけだ」

胸に刺されたような痛みが走る。

「今の君は、同じく夢を見ていない人達の空気に触れて、夢のない自分に安心したかっただけ。僕に諦めるように言われた時も、既に少し諦めかけていた自分の気持ちに保証をかけたかっただけ。――なるほど、そう考えると君は紛れもなく純日本人だね」

純日本人。

 叔父さんはわざとらしく両手をひろげて語る。

「確かにね。分かるよ、なんで諦めさせるような真似をしたのかってね。何も本当に諦めさせようって魂胆でやったわけじゃないさ。これは俺の持論なんだけれど、夢を叶えられる奴は、"悔しがれる人間"だと思ってる。自分の行動を後悔できる奴。言われた事に腹を立てられる奴。なんだか当たり前のことだけど難しい。普通はみんな受け入れてしまう。その点で言うと例に挙げた、かの少年は夢を叶えられる人間かもね。君も悔しがれる人間であれば、と僅かばかりの希望的観測に賭けてみたんだが、誤算だった。その結果として君の夢は潰えてしまったんだ」

信じられなかった。信じてはいけないと思った。これはつまり、自己存在に関わると直感でそう判断した。

 知りたくなかった。理解したくなかった。どこかで分かっていたようなことであるのかも知れないけれど、認めてしまいたくなかった。だから、またうつむく。

「それが君の悪いクセだ。そうやってすぐに考えることを放棄する。夢のことも、自分自身のことも、周りにある“普通”の波に漂って楽をしたいだけじゃないか」

視界の端に僅かに捉えた叔父さんの手が強く握られていることが分かった。

「君は知っていることを知らないことにしようとしている。知ってしまえば楽じゃないから。普通じゃないから。こんなのは言い分ですらない。勝手な言い訳だ。

 僕に言わせれば、君はガキだ。自分で考えようともしないで生きようとしてる。いつまでも子どもで居られると思っているなら大間違いだ」

 無言が続く。

 あぁそうか、自分は大人になろうとさえしてなかったのか、とか、バカだな、とか、そんなに言うかなぁ、とかそんなことが頭の中に浮かんでは消えてを繰り返す。なんとかして心を平穏な状態にしたいから。

 近くの小学生達が騒ぐ声を聞きながら、何かしらだんだんと腹が立ってきた。別に、さっきの正論がどうとか幼い自分がどうとか、そんなことではなく、未だに記憶の奥底にさえ姿を見せない夢に対してである。

 僕の頭はもうパニックだった。きっとそのせいなのだと思う。

「僕の夢ってなんなんでしょうか」

 意味の分からない問いかけをする。

 左隣からは、フッと鼻息が聞こえた。質問を鼻で笑われるの腹立つな。

「俺の知ったことじゃない。君に分からないのだから俺に分かるわけ無いじゃないか」

「ええ。だから、楽せず考えても出ないので。考えても分からないことは大人に聞けと母が」

 そう言うと叔父さんは笑った。たぶん口を開けて笑った。

「そうか。そうだな。じゃあ年長者から君へ、ありきたりなことを一つ言うとするよ」

 真横で、手を組んで前屈みになったのが分かった。

「夢は意外と叶わない。けれどかなえるために想像するビジョンも、それに伴う努力も決して無駄にはならない。夢のある世界で見る景色は違うものだよ。まぁ、なんだ、為せば成るってやつさ」

「小説家とは思えないようなボキャブラリーですね」

「なんだかトゲが強くないかい?」

 そう言いながら叔父さんは思いっきり伸びをしながら、思いっきりもたれかかる。

「あ」

 咄嗟に声が出た。何かが突然頭の中に降りてきたような感じ。成る程、思い出すってこういう感じか。

 どうやらそこそこのトーンで放ったらしく、「まさか、来た?」とレスが来る。

「あんなバカでも思いつくような言葉で来たのかい?あぁ、もっとマシな言葉考えておけば……」

 僕はようやく顔を上げた。正直なところそんなに風景なんて変わらなかった。変わったことと言えば叔父さんが所在なさそうにウロウロしてることぐらいか。

「わかったよ」

 僕の顔を見て叔父さんは、ただ一回こくりと頷いた。

「誠に勝手ながら聞かせていただくよ」

 僕はこれから大人になっていく。どんな大人になるのかなんて今は見当もつかないけれど、周りの普通だとか空気とかそんな“楽”に流されないで考え続ければたぶん分かることなんだろうな。

 いろんな事に出会って、体験して、そのたびに何かに悔しがって、自分を見つめ直して、そうやって夢の光に見合う自分になれたなら、それは叶えることと同じぐらいすごいんじゃないかな。

「君の、将来の夢を教えて」

 これまでも、きっとこれからも人生で最も嫌いな言葉。でも、今日ぐらいははぐらかさないで言ってやる。

 これが僕の見たい道。生きてみたい道。これが。

「僕の、夢は……

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ドリームアウェイ 夏冬春秋 @KatouHaruaki

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